山城改


CV


藤田咲

Illustrator


六花

史実情報


山城の項、参照。

ゲームにおいて


ミッドウェー海戦で失った正規空母を補填すべく全ての戦艦に航空母艦への改装計画が持ち上がった。しかし、扶桑型を始めとして大和型、長門型、金剛型の航空母艦への改装は史実では実現しなかった。艦隊決戦の切り札として建造された大和型、日本海軍の象徴として長く親しまれた長門型、高速かつ老朽化していたがゆえに八面六臂の活躍をみせた金剛型とちがって、扶桑型が改装されなかった理由は何か。それは、油圧式カタパルトを実用化できていなかったため、24.7kt(山城は24.5kt)しか出せない扶桑型では航空機の発艦が難しかったというのが航空母艦への改装が実現しなかった主な理由である。

そのため、最初から改装候補から外された扶桑型にはそもそも改装計画案自体が存在しない*1。そのため、『艦これ』での航空戦艦扶桑は、最終的に航空戦艦へと改装された伊勢型を参考に考え出されたIF改装艦である。ただ、山城の場合は1922年(大正11年)3月29日、山城第2砲塔上に滑走台を設け陸上機(イギリスのグロースター・スパローホーク戦闘機)の発艦実験を行い、3回の実験全てが成功した。これは戦艦から航空機を飛ばした日本初の事例で、この成功以降、5500トン型軽巡洋艦に滑走台が設けられたという逸話もある(山城からは実験後まもなく撤去)。もっとも、使い勝手はよくなかったようで、カタパルトが実用化されると軽巡からは撤去された。やっぱり不幸だわ……。

なお、史実にない改造は「扶桑・山城を活躍させたい」というのが艦これの開発動機だという噂もあるが、真偽は不明。

ちなみに中破するとと同じく戦艦の時以上の大胆な露出となる。ありがたやありがたや……。これまた姉と同じく、艦種が変更されるにもかかわらず、別枠のカードが用意されなていないため、中破時の艶姿を自由に拝めなかった。が、2013年12月4日のアップデートで図鑑機能が強化され、戦艦の枠内での差分表示で航空戦艦のグラフィック鑑賞が可能になった。


台詞一覧


状況 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
自己紹介 扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です。あの、扶桑姉さま、見ませんでした? スリガオ海峡海戦時、旗艦山城は扶桑の落伍に気付かなかったと言われている
秘書クリック会話① 扶桑お姉さま?
秘書クリック会話② 不幸?私が?ち、違いますから 扶桑型はその悲惨な運命から日本海軍随一の不幸な艦とされている
秘書クリック会話③ 姉さま!? なんだ…提督か
秘書クリック会話(ケッコンカッコカリ)(反転) 提督も…少しは、休んでくださいね… ちょっとだけデレた!
戦績表示時 手紙…不幸の手紙かしら…!? 一昔前に流行った悪戯目的のチェーンメール。「この手紙を受け取った人は○日以内に○枚、同じ手紙を送らないと死にます(または、不幸が訪れます)」といった文面もの。
仮に受け取ったとしても本気にしないように。
編成選択時 扶桑型戦艦山城、出撃します!
装備時① 姉さまより先でいいのでしょうか? 実は山城は昭和3年~4年までの一年間、連合艦隊旗艦だった。
…が、姉の扶桑はなれなかった。
装備時② 近代化改装…これで、欠陥戦艦とは言わせないし 史実参照、残念ながら何回改装しても欠陥でした・・・
装備時③ 不幸だわ… なぜ!?
(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)
ドック入り わたし…大体ドックにいますよね… 「艦隊にいるほうが珍しい戦艦」の異名より
ドック入り(重傷) 艦隊にいるほうが珍しい戦艦って…ひどい言い方するのね 扶桑型は多くの欠陥を抱えており、その対処のために度々ドック入りしていた
建造時 姉さま?新しい艦ができたみたい
艦隊帰投時 艦隊が帰ってきました… ほっとしてるわけでもなく凄まじくテンションが低い。
MVP時との落差はもはやギャグ。
出撃時 姉さま…山城、必ず帰ってきます!
戦闘開始時 敵艦隊発見!砲戦、用意して!
航空戦開始時 姉さまも戦っているかしら… 改のみ・夜戦攻撃時と同じ
攻撃時 主砲、よく狙って……ってー!
夜戦開始時 いよいよ夜戦…いやな予感がするの… 撃沈した戦いが夜戦であった
夜戦/航空攻撃時 姉さまも戦っているかしら… 山城は姉妹艦扶桑と共にでスリガオ海峡で夜戦を戦った
台詞は航空戦開始時と同じ
MVP時 えっ?私が活躍したの…?うそ、そんな!?…本当!?姉さま、見ててくれた!? 旧型戦艦である山城は長らく後方に置かれ、活躍の機会はなかった
被弾小破① 痛い!やっぱり不幸だわ…
被弾小破② 被弾!?弾薬庫に火は回ってない!? 弾薬庫への引火が致命傷となった
被弾カットイン やだ、魚雷…?各艦は私を省みず前進して、敵を撃滅してくださ~~~い! スリガオ海峡の夜戦にて、多数の魚雷が命中した山城から、西村祥治中将は
「我魚雷を受く。各艦は我に省みず前進し、敵を攻撃すべし」と残存艦に指令を出した
撃沈時(反転) 扶桑姉さま…あちらの世界でもご一緒に… 扶桑、山城共に1944年10月25日にスリガオ海峡で沈没。
時間的には扶桑が先に沈み、山城が後を追う形になった。
ケッコンカッコカリ時(反転) あ、ありがとう。でも、私の心は常に扶桑姉様と共にあるの…ごめんなさい。 オコトワリ組の一人。
やっぱりブレねぇ……。



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