由良

「由良」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

由良」(2014/12/12 (金) 13:23:15) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#image(No045.jpg) #contents() ---- *CV ---- たにべゆみ((「りくかいくう。」の記述による)) ---- *Illustrator ---- 絵師 ---- *史実情報 ---- 太平洋戦争、緒戦でもっとも前線で奮闘した軽巡洋艦は、この「[[由良]]」ではないかと思う。数々の部隊の旗艦となり、自ら進んで戦線に参加するなど、その様子はまさに上司の鏡。 しかし、前線で戦い続け、疲れ果て振り回された挙げ句の果てに待っていたもの、それは褒美ではなく雷撃処分であった。 #ref(Yura.jpg) 「[[由良]]」は、大正年間に多数建造された5500トン型軽巡洋艦の長良型の4番艦として、1923年に佐世保工廠で完成した。 本艦より前の「[[長良]]」「[[五十鈴]]」「[[名取]]」は&bold(){八四艦隊計画}で発注され、「[[由良]]」「[[鬼怒]]」「[[阿武隈]]」は&bold(){八八艦隊計画}で発注された。 そのため、同じ設計ながら&bold(){製造時期の違う長良型4番艦以降の艦娘は絵師が異なる}、という細かすぎて伝わらない小ネタがあったりする。 一部では、[[由良]]以降の長良型を「由良型」と呼ぶ資料もある。 1926年12月、日本海軍の軽巡洋艦で初めて水上偵察機を搭載するなど、他の同型艦より優遇された艦でもある…が、ついにそれが役に立つことは無かった。 1929年4月、五十鈴において射出実験に成功した萱場式艦発促進装置が由良に移設され、約4年間の長期試験が行われたが実用化に至らず、火薬式射出機の実用化に伴い撤去されている。 萱場式艦発促進装置はスプリングの力により加速をつける方式の射出機であった。 1931年12月、第1艦隊第3戦隊に編入され、翌年1月、「[[大井]]」「[[夕張]]」と共に第一次上海事変で揚子江警備に出動し、3月末まで活動した。 1933年7月、呉式二号三型射出機が5番主砲と6番主砲の間に装備され、従来の滑走台は廃止された。 滑走台跡に、他の長良型各艦とは異なり13mm連装機銃2基が装備されたとされている。1933年11月、第2艦隊第2潜水戦隊の旗艦となった。 1936年12月、第1艦隊第8戦隊に編入され、翌年8月、上海上陸作戦に出動し、陸軍上海派遣軍司令官松井石根大将が乗艦、8月22日に上海に到着し、11月まで揚子江の作戦に従事。 1938年4月には南支作戦に出動、10月より広東攻略作戦に参加した。1939年11月、特別役務艦となり修理を行った。今度は1940年5月、第四艦隊第5潜水戦隊の旗艦となる。 翌1941年11月、第28、第29、第30の各潜水隊を指揮して海南島に進出した。太平洋戦争開戦後、マレー上陸作戦を支援し、次にボルネオ攻略作戦に参加した。 1942年1月、旗艦を伊65潜水艦に移し、スマトラ、ジャワ上陸作戦に従事した。 また、2月にはシンガポールから脱出する艦船の攻撃に参加し、3月4日には給油艦襟裳の乗員を救助。 次いで、北部スマトラ、アンダマン攻略作戦を支援し、4月にインド洋機動作戦で商船3隻を撃沈させる戦果をあげる。 同月、佐世保に帰港し5月まで整備を行った。5月10日に潜水艦の雷撃で大破し、大修理を要することとなった%%艦隊のアイドル%%「[[那珂]]」に替わって、第2艦隊第4水雷戦隊の旗艦となる。 6月のミッドウェー作戦に参加後、小松島に待機していたが、第4水雷戦隊が8月に外南洋部隊増援隊となりトラックに進出、次いでショートランド泊地へ移動した。 しかし、このショートランド泊地に移動したのが運の尽きであった。 9月25日、ショートランド泊地でB-17爆撃機2機の攻撃を受け、小型爆弾1発が命中。 由良はガダルカナル島への輸送を2回実施し、このうち10月18日の輸送作戦の際にチョイセル島沖で米潜水艦「グランパス」に雷撃され左舷前部に一本が命中したが、不発だったため事なきを得た。 最期の戦いは1942年10月24日、「[[由良]]」は第二駆逐隊「[[五月雨]]」「[[夕立]]」「春雨」、秋月型駆逐艦「秋月」と共に第二攻撃隊を編成し、ショートランドから出撃してガダルカナル島のアメリカ軍攻撃に向かった。 その数時間前には第六駆逐隊が出撃、構成はあの「暁型四姉妹」の内、「[[暁]]」「[[雷]]」の二人と臨時編入していた「[[白露]]」である。 この時「[[響]]」は横須賀で修理中、「[[電]]」はトラック方面で輸送船団護衛任務を行っていた。 その第六駆逐隊から、「日本陸軍がヘンダーソン飛行場を占領した」、続いて「米軍巡洋艦1、駆逐艦1隻を撃沈」の報をきき、ガダルカナル島へ接近する。 しかしそれらは全て誤報であった。 10月25日10時55分、インディスペンサブル海峡を航行中にから発進したアメリカ軍機「ドーントレス急降下爆撃機」の攻撃を受け爆弾2発が命中、最大発揮速力23ノットとなり、橋上部が破壊され、左舷後部に大孔があき、中央部に火災が発生。 午前11時20分反転退避を開始、米軍機の波状攻撃をなんとか撃退していたが、午後3時10分過ぎにB-17爆撃機とドーントレス混成攻撃隊の攻撃を受ける。 「[[由良]]」はB-17が投下した爆弾3発が命中、大火災を起こして航行不能となり、二番煙突が倒れた。 護衛の「秋月」も爆弾1発が命中して中破、「[[五月雨]]」も至近弾で小破している。 午後4時15分総員退去命令が下令、その後「[[夕立]]」と「春雨」が雷撃処分を行う。 「[[五月雨]]」乗組員の目撃によれば、魚雷が命中しても「[[由良]]」は中々沈まず、「[[夕立]]」が砲撃で沈めたとされる。「[[由良]]」の沈没は午後7時。各駆逐艦に救助された乗組員は損傷した「[[秋月]]」に移乗し、ラバウルへ戻った。 これにより「[[由良]]」は日本海軍の軽巡洋艦戦没第1号となった。 戦後、由良の名は、ゆら型輸送艦のネームシップに受け継がれ 輸送艦に艦種が変わり単装砲は無くなったものの、今年2013年4月12日に無事退役を果たした。 また、ゆら型は退役するまで海上自衛隊における艦カテゴリーの中では最小であった。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|長良型軽巡四番艦の「由良」です。どうぞよろしくお願いいたしますっ!|| |秘書クリック会話①|なぁに?|| |秘書クリック会話②|提督さん?|| |秘書クリック会話③|提督さん、私の単装砲そんなに好き?|大好き| |戦績表示時|提督さん、ご連絡ですよ|| |編成選択時|長良型軽巡「由良」、出撃します|| |装備時①|そうそう、火力を強化してね、ね?|大艦巨砲主義に基づく考え。また長良型は後続の川内型に比べ火力で劣る| |装備時②|私のカタパルトって…邪魔、かなぁ?|「由良」に当初あったカタパルトは邪魔ということで撤去されている| |装備時③|いいんじゃない?|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ありがとう|| |ドック入り(重傷)|整備や修理も大切よね|| |建造時|新しい艦ができたんですって|| |艦隊帰投時|艦隊が戻ってきたようね。戦果あるかな?|| |出撃時|さぁ、由良のいいとこ見せちゃうかな|| |戦闘開始時|砲雷撃戦、始めます!|| |攻撃時|よーく狙って、てーっ!|(棒| |夜戦開始時|そろそろ頃合ね、突撃!|| |夜戦攻撃時|負けないから|| |MVP時|由良が一番なの?ほんと!?やったー|かわいい| |被弾小破①|いたっ|| |被弾小破②|痛いったら…!|| |被弾カットイン|まだ・・・こんなんじゃ沈まない!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):魚雷処分よりは……いい、かな……|COLOR(white):由良の最期は雷撃処分、先行した部下のミスで沈むことになった| ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/由良)
#image(No045.jpg) #contents() ---- *CV ---- たにべゆみ((「りくかいくう。」の記述による)) ---- *Illustrator ---- 絵師 ---- *史実情報 ---- 太平洋戦争、緒戦でもっとも前線で奮闘した軽巡洋艦は、この「[[由良]]」ではないかと思う。数々の部隊の旗艦となり、自ら進んで戦線に参加するなど、その様子はまさに上司の鏡。 しかし、前線で戦い続け、疲れ果て振り回された挙げ句の果てに待っていたもの、それは褒美ではなく雷撃処分であった。 #ref(Yura.jpg) 「[[由良]]」は、大正年間に多数建造された5500トン型軽巡洋艦の長良型の4番艦として、1923年に佐世保工廠で完成した。 本艦より前の「[[長良]]」「[[五十鈴]]」「[[名取]]」は&bold(){八四艦隊計画}で発注され、「[[由良]]」「[[鬼怒]]」「[[阿武隈]]」は&bold(){八八艦隊計画}で発注された。 そのため、同じ設計ながら&bold(){製造時期の違う長良型4番艦以降の艦娘は絵師が異なる}、という細かすぎて伝わらない小ネタがあったりする。 一部では、[[由良]]以降の長良型を「由良型」と呼ぶ資料もある。 1926年12月、日本海軍の軽巡洋艦で初めて水上偵察機を搭載するなど、他の同型艦より優遇された艦でもある…が、ついにそれが役に立つことは無かった。 1929年4月、五十鈴において射出実験に成功した萱場式艦発促進装置が由良に移設され、約4年間の長期試験が行われたが実用化に至らず、火薬式射出機の実用化に伴い撤去されている。 萱場式艦発促進装置はスプリングの力により加速をつける方式の射出機であった。 1931年12月、第1艦隊第3戦隊に編入され、翌年1月、「[[大井]]」「[[夕張]]」と共に第一次上海事変で揚子江警備に出動し、3月末まで活動した。 1933年7月、呉式二号三型射出機が5番主砲と6番主砲の間に装備され、従来の滑走台は廃止された。 滑走台跡に、他の長良型各艦とは異なり13mm連装機銃2基が装備されたとされている。1933年11月、第2艦隊第2潜水戦隊の旗艦となった。 1936年12月、第1艦隊第8戦隊に編入され、翌年8月、上海上陸作戦に出動し、陸軍上海派遣軍司令官松井石根大将が乗艦、8月22日に上海に到着し、11月まで揚子江の作戦に従事。 1938年4月には南支作戦に出動、10月より広東攻略作戦に参加した。1939年11月、特別役務艦となり修理を行った。今度は1940年5月、第四艦隊第5潜水戦隊の旗艦となる。 翌1941年11月、第28、第29、第30の各潜水隊を指揮して海南島に進出した。太平洋戦争開戦後、マレー上陸作戦を支援し、次にボルネオ攻略作戦に参加した。 1942年1月、旗艦を伊65潜水艦に移し、スマトラ、ジャワ上陸作戦に従事した。 また、2月にはシンガポールから脱出する艦船の攻撃に参加し、3月4日には給油艦襟裳の乗員を救助。 次いで、北部スマトラ、アンダマン攻略作戦を支援し、4月にインド洋機動作戦で商船3隻を撃沈させる戦果をあげる。 同月、佐世保に帰港し5月まで整備を行った。5月10日に潜水艦の雷撃で大破し、大修理を要することとなった%%艦隊のアイドル%%「[[那珂]]」に替わって、第2艦隊第4水雷戦隊の旗艦となる。 6月のミッドウェー作戦に参加後、小松島に待機していたが、第4水雷戦隊が8月に外南洋部隊増援隊となりトラックに進出、次いでショートランド泊地へ移動した。 しかし、このショートランド泊地に移動したのが運の尽きであった。 9月25日、ショートランド泊地でB-17爆撃機2機の攻撃を受け、小型爆弾1発が命中。 由良はガダルカナル島への輸送を2回実施し、このうち10月18日の輸送作戦の際にチョイセル島沖で米潜水艦「グランパス」に雷撃され左舷前部に一本が命中したが、不発だったため事なきを得た。 最期の戦いは1942年10月24日、「[[由良]]」は第二駆逐隊「[[五月雨]]」「[[夕立]]」「春雨」、秋月型駆逐艦「秋月」と共に第二攻撃隊を編成し、ショートランドから出撃してガダルカナル島のアメリカ軍攻撃に向かった。 その数時間前には第六駆逐隊が出撃、構成はあの「暁型四姉妹」の内、「[[暁]]」「[[雷]]」の二人と臨時編入していた「[[白露]]」である。 この時「[[響]]」は横須賀で修理中、「[[電]]」はトラック方面で輸送船団護衛任務を行っていた。 その第六駆逐隊から、「日本陸軍がヘンダーソン飛行場を占領した」、続いて「米軍巡洋艦1、駆逐艦1隻を撃沈」の報をきき、ガダルカナル島へ接近する。 しかしそれらは全て誤報であった。 10月25日10時55分、インディスペンサブル海峡を航行中にから発進したアメリカ軍機「ドーントレス急降下爆撃機」の攻撃を受け爆弾2発が命中、最大発揮速力23ノットとなり、橋上部が破壊され、左舷後部に大孔があき、中央部に火災が発生。 午前11時20分反転退避を開始、米軍機の波状攻撃をなんとか撃退していたが、午後3時10分過ぎにB-17爆撃機とドーントレス混成攻撃隊の攻撃を受ける。 「[[由良]]」はB-17が投下した爆弾3発が命中、大火災を起こして航行不能となり、二番煙突が倒れた。 護衛の「秋月」も爆弾1発が命中して中破、「[[五月雨]]」も至近弾で小破している。 午後4時15分総員退去命令が下令、その後「[[夕立]]」と「春雨」が雷撃処分を行う。 「[[五月雨]]」乗組員の目撃によれば、魚雷が命中しても「[[由良]]」は中々沈まず、「[[夕立]]」が砲撃で沈めたとされる。「[[由良]]」の沈没は午後7時。各駆逐艦に救助された乗組員は損傷した「[[秋月]]」に移乗し、ラバウルへ戻った。 これにより「[[由良]]」は日本海軍の軽巡洋艦戦没第1号となった。 戦後、由良の名は、ゆら型輸送艦のネームシップに受け継がれ 輸送艦に艦種が変わり単装砲は無くなったものの、今年2013年4月12日に無事退役を果たした。 また、ゆら型は退役するまで海上自衛隊における艦カテゴリーの中では最小であった。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|長良型軽巡四番艦の「由良」です。どうぞよろしくお願いいたしますっ!|| |秘書クリック会話①|なぁに?|| |秘書クリック会話②|提督さん?|| |秘書クリック会話③|提督さん、私の単装砲そんなに好き?|大好き| |戦績表示時|提督さん、ご連絡ですよ|| |編成選択時|長良型軽巡「由良」、出撃します|| |装備時①|そうそう、火力を強化してね、ね?|大艦巨砲主義に基づく考え。また長良型は後続の川内型に比べ火力で劣る| |装備時②|私のカタパルトって…邪魔、かなぁ?|「由良」に当初あったカタパルトは邪魔ということで撤去されている| |装備時③|いいんじゃない?|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ありがとう|| |ドック入り(重傷)|整備や修理も大切よね|| |建造時|新しい艦ができたんですって|| |艦隊帰投時|艦隊が戻ってきたようね。戦果あるかな?|| |出撃時|さぁ、由良のいいとこ見せちゃうかな|| |戦闘開始時|砲雷撃戦、始めます!|| |攻撃時|よーく狙って、てーっ!|(棒| |夜戦開始時|そろそろ頃合ね、突撃!|| |夜戦攻撃時|負けないから|| |MVP時|由良が一番なの?ほんと!?やったー|かわいい| |被弾小破①|いたっ|| |被弾小破②|痛いったら…!|| |被弾カットイン|まだ・・・こんなんじゃ沈まない!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):魚雷処分よりは……いい、かな……|COLOR(white):由良の最期は雷撃処分、先行した部下のミスで沈むことになった| ---- *同型艦 ---- [[長良]] ― [[五十鈴]]([[五十鈴改二]]) ― [[名取]] ― &bold(){由良} ― [[鬼怒]] ― [[阿武隈]] ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=由良/コメント)

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: