五十鈴

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五十鈴」(2014/12/12 (金) 13:11:58) の最新版変更点

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#image(No043.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 井口裕香 ---- *史実情報 ---- #image(Isuzu.jpg) 防空巡改造後の五十鈴 &bold(){五十鈴}は長良型軽巡洋艦の二番艦として、浦賀船渠にて建造された。 長良型艦艇の多くは大正年間に建造されたものであり、当初は高速な軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦に適したものであったが、太平洋戦争開始時には既に旧式化していた。 しかし、代艦・後発型の建造が遅れ、または経年が浅い等の理由により、 当艦に限らず同型は様々な改装・改良を施され第一線に投入された(されざるを得なかった)ものが多いという特徴がある。 開戦後は、香港攻略戦や第2南遣艦隊の第16戦隊として各種列島攻略戦に参加している。 その後ソロモン方面へと進出し、1942年の南太平洋海戦や第三次ソロモン海戦では修理中の[[神通]]にかわり、第二水雷戦隊の旗艦を勤めた。 が、後者の戦い中にエンタープライズ隊に捕捉、至近弾を受け、罐室が満水し、あわやと言う被害を被ってしまう。 復旧後は[[那珂]]と第14戦隊を組成して、輸送などの後方役として投入される。が、翌43年のルオット空襲にて大破。日本へ帰還し再度の修理・改装を施される。 この際の改装が艦これにおける&bold(){五十鈴}の特色として現れている。 前述のように建造が大正年間と古く、特に対空兵装は13mm4連装機銃が1基、25mm連装機銃2基と言う駆逐艦並みの武装しか有しておらず (これが二度の大破の一因にもなっている)そのため対空兵装に優れた防空巡洋艦として生まれ変わることとなった。 7門の14cm単装砲主砲は全て撤去されたが、代替として12.7cm連装高角砲3基、25mm3連装機銃11基、25mm単装機銃5基と言う 現役の重巡洋艦クラスの対空兵装を得、低下した水上戦闘能力を補う手段として酸素魚雷の発射能力を備え かつ21号・22号・13号と3基の電探を備える時代に即した性能を持つに至った。(13号については後年に装備された可能性もあり) これにより、改装中にも関わらず対潜掃討部隊である第31戦隊に旗艦として編入されている。 ・・・しかし、改装が終了したのは1944年8月。 第三艦隊(小沢艦隊)へと編入され、翌10月のレイテ沖海戦に参加。俗に言う「囮空母部隊」の護衛的役割と思われる。 10月25日のエンガノ岬沖海戦において存分に対空戦闘力を発揮。 この戦闘で、五十鈴は自分の発射した高角砲弾に同じく自分の機銃弾が衝突、至近距離で爆発し死傷者が出たほどの熾烈な弾幕を張り、 敵9(または13)機を撃墜する奮闘を見せるものの、僚艦である[[瑞鶴]]・[[瑞鳳]]・[[千歳]]・[[千代田]]・[[多摩]]は撃沈。 五十鈴も被弾して一時操舵不能に陥るもどうにか立ち直り、対空戦闘の合間を縫って[[千歳]]の乗員約300名を救助した。 夜に入り、敵艦隊接近のため「水雷戦隊総突撃せよ」の命令が下るも、もはや味方は僅かになり、その上五十鈴には燃料がもうなかった。 味方の危機と見た駆逐艦[[初月]]が五十鈴らを救うべく敵艦隊へ単艦突撃。そのお陰で、他少数の残存艦隊と共に辛うじて戦線脱出に成功した。 再び修理のため、シンガポール・次いでスラバヤに赴く。 1945年4月1日、修理完了。即時、ジャワ・ティモール方面所在の陸軍部隊を撤退させる二号作戦に投入された。 しかしその三日後の4月4日にイギリス潜水艦スパーク、ついで米潜水艦ベスゴに発見されてしまう。 4月6日、再びベスゴに発見され、至近距離より魚雷を受けるが、護衛の第12号掃海艇に命中・沈没しこの日は死地を逃れた。 4月7日、スンバワ島のビマを早朝に出港した&bold(){五十鈴}だが、前日の入港は哨戒により周知の事実であり 午前6時15分頃、米潜水艦ガビランにより発射された魚雷のうち1発が右舷艦橋と一番煙突の間に命中。ついで同潜水艦チャーより3発の魚雷を受け、撃沈。 「不運」とか「悲運」と言われる海軍艦艇は幾つかあれど、&bold(){五十鈴}は「皮肉」と言うべきものかも知れない。 二度に渡る損傷後、防空巡洋艦として再生するも、それを十分発揮する事は遂に適わず、対潜能力も活かす機会に恵まれず 五十鈴自身が潜水艦による魚雷により最期を迎えたのは何とも言い難いもの悲しさがある。 しかし&bold(){五十鈴}は半ば旧式艦となった太平洋戦争以後も水雷戦隊として、或いは対潜掃討部隊として、時には旗艦をも勤め また機動部隊の護衛として、夜間強行輸送や島嶼への上陸作戦など、幅広い任務を長くこなした実績があること、 艦娘紹介や出撃台詞にあるように、歴代艦長から山本・山口両提督を始め、多数の指揮官・司令官を輩出した名艦であることは最後に付け加えておきたい。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|五十鈴です。水雷戦隊の指揮ならお任せ。全力で提督を勝利に導くわ。宜しくね| | |秘書クリック会話①|五十鈴に任せて|| |秘書クリック会話②|いつでも準備万全よ!|| |秘書クリック会話③|何?気が散るんだけど。何がしたいの?|| |戦績表示時|報告書があるわ。よく読みなさい|| |編成選択時|五十鈴、出撃します!続いて!|| |装備時①|うっふふ、充分だわ。戦える!|| |装備時②|近代化改修…助かるわ。もっと働ける!|| |装備時③|やったわ!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ベストな状態に戻してくるわね|| |ドック入り(重傷)|大丈夫…少し休めば、何とかなります…|| |建造時|新しい戦力が加わるわぁ|| |艦隊帰投時|帰投した艦隊があるようね|| |出撃時|山本提督や山口提督も私の艦長だったのよ!|後に山本五十六は聯合艦隊司令長官。山口多聞は第二航空戦隊司令| |戦闘開始時|水雷戦隊、突撃!|| |攻撃時|五十鈴には丸見えよ|| |夜戦開始時|追撃戦は五十鈴の十八番よ|| |夜戦攻撃時|バカね、撃ってくれって事?|| |MVP時|え?五十鈴が一番?あら、普通に当たり前だけど。いいんじゃない?|| |被弾小破①|嘘ぉ!?|| |被弾小破②|やだっ!痛いじゃない!|| |被弾カットイン|たかが上部兵装を少し失っただけよ!まだ機関部は大丈夫!|たかがメインカメラを(ry| |撃沈時(反転)|COLOR(white):ちょっと無理しちゃったかな…?長良、名取、元気でね…|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/五十鈴) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No043.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 井口裕香 ---- *Illustrator ---- 絵師 ---- *史実情報 ---- #image(Isuzu.jpg) 防空巡改造後の五十鈴 &bold(){五十鈴}は長良型軽巡洋艦の二番艦として、浦賀船渠にて建造された。 長良型艦艇の多くは大正年間に建造されたものであり、当初は高速な軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦に適したものであったが、太平洋戦争開始時には既に旧式化していた。 しかし、代艦・後発型の建造が遅れ、または経年が浅い等の理由により、 当艦に限らず同型は様々な改装・改良を施され第一線に投入された(されざるを得なかった)ものが多いという特徴がある。 開戦後は、香港攻略戦や第2南遣艦隊の第16戦隊として各種列島攻略戦に参加している。 その後ソロモン方面へと進出し、1942年の南太平洋海戦や第三次ソロモン海戦では修理中の[[神通]]にかわり、第二水雷戦隊の旗艦を勤めた。 が、後者の戦い中にエンタープライズ隊に捕捉、至近弾を受け、罐室が満水し、あわやと言う被害を被ってしまう。 復旧後は[[那珂]]と第14戦隊を組成して、輸送などの後方役として投入される。が、翌43年のルオット空襲にて大破。日本へ帰還し再度の修理・改装を施される。 この際の改装が艦これにおける&bold(){五十鈴}の特色として現れている。 前述のように建造が大正年間と古く、特に対空兵装は13mm4連装機銃が1基、25mm連装機銃2基と言う駆逐艦並みの武装しか有しておらず (これが二度の大破の一因にもなっている)そのため対空兵装に優れた防空巡洋艦として生まれ変わることとなった。 7門の14cm単装砲主砲は全て撤去されたが、代替として12.7cm連装高角砲3基、25mm3連装機銃11基、25mm単装機銃5基と言う 現役の重巡洋艦クラスの対空兵装を得、低下した水上戦闘能力を補う手段として酸素魚雷の発射能力を備え かつ21号・22号・13号と3基の電探を備える時代に即した性能を持つに至った。(13号については後年に装備された可能性もあり) これにより、改装中にも関わらず対潜掃討部隊である第31戦隊に旗艦として編入されている。 ・・・しかし、改装が終了したのは1944年8月。 第三艦隊(小沢艦隊)へと編入され、翌10月のレイテ沖海戦に参加。俗に言う「囮空母部隊」の護衛的役割と思われる。 10月25日のエンガノ岬沖海戦において存分に対空戦闘力を発揮。 この戦闘で、五十鈴は自分の発射した高角砲弾に同じく自分の機銃弾が衝突、至近距離で爆発し死傷者が出たほどの熾烈な弾幕を張り、 敵9(または13)機を撃墜する奮闘を見せるものの、僚艦である[[瑞鶴]]・[[瑞鳳]]・[[千歳]]・[[千代田]]・[[多摩]]は撃沈。 五十鈴も被弾して一時操舵不能に陥るもどうにか立ち直り、対空戦闘の合間を縫って[[千歳]]の乗員約300名を救助した。 夜に入り、敵艦隊接近のため「水雷戦隊総突撃せよ」の命令が下るも、もはや味方は僅かになり、その上五十鈴には燃料がもうなかった。 味方の危機と見た駆逐艦[[初月]]が五十鈴らを救うべく敵艦隊へ単艦突撃。そのお陰で、他少数の残存艦隊と共に辛うじて戦線脱出に成功した。 再び修理のため、シンガポール・次いでスラバヤに赴く。 1945年4月1日、修理完了。即時、ジャワ・ティモール方面所在の陸軍部隊を撤退させる二号作戦に投入された。 しかしその三日後の4月4日にイギリス潜水艦スパーク、ついで米潜水艦ベスゴに発見されてしまう。 4月6日、再びベスゴに発見され、至近距離より魚雷を受けるが、護衛の第12号掃海艇に命中・沈没しこの日は死地を逃れた。 4月7日、スンバワ島のビマを早朝に出港した&bold(){五十鈴}だが、前日の入港は哨戒により周知の事実であり 午前6時15分頃、米潜水艦ガビランにより発射された魚雷のうち1発が右舷艦橋と一番煙突の間に命中。ついで同潜水艦チャーより3発の魚雷を受け、撃沈。 「不運」とか「悲運」と言われる海軍艦艇は幾つかあれど、&bold(){五十鈴}は「皮肉」と言うべきものかも知れない。 二度に渡る損傷後、防空巡洋艦として再生するも、それを十分発揮する事は遂に適わず、対潜能力も活かす機会に恵まれず 五十鈴自身が潜水艦による魚雷により最期を迎えたのは何とも言い難いもの悲しさがある。 しかし&bold(){五十鈴}は半ば旧式艦となった太平洋戦争以後も水雷戦隊として、或いは対潜掃討部隊として、時には旗艦をも勤め また機動部隊の護衛として、夜間強行輸送や島嶼への上陸作戦など、幅広い任務を長くこなした実績があること、 艦娘紹介や出撃台詞にあるように、歴代艦長から山本・山口両提督を始め、多数の指揮官・司令官を輩出した名艦であることは最後に付け加えておきたい。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|五十鈴です。水雷戦隊の指揮ならお任せ。全力で提督を勝利に導くわ。宜しくね| | |秘書クリック会話①|五十鈴に任せて|| |秘書クリック会話②|いつでも準備万全よ!|| |秘書クリック会話③|何?気が散るんだけど。何がしたいの?|| |戦績表示時|報告書があるわ。よく読みなさい|| |編成選択時|五十鈴、出撃します!続いて!|| |装備時①|うっふふ、充分だわ。戦える!|| |装備時②|近代化改修…助かるわ。もっと働ける!|| |装備時③|やったわ!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ベストな状態に戻してくるわね|| |ドック入り(重傷)|大丈夫…少し休めば、何とかなります…|| |建造時|新しい戦力が加わるわぁ|| |艦隊帰投時|帰投した艦隊があるようね|| |出撃時|山本提督や山口提督も私の艦長だったのよ!|後に山本五十六は聯合艦隊司令長官。山口多聞は第二航空戦隊司令| |戦闘開始時|水雷戦隊、突撃!|| |攻撃時|五十鈴には丸見えよ|| |夜戦開始時|追撃戦は五十鈴の十八番よ|| |夜戦攻撃時|バカね、撃ってくれって事?|| |MVP時|え?五十鈴が一番?あら、普通に当たり前だけど。いいんじゃない?|| |被弾小破①|嘘ぉ!?|| |被弾小破②|やだっ!痛いじゃない!|| |被弾カットイン|たかが上部兵装を少し失っただけよ!まだ機関部は大丈夫!|たかがメインカメラを(ry| |撃沈時(反転)|COLOR(white):ちょっと無理しちゃったかな…?長良、名取、元気でね…|| ---- *同型艦 [[長良]] ― &bold(){五十鈴}([[五十鈴改二]]) ― [[名取]] ― [[由良]] ― [[鬼怒]] ― [[阿武隈]] ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=五十鈴/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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