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「龍驤改」(2014/07/22 (火) 22:03:58) の最新版変更点
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CV
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日高里菜
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史実情報
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艦名は三国志蜀伝の諸葛亮伝の記述『竜驤虎視』に因む。
この名前の艦としては二代目であり、初代は幕末から明治中期まで活躍した装甲コルベット。
戦艦の保有量が議論されたワシントン海軍軍縮会議だが、同時に空母保有量についても議論がなされた。
結果、1万トン以上の空母に保有制限が施される。日本の場合、与えられた割り当ての殆どを赤城と加賀の二隻が占めていた。
この為日本海軍は、条約対象外である1万トン未満の航空母艦を増産する計画を立てる。
白羽の矢が立ったのは、老朽化した若宮の代艦として計画されていた水上機母艦で、航空母艦へと設計変更の上で、建造が始まった。
これが龍驤で、工事は1929年11月26日に横浜船渠((現在の横浜みなとみらい地区。龍驤を建造した第一船渠は現在日本丸メモリアルパークとして保存されている))で艦体を起工。艦体が進水した後は横須賀海軍工廠で艤装がなされた。
しかし、建造中に開催されたロンドン軍縮会議で、空母保有量の据え置きと1万トン未満の空母の制限が決まってしまう。
そのため小型かつ運用上中途半端な存在となった龍驤は、搭載機数を底上げするために大幅な設計変更が行われた。
当初一段だった格納庫は二段式に変更され、それにより搭載機数も当初計画の24機から36機+補用12機に増加している。
だがその代償は非常に大きく、[[青葉]]型準拠のスマートだが細い艦体の上に肥大化した構造物を収める無理な構造となってしまう。
そのため上部構造物は船体からはみ出る、『海の上の違法建築』とも言うべき、艦体に対して非常にバランスの悪いものとなった。
もちろん当然のように重心が高くなり、安定性が低下。復元力を増すべくバルジを船体に装着し対応してる。
それでも安定性は酷いものだったようで、急旋回や荒波によって、格納庫天井の穴(エレベーターの部分)から水平線が見えたという証言がある。
実際にテスト中にも、急旋回で大傾斜した記録が残っている。
相次ぐ設計変更で工期は伸び、竣工は4年後の1933年5月9日となった。
この翌年、復元力・安定性を大きく欠いた設計の水雷艇友鶴が沈没する友鶴事件が発生。
龍驤も重心の改善を図るべく、第一次改装を実施。バルジの大型化と高角砲2基の削減、煙突位置を下方修正、船底に錘を設置するなどした。
完了直後の1935年9月の大演習では赤軍(敵)側の第四艦隊として参加するが、岩手沖にて台風の中に突入し、後に言う第四艦隊事件に遭遇。
この台風では[[初雪]]、夕霧の艦首破断をはじめとして多数の艦艇が損傷を被る事態となり、龍驤も艦橋圧潰の被害を受けた。
同事件の波紋により、龍驤は修理を兼ねて第二次改装を受け、波浪対策に艦首部分の艦体の高さを引き上げるなどの対策を施している。
その後、日華事変に参加し初陣を迎える。
日米開戦後は主力機動部隊が南洋方面に釘付けとなっていたため、東南アジア方面に唯一の空母として進出し、マレー作戦を支援。スラバヤ沖海戦にも参加している。
また、この時期龍驤は高角砲で敵艦を砲撃するという、空母らしからぬことをやっていたりする。
開戦後しばらく、龍驤は艦載機の生産が間に合っておらず、零戦ではなく九六艦戦を搭載していた。
1942年6月のミッドウェー作戦時は、隼鷹と共にアリューシャン方面へ進出。この頃には零戦を受け取っており、ダッチハーバーを攻撃した。
ミッドウェーの敗戦により、機動部隊は再編。練度不足の飛鷹型姉妹に代わり、翔鶴型姉妹と共に戦力の中心となる。
ガダルカナルでの戦いが始まると、機動部隊も支援の為に出撃。第二次ソロモン海海戦となる。
龍驤は重巡利根らと共に、本隊より別れてガダルカナル攻撃の為に南下。艦載機隊が対地攻撃を成功させるも、龍驤は米艦載機の攻撃を受けてしまう。
艦爆30、艦攻8に襲われた龍驤は、命中弾多数を受け大破。艦橋にも被弾し、多くの将兵が死傷。航行不能となった。
駆逐艦による曳航も試みられたが、失敗。4時間後に沈没した。
なお、なぜ関西弁で話すのかは謎である。
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台詞一覧
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|状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|軽空母、龍驤や。独特なシルエットでしょ?でも、艦載機を次々繰り出す、ちゃーんとした空母なんや。期待してや!|一般的な認識の空母とは、だいぶ違う艦影である|
|秘書クリック会話①|なあに~?||
|秘書クリック会話②|えぇっと。キミ、あんまり触んないでぇ||
|秘書クリック会話③|あのさぁ、何なのさっきから。まぁ良いんだけどさ!艦載機の整備手伝ってよ||
|戦績表示時|な~んか、届いてるみたいよ?知らないけど||
|編成選択時|空母機動艦隊、出撃するでぇ!||
|装備時①|ほっほぉ…うちの事大切に思ってくれてるん?それはちょっち嬉しいなぁ||
|装備時②|ありがと!これで赤城や加賀に負けないかなって、そりゃあ無理かぁ、アハハハハ…|実は蒼龍・飛龍より先に建造された先輩である|
|装備時③|いってみよう!||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|う~ん、ちょっちウチ入院するわ||
|ドック入り(重傷)|このままやとちょっち戦闘は無理やし…ごめんね、休むよ!有給休暇ってヤツ!||
|建造時|ほぉ~ぅ、新しい船が出来たみたいだよ。いってみよう!||
|艦隊帰投時|艦隊が帰投したよ、お疲れやね!||
|出撃時|うちがいるから、これが主力艦隊やね!||
|戦闘開始時|さぁ、仕切るでぇ!攻撃隊、発進!||
|航空戦開始時|ソロモン海のようには行かないよっと!|龍驤は第二次ソロモン海海戦で戦没している|
|攻撃時①|艦載機のみんな!お仕事お仕事!||
|夜戦開始時|ぃよし!一気に決めるでぇ!||
|MVP時|やったー!やったでぇ。うち大活躍や、褒めて褒めてぇ!||
|被弾小破①|こらあかん!||
|被弾小破②|痛っててて…!こりゃまずいで!||
|被弾カットイン|あっか~ん!ちょっちピンチすぎやー!||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):うち…ちょっち疲れたわ…ごめん…||
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艦名は三国志蜀伝の諸葛亮伝の記述『竜驤虎視』に因む。
この名前の艦としては二代目であり、初代は幕末から明治中期まで活躍した装甲コルベット。
戦艦の保有量が議論されたワシントン海軍軍縮会議だが、同時に空母保有量についても議論がなされた。
結果、1万トン以上の空母に保有制限が施される。日本の場合、与えられた割り当ての殆どを赤城と加賀の二隻が占めていた。
この為日本海軍は、条約対象外である1万トン未満の航空母艦を増産する計画を立てる。
白羽の矢が立ったのは、老朽化した若宮の代艦として計画されていた水上機母艦で、航空母艦へと設計変更の上で、建造が始まった。
これが龍驤で、工事は1929年11月26日に横浜船渠((現在の横浜みなとみらい地区。龍驤を建造した第一船渠は現在日本丸メモリアルパークとして保存されている))で艦体を起工。艦体が進水した後は横須賀海軍工廠で艤装がなされた。
しかし、建造中に開催されたロンドン軍縮会議で、空母保有量の据え置きと1万トン未満の空母の制限が決まってしまう。
そのため小型かつ運用上中途半端な存在となった龍驤は、搭載機数を底上げするために大幅な設計変更が行われた。
当初一段だった格納庫は二段式に変更され、それにより搭載機数も当初計画の24機から36機+補用12機に増加している。
だがその代償は非常に大きく、[[青葉]]型準拠のスマートだが細い艦体の上に肥大化した構造物を収める無理な構造となってしまう。
そのため上部構造物は船体からはみ出る、『海の上の違法建築』とも言うべき、艦体に対して非常にバランスの悪いものとなった。
もちろん当然のように重心が高くなり、安定性が低下。復元力を増すべくバルジを船体に装着し対応してる。
それでも安定性は酷いものだったようで、急旋回や荒波によって、格納庫天井の穴(エレベーターの部分)から水平線が見えたという証言がある。
実際にテスト中にも、急旋回で大傾斜した記録が残っている。
相次ぐ設計変更で工期は伸び、竣工は4年後の1933年5月9日となった。
この翌年、復元力・安定性を大きく欠いた設計の水雷艇友鶴が沈没する友鶴事件が発生。
龍驤も重心の改善を図るべく、第一次改装を実施。バルジの大型化と高角砲2基の削減、煙突位置を下方修正、船底に錘を設置するなどした。
完了直後の1935年9月の大演習では赤軍(敵)側の第四艦隊として参加するが、岩手沖にて台風の中に突入し、後に言う第四艦隊事件に遭遇。
この台風では[[初雪]]、夕霧の艦首破断をはじめとして多数の艦艇が損傷を被る事態となり、龍驤も艦橋圧潰の被害を受けた。
同事件の波紋により、龍驤は修理を兼ねて第二次改装を受け、波浪対策に艦首部分の艦体の高さを引き上げるなどの対策を施している。
その後、日華事変に参加し初陣を迎える。
日米開戦後は主力機動部隊が南洋方面に釘付けとなっていたため、東南アジア方面に唯一の空母として進出し、マレー作戦を支援。スラバヤ沖海戦にも参加している。
また、この時期龍驤は高角砲で敵艦を砲撃するという、空母らしからぬことをやっていたりする。
開戦後しばらく、龍驤は艦載機の生産が間に合っておらず、零戦ではなく九六艦戦を搭載していた。
1942年6月のミッドウェー作戦時は、隼鷹と共にアリューシャン方面へ進出。この頃には零戦を受け取っており、ダッチハーバーを攻撃した。
ミッドウェーの敗戦により、機動部隊は再編。練度不足の飛鷹型姉妹に代わり、翔鶴型姉妹と共に戦力の中心となる。
ガダルカナルでの戦いが始まると、機動部隊も支援の為に出撃。第二次ソロモン海海戦となる。
龍驤は重巡利根らと共に、本隊より別れてガダルカナル攻撃の為に南下。艦載機隊が対地攻撃を成功させるも、龍驤は米艦載機の攻撃を受けてしまう。
艦爆30、艦攻8に襲われた龍驤は、命中弾多数を受け大破。艦橋にも被弾し、多くの将兵が死傷。航行不能となった。
駆逐艦による曳航も試みられたが、失敗。4時間後に沈没した。
なお、なぜ関西弁で話すのかは謎である。
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台詞一覧
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|状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|軽空母、龍驤や。独特なシルエットでしょ?でも、艦載機を次々繰り出す、ちゃーんとした空母なんや。期待してや!|一般的な認識の空母とは、だいぶ違う艦影である|
|秘書クリック会話①|なあに~?||
|秘書クリック会話②|えぇっと。キミ、あんまり触んないでぇ||
|秘書クリック会話③|あのさぁ、何なのさっきから。まぁ良いんだけどさ!艦載機の整備手伝ってよ||
|戦績表示時|な~んか、届いてるみたいよ?知らないけど||
|編成選択時|空母機動艦隊、出撃するでぇ!||
|装備時①|ほっほぉ…うちの事大切に思ってくれてるん?それはちょっち嬉しいなぁ||
|装備時②|ありがと!これで赤城や加賀に負けないかなって、そりゃあ無理かぁ、アハハハハ…|実は蒼龍・飛龍より先に建造された先輩である|
|装備時③|いってみよう!||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|う~ん、ちょっちウチ入院するわ||
|ドック入り(重傷)|このままやとちょっち戦闘は無理やし…ごめんね、休むよ!有給休暇ってヤツ!||
|建造時|ほぉ~ぅ、新しい船が出来たみたいだよ。いってみよう!||
|艦隊帰投時|艦隊が帰投したよ、お疲れやね!||
|出撃時|うちがいるから、これが主力艦隊やね!||
|戦闘開始時|さぁ、仕切るでぇ!攻撃隊、発進!||
|航空戦開始時|ソロモン海のようには行かないよっと!|龍驤は第二次ソロモン海海戦で戦没している|
|攻撃時①|艦載機のみんな!お仕事お仕事!||
|夜戦開始時|ぃよし!一気に決めるでぇ!||
|MVP時|やったー!やったでぇ。うち大活躍や、褒めて褒めてぇ!||
|被弾小破①|こらあかん!||
|被弾小破②|痛っててて…!こりゃまずいで!||
|被弾カットイン|あっか~ん!ちょっちピンチすぎやー!||
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