大鯨

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#ref(taigei.jpg) ---- *CV ---- 小倉唯 ---- *Illustrator ---- 玖条イチソ ---- *解説:潜水母艦 ---- 潜水艦は艦内スペースが狭小で、乗組員の食料や魚雷などもそれほど多く積めるわけではない。 また、任務上隠密行動を取る場合も多く、乗組員にかかる精神面でのストレスも水上艦に比べて多大であり、運動不足などもおこる。 そのため、長期間の行動には潜水艦に付随し、補給や乗組員の休養などを行う艦船が必要となってくる。 それを行う艦が潜水母艦である。乗員数に余裕があり無線設備も充実しやすいことから、潜水艦戦隊の旗艦となるケースもある。 なお、補給は航行中に行うのではなく、泊地や前線基地にて停泊・接舷しての運用が主となる。 旧日本海軍においては、運送船として計画され建造中に改装された「駒橋」、日露戦争中の拿捕商船を改装した「韓崎」が初期の潜水母艦として活躍。 八八艦隊計画で初の本格的潜水母艦である「迅鯨」「長鯨」が建造されている。 昭和期に入ると有事の空母改装を前提とした「[[剣埼>祥鳳]]」「[[高崎>瑞鳳]]」そしてこの「大鯨」が建造されている。 #image(Chogei.jpg) 潜水母艦「長鯨」 太平洋戦争当時は狭小化しており、能力不足が指摘されていた 太平洋戦争では前述のように昭和期に竣工した新鋭の潜水母艦が軒並み空母に改装されたことも有り、その穴を埋めるため設備の良い外航客船が特設潜水母艦として多数就役した。 今横浜にその姿を留める「氷川丸」の姉妹船である、「日枝丸」「平安丸」などが特設水上母艦として有名な艦である。 また現代の海上自衛隊では、潜水艦救難艦としての役割を持つ潜水救難母艦「ちよだ」が存在する。 また、米海軍でも原潜への補給が可能なエモリー・S・ランド級潜水母艦が在籍しており、かつては戦略原潜に補給する潜水艦発射弾道ミサイルを積載する能力を持つものも存在した。 なお、よく間違われるが、&bold(){潜水空母ではない}。あちらはれっきとした&bold(){潜水艦}であるが、&bold(){潜水母艦は水上艦}である。 ---- *史実情報 ---- #image(taigei1935.jpg)  1933年4月に横須賀海軍工廠で起工される。  前述のように本艦は1930年締結のロンドン軍縮条約の穴を突く空母改装可能艦として、条約で無制限に建造可能な排水量10,000t未満の補助艦艇枠を使用し整備された。  このような思惑を持って設計された「大鯨」は、全長250m、幅20mと排水量10,000tの条約枠内に収めるには大きすぎる艦となってしまう。  そこで艦の設計を担当する艦政本部では、当時[[特型駆逐艦>吹雪]]で用いられていた電気溶接を大型艦の「大鯨」でも採用することを決定した((既に1920年代末期にドイツでは全電気溶接によって竣工した「ポケット戦艦」ドイッチュラント級があり、これも後押しになったと思われる))。  また主機には試験的に大型艦船では初となるディーゼルエンジン(艦本式11号10型ディーゼルエンジン)を採用している。  起工からわずか7ヶ月後の1934年1月に進水式が執り行われたのだが、この時大鯨はまだ進水前の船台工事が途中の状態で、スクリューシャフトの取り付けすら終了していなかった。  未完成状態でなお進水式が強行された理由は、進水式が昭和天皇臨席のもとで行われるためであり、日程延期が不可能な状態にあったからである。  進水式の後「大鯨」は再び船渠に戻ると、その船体を切断されてしまう。  実は「大鯨」は工事中の電気溶接の不備により艦体に予想外の歪みが発生しており、このためにスクリューシャフトを設置する軸心の見通しができなかったのだ。  この歪みの是正のための艦体切断であり、艦体再接合の際には重量増加を覚悟の上で旧来の鋲打ち接合が用いられた。  「[[大鯨]]」とほぼ同時期に竣工した「[[最上]]」でも溶接不備の歪みが原因で、砲塔が旋回できないトラブルを起こしており、まだ技術的に未熟な電気溶接を全面採用してしまった弊害がここに来て現れたのである。  1934年3月末日に大鯨は横須賀鎮守府籍で就役を果たすも、それも形式上だけのもので、実情は予備艦として艤装工事を続行していたとされ、実際の就役は呉に転籍した同年7月頃のようである。  就役した「大鯨」は大きな箱型構造物の上に、大きな一本煙突を配した独特な構造の艦となっている。  この箱型構造物は空母改装後にはそのまま格納庫に転用できるもので、艦載機エレベーターが設置されていた箇所もあったとされる。  また大きな煙突は空母改装予定艦であることを欺くために、艦上部に煙路があるように見せるダミーである。  「[[千歳]]」の項目を見てもらえばわかるように、蒸気タービン艦のような大きな煙突はディーゼルエンジン艦には必要ないものなのである((よくディーゼル客船に配される大きな煙突も、純粋な排煙用というよりも消音用か、見た目を重視する目的で配置されている場合が多い))。  なおこの上部構造物は高速給油艦から設計変更された準同型の剣埼型潜水母艦でも、ほぼ同一のものが使用されている。  当初練習艦として就役した「大鯨」も、なかなか良い滑り出しとは行かなかった。  主機である艦本式ディーゼルエンジンの成績が中々に悪く、発煙が多い上に故障も多発。結果的に定格出力は予定の半分しか出せなかったのである。  これは同じディーゼルエンジンを採用したどの艦にも共通した欠点で、どの艦も安定した全力運転を行えるまでに数年の月日を要するほどであった。  このため日本海軍では設計中の次期主力戦艦([[大和]]型)へのディーゼルエンジン搭載を断念している((戦艦の機関換装は各種装甲板を取り外すなどの大規模な工事が必要なため、容易には行えないのである))。  1935年9月の第四艦隊事件にも遭遇しており、「大鯨」は波で後部防水扉を破損し、艦尾の舵取機室が浸水。  遠隔操舵用のモーターが故障し、嵐の中で人力操舵での航行を余儀なくされている。  「[[初雪]]」「夕霧」のような艦体断裂の惨事は避けた「大鯨」だが、事件直後に横須賀入港時に行われた調査で電気溶接部の亀裂が発見され、「大鯨」は応急処置の後呉へと回航。  翌1936年1月からは横須賀工廠で大規模改修を施されることとなり、その後も艦体補強工事などの追加工事が次々行われたため、最終的には3年に及ぶ大工事となったのである。    結局艦隊編入がなったのは1938年9月で、「大鯨」は第1艦隊第1潜水戦隊の旗艦となる。  翌年11月から1年間予備艦となった後、40年11月に練習巡洋艦「香取」などとともに再び第1潜水戦隊を編成する。  この時の第1潜水戦隊は「[[五十鈴]]」を旗艦とする第2潜水戦隊とともに新設の第6艦隊((潜水艦を中核とした艦隊で、終戦まで存在。))に編入されている。  その後41年5月には第二潜水戦隊旗艦を経て第三潜水戦隊旗艦に就任している。なお第二潜水戦隊旗艦当時、その直属の艦に「[[伊8]]」がいた。  上述の間に「大鯨」は主に北支方面や南洋方面で隷下の潜水艦とともに活躍しており、開戦直前はマーシャル諸島クェゼリン環礁を根拠地として活動を行っていた。  だが1941年12月4日、「大鯨」は突如本国に召喚される。  そして12月18日、横須賀工廠で「大鯨」は大きな転換点を迎えることとなる。  (軽空母「[[龍鳳]]」の項目へ続く) ---- *ゲームにて ---- いまのところ、潜水母艦としての役割は遠征「遠洋潜水艦作戦」で必要とされているだけで、[[明石]]のような特別な能力があるのかはは分からない(今後実装される可能性はある)。 大鯨を改造するためには[[利根]]・[[筑摩]]・[[Bismarck]]と同様、勲章4つと交換できる改造設計書が必要。また、改造すると軽空母に艦種が変更される点にも注意。改造すると「遠洋潜水艦作戦」に組み込めなくなる。 ---- *台詞一覧 ---- |自己紹介|こんにちわあ。潜水母艦大鯨です。不束者ですが、よろしくお願い致します。|| |秘書クリック会話①|なんでしょうかあ?|| |秘書クリック会話②|潜水艦と編成ですか? お任せください!|| |秘書クリック会話③|えっと、この中ですか? 玉ねぎや馬鈴薯…あと…補給用の魚雷とか…です…はい…|潜水母艦は潜水艦に燃料・魚雷・食料などを補給するのがお仕事。&br()玉ねぎと馬鈴薯(ジャガイモ)はカレーの材料だが、常温でも保存がきくため、潜水艦での貴重な生鮮野菜だった。| |秘書クリック会話(ケッコン後(反転))|&color(white){提督、お疲れではないですか?私、潜水母艦なので、居住性はちょっと自信あります。}|&color(white){潜水母艦は潜水艦乗組員の休養施設の役割を持っているため、居住性が良い。特に空母予備艦でもあった大鯨と剣埼型は船体に余裕があったため、破格の母艦機能があり、潜水隊に大好評だった。}| |戦績表示|提督?状況把握ですね、大切ですね。|| |編成選択時|潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!|| |装備時①|まあ~! ありがとうございます!|| |装備時②|ほんとに? ちょっと嬉しいかも。|| |装備時③|嬉しいかも。|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |補給|はい、ありがとうございます。|| |ドック入り(小破以下)|ごめんなさい、ちょっとお風呂に…。|| |ドック入り(中破以上)|すみません、また少しお風呂に…うぅ、電気溶接だとダメなのかしら……。|大鯨は当時最先端技術であった「電気溶接」を採用した。が、電気溶接は先端技術ゆえの経験不足が祟り、歪みが発生して船体が反ってしまうなどのトラブルにみまわれた。| |建造時|まあ!新しいお仲間が来たみたいです。|| |帰投|無事帰ってきました。よかったあ。|| |出撃①|潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!|| |出撃②|潜水母艦、大鯨、抜錨しますね!|| |戦闘開始時|敵艦発見! …ど…どうしましょう……!|| |航空戦開始時|---|| |攻撃時|敵艦発見! …ど…どうしましょう……!|| |~|えっ!? えーっと…こ、攻撃!?|| |夜戦開始時|この武装で艦隊戦は…無理かもー!|| |夜戦攻撃時|当たって…当たってぇー!|| |勝利MVP時|えっ…嘘…わ、わたし!? …あっ、ありがとうございます…が、頑張ります!|| |小破|きゃーっ!|| |~|やっ…やめてください!|| |被弾カットイン|ちょ…直撃!? もっ…もうやだぁ……排水を急いで!沈んじゃう…!|| |轟沈(反転)|&color(white){え…私、沈むの…? …これが…みずの…なか……}|&color(white){1945年3月19日の呉軍港空襲で大破、炎上。飛行甲板の機能を失った「龍鳳」は高角砲と機銃による防空砲台として使用されそのまま終戦を迎える。そのため、史実では沈没したわけではなかった。}| |ケッコンカッコカリ(反転)|&color(white){提督…こんな私を、生まれたままの姿で育ててくれて、本当にありがとうございます…いつも、はい、いつも、感謝しています。いつまでも、提督といっしょに…}|&color(white){「生まれたままの姿」……こう言われると、意味深である。}| |放置時|て・い・と・く、提督! あ、あの…潜水艦作戦は……あっ、しばらくお休み…そ、そうですか…いえ、なんでもないんです…はい……|| ※時報は[[龍鳳]]になってから。 ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/大鯨) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ----
#ref(taigei.jpg) ---- *CV ---- 小倉唯 ---- *Illustrator ---- 玖条イチソ ---- *解説:潜水母艦 ---- 潜水艦は艦内スペースが狭小で、乗組員の食料や魚雷などもそれほど多く積めるわけではない。 また、任務上隠密行動を取る場合も多く、乗組員にかかる精神面でのストレスも水上艦に比べて多大であり、運動不足などもおこる。 そのため、長期間の行動には潜水艦に付随し、補給や乗組員の休養などを行う艦船が必要となってくる。 それを行う艦が潜水母艦である。乗員数に余裕があり無線設備も充実しやすいことから、潜水艦戦隊の旗艦となるケースもある。 なお、補給は航行中に行うのではなく、泊地や前線基地にて停泊・接舷しての運用が主となる。 旧日本海軍においては、運送船として計画され建造中に改装された「駒橋」、日露戦争中の拿捕商船を改装した「韓崎」が初期の潜水母艦として活躍。 八八艦隊計画で初の本格的潜水母艦である「迅鯨」「長鯨」が建造されている。 昭和期に入ると有事の空母改装を前提とした「[[剣埼>祥鳳]]」「[[高崎>瑞鳳]]」そしてこの「大鯨」が建造されている。 #image(Chogei.jpg) 潜水母艦「長鯨」 太平洋戦争当時は狭小化しており、能力不足が指摘されていた 太平洋戦争では前述のように昭和期に竣工した新鋭の潜水母艦が軒並み空母に改装されたことも有り、その穴を埋めるため設備の良い外航客船が特設潜水母艦として多数就役した。 今横浜にその姿を留める「氷川丸」の姉妹船である、「日枝丸」「平安丸」などが特設水上母艦として有名な艦である。 また現代の海上自衛隊では、潜水艦救難艦としての役割を持つ潜水救難母艦「ちよだ」が存在する。 また、米海軍でも原潜への補給が可能なエモリー・S・ランド級潜水母艦が在籍しており、かつては戦略原潜に補給する潜水艦発射弾道ミサイルを積載する能力を持つものも存在した。 なお、よく間違われるが、&bold(){潜水空母ではない}。あちらはれっきとした&bold(){潜水艦}であるが、&bold(){潜水母艦は水上艦}である。 ---- *史実情報 ---- #image(taigei1935.jpg)  1933年4月に横須賀海軍工廠で起工される。  前述のように本艦は1930年締結のロンドン軍縮条約の穴を突く空母改装可能艦として、条約で無制限に建造可能な排水量10,000t未満の補助艦艇枠を使用し整備された。  このような思惑を持って設計された「大鯨」は、全長250m、幅20mと排水量10,000tの条約枠内に収めるには大きすぎる艦となってしまう。  そこで艦の設計を担当する艦政本部では、当時[[特型駆逐艦>吹雪]]で用いられていた電気溶接を大型艦の「大鯨」でも採用することを決定した((既に1920年代末期にドイツでは全電気溶接によって竣工した「ポケット戦艦」ドイッチュラント級があり、これも後押しになったと思われる))。  また主機には試験的に大型艦船では初となるディーゼルエンジン(艦本式11号10型ディーゼルエンジン)を採用している。  起工からわずか7ヶ月後の1934年1月に進水式が執り行われたのだが、この時大鯨はまだ進水前の船台工事が途中の状態で、スクリューシャフトの取り付けすら終了していなかった。  未完成状態でなお進水式が強行された理由は、進水式が昭和天皇臨席のもとで行われるためであり、日程延期が不可能な状態にあったからである。  進水式の後「大鯨」は再び船渠に戻ると、その船体を切断されてしまう。  実は「大鯨」は工事中の電気溶接の不備により艦体に予想外の歪みが発生しており、このためにスクリューシャフトを設置する軸心の見通しができなかったのだ。  この歪みの是正のための艦体切断であり、艦体再接合の際には重量増加を覚悟の上で旧来の鋲打ち接合が用いられた。  「[[大鯨]]」とほぼ同時期に竣工した「[[最上]]」でも溶接不備の歪みが原因で、砲塔が旋回できないトラブルを起こしており、まだ技術的に未熟な電気溶接を全面採用してしまった弊害がここに来て現れたのである。  1934年3月末日に大鯨は横須賀鎮守府籍で就役を果たすも、それも形式上だけのもので、実情は予備艦として艤装工事を続行していたとされ、実際の就役は呉に転籍した同年7月頃のようである。  就役した「大鯨」は大きな箱型構造物の上に、大きな一本煙突を配した独特な構造の艦となっている。  この箱型構造物は空母改装後にはそのまま格納庫に転用できるもので、艦載機エレベーターが設置されていた箇所もあったとされる。  また大きな煙突は空母改装予定艦であることを欺くために、艦上部に煙路があるように見せるダミーである。  「[[千歳]]」の項目を見てもらえばわかるように、蒸気タービン艦のような大きな煙突はディーゼルエンジン艦には必要ないものなのである((よくディーゼル客船に配される大きな煙突も、純粋な排煙用というよりも消音用か、見た目を重視する目的で配置されている場合が多い))。  なおこの上部構造物は高速給油艦から設計変更された準同型の剣埼型潜水母艦でも、ほぼ同一のものが使用されている。  当初練習艦として就役した「大鯨」も、なかなか良い滑り出しとは行かなかった。  主機である艦本式ディーゼルエンジンの成績が中々に悪く、発煙が多い上に故障も多発。結果的に定格出力は予定の半分しか出せなかったのである。  これは同じディーゼルエンジンを採用したどの艦にも共通した欠点で、どの艦も安定した全力運転を行えるまでに数年の月日を要するほどであった。  このため日本海軍では設計中の次期主力戦艦([[大和]]型)へのディーゼルエンジン搭載を断念している((戦艦の機関換装は各種装甲板を取り外すなどの大規模な工事が必要なため、容易には行えないのである))。  1935年9月の第四艦隊事件にも遭遇しており、「大鯨」は波で後部防水扉を破損し、艦尾の舵取機室が浸水。  遠隔操舵用のモーターが故障し、嵐の中で人力操舵での航行を余儀なくされている。  「[[初雪]]」「夕霧」のような艦体断裂の惨事は避けた「大鯨」だが、事件直後に横須賀入港時に行われた調査で電気溶接部の亀裂が発見され、「大鯨」は応急処置の後呉へと回航。  翌1936年1月からは横須賀工廠で大規模改修を施されることとなり、その後も艦体補強工事などの追加工事が次々行われたため、最終的には3年に及ぶ大工事となったのである。    結局艦隊編入がなったのは1938年9月で、「大鯨」は第1艦隊第1潜水戦隊の旗艦となる。  翌年11月から1年間予備艦となった後、40年11月に練習巡洋艦「香取」などとともに再び第1潜水戦隊を編成する。  この時の第1潜水戦隊は「[[五十鈴]]」を旗艦とする第2潜水戦隊とともに新設の第6艦隊((潜水艦を中核とした艦隊で、終戦まで存在。))に編入されている。  その後41年5月には第二潜水戦隊旗艦を経て第三潜水戦隊旗艦に就任している。なお第二潜水戦隊旗艦当時、その直属の艦に「[[伊8]]」がいた。  上述の間に「大鯨」は主に北支方面や南洋方面で隷下の潜水艦とともに活躍しており、開戦直前はマーシャル諸島クェゼリン環礁を根拠地として活動を行っていた。  だが1941年12月4日、「大鯨」は突如本国に召喚される。  そして12月18日、横須賀工廠で「大鯨」は大きな転換点を迎えることとなる。  (軽空母「[[龍鳳]]」の項目へ続く) ---- *ゲームにて ---- いまのところ、潜水母艦としての役割は遠征「遠洋潜水艦作戦」で必要とされているだけで、[[明石]]のような特別な能力があるのかはは分からない(今後実装される可能性はある)。 大鯨を改造するためには[[利根]]・[[筑摩]]・[[Bismarck]]と同様、勲章4つと交換できる改造設計書が必要。また、改造すると軽空母に艦種が変更される点にも注意。改造すると「遠洋潜水艦作戦」に組み込めなくなる。 ---- *台詞一覧 ---- |自己紹介|こんにちわあ。潜水母艦大鯨です。不束者ですが、よろしくお願い致します。|| |秘書クリック会話①|なんでしょうかあ?|| |秘書クリック会話②|潜水艦と編成ですか? お任せください!|| |秘書クリック会話③|えっと、この中ですか? 玉ねぎや馬鈴薯…あと…補給用の魚雷とか…です…はい…|潜水母艦は潜水艦に燃料・魚雷・食料などを補給するのがお仕事。&br()玉ねぎと馬鈴薯(ジャガイモ)はカレーの材料だが、常温でも保存がきくため、潜水艦での貴重な生鮮野菜だった。| |秘書クリック会話(ケッコン後(反転))|&color(white){提督、お疲れではないですか?私、潜水母艦なので、居住性はちょっと自信あります。}|&color(white){潜水母艦は潜水艦乗組員の休養施設の役割を持っているため、居住性が良い。特に空母予備艦でもあった大鯨と剣埼型は船体に余裕があったため、破格の母艦機能があり、潜水隊に大好評だった。}| |戦績表示|提督?状況把握ですね、大切ですね。|| |編成選択時|潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!|| |装備時①|まあ~! ありがとうございます!|| |装備時②|ほんとに? ちょっと嬉しいかも。|| |装備時③|嬉しいかも。|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |補給|はい、ありがとうございます。|| |ドック入り(小破以下)|ごめんなさい、ちょっとお風呂に…。|| |ドック入り(中破以上)|すみません、また少しお風呂に…うぅ、電気溶接だとダメなのかしら……。|大鯨は当時最先端技術であった「電気溶接」を採用した。が、電気溶接は先端技術ゆえの経験不足が祟り、歪みが発生して船体が反ってしまうなどのトラブルにみまわれた。| |建造時|まあ!新しいお仲間が来たみたいです。|| |帰投|無事帰ってきました。よかったあ。|| |出撃①|潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!|| |出撃②|潜水母艦、大鯨、抜錨しますね!|| |戦闘開始時|敵艦発見! …ど…どうしましょう……!|| |航空戦開始時|---|| |攻撃時|敵艦発見! …ど…どうしましょう……!|| |~|えっ!? えーっと…こ、攻撃!?|| |夜戦開始時|この武装で艦隊戦は…無理かもー!|| |夜戦攻撃時|当たって…当たってぇー!|| |勝利MVP時|えっ…嘘…わ、わたし!? …あっ、ありがとうございます…が、頑張ります!|| |小破|きゃーっ!|| |~|やっ…やめてください!|| |被弾カットイン|ちょ…直撃!? もっ…もうやだぁ……排水を急いで!沈んじゃう…!|| |轟沈(反転)|&color(white){え…私、沈むの…? …これが…みずの…なか……}|&color(white){1945年3月19日の呉軍港空襲で大破、炎上。飛行甲板の機能を失った「龍鳳」は高角砲と機銃による防空砲台として使用されそのまま終戦を迎える。そのため、史実では沈没したわけではなかった。}| |ケッコンカッコカリ(反転)|&color(white){提督…こんな私を、生まれたままの姿で育ててくれて、本当にありがとうございます…いつも、はい、いつも、感謝しています。いつまでも、提督といっしょに…}|&color(white){「生まれたままの姿」……こう言われると、意味深である。}| |放置時|て・い・と・く、提督! あ、あの…潜水艦作戦は……あっ、しばらくお休み…そ、そうですか…いえ、なんでもないんです…はい……|| ※時報は[[龍鳳]]になってから。 ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=大鯨/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ----

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