明石

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明石」(2015/07/27 (月) 23:04:22) の最新版変更点

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#image(no182.png) #contents() &autolink(id=wikibody) //@wiki形式_艦娘新規テンプレ コピー作成すると捗る //1行目の画像、75行目のコメントの書き換えお忘れなく。 ---- *CV ---- 種田梨沙 ---- *イラストレーター ---- 藤川 ---- *解説:工作艦について ---- まず、工作艦について説明しておこう。 工作艦とは、大型クレーン・溶接機・各種工作機械などを艦の内外に装備し、損傷艦船の補修・整備を行うための艦であり、いわば「移動海軍工廠」的な艦である。 艦船の補修・整備は本来、本国の拠点軍港の工廠などで行う。しかし、有事の際にわざわざそこまで戻ると作戦遂行上の大きなロスとなるのである。 そのため、前線に近い泊地でも修理・整備できるように作り出されたのが工作艦という艦種となっている。 とはいえ、移動中に修理・整備するわけではなく、泊地や港湾に停泊中、浮きドックを展開して整備が必要な艦船を横付けして作業を行う。 戦時中には設備が破壊されている占領地のドックを、工作艦の設備を使用して機能復旧させた事例もある。 日本海軍では日露戦争期にロシア商船「マンチュリア((長崎で整備中に日露開戦し、当地で拿捕された。))」を改造した工作艦「関東」がその祖とされる。 「関東」は日露戦争・第一次大戦と活躍を果たしたが、1924年に福井沖にて台風のために遭難、岩礁と激突して沈没する。 事故以来長らく新型工作艦の建造が熱望されるも、予算難や各工廠のドックの回転率が良かったこと、そもそも工作艦は有事に徴用商船を改造すればいいと考えられていたことなどから、なかなか実現には至らなかった。 だが1930年代に入り、特務練習艦となっていたかつての戦艦「朝日」に簡易工作装置の取り付けが行われ、1934年のマル2計画では工作艦の予算が承認され、新造の工作艦1隻が建造されるに至った。これが「明石」である。 #image(ASAHI.jpg) 工作艦時代の「朝日」。1942年5月にベトナムのカムラン湾付近で戦没している。 軍縮条約明けの1937年には前述の「朝日」も呉工廠にて工作艦に改造され、「明石」が竣工すると連合艦隊は附属に工作艦2隻を抱える体制となった。 またこのほかにも、開戦直前に徴用商船を改造した特設工作艦5隻が就役している。 ---- *史実情報 ---- 前述の通りに1934年のマル2計画で承認され、1937年1月に佐世保工廠にて起工。1939年7月31日に竣工し連合艦隊付属となった。 艦名の由来は兵庫県の明石の浦で、日本海軍では須磨型防護巡洋艦2番艦「明石」に続き2代目。 姉妹艦として1941年の改マル5計画で「三原」「桃取」が三菱重工横浜船渠で建造される予定であったが、戦局悪化により中止されている。 #image(AKASHI.jpg) 目標としたのは米国海軍が1924年に建造した工作艦「メデューサ」。 しかし初の専用工作艦として建造されたため、機器やクレーンの配置といった艦型などのレイアウトなどを決めるのに難航し、佐世保工廠に実寸大の艦内模型や工作機械の模型を設けて設計されたりもした。 その結果、「明石」は海軍工廠として最適な艦として出来上がったのである。 専従艦種として建造されたため、甲板に3機の重起重機が林立し、艦内に17ある工場には内地の海軍工廠にすら配備していない144台のドイツ製工作機械が設置されていた。 しかも、その工場は原材料を精製する溶鉱炉から部品を鋳造する鍛冶施設、旋盤による削り出しや製品の組み立てなどの仕上げ作業まで一通り行えてしまうほど充実していた。 そのせいで、「明石」一隻で連合艦隊の補修業務の約40%をまかなえたという((もちろん、乾ドックによる整備が必要なものまで「明石」ができたわけではないので、あくまで数値上の話である。))。 主機関にはディーゼルエンジンを採用しているが、これは[[大鯨]]や[[千歳]]に搭載された艦本式ではなく、三菱製(独MAN社のライセンス品)のディーゼルエンジンである。 また艦内工廠を稼働させるために合計出力4800kwという非常に高い発電能力((これに勝る発電能力を持つ艦は日本海軍では大和型のみ))も有していた。 ちなみに2本の煙突はそれぞれ主機関と艦内工廠の排煙用のものである。 「明石」は太平洋戦争の開戦と同時に南方に進出。 もう1隻の工作艦である「朝日」が蘭印・シンガポール方面に進出したのに対し、「明石」はパラオ諸島、フィリピンのダバオ、スラウェシ島のスターリング湾、モルッカ諸島のアンボンなど南洋の各地を駆け回り多くの艦を修理した。 1942年8月23日にトラック島に入港してからは、ここを拠点にして損傷艦艇の修理に従事する。 ちょうどこの頃始まったソロモン海の戦闘で傷ついた艦船は、次々トラック泊地で「明石」の応急修理を受けて、一命を取り留めた。 しかし、その整備・補修能力の高さゆえに、米海軍から『最重要攻撃目標』としてマークされてしまう。 1944年2月のトラック島空襲で大破。パラオへ避難するが、今度は3月のパラオ大空襲に遭い着底した。 「朝日」も1942年に撃沈されていたため、外洋における修理の要を失った海軍は、損傷を受けた艦艇を内地に戻すことを余儀なくされることになる。 そして、(戦局の悪化もあるとはいえ)[[熊野]]や[[金剛]]のように内地帰還中に撃沈される船も増えていくのであった。 1944年5月10日に除籍。大破着底した明石の解体処分は1954年のことだった。 なお、「[[五月雨]]」乗務員が戦後に出版した戦時中の手記で、「明石」の工員は内地工廠のやくざな工員に比べ、勤務態度がずっと良かったという証言もある。 ---- *ゲームにおいて ---- 『明石』の能力は独特なので、ここで説明しておく。 『明石』を旗艦に配置すると小破以下の随伴艦を自動修理してくれる&bold(){泊地修理}を持つ。&color(Red){編成して母港に戻ってから最短20分後に}艦隊の自身を含む上から2(+明石の装備している[[艦艇修理施設]]の数)隻までが修理される。つまり、装備なしで1隻、艦艇修理施設が1個ごとに1隻ずつ修理可能な数が増え、3スロットまで装備すれば4隻まで修理できる。 修理時間は母港画面に切り替わった時からカウント開始する。開始されたら別画面に行ってもオフラインにしてもOKだが、もう一度母港画面に入り直すまではデータは更新されない。母港画面に入った際に回復判定が発生するとカウントがリセットされ、また0からスタートする。もちろん、明石を含む艦隊が出撃や遠征、編成の変更を行った場合タイムカウントはリセットされる。 また、&color(Red){明石が旗艦でないとき、または明石自身が中破以上の場合では泊地修理は行われない}。また、すでに入渠している艦娘の修理も行われない。 HP回復量は20分間ドックにいた時とほぼ同じ。計算は[[入渠]]を参照のこと。また、回復に必要な分の資源も自動的に消費される。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|工作艦、明石です 少々の損傷だったら私が泊地でばっちり直してあげますね!お任せください!| | |秘書クリック会話①|明石の出番ですね|| |秘書クリック会話②|提督も修理ですか?どこが壊れてます? |&color(white){提督の顔と頭は修理できますか?}| |秘書クリック会話③|クレーンにあまり触ったら危ないですよ?ああ!そこはもっと危ないです! |&color(white){どこをさわっているんだか……}&br()工作艦は重機などの工作機械が大量にあるので、戦闘艦とは別の意味で素人が触れると危険なものが多い。| |戦績表示時|提督!艦隊の運営状況を確認されますか?|| |編成選択時|工作艦、明石、参ります!|| |装備時①|修理しときます?|| |装備時②|これは…!はかどりますぅ!|| |装備時③|もっともっと修理できそう!ありがとうございます!|[[艦艇修理施設]]の数が多ければ多いほど多くの艦娘を回復できる。| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|私自身も…時々メンテがいりますね…|| |ドック入り(重傷)|ふぅ…人に背中流してもらうのも本当幸せですねぇ… 助かるなぁ~|『明石』の同型艦が2隻作られる予定だったが、中止に。1942年5月には『朝日』が撃沈されたため、連合艦隊では唯一の工作艦となった。| |建造時|新造艦が完成したみたいです 楽しみですねぇ|| |艦隊帰投時|艦隊が無事帰投しました 疲れた~|| |出撃時|工作艦、明石、参ります!|| |戦闘開始時|私…戦いは…うぅ…今は…やるしかないか…|一応、兵装は装備していたが、あくまで自衛用であり、戦闘に参加することはなかった| |航空戦開始時|-|| |攻撃時|当たって!|| |夜戦開始時|追撃戦って…ど、どうなのかなぁそれってばぁ!|| |MVP時|え…ええっ!?わ、私!?どういうのそれって…嬉しいけどぉ…|| |被弾小破①|ぐぅっ…いったたた…艦内工場は無事!?|| |被弾小破②|やられた…工作機械への延焼を防いで!|| |被弾カットイン|わ…私…狙われてる!?こんな状態じゃ…満足に修理できない…|整備・補修能力の高さから、米海軍から『最重要攻撃目標』としてマークされるほどであった。| |撃沈時(反転)|COLOR(white):海の底に沈むのか……またゆっくり寝るわね。みんな、おやすみなさい。|COLOR(white):明石の最期は着底だったので、完全に水没してはいなかった。| |時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|深夜0時…そろそろお休みされます?|| |01:00|マルヒトマルマルです さすがに眠くありません? え?私?私は大丈夫です!|| |02:00|マルフタマルマルです なんかトラックを思い出しますねぇ 頑張ったなぁ|1942年8月23日に入港してからは、トラック島を拠点に損傷艦艇の修理に従事。| |03:00|マルサンマルマルです パラオは…なんでだろう?あまり覚えてないんです|1944年3月30日パラオ大空襲に遭い大破、着底。| |04:00|マルヨンマルマルですね そろそろ朝ですよ? 提督?今晩は寝なくていいの?|| |05:00|マルゴーマルマルです 空が次第に明るくなってきましたね!新しい一日です!|| |06:00|マルロクマルマルです 提督?朝食は何にします?間宮さんほどじゃないですけど意外と私のも美味しいですよ?|| |07:00|マルナナマルマルです 朝ですねぇ ねぼすけさん達を起こしてきましょうか?|| |08:00|マルハチマルマルですねぇ さぁ!修理修理っとぉ!|| |09:00|マルキュウマルマルです どの艦から修理します? …えっ!?まさか…出撃ぃ!?|| |10:00|ヒトマルマルマルです …提督?私…戦闘はちょっと…あ…いえ…兵装を積んでも…|一応、自衛用に[[12.7cm連装高角砲]]と[[25mm連装機銃]]をそれぞれ2基装備してはいた。| |11:00|ヒトヒトマルマルです 提督も無茶されますねぇ 工作機械が壊れたら大変です!|当時の日本製工作機械の精度はそれほどでもなかった。そのため、高性能の工作機械は輸入に頼らざるをえず、貴重だったことによるのか。| |12:00|ヒトフタマルマルですね お昼です!お昼は明石カレー!いっちゃいますか!?|| |13:00|ヒトサンマルマルです 艦内工場の点検をしておきますね!結構あるんですよ~|艦内工場の数は17個。修理に必要なものはすべて自前で生産できた。| |14:00|ヒトヨンマルマルです そろそろ午後の修理に本格的に取り組みますね?|| |15:00|ヒトゴーマルマルです 提督?ちょっと小腹が空きませんか?ねぇ?|| |16:00|ヒトロクマルマルです 間宮最中美味しいですねぇ!私も艦内で作りたいなぁ…|さすがにそれは無理。| |17:00|ヒトナナマルマルです そろそろ日が暮れてきました ふぅっ…疲れましたねぇ|| |18:00|ヒトハチマルマルです 夕食は外食にします? 大和ホテルとかぁ…って冗談ですって|[[大和]]は1942年8月から翌年の2月までトラックにいたため、明石による整備も受けていたと予想される。| |19:00|ヒトキュウマルマルです 簡単なものですみません ご夕食ご用意しました!|| |20:00|フタマルマルマルです 食べたら少し眠くなりますよねぇ…ふわぁああ…あっ…いけない!|| |21:00|フタヒトマルマルですね 後3時間で今日もおしまいです お疲れ様です|| |22:00|フタフタマルマル 泊地の夜は静かですよねぇ…いつもこうだといいのですが…|明石が大破したトラック空襲は未明に始まったことによる?&br()あるいは[[夜戦バカ>川内]]が大人しくしているからか。| |23:00|フタサンマルマルです 提督?本日も一日大変お疲れ様でした!|| |放置時|うーんと…大丈夫!修理とか工作機械の手入れとか色々やることあるから!大丈夫です!…大丈夫…|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=明石/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(no182.png) |~2015年お正月明石さん| |&image(2015年新年明石さん_.jpg)| #contents() &autolink(id=wikibody) //@wiki形式_艦娘新規テンプレ コピー作成すると捗る //1行目の画像、75行目のコメントの書き換えお忘れなく。 ---- *CV ---- 種田梨沙 ---- *イラストレーター ---- 藤川 ---- *解説:工作艦について ---- まず、工作艦について説明しておこう。 工作艦とは、大型クレーン・溶接機・各種工作機械などを艦の内外に装備し、損傷艦船の補修・整備を行うための艦であり、いわば「移動海軍工廠」的な艦である。 艦船の補修・整備は本来、本国の拠点軍港の工廠などで行う。しかし、有事の際にわざわざそこまで戻ると作戦遂行上の大きなロスとなるのである。 そのため、前線に近い泊地でも修理・整備できるように作り出されたのが工作艦という艦種となっている。 とはいえ、移動中に修理・整備するわけではなく、泊地や港湾に停泊中、浮きドックを展開して整備が必要な艦船を横付けして作業を行う。 戦時中には設備が破壊されている占領地のドックを、工作艦の設備を使用して機能復旧させた事例もある。 日本海軍では日露戦争期にロシア商船「マンチュリア((長崎で整備中に日露開戦し、当地で拿捕された。))」を改造した工作艦「関東」がその祖とされる。 「関東」は日露戦争・第一次大戦と活躍を果たしたが、1924年に福井沖にて台風のために遭難、岩礁と激突して沈没する。 事故以来長らく新型工作艦の建造が熱望されるも、予算難や各工廠のドックの回転率が良かったこと、そもそも工作艦は有事に徴用商船を改造すればいいと考えられていたことなどから、なかなか実現には至らなかった。 だが1930年代に入り、特務練習艦となっていたかつての戦艦「朝日」に簡易工作装置の取り付けが行われ、1934年のマル2計画では工作艦の予算が承認され、新造の工作艦1隻が建造されるに至った。これが「明石」である。 #image(ASAHI.jpg) 工作艦時代の「朝日」。1942年5月にベトナムのカムラン湾付近で戦没している。 軍縮条約明けの1937年には前述の「朝日」も呉工廠にて工作艦に改造され、「明石」が竣工すると連合艦隊は附属に工作艦2隻を抱える体制となった。 またこのほかにも、開戦直前に徴用商船を改造した特設工作艦5隻が就役している。 ---- *史実情報 ---- 前述の通りに1934年のマル2計画で承認され、1937年1月に佐世保工廠にて起工。1939年7月31日に竣工し連合艦隊付属となった。 艦名の由来は兵庫県の明石の浦で、日本海軍では須磨型防護巡洋艦2番艦「明石」に続き2代目。 姉妹艦として1941年の改マル5計画で「三原」「桃取」が三菱重工横浜船渠で建造される予定であったが、戦局悪化により中止されている。 #image(AKASHI.jpg) 目標としたのは米国海軍が1924年に建造した工作艦「メデューサ」。 しかし初の専用工作艦として建造されたため、機器やクレーンの配置といった艦型などのレイアウトなどを決めるのに難航し、佐世保工廠に実寸大の艦内模型や工作機械の模型を設けて設計されたりもした。 その結果、「明石」は海軍工廠として最適な艦として出来上がったのである。 専従艦種として建造されたため、甲板に3機の重起重機が林立し、艦内に17ある工場には内地の海軍工廠にすら配備していない144台のドイツ製工作機械が設置されていた。 しかも、その工場は原材料を精製する溶鉱炉から部品を鋳造する鍛冶施設、旋盤による削り出しや製品の組み立てなどの仕上げ作業まで一通り行えてしまうほど充実していた。 そのせいで、「明石」一隻で連合艦隊の補修業務の約40%をまかなえたという((もちろん、乾ドックによる整備が必要なものまで「明石」ができたわけではないので、あくまで数値上の話である。))。 主機関にはディーゼルエンジンを採用しているが、これは[[大鯨]]や[[千歳]]に搭載された艦本式ではなく、三菱製(独MAN社のライセンス品)のディーゼルエンジンである。 また艦内工廠を稼働させるために合計出力4800kwという非常に高い発電能力((これに勝る発電能力を持つ艦は日本海軍では大和型のみ))も有していた。 ちなみに2本の煙突はそれぞれ主機関と艦内工廠の排煙用のものである。 「明石」は太平洋戦争の開戦と同時に南方に進出。 もう1隻の工作艦である「朝日」が蘭印・シンガポール方面に進出したのに対し、「明石」はパラオ諸島、フィリピンのダバオ、スラウェシ島のスターリング湾、モルッカ諸島のアンボンなど南洋の各地を駆け回り多くの艦を修理した。 1942年8月23日にトラック島に入港してからは、ここを拠点にして損傷艦艇の修理に従事する。 ちょうどこの頃始まったソロモン海の戦闘で傷ついた艦船は、次々トラック泊地で「明石」の応急修理を受けて、一命を取り留めた。 しかし、その整備・補修能力の高さゆえに、米海軍から『最重要攻撃目標』としてマークされてしまう。 1944年2月のトラック島空襲で大破。パラオへ避難するが、今度は3月のパラオ大空襲に遭い着底した。 「朝日」も1942年に撃沈されていたため、外洋における修理の要を失った海軍は、損傷を受けた艦艇を内地に戻すことを余儀なくされることになる。 そして、(戦局の悪化もあるとはいえ)[[熊野]]や[[金剛]]のように内地帰還中に撃沈される船も増えていくのであった。 1944年5月10日に除籍。大破着底した明石の解体処分は1954年のことだった。 なお、「[[五月雨]]」乗務員が戦後に出版した戦時中の手記で、「明石」の工員は内地工廠のやくざな工員に比べ、勤務態度がずっと良かったという証言もある。 ---- *ゲームにおいて ---- 『明石』の能力は独特なので、ここで説明しておく。 『明石』を旗艦に配置すると小破以下の随伴艦を自動修理してくれる&bold(){泊地修理}を持つ。&color(Red){編成して母港に戻ってから最短20分後に}艦隊の自身を含む上から2(+明石の装備している[[艦艇修理施設]]の数)隻までが修理される。つまり、装備なしで1隻、艦艇修理施設が1個ごとに1隻ずつ修理可能な数が増え、3スロットまで装備すれば4隻まで修理できる。 修理時間は母港画面に切り替わった時からカウント開始する。開始されたら別画面に行ってもオフラインにしてもOKだが、もう一度母港画面に入り直すまではデータは更新されない。母港画面に入った際に回復判定が発生するとカウントがリセットされ、また0からスタートする。もちろん、明石を含む艦隊が出撃や遠征、編成の変更を行った場合タイムカウントはリセットされる。 また、&color(Red){明石が旗艦でないとき、または明石自身が中破以上の場合では泊地修理は行われない}。また、すでに入渠している艦娘の修理も行われない。 HP回復量は20分間ドックにいた時とほぼ同じ。計算は[[入渠]]を参照のこと。また、回復に必要な分の資源も自動的に消費される。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|工作艦、明石です 少々の損傷だったら私が泊地でばっちり直してあげますね!お任せください!| | |秘書クリック会話①|明石の出番ですね|| |秘書クリック会話②|提督も修理ですか?どこが壊れてます? |&color(white){提督の顔と頭は修理できますか?}| |秘書クリック会話③|クレーンにあまり触ったら危ないですよ?ああ!そこはもっと危ないです! |&color(white){どこをさわっているんだか……}&br()工作艦は重機などの工作機械が大量にあるので、戦闘艦とは別の意味で素人が触れると危険なものが多い。| |戦績表示時|提督!艦隊の運営状況を確認されますか?|| |編成選択時|工作艦、明石、参ります!|| |装備時①|修理しときます?|| |装備時②|これは…!はかどりますぅ!|| |装備時③|もっともっと修理できそう!ありがとうございます!|[[艦艇修理施設]]の数が多ければ多いほど多くの艦娘を回復できる。| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|私自身も…時々メンテがいりますね…|| |ドック入り(重傷)|ふぅ…人に背中流してもらうのも本当幸せですねぇ… 助かるなぁ~|『明石』の同型艦が2隻作られる予定だったが、中止に。1942年5月には『朝日』が撃沈されたため、連合艦隊では唯一の工作艦となった。| |建造時|新造艦が完成したみたいです 楽しみですねぇ|| |艦隊帰投時|艦隊が無事帰投しました 疲れた~|| |出撃時|工作艦、明石、参ります!|| |戦闘開始時|私…戦いは…うぅ…今は…やるしかないか…|一応、兵装は装備していたが、あくまで自衛用であり、戦闘に参加することはなかった| |航空戦開始時|-|| |攻撃時|当たって!|| |夜戦開始時|追撃戦って…ど、どうなのかなぁそれってばぁ!|| |MVP時|え…ええっ!?わ、私!?どういうのそれって…嬉しいけどぉ…|| |被弾小破①|ぐぅっ…いったたた…艦内工場は無事!?|| |被弾小破②|やられた…工作機械への延焼を防いで!|| |被弾カットイン|わ…私…狙われてる!?こんな状態じゃ…満足に修理できない…|整備・補修能力の高さから、米海軍から『最重要攻撃目標』としてマークされるほどであった。| |撃沈時(反転)|COLOR(white):海の底に沈むのか……またゆっくり寝るわね。みんな、おやすみなさい。|COLOR(white):明石の最期は着底だったので、完全に水没してはいなかった。| |時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|深夜0時…そろそろお休みされます?|| |01:00|マルヒトマルマルです さすがに眠くありません? え?私?私は大丈夫です!|| |02:00|マルフタマルマルです なんかトラックを思い出しますねぇ 頑張ったなぁ|1942年8月23日に入港してからは、トラック島を拠点に損傷艦艇の修理に従事。| |03:00|マルサンマルマルです パラオは…なんでだろう?あまり覚えてないんです|1944年3月30日パラオ大空襲に遭い大破、着底。| |04:00|マルヨンマルマルですね そろそろ朝ですよ? 提督?今晩は寝なくていいの?|| |05:00|マルゴーマルマルです 空が次第に明るくなってきましたね!新しい一日です!|| |06:00|マルロクマルマルです 提督?朝食は何にします?間宮さんほどじゃないですけど意外と私のも美味しいですよ?|| |07:00|マルナナマルマルです 朝ですねぇ ねぼすけさん達を起こしてきましょうか?|| |08:00|マルハチマルマルですねぇ さぁ!修理修理っとぉ!|| |09:00|マルキュウマルマルです どの艦から修理します? …えっ!?まさか…出撃ぃ!?|| |10:00|ヒトマルマルマルです …提督?私…戦闘はちょっと…あ…いえ…兵装を積んでも…|一応、自衛用に[[12.7cm連装高角砲]]と[[25mm連装機銃]]をそれぞれ2基装備してはいた。| |11:00|ヒトヒトマルマルです 提督も無茶されますねぇ 工作機械が壊れたら大変です!|当時の日本製工作機械の精度はそれほどでもなかった。そのため、高性能の工作機械は輸入に頼らざるをえず、貴重だったことによるのか。| |12:00|ヒトフタマルマルですね お昼です!お昼は明石カレー!いっちゃいますか!?|| |13:00|ヒトサンマルマルです 艦内工場の点検をしておきますね!結構あるんですよ~|艦内工場の数は17個。修理に必要なものはすべて自前で生産できた。| |14:00|ヒトヨンマルマルです そろそろ午後の修理に本格的に取り組みますね?|| |15:00|ヒトゴーマルマルです 提督?ちょっと小腹が空きませんか?ねぇ?|| |16:00|ヒトロクマルマルです 間宮最中美味しいですねぇ!私も艦内で作りたいなぁ…|さすがにそれは無理。| |17:00|ヒトナナマルマルです そろそろ日が暮れてきました ふぅっ…疲れましたねぇ|| |18:00|ヒトハチマルマルです 夕食は外食にします? 大和ホテルとかぁ…って冗談ですって|[[大和]]は1942年8月から翌年の2月までトラックにいたため、明石による整備も受けていたと予想される。| |19:00|ヒトキュウマルマルです 簡単なものですみません ご夕食ご用意しました!|| |20:00|フタマルマルマルです 食べたら少し眠くなりますよねぇ…ふわぁああ…あっ…いけない!|| |21:00|フタヒトマルマルですね 後3時間で今日もおしまいです お疲れ様です|| |22:00|フタフタマルマル 泊地の夜は静かですよねぇ…いつもこうだといいのですが…|明石が大破したトラック空襲は未明に始まったことによる?&br()あるいは[[夜戦バカ>川内]]が大人しくしているからか。| |23:00|フタサンマルマルです 提督?本日も一日大変お疲れ様でした!|| |放置時|うーんと…大丈夫!修理とか工作機械の手入れとか色々やることあるから!大丈夫です!…大丈夫…|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=明石/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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