雪風

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#image(No005.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV 藤田咲 ---- *Illustrator しずまよしのり ---- *史実情報 #ref(Yukikaze1.jpg) 陽炎型8番艦として、1940年1月20日佐世保工廠で竣工。 就役直後、[[初風]]、[[黒潮]]と共に第十六駆逐隊を編成。翌年には[[黒潮]]に代わり新鋭の[[天津風]]、[[時津風]]が加わり第二水雷戦隊に配属された。 開戦後は、フィリピン攻略作戦に参加。以後、数々の主要な戦いに参加しながら、殆ど損害を出さず、日本海軍随一の強運艦、「奇跡の駆逐艦」として名を馳せる。 日本海軍の強運艦としては空母「[[瑞鶴]]」、駆逐艦「[[時雨]]」が有名だが、この「[[雪風]]」は特にずば抜けている。 開戦当時、最新鋭駆逐艦だった朝潮型、陽炎型、夕雲型、島風は合計で50隻にも及ぶが、「[[雪風]]」以外は全て戦没している。 連合国側もこの強運を認め、第二次大戦最優秀艦と賞した。 主な戦歴(詳細を書くときりがないので、箇条書きとする) スラバヤ沖海戦      無傷。海戦後の敵潜掃討では1隻を撃沈 ミッドウェー海戦     無傷。輸送船団を護衛した。 南太平洋海戦       無傷。「[[翔鶴]]」中破により着艦できず、不時着水する艦載機搭乗員を救助。 第三次ソロモン海戦    小破。敵駆逐艦を撃沈したとされる。 ガダルカナル撤収作戦   無傷。三回に渡りのべ1万3千人の将兵を救出。 ビスマルク海海戦     無傷。しかし味方駆逐艦4隻が沈没し、輸送船団は全滅した。 コロンバンガラ沖海戦   無傷。大戦果を挙げるも、二水戦旗艦[[神通]]が沈没。 コロンバンガラ島輸送作戦 無傷。 七三一船団護衛      無傷。 マリアナ沖海戦      無傷。油槽船団を護衛。探照灯を目くらましに使い敵機を3機撃墜する。 レイテ沖海戦       無傷。約40隻の連合艦隊中、戦闘後、唯一無傷だった。 空母信濃護衛       無傷。しかし「[[信濃]]」は沈没。 呉軍港空襲(3月)     無傷。しかもブイに繋留されながら敵機を撃墜。 坊ノ岬沖海戦       小破。 舞鶴空襲         無傷。ロケット弾が命中するも不発。 「雪風」がこれだけの激戦を生き延びたのは、自身の強運と高練度もさることながら、「雪風の守護神」艦長&bold(){寺内正道中佐}の卓越した指揮によるところが大きい。 特に対空戦闘では、寺内中佐は艦橋の天蓋から半身を乗り出し、大きな三角定規で爆撃の軌道を読みながら、航海長の肩をまるで戦車操縦のように蹴飛ばして操艦した。 銃砲弾の雨あられの中、鉄兜もかぶらず「俺には当たらんッ!」とわめきながらくわえタバコで指揮を執るその姿は、元乗員たちの語りぐさとなっている。 戦後は復員輸送に従事した後、連合国に引き渡される。 乗組員は整備を怠らず、連合国側に「こんなにも見事に整備された艦は見たことがない。驚きだ」と言わしめた。 1947年、くじ引きで中華民国に引き渡され、「丹陽(たんよう/タンヤン)」と名を変える。 日華事変によって艦隊が壊滅し、貧弱な海軍戦力しか有していなかった中華民国にとって、日本海軍から譲渡された賠償艦は力強い即戦力だった。 そのため中華民国は「雪風」を中華民国海軍旗艦という破格の待遇で迎えたのである。 国民党が共産党に敗北した際は、艦隊を率いて台湾に逃れた。この際、蒋介石が乗艦したとされる。 なお、武装は当初は12.7cm連装砲を装備したが、後に機関不調で解体された「宵月」の長10cm連装高角砲を装備。最終的には米国式の武装が採用された。 #ref(TANYANG.JPG) 以後、「[[雪風]]」は中華民国海軍の艦として幾度も実戦に参加、中華人民共和国のコルベットも撃沈している。外交でもフィリピンを訪問した経験がある。 雪風は1964年12月の観艦式でその姿を確認されているが、艦齢が20年を過ぎたこともあり、速力が29ノットに低下するなど、老朽化に苦しんでいた。 #ref(Tanyang2.jpg) そして、1965年12月16日に退役。翌66年11月16日に除籍される。 除籍後も訓練艦として活用されていたが、1969年に暴風雨で艦艇を損傷。解体が決定する。 この時、元乗員を中心とする「雪風保存会」などの活動により、日本への返還(正確には譲渡)が実現寸前だったと言われている。 台風での損傷はその矢先の出来事だった。あらゆる戦禍から雪風を救った幸運も、自然の力には敵わなかったのだ。 こうして雪風は、終に故郷に還ることなく、幸運と波乱に満ちた29年の生涯に幕を閉じた。 解体は1971年までに完了し、中華民国政府からに舵輪と錨が返還された。 現在、舵輪は江田島の海軍兵学校教育参考館に、錨は同館の庭に展示されている。この他、スクリューが台湾海軍士官学校に展示されている。 なお、台湾では「雪風/丹陽」はかなりの人気艦だったりする。日本でいうところの「三笠」的ポジションであろうか。 雪風の活動や第二水雷戦隊のお話を知りたい人は、こちらのNHKが制作した [証言記録 兵士たちの戦争] “鼠”輸送を命じられた精鋭部隊 ~駆逐艦・第二水雷戦隊~ http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210055_00000 を見てみるのもいいだろう。 ---- &table_color(table2,#ddd){} |>|>|~艦歴| |>|>|大日本帝国海軍| |発注|>|第三次海軍軍備補充計画甲型駆逐艦第24号艦| |起工|1938年08月02日|於佐世保海軍工廠| |命名|1939年01月20日|陽炎型第八番艦“雪風”と命名| |進水|1939年03月24日|| |就役|1940年01月20日|第16駆逐隊へ編入| ||1941年12月11日|レガスピー攻略作戦に参加| ||1942年02月27日|スラバヤ沖海戦に参加| ||1942年06月05日|ミッドウェー作戦に参加| ||1942年08月24日|第二次ソロモン海戦に参加| ||1942年10月26日|南太平洋海戦に参加| ||1942年11月12日|第三次ソロモン海戦に参加| ||1943年02月01日|ケ号作戦(ガダルカナル島撤退作戦)に参加| ||1943年03月02日|ビスマルク海海戦(ダンピールの悲劇)に参加| ||1943年07月12日|コロンバンガラ島沖海戦に参加| ||1944年01月11日|ヒ31船団護衛作戦に参加。同戦闘で僚艦「天津風」が大破し16駆は本艦一隻のみに| ||1944年03月20日|第16駆逐隊が解散。第17駆逐隊へ編入| ||1944年06月19日|あ号作戦(マリアナ沖海戦)に参加| ||1944年10月23日|捷一号作戦(レイテ沖海戦)に参加| ||1944年11月29日|空母「信濃」護衛作戦に参加| ||1945年04月07日|天一号作戦(坊ノ岬沖海戦/大和特攻)に参加。17駆所属艦は本艦以外、全て戦没| ||1945年08月15日|残存駆逐艦と共に第41駆逐隊へ編入| ||1945年08月26日|第一予備艦へ種別変更| ||1945年09月15日|米軍への引き渡しを実施。同日、特別輸送艦へ種別変更| |除籍|1945年10月15日|海軍解体に伴い第二復員省所属艦へ| ||1945年12月20日|旧舞鶴海軍工廠にて武装解除| ||1946年02月11日|特別輸送艦「雪風」として再就役| |引渡|1946年12月30日|連合軍引き渡しのため特別保管艦へ種別変更| ||1947年07月03日|賠償艦隊を率いて上海に入港| |>|>|中華民国海軍| ||1947年07月06日|中華民国海軍へ編入| |改名|1948年05月01日|“丹陽”と改名され、中華民国海軍旗艦となる| |||国共内戦激化に伴い、上海より台湾の基隆へと脱出| ||1958年09月02日|九二海戦(料羅湾海戦)に参加| ||1959年08月03日|人民解放軍艦艇と交戦。一隻を撃沈する| |除籍|1966年11月16日|訓練艦へ種別変更| ||1969年8月頃|暴風雨の直撃を受け、艦底を破損| ||1971年12月08日|舵輪と錨が日本へ返還される| ||1971年12月31日|解体完了| ---- *~幸運艦雪風伝説~(2ch本スレの内容を一部改変、元ネタを記載) ---- #ref(Yukikaze2.jpg) ①同じ駆逐艦隊での撤収作業なら大丈夫だろうと思っていたら、自分以外の駆逐艦が大破・沈没していった。 ②空母から「怪しいから調べに行って」と言われ、見に行ったけどたぶん漁船だろうと戻ったら護衛してた空母が沈んでた。 ③ロケット弾を被弾し大破かと思ったら、不発だったため沈むことはなかった。 ④艦底に魚雷が命中したと思ったら通り過ぎて行った為に事なきをえるが、他の艦がその分余計にくらって沈んでいった。 ⑤米潜水艦を発見して代わりに攻撃に行ってもらったら、身代わりになって大破、漂流してた。 ⑥更に沈没した艦の救助を代わりに行ってもらったら、その艦も空襲で撃沈されてた。 ⑦それで別の艦の救助活動に行ったら、その前に大爆発して既に沈んでた。 ⑧海戦に参加するはずだったがスクリューを損傷、やむを得ず船団護衛に回るもその海戦で日本軍は大敗、負け戦に。 ⑨工作艦「明石」から修理を受けてる最中にも襲撃されるが回避行動をとり無事。ただし近くにいた重巡「[[妙高]]」が死傷者発生の大惨事。 ⑩雪風が参加した任務の1/3は誤認が発生する。しかも「夜間」ほど危ない。双眼鏡を持っているのはそのためかもしれない。 ⑪雪風が随伴する軍艦の大破・沈没確率が150%。無事でも次で必ず大破・沈没にあう確率が50%の意味。 ⑫「そんな危険な訳がない」といって開戦時から僚艦であり続けた「[[時津風]]」が、結局被弾し沈没していた。 ⑬「新鋭空母なら問題ない」と「[[雪風]]」を護衛につけた「[[翔鶴]]」がフルボッコにされて帰ってきた。 ⑭「お前もうくんな」と同型の陽炎型駆逐艦隊からも嫌われつつも合流するが、やっぱり雪風以外が全て沈む。 ⑮呉軍港が大空襲を受けた時に「[[雪風]]」にだけ何故か攻撃が当たらなかった。 ⑯宮津湾で空襲回避中、「[[雪風]]」が起動した「回数機雷」で後ろを航行していた「[[初霜]]」が大破擱座。 ⑰雪風が護衛する艦隊の敵弾被弾率は約120%。うち20%が味方の誤射で雪風が被弾する分。 ⑱「武勲艦」「幸運艦」といわれたが、「他の艦の船運を喰らう艦」や「死神」とも言われ嫌われてもいた。 ⑲その幸運を買われ、駆逐艦なのに中華民国海軍旗艦にまで選ばれ、米軍の高角砲まで設置された。 ⑳丹陽として働いて合計艦齢28年のくせに中国軍艦艇と戦って大戦果をあげる。 &u(){&bold(){これらは[[ヨハネスブルグのガイドライン>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B0]]をもじったネタである。}}説明するまでもなく(説明するけど)雪風の幸運を茶化したネタなので真に受けない様に。 &bold(){説明①}ガダルカナル島撤収作戦のこと。実際は出撃する20隻の駆逐艦の半分の沈没・破損を覚悟した難しい作戦だったが、沈没1隻、破損4隻の遥かに少ない被害で陸軍兵の撤収に成功した。「雪風」艦長は「危険だから駆逐艦は出せない」と難色を示した海軍司令部に対し出撃を申し出て作戦を成功させた。 &bold(){説明②}「信濃」護衛。ある作家が「信濃」を沈めた米潜「アーチャーフィッシュ」を事前に発見していたのに「雪風」が漁船と間違えたと推測した話。この推測は「アーチャーフィッシュ」の艦長の証言によって否定されている。 &bold(){説明③}宮津湾空襲。これは事実。 &bold(){説明④}坊ノ岬沖海戦。この戦いでは「雪風」以外の駆逐艦も魚雷の艦底通過が多発し、その数は「雪風」1本、「初霜」1本、「冬月」2本~5本、「磯風」8本で、「雪風」は寧ろ少ない。何故こんなに多かったかと言うと、米軍は第一目標の戦艦「[[大和]]」に当たるよう魚雷の深度を深く調整していたから。 &bold(){説明⑤}輸送船団護衛。潜水艦を発見したら船団護衛担当と潜水艦の攻撃担当を分担するのは普通の戦術。この時は「[[天津風]]」側が攻撃を買って出た。 &bold(){説明⓺}レイテ沖海戦での重巡「[[筑摩]]」の救助。これは司令部の判断ミスで、救助に向かう途中の「雪風」をわざわざ呼び戻して交替させたため、1時間以上のタイムロスが生じた。交替した駆逐艦「[[野分]]」が敵艦隊に捕捉されたのは救助活動を完了して戦場を離脱する直前だったため、戦後、「野分」搭乗員の遺族は司令部の責任を追及している。 &bold(){説明⑦}同じくレイテ沖海戦での重巡「[[鈴谷]]」の救助。正確には「鈴谷」に接舷する直前、魚雷管そばの火災に「雪風」艦長が気づき緊急離脱。九死に一生を得た。 &bold(){説明⑧}マリアナ沖海戦。「雪風」らが護衛した輸送船団は補給のため前線に呼ばれて、最前線で敵機の編隊と対空戦闘を行った。この時、低速の輸送船団と護衛の「雪風」たちは、空襲警報も退避命令も出さずに全速力で逃走した本隊に置き去りにされると言う酷い目に遭っている。 &bold(){説明⑨}南方方面作戦。実話だが、敵の空襲を警戒して修理中も機関を止めずにいつでも逃げられるようにしておいた「雪風」艦長の判断の賜物。 &bold(){説明⑩}コロンバンガラ島沖海戦で「雪風」は夜戦において初装備の逆探を使いこなし、レーダーを使っていた米艦隊より早く敵を発見した。他にも、夜間、帰路に迷った友軍機を探照灯で誘導して救助し、その働きで山本五十六に感状を送られたなど、「雪風」は夜も活躍している。 &bold(){説明⑪}「雪風」が参加した任務は100回を優に超え、そのうち味方が損傷した任務は10回程度と非常に少ない。 &bold(){説明⑫}ビスマルク海海戦。実際は計画時点で全滅が確実視され、輸送船団で発狂者が出たほど危険な作戦だった。司令部は「全滅覚悟で行け」と作戦を強行したが、輸送船8隻全てと、護衛の駆逐艦8隻中4隻が沈没という惨敗。「雪風」と共に生還した駆逐艦「[[朝雲]]」の艦長は「日本民族を滅ぼす気か!よく考えろ!」と司令部に殴り込んだ。 &bold(){説明⑬}南太平洋海戦。実際は海戦の数日前に「雪風」は「瑞鶴」の護衛担当に変更された。その「瑞鶴」は突然発生したスコールに守られ無傷。 &bold(){説明⑭}「雪風」が第十七駆逐隊に編入された時の話…と言われるが、第十七駆逐隊の面々はそれより前に「雪風」と同じ部隊で行動したことがあったので、話が矛盾している。真相は「前例のない5隻の駆逐隊になってしまうので雪風の編入をあまり歓迎しない船があった」と言う話を、数年に亘りウィキペディア各所で「雪風が原因で沈んだ」と言う印象操作をしていたある「雪風」アンチが改竄(5隻編成になるのが不満だったと言う部分を丸々カットした)してウィキペディアに掲載したことで広まったデマ。 &bold(){説明⑮}呉空襲。「雪風」の隣にいた「磯風」など他にも無傷だった船はいた。攻撃が当たらなかったのも「雪風」が約1万発の機銃弾を発砲して奮闘したから。これは隣で戦っていた「磯風」の3倍の弾幕で、港に繋がれて動けなかったにも拘わらず3機撃墜した。ただその後「弾の使い過ぎ」と叱られた。 &bold(){説明⑯}本当は終戦後の1945年8月18日の話で、「雪風」の後ろを航行していたのは擱座した「初霜」ではなく潜水母艦「長鯨」。「雪風」が起動させた機雷が2隻のちょうど中間で遅れて爆発したため2隻とも無事だったと言う、正反対の幸運エピソード。 &bold(){説明⑰}だから「雪風」が参加した100回の任務で味方が損傷したのは10回程度と(以下略)。 &bold(){説明⑱}「武勲艦」「幸運艦」と呼ばれた証言は山の様にあるが、「他の艦の船運を喰らう艦」「死神」と呼ばれた証言は全く見つかっていない。この話自体、確認される最古の資料が「空想歴史読本」や「ガンダム「一年戦争史」」の著者が2000年頃に書いた本のため、近年の創作を疑われている。 &bold(){説明⑲~⑳}戦後賠償艦として中華民国(台湾)に譲渡された話。本当だが、旗艦となった理由は艦の状態が良かった、当時の台湾海軍で最大の船だったなど、幾つかある。 また2ちゃんねるでは次のようなコピペも広まった…が&bold(){やはりネタである}&u(){}。 雪風と同じ作戦に参加、または同海域にて撃沈、撃破及び自沈処分された艦達(「[[雪風]]」が処分していない艦も含めている事に注意) 沈没順に記載 空母(9隻):[[蒼龍]]、[[加賀]]、[[飛龍]]、[[赤城]]、[[龍驤]]、[[翔鶴]]、[[大鳳]]、[[飛鷹]]、[[信濃]] 戦艦(4隻):[[比叡]]、[[霧島]]、[[武蔵]]、[[大和]] 重巡(6隻):[[三隈]]、[[摩耶]]、[[愛宕]]、[[鳥海]]、[[筑摩]]、[[鈴谷]] 軽巡(2隻):[[能代]]、[[矢矧]] 駆逐(18隻):[[暁]]、[[夕立]]、[[綾波]]、[[白雪]]、[[時津風]]、[[夕暮]]、[[清霜]]、[[初風]]、[[巻波]]、[[谷風]]、[[野分]]、[[早霜]]、[[浦風]]、[[浜風]]、[[霞]]、[[磯風]]、[[朝霜]]、[[初霜]] その他:輸送船8隻、油槽船2隻、潜水艦8隻 計:&bold(){57隻} &bold(){真相}&u(){} &bold(){①ミッドウェー海戦で沈没した蒼龍、加賀、飛龍、赤城、三隈}  雪風は後方の輸送船団の護衛だったので、全然別の海域にいたこれらの艦艇の被害とは関係ない。 &bold(){②マリアナ沖海戦で沈没した翔鶴、大鳳、飛鷹}  同じく、雪風は後方の輸送船団の護衛だったので、以下同文。 &bold(){③レイテ沖海戦で沈没した武蔵、愛宕、摩耶、早霜、野分}  雪風は武蔵、愛宕、摩耶と別の部隊で、この3隻が沈んだ時は別の船を護衛していた。  早霜、野分は救助活動のため部隊から分離した後沈んだため、雪風とは別行動だった。 &bold(){④第二次ソロモン海戦で沈没した龍驤} &bold(){⑤第三次ソロモン海戦第二夜戦で沈没した霧島、綾波} &bold(){⓺ブーゲンヒル沖海戦で沈没した初風} &bold(){⑦トラック泊地哨戒任務中に沈没した谷風} &bold(){⑧礼号作戦で沈没した清霜}  ④~⑧の戦闘、作戦に雪風は参加していないので、こじつけどころか濡れ衣。 一方で、コロンバンガラ島沖海戦で沈んだ神通、ビスマルク海海戦で沈んだ[[朝潮]]、[[荒潮]]など抜けも結構ある。まあ所詮2ちゃんねるのネタだ。 艦隊これくしょん的に悲惨なのは「嘘を嘘と見抜けなかった人」の中に雪風をデザインした人が含まれていた事だろう。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|陽炎型駆逐艦8番艦、雪風です。&br()どうぞ、よろしくお願いしますっ!| | |秘書クリック会話①|はい、頑張ります!|| |秘書クリック会話②|なんでしょう、司令官?|| |秘書クリック会話③|あの、雪風に何か、御用でしょうか?|| |戦績表示時|しれぇ、通信が入っています|| |編成選択時|雪風、いつでも出撃出来ます!|就役から終戦まで1度も大規模修理を行ったことがない| |装備時①|しれぇ、ありがとうございます!|| |装備時②|幸運の女神のキスを感じちゃいます!|強運艦と言われた為| |装備時③|絶対、大丈夫!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|雪風、修理に入りますね|| |ドック入り(重傷)|再び作戦に参加するための修理です|| |建造時|新しい仲間が進水しました|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投致しました!|| |出撃時|連合艦隊の出撃です!|実は「雪風」は駆逐艦ながら3日間だけ第八艦隊の旗艦を努めたことがある| |戦闘開始時|雪風は沈みません!|終戦まで生き残った為。元空母飛鷹艦爆隊に所属していた豊田穣の著書「雪風ハ沈マズ」からの可能性高し| |攻撃時|艦隊を御守りします|そいつが&bold(){全て}沈んでいる。数多くの仲間が沈むところを見てきた雪風は、今度こそ仲間を護ろうと奮戦するのだ| |夜戦開始時|砲雷撃戦、続行します|| |夜戦攻撃時|沈む訳にはいきません|※ただしゲームシステムには逆らえない| |MVP時|雪風、また生還しました。司令のおかげですね|「雪風」艦長の神がかった操舵技術も幸運の中の一つである| |被弾小破時|不沈艦の名はっ…伊達じゃないのですっ!!|その活躍ぶりから、海自の護衛艦の1番艦の艦名に抜粋された| |被弾時|きゃあ!至近弾です!|直撃こそ喰らわないものの、被弾するときは大抵至近弾であった| |被弾カットイン|むぅー、でも、し、沈みませんから|他の艦娘と比べて装備の破損が少ないのは、数多くの戦場で闘いながらも小破程度の損害しか負わなかったが故か| |撃沈時(反転)|COLOR(white):不沈艦なんて…この世にないのね…|COLOR(white):幾多の戦場に出撃し、不沈艦のごとくほぼ無傷で終戦まで生き残った| ---- *同型艦 [[陽炎]] ― [[不知火]] ― [[黒潮]] ― 親潮 ― 早潮 ― 夏潮 ― [[初風]] ― &bold(){雪風} ― [[天津風]] ― [[時津風]] ― [[浦風]] ― [[磯風]] ― [[浜風]] ― [[谷風]] ― [[野分]] ― 嵐 ― 萩風 ― [[舞風]] ― [[秋雲]] ---- *外部リンク -[[Wikipedia:雪風 (駆逐艦)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)]] ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No005.jpg) &autolink(id=wikibody) ---- *CV 藤田咲 ---- *Illustrator しずまよしのり ---- *史実情報 #ref(Yukikaze1.jpg) 陽炎型8番艦として、1940年1月20日佐世保工廠で竣工。 就役直後、[[初風]]、[[黒潮]]と共に第十六駆逐隊を編成。翌年には[[黒潮]]に代わり新鋭の[[天津風]]、[[時津風]]が加わり第二水雷戦隊に配属された。 開戦後は、フィリピン攻略作戦に参加。以後、数々の主要な戦いに参加しながら、殆ど損害を出さず、日本海軍随一の強運艦、「奇跡の駆逐艦」として名を馳せる。 日本海軍の強運艦としては空母「[[瑞鶴]]」、駆逐艦「[[時雨]]」が有名だが、この「[[雪風]]」は特にずば抜けている。 開戦当時、最新鋭駆逐艦だった朝潮型、陽炎型、夕雲型、島風は合計で50隻にも及ぶが、「[[雪風]]」以外は全て戦没している。 連合国側もこの強運を認め、第二次大戦最優秀艦と賞した。 主な戦歴(詳細を書くときりがないので、箇条書きとする) スラバヤ沖海戦      無傷。海戦後の敵潜掃討では1隻を撃沈 ミッドウェー海戦     無傷。輸送船団を護衛した。 南太平洋海戦       無傷。「[[翔鶴]]」中破により着艦できず、不時着水する艦載機搭乗員を救助。 第三次ソロモン海戦    小破。敵駆逐艦を撃沈したとされる。 ガダルカナル撤収作戦   無傷。三回に渡りのべ1万3千人の将兵を救出。 ビスマルク海海戦     無傷。しかし味方駆逐艦4隻が沈没し、輸送船団は全滅した。 コロンバンガラ沖海戦   無傷。大戦果を挙げるも、二水戦旗艦[[神通]]が沈没。 コロンバンガラ島輸送作戦 無傷。 七三一船団護衛      無傷。 マリアナ沖海戦      無傷。油槽船団を護衛。探照灯を目くらましに使い敵機を3機撃墜する。 レイテ沖海戦       無傷。約40隻の連合艦隊中、戦闘後、唯一無傷だった。 空母信濃護衛       無傷。しかし「[[信濃]]」は沈没。 呉軍港空襲(3月)     無傷。しかもブイに繋留されながら敵機を撃墜。 坊ノ岬沖海戦       小破。 舞鶴空襲         無傷。ロケット弾が命中するも不発。 「雪風」がこれだけの激戦を生き延びたのは、自身の強運と高練度もさることながら、「雪風の守護神」艦長&bold(){寺内正道中佐}の卓越した指揮によるところが大きい。 特に対空戦闘では、寺内中佐は艦橋の天蓋から半身を乗り出し、大きな三角定規で爆撃の軌道を読みながら、航海長の肩をまるで戦車操縦のように蹴飛ばして操艦した。 銃砲弾の雨あられの中、鉄兜もかぶらず「俺には当たらんッ!」とわめきながらくわえタバコで指揮を執るその姿は、元乗員たちの語りぐさとなっている。 戦後は復員輸送に従事した後、連合国に引き渡される。 乗組員は整備を怠らず、連合国側に「こんなにも見事に整備された艦は見たことがない。驚きだ」と言わしめた。 1947年、くじ引きで中華民国に引き渡され、「丹陽(たんよう/タンヤン)」と名を変える。 日華事変によって艦隊が壊滅し、貧弱な海軍戦力しか有していなかった中華民国にとって、日本海軍から譲渡された賠償艦は力強い即戦力だった。 そのため中華民国は「雪風」を中華民国海軍旗艦という破格の待遇で迎えたのである。 国民党が共産党に敗北した際は、艦隊を率いて台湾に逃れた。この際、蒋介石が乗艦したとされる。 なお、武装は当初は12.7cm連装砲を装備したが、後に機関不調で解体された「宵月」の長10cm連装高角砲を装備。最終的には米国式の武装が採用された。 #ref(TANYANG.JPG) 以後、「[[雪風]]」は中華民国海軍の艦として幾度も実戦に参加、中華人民共和国のコルベットも撃沈している。外交でもフィリピンを訪問した経験がある。 雪風は1964年12月の観艦式でその姿を確認されているが、艦齢が20年を過ぎたこともあり、速力が29ノットに低下するなど、老朽化に苦しんでいた。 #ref(Tanyang2.jpg) そして、1965年12月16日に退役。翌66年11月16日に除籍される。 除籍後も訓練艦として活用されていたが、1969年に暴風雨で艦艇を損傷。解体が決定する。 この時、元乗員を中心とする「雪風保存会」などの活動により、日本への返還(正確には譲渡)が実現寸前だったと言われている。 台風での損傷はその矢先の出来事だった。あらゆる戦禍から雪風を救った幸運も、自然の力には敵わなかったのだ。 こうして雪風は、終に故郷に還ることなく、幸運と波乱に満ちた29年の生涯に幕を閉じた。 解体は1971年までに完了し、中華民国政府からに舵輪と錨が返還された。 現在、舵輪は江田島の海軍兵学校教育参考館に、錨は同館の庭に展示されている。この他、スクリューが台湾海軍士官学校に展示されている。 なお、台湾では「雪風/丹陽」はかなりの人気艦だったりする。日本でいうところの「三笠」的ポジションであろうか。 雪風の活動や第二水雷戦隊のお話を知りたい人は、こちらのNHKが制作した [証言記録 兵士たちの戦争] “鼠”輸送を命じられた精鋭部隊 ~駆逐艦・第二水雷戦隊~ http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210055_00000 を見てみるのもいいだろう。 ---- &table_color(table2,#ddd){} |>|>|~艦歴| |>|>|大日本帝国海軍| |発注|>|第三次海軍軍備補充計画甲型駆逐艦第24号艦| |起工|1938年08月02日|於佐世保海軍工廠| |命名|1939年01月20日|陽炎型第八番艦“雪風”と命名| |進水|1939年03月24日|| |就役|1940年01月20日|第16駆逐隊へ編入| ||1941年12月11日|レガスピー攻略作戦に参加| ||1942年02月27日|スラバヤ沖海戦に参加| ||1942年06月05日|ミッドウェー作戦に参加| ||1942年08月24日|第二次ソロモン海戦に参加| ||1942年10月26日|南太平洋海戦に参加| ||1942年11月12日|第三次ソロモン海戦に参加| ||1943年02月01日|ケ号作戦(ガダルカナル島撤退作戦)に参加| ||1943年03月02日|ビスマルク海海戦(ダンピールの悲劇)に参加| ||1943年07月12日|コロンバンガラ島沖海戦に参加| ||1944年01月11日|ヒ31船団護衛作戦に参加。同戦闘で僚艦「天津風」が大破し16駆は本艦一隻のみに| ||1944年03月20日|第16駆逐隊が解散。第17駆逐隊へ編入| ||1944年06月19日|あ号作戦(マリアナ沖海戦)に参加| ||1944年10月23日|捷一号作戦(レイテ沖海戦)に参加| ||1944年11月29日|空母「信濃」護衛作戦に参加| ||1945年04月07日|天一号作戦(坊ノ岬沖海戦/大和特攻)に参加。17駆所属艦は本艦以外、全て戦没| ||1945年08月15日|残存駆逐艦と共に第41駆逐隊へ編入| ||1945年08月26日|第一予備艦へ種別変更| ||1945年09月15日|米軍への引き渡しを実施。同日、特別輸送艦へ種別変更| |除籍|1945年10月15日|海軍解体に伴い第二復員省所属艦へ| ||1945年12月20日|旧舞鶴海軍工廠にて武装解除| ||1946年02月11日|特別輸送艦「雪風」として再就役| |引渡|1946年12月30日|連合軍引き渡しのため特別保管艦へ種別変更| ||1947年07月03日|賠償艦隊を率いて上海に入港| |>|>|中華民国海軍| ||1947年07月06日|中華民国海軍へ編入| |改名|1948年05月01日|“丹陽”と改名され、中華民国海軍旗艦となる| |||国共内戦激化に伴い、上海より台湾の基隆へと脱出| ||1958年09月02日|九二海戦(料羅湾海戦)に参加| ||1959年08月03日|人民解放軍艦艇と交戦。一隻を撃沈する| |除籍|1966年11月16日|訓練艦へ種別変更| ||1969年8月頃|暴風雨の直撃を受け、艦底を破損| ||1971年12月08日|舵輪と錨が日本へ返還される| ||1971年12月31日|解体完了| ---- *~幸運艦雪風伝説~(2ch本スレの内容を一部改変、元ネタを記載) ---- #ref(Yukikaze2.jpg) ①同じ駆逐艦隊での撤収作業なら大丈夫だろうと思っていたら、自分以外の駆逐艦が大破・沈没していった。 ②空母から「怪しいから調べに行って」と言われ、見に行ったけどたぶん漁船だろうと戻ったら護衛してた空母が沈んでた。 ③ロケット弾を被弾し大破かと思ったら、不発だったため沈むことはなかった。 ④艦底に魚雷が命中したと思ったら通り過ぎて行った為に事なきをえるが、他の艦がその分余計にくらって沈んでいった。 ⑤米潜水艦を発見して代わりに攻撃に行ってもらったら、身代わりになって大破、漂流してた。 ⑥更に沈没した艦の救助を代わりに行ってもらったら、その艦も空襲で撃沈されてた。 ⑦それで別の艦の救助活動に行ったら、その前に大爆発して既に沈んでた。 ⑧海戦に参加するはずだったがスクリューを損傷、やむを得ず船団護衛に回るもその海戦で日本軍は大敗、負け戦に。 ⑨工作艦「明石」から修理を受けてる最中にも襲撃されるが回避行動をとり無事。ただし近くにいた重巡「[[妙高]]」が死傷者発生の大惨事。 ⑩雪風が参加した任務の1/3は誤認が発生する。しかも「夜間」ほど危ない。双眼鏡を持っているのはそのためかもしれない。 ⑪雪風が随伴する軍艦の大破・沈没確率が150%。無事でも次で必ず大破・沈没にあう確率が50%の意味。 ⑫「そんな危険な訳がない」といって開戦時から僚艦であり続けた「[[時津風]]」が、結局被弾し沈没していた。 ⑬「新鋭空母なら問題ない」と「[[雪風]]」を護衛につけた「[[翔鶴]]」がフルボッコにされて帰ってきた。 ⑭「お前もうくんな」と同型の陽炎型駆逐艦隊からも嫌われつつも合流するが、やっぱり雪風以外が全て沈む。 ⑮呉軍港が大空襲を受けた時に「[[雪風]]」にだけ何故か攻撃が当たらなかった。 ⑯宮津湾で空襲回避中、「[[雪風]]」が起動した「回数機雷」で後ろを航行していた「[[初霜]]」が大破擱座。 ⑰雪風が護衛する艦隊の敵弾被弾率は約120%。うち20%が味方の誤射で雪風が被弾する分。 ⑱「武勲艦」「幸運艦」といわれたが、「他の艦の船運を喰らう艦」や「死神」とも言われ嫌われてもいた。 ⑲その幸運を買われ、駆逐艦なのに中華民国海軍旗艦にまで選ばれ、米軍の高角砲まで設置された。 ⑳丹陽として働いて合計艦齢28年のくせに中国軍艦艇と戦って大戦果をあげる。 &u(){&bold(){これらは[[ヨハネスブルグのガイドライン>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B0]]をもじったネタである。}}説明するまでもなく(説明するけど)雪風の幸運を茶化したネタなので真に受けない様に。 &bold(){説明①}ガダルカナル島撤収作戦のこと。実際は出撃する20隻の駆逐艦の半分の沈没・破損を覚悟した難しい作戦だったが、沈没1隻、破損4隻の遥かに少ない被害で陸軍兵の撤収に成功した。「雪風」艦長は「危険だから駆逐艦は出せない」と難色を示した海軍司令部に対し出撃を申し出て作戦を成功させた。 &bold(){説明②}「信濃」護衛。ある作家が「信濃」を沈めた米潜「アーチャーフィッシュ」を事前に発見していたのに「雪風」が漁船と間違えたと推測した話。この推測は「アーチャーフィッシュ」の艦長の証言によって否定されている。 &bold(){説明③}宮津湾空襲。これは事実。 &bold(){説明④}坊ノ岬沖海戦。この戦いでは「雪風」以外の駆逐艦も魚雷の艦底通過が多発し、その数は「雪風」1本、「初霜」1本、「冬月」2本~5本、「磯風」8本で、「雪風」は寧ろ少ない。何故こんなに多かったかと言うと、米軍は第一目標の戦艦「[[大和]]」に当たるよう魚雷の深度を深く調整していたから。 &bold(){説明⑤}輸送船団護衛。潜水艦を発見したら船団護衛担当と潜水艦の攻撃担当を分担するのは普通の戦術。この時は「[[天津風]]」側が攻撃を買って出た。 &bold(){説明⓺}レイテ沖海戦での重巡「[[筑摩]]」の救助。これは司令部の判断ミスで、救助に向かう途中の「雪風」をわざわざ呼び戻して交替させたため、1時間以上のタイムロスが生じた。交替した駆逐艦「[[野分]]」が敵艦隊に捕捉されたのは救助活動を完了して戦場を離脱する直前だったため、戦後、「野分」搭乗員の遺族は司令部の責任を追及している。 &bold(){説明⑦}同じくレイテ沖海戦での重巡「[[鈴谷]]」の救助。正確には「鈴谷」に接舷する直前、魚雷管そばの火災に「雪風」艦長が気づき緊急離脱。九死に一生を得た。 &bold(){説明⑧}マリアナ沖海戦。「雪風」らが護衛した輸送船団は補給のため前線に呼ばれて、最前線で敵機の編隊と対空戦闘を行った。この時、低速の輸送船団と護衛の「雪風」たちは、空襲警報も退避命令も出さずに全速力で逃走した本隊に置き去りにされると言う酷い目に遭っている。 &bold(){説明⑨}南方方面作戦。実話だが、敵の空襲を警戒して修理中も機関を止めずにいつでも逃げられるようにしておいた「雪風」艦長の判断の賜物。 &bold(){説明⑩}コロンバンガラ島沖海戦で「雪風」は夜戦において初装備の逆探を使いこなし、レーダーを使っていた米艦隊より早く敵を発見した。他にも、夜間、帰路に迷った友軍機を探照灯で誘導して救助し、その働きで山本五十六に感状を送られたなど、「雪風」は夜も活躍している。 &bold(){説明⑪}「雪風」が参加した任務は100回を優に超え、そのうち味方が損傷した任務は10回程度と非常に少ない。 &bold(){説明⑫}ビスマルク海海戦。実際は計画時点で全滅が確実視され、輸送船団で発狂者が出たほど危険な作戦だった。司令部は「全滅覚悟で行け」と作戦を強行したが、輸送船8隻全てと、護衛の駆逐艦8隻中4隻が沈没という惨敗。「雪風」と共に生還した駆逐艦「[[朝雲]]」の艦長は「日本民族を滅ぼす気か!よく考えろ!」と司令部に殴り込んだ。 &bold(){説明⑬}南太平洋海戦。実際は海戦の数日前に「雪風」は「瑞鶴」の護衛担当に変更された。その「瑞鶴」は突然発生したスコールに守られ無傷。 &bold(){説明⑭}「雪風」が第十七駆逐隊に編入された時の話…と言われるが、第十七駆逐隊の面々はそれより前に「雪風」と同じ部隊で行動したことがあったので、話が矛盾している。真相は「前例のない5隻の駆逐隊になってしまうので雪風の編入をあまり歓迎しない船があった」と言う話を、数年に亘りウィキペディア各所で「雪風が原因で沈んだ」と言う印象操作をしていたある「雪風」アンチが改竄(5隻編成になるのが不満だったと言う部分を丸々カットした)してウィキペディアに掲載したことで広まったデマ。 &bold(){説明⑮}呉空襲。「雪風」の隣にいた「磯風」など他にも無傷だった船はいた。攻撃が当たらなかったのも「雪風」が約1万発の機銃弾を発砲して奮闘したから。これは隣で戦っていた「磯風」の3倍の弾幕で、港に繋がれて動けなかったにも拘わらず3機撃墜した。ただその後「弾の使い過ぎ」と叱られた。 &bold(){説明⑯}本当は終戦後の1945年8月18日の話で、「雪風」の後ろを航行していたのは擱座した「初霜」ではなく潜水母艦「長鯨」。「雪風」が起動させた機雷が2隻のちょうど中間で遅れて爆発したため2隻とも無事だったと言う、正反対の幸運エピソード。 &bold(){説明⑰}だから「雪風」が参加した100回の任務で味方が損傷したのは10回程度と(以下略)。 &bold(){説明⑱}「武勲艦」「幸運艦」と呼ばれた証言は山の様にあるが、「他の艦の船運を喰らう艦」「死神」と呼ばれた証言は全く見つかっていない。この話自体、確認される最古の資料が「空想歴史読本」や「ガンダム「一年戦争史」」の著者が2000年頃に書いた本のため、近年の創作を疑われている。 &bold(){説明⑲~⑳}戦後賠償艦として中華民国(台湾)に譲渡された話。本当だが、旗艦となった理由は艦の状態が良かった、当時の台湾海軍で最大の船だったなど、幾つかある。 また2ちゃんねるでは次のようなコピペも広まった…が&bold(){やはりネタである}&u(){}。 雪風と同じ作戦に参加、または同海域にて撃沈、撃破及び自沈処分された艦達(「[[雪風]]」が処分していない艦も含めている事に注意) 沈没順に記載 空母(9隻):[[蒼龍]]、[[加賀]]、[[飛龍]]、[[赤城]]、[[龍驤]]、[[翔鶴]]、[[大鳳]]、[[飛鷹]]、[[信濃]] 戦艦(4隻):[[比叡]]、[[霧島]]、[[武蔵]]、[[大和]] 重巡(6隻):[[三隈]]、[[摩耶]]、[[愛宕]]、[[鳥海]]、[[筑摩]]、[[鈴谷]] 軽巡(2隻):[[能代]]、[[矢矧]] 駆逐(18隻):[[暁]]、[[夕立]]、[[綾波]]、[[白雪]]、[[時津風]]、[[夕暮]]、[[清霜]]、[[初風]]、[[巻波]]、[[谷風]]、[[野分]]、[[早霜]]、[[浦風]]、[[浜風]]、[[霞]]、[[磯風]]、[[朝霜]]、[[初霜]] その他:輸送船8隻、油槽船2隻、潜水艦8隻 計:&bold(){57隻} &bold(){真相}&u(){} &bold(){①ミッドウェー海戦で沈没した蒼龍、加賀、飛龍、赤城、三隈}  雪風は後方の輸送船団の護衛だったので、全然別の海域にいたこれらの艦艇の被害とは関係ない。 &bold(){②マリアナ沖海戦で沈没した翔鶴、大鳳、飛鷹}  同じく、雪風は後方の輸送船団の護衛だったので、以下同文。 &bold(){③レイテ沖海戦で沈没した武蔵、愛宕、摩耶、早霜、野分}  雪風は武蔵、愛宕、摩耶と別の部隊で、この3隻が沈んだ時は別の船を護衛していた。  早霜、野分は救助活動のため部隊から分離した後沈んだため、雪風とは別行動だった。 &bold(){④第二次ソロモン海戦で沈没した龍驤} &bold(){⑤第三次ソロモン海戦第二夜戦で沈没した霧島、綾波} &bold(){⓺ブーゲンヒル沖海戦で沈没した初風} &bold(){⑦トラック泊地哨戒任務中に沈没した谷風} &bold(){⑧礼号作戦で沈没した清霜}  ④~⑧の戦闘、作戦に雪風は参加していないので、こじつけどころか濡れ衣。 一方で、コロンバンガラ島沖海戦で沈んだ神通、ビスマルク海海戦で沈んだ[[朝潮]]、[[荒潮]]など抜けも結構ある。まあ所詮2ちゃんねるのネタだ。 艦隊これくしょん的に悲惨なのは「嘘を嘘と見抜けなかった人」の中に雪風をデザインした人が含まれていた事だろう。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|陽炎型駆逐艦8番艦、雪風です。&br()どうぞ、よろしくお願いしますっ!| | |秘書クリック会話①|はい、頑張ります!|| |秘書クリック会話②|なんでしょう、司令官?|| |秘書クリック会話③|あの、雪風に何か、御用でしょうか?|| |戦績表示時|しれぇ、通信が入っています|| |編成選択時|雪風、いつでも出撃出来ます!|就役から終戦まで1度も大規模修理を行ったことがない| |装備時①|しれぇ、ありがとうございます!|| |装備時②|幸運の女神のキスを感じちゃいます!|強運艦と言われた為| |装備時③|絶対、大丈夫!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|雪風、修理に入りますね|| |ドック入り(重傷)|再び作戦に参加するための修理です|| |建造時|新しい仲間が進水しました|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投致しました!|| |出撃時|連合艦隊の出撃です!|実は「雪風」は駆逐艦ながら3日間だけ第八艦隊の旗艦を努めたことがある| |戦闘開始時|雪風は沈みません!|終戦まで生き残った為。元空母飛鷹艦爆隊に所属していた豊田穣の著書「雪風ハ沈マズ」からの可能性高し| |攻撃時|艦隊を御守りします|そいつが&bold(){全て}沈んでいる。数多くの仲間が沈むところを見てきた雪風は、今度こそ仲間を護ろうと奮戦するのだ| |夜戦開始時|砲雷撃戦、続行します|| |夜戦攻撃時|沈む訳にはいきません|※ただしゲームシステムには逆らえない| |MVP時|雪風、また生還しました。司令のおかげですね|「雪風」艦長の神がかった操舵技術も幸運の中の一つである| |被弾小破時|不沈艦の名はっ…伊達じゃないのですっ!!|その活躍ぶりから、海自の護衛艦の1番艦の艦名に抜粋された| |被弾時|きゃあ!至近弾です!|直撃こそ喰らわないものの、被弾するときは大抵至近弾であった| |被弾カットイン|むぅー、でも、し、沈みませんから|他の艦娘と比べて装備の破損が少ないのは、数多くの戦場で闘いながらも小破程度の損害しか負わなかったが故か| |撃沈時(反転)|COLOR(white):不沈艦なんて…この世にないのね…|COLOR(white):幾多の戦場に出撃し、不沈艦のごとくほぼ無傷で終戦まで生き残った| ---- *同型艦 [[陽炎]] ― [[不知火]] ― [[黒潮]] ― 親潮 ― 早潮 ― 夏潮 ― [[初風]] ― &bold(){雪風} ― [[天津風]] ― [[時津風]] ― [[浦風]] ― [[磯風]] ― [[浜風]] ― [[谷風]] ― [[野分]] ― 嵐 ― 萩風 ― [[舞風]] ― [[秋雲]] ---- *外部リンク -[[Wikipedia:雪風 (駆逐艦)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)]] ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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