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「飛鷹」(2015/12/20 (日) 09:26:56) の最新版変更点
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|~改装後|
|&ref(No065改.jpg)|
#contents()
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*CV
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大坪由佳
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*Illustrator
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くーろくろ
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*史実情報
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日本政府は、有事に際して高性能客船の徴用数を確保すべく、1937年に「優秀船舶建造助成施設」という政策を行っていた。
この政策に続き、海軍は戦時に「軍艦へと改造できる」客船の数を確保すべく、1938年に「大型優秀船舶建造助成施設」という政策を打ち出した。
これは3か月以内に軍艦に改造できる設計をする、という条件で、建造費の6割を補助し、大型客船を建造させるというものだった。
海軍は13年以降4ヵ年に総トン数26,000トン以上、速力24ノット以上の条件で大型客船2隻の建造を日本郵船に命じた。
1940年に開催予定であった東京オリンピックに向けて、サンフランシスコ航路の大型客船が必要とされていた時期でもあった。
当初日本郵船は、助成額の減額や採算が合わないことを理由に建造を渋ったが、海軍側に押し切られる形で豪華客船「橿原丸」と「出雲丸」の建造が始まった。
二隻は客船でありながら軍艦としての設計を施されており、機関室両舷の二重船殻構造、船体の上層縦強力材に特殊鋼の使用、日本商船では初めてバルバス・バウが採用された。
順調に工事が進む2隻であったが、欧州大戦の過熱化、日華事変の深刻化に伴う米国の大型空母増産に対抗すべく、1940年10月に空母への改造に移った。
この時点で、2隻は上甲板まで完成していた。また、同時期に「優秀船舶~」で建造された船舶も、一部徴用されている。
出雲丸は&bold(){飛鷹}、橿原丸は[[隼鷹]]と名を変え、それぞれ川崎造船所と三菱造船所でそのまま改造が始まった。
飛鷹型の外見的特徴として、後に[[大鳳]]や[[信濃]]にも採用された、煙突と一体化した艦橋設備が挙げられる。
煙突一体型の艦橋は、欧米の空母では既に取り入れられていたが、日本の空母では初めての例だった。
煙突は外側へ傾斜をつけており、長年の課題だった排煙による気流の乱れを解消した。また、建造中だった[[大鳳]]の事前実験的意味合いもあった。
格納庫は二層上下四区画とし、格納庫両側の舷側寄りに通路と居住区が設けられた。客船ならば客室となるところである。
艦載機は戦闘機21機、艦爆18機、艦攻9機の合計48機と補用機が5機であり、機数では[[蒼龍]]、[[飛龍]]に匹敵する。
また、船体も大型客船ということもあり215mと正規中型空母と同等のものだった。
一方で、防御能力は蒼龍型に次ぐ装甲を装備したものの、如何せん元客船だったこともあり、防御区画の数が不十分であったともいう。
機関は高性能なものが搭載され、改装後は25ノットと、空母としては最低限必要な速力を発揮しえた。この速力が、飛鷹型と他の商船改造空母との命運を分けたとも言える。
とは言え元々が高速巡航を求められる定期客船のため、巡航速度だけは通常の軍艦よりも3~4ktほど高かった。
#image(jpn-kashiwaramaru.jpg)
同型船橿原丸([[隼鷹]])の竣工予想図。出雲丸もほぼこうなっていたであろう
&bold(){飛鷹}は1942年7月31日に工事を完了。[[隼鷹]]と共に新生第二航空戦隊を編成し、旗艦となる。
一部資料では[[隼鷹]]の方が先に竣工したこと、海軍の書類では[[隼鷹]]が一番艦とされていることから、隼鷹型と呼ばれることもある。
しかし、トラック進出直後の10月20日に機関故障を起こしてしまい、同時期の日米空母決戦や諸作戦からの離脱を余儀なくされる。
1943年には米潜水艦の雷撃を受け損傷。この後、&bold(){飛鷹}は調度品や木製品など、艦内のあらゆる可燃物を撤去した。
1944年6月19日には、マリアナ沖海戦に参加。攻撃隊を発進させるも、戦果は挙げられなかった。
翌日の20日、米機動部隊の攻撃を受け、魚雷1本が右舷後部に命中。タービンが停止し、航行不能となる。さらに艦橋後部に爆弾が命中、艦首脳部に多数の死傷者が出てしまう。
戦艦[[長門]]が空襲の合間に&bold(){飛鷹}を曳航しようとするが、再び潜水艦の攻撃を受けガソリンタンクが爆発。この衝撃で、前後のエレベーターが直上に吹き飛び、元の位置に落ちて戻ったという。
&bold(){飛鷹}は不幸なことに消火ポンプが故障しており、艦首脳部は復旧を断念。夕日の中で粛々と総員退艦が行われ、生存者は駆逐艦[[満潮]]らに移乗した。
その後、&bold(){飛鷹}は左舷に傾斜すると、艦尾から沈んでいった。
尚、本人は活躍したと言っているが、活躍したのはどちらかというと[[隼鷹]]である。
余談だが、最近話題に上った%%空母%%護衛艦「いずも」は帝国海軍の装甲巡洋艦「出雲」(艦これ未登場)の名を継いだ艦船である。
出雲丸さんは関係ないので座っててください。
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|>|>|~艦歴|
|発注|>|日本郵船橿原丸級貨客船二番船“出雲丸”|
|起工|1939年11月30日|於神戸川崎造船所|
||1940年10月|航空母艦への改造を決定|
|発注|>|買収第1001番艦|
||1940年11月08日|第1001番艦へ名称変更|
||1940年11月30日|空母化改造工事に着手|
||1941年01月21日|海軍、橿原丸級2隻の買収を決定|
||1941年02月10日|買収第1001番艦として海軍が購入|
|進水|1941年06月24日|飛鷹型航空母艦一番艦&bold(){“飛鷹”}と命名|
|竣工|1942年07月31日|呉鎮守府所属。第三艦隊第二航空戦隊に編入|
||1942年08月12日|第三艦隊第二航空戦隊旗艦となる|
||1942年10月23日|主機関故障により戦線離脱。同26日の南太平洋海戦には参加せず|
||1943年04月01日|い号作戦に参加|
||1944年06月19日|マリアナ沖海戦に参加|
|沈没|1944年06月20日|魚雷2本、爆弾1発が命中。マリアナ諸島西方で沈没|
|除籍|1945年11月10日||
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*台詞一覧
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|~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|名前は出雲ま…じゃなかった、飛鷹です。航空母艦よ。よろしくね、提督!|貨客船「出雲丸」を建造途中に改造したことから|
|秘書クリック会話①|何? 忙しいのよ……||
|秘書クリック会話②|ちょうどよかったわ、艦載機の整備を手伝って。何気に数が多くって……|史実でも「蒼龍」に匹敵する航空機搭載能力を持つ|
|秘書クリック会話③|そんなに暇なら、エレベーターの油圧の具合を見てよ。調子悪いったら……|魚雷の被弾によりエレベーターが上空に飛び上がったというエピソードから|
|戦績表示時|提督に連絡があるみたい、何かなー||
|編成選択時|さあ、飛鷹型航空母艦の出撃よ!||
|装備時①|なになに? パワーアップ? いいわね~||
|装備時②|私もともと民間の客船になるはずだったのにぃー。まあいっか|上記の商船改造エピソード。建造の際、戦時には改造されることを条件に政府の資金援助を受けていた|
|装備時③|やっるぅ~||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|入渠してる暇なんか、ないのに|南太平洋海戦を前にして機関故障により艦隊を離脱、同海戦に参加できなかった|
|ドック入り(重傷)|ドック入りぃ!? ……もぅドックは飽きたなぁ……||
|建造時|ちょうど進水した船があるわよ||
|艦隊帰投時|作戦、完了ですってぇー||
|出撃時|さあ、飛鷹型航空母艦の出撃よ! &br()次はどこ? アリューシャン方面?| &br()竣工直前に行われたアリューシャン列島方面の攻略戦(姉妹艦の隼鷹などが参加していた)を意識したものか|
|戦闘開始時|攻撃隊、発艦開始!||
|航空戦開始時|攻撃隊、発艦開始! &br()多少防御力が弱くったってぇ~っ!||
|攻撃時|全機爆装! さあ、飛び立って! &br()さあ、ミッドウェーの仇を取るわよ!| &br()飛鷹はミッドウェー後、「蒼龍」「飛龍」を喪った第二航空戦隊の旗艦を務めた|
|夜戦開始時|さあ、ミッドウェーの仇を取るわよ!||
|MVP時|どう? 改装空母だって、甘くないでしょ? 私たち、結構やれるんだから||
|被弾小破①|あぁんっ!||
|被弾小破②|飛行甲板に火……!? 消火ポンプ、急いで!|次項参照|
|被弾カットイン|消火ポンプが故障って……どういうことよ……!?|消火ポンプの故障で鎮火ができず、沈没を余議なくされた最期から|
|撃沈時(反転)|COLOR(white):火災鎮火は、……無理か。私も逝くのね|COLOR(white):同上|
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*コメント
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*関連ページ
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|~改装後|
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*CV
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大坪由佳
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*Illustrator
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くーろくろ
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*史実情報
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#ref(Hiyo.jpg)
日本政府は、有事に際して高性能客船の徴用数を確保すべく、1937年に「優秀船舶建造助成施設」という政策を行っていた。
この政策に続き、海軍は戦時に「軍艦へと改造できる」客船の数を確保すべく、1938年に「大型優秀船舶建造助成施設」という政策を打ち出した。
これは3か月以内に軍艦に改造できる設計をする、という条件で、建造費の6割を補助し、大型客船を建造させるというものだった。
海軍は13年以降4ヵ年に総トン数26,000トン以上、速力24ノット以上の条件で大型客船2隻の建造を日本郵船に命じた。
1940年に開催予定であった東京オリンピックに向けて、サンフランシスコ航路の大型客船が必要とされていた時期でもあった。
当初日本郵船は、助成額の減額や採算が合わないことを理由に建造を渋ったが、海軍側に押し切られる形で豪華客船「橿原丸」と「出雲丸」の建造が始まった。
二隻は客船でありながら軍艦としての設計を施されており、機関室両舷の二重船殻構造、船体の上層縦強力材に特殊鋼の使用、日本商船では初めてバルバス・バウが採用された。
順調に工事が進む2隻であったが、欧州大戦の過熱化、日華事変の深刻化に伴う米国の大型空母増産に対抗すべく、1940年10月に空母への改造に移った。
この時点で、2隻は上甲板まで完成していた。また、同時期に「優秀船舶~」で建造された船舶も、一部徴用されている。
出雲丸は&bold(){飛鷹}、橿原丸は[[隼鷹]]と名を変え、それぞれ川崎造船所と三菱造船所でそのまま改造が始まった。
飛鷹型の外見的特徴として、後に[[大鳳]]や[[信濃]]にも採用された、煙突と一体化した艦橋設備が挙げられる。
煙突一体型の艦橋は、欧米の空母では既に取り入れられていたが、日本の空母では初めての例だった。
煙突は外側へ傾斜をつけており、長年の課題だった排煙による気流の乱れを解消した。また、建造中だった[[大鳳]]の事前実験的意味合いもあった。
格納庫は二層上下四区画とし、格納庫両側の舷側寄りに通路と居住区が設けられた。客船ならば客室となるところである。
艦載機は戦闘機21機、艦爆18機、艦攻9機の合計48機と補用機が5機であり、機数では[[蒼龍]]、[[飛龍]]に匹敵する。
また、船体も大型客船ということもあり215mと正規中型空母と同等のものだった。
一方で、防御能力は蒼龍型に次ぐ装甲を装備したものの、如何せん元客船だったこともあり、防御区画の数が不十分であったともいう。
機関は高性能なものが搭載され、改装後は25ノットと、空母としては最低限必要な速力を発揮しえた。この速力が、飛鷹型と他の商船改造空母との命運を分けたとも言える。
とは言え元々が高速巡航を求められる定期客船のため、巡航速度だけは通常の軍艦よりも3~4ktほど高かった。
#image(jpn-kashiwaramaru.jpg)
同型船橿原丸([[隼鷹]])の竣工予想図。出雲丸もほぼこうなっていたであろう
&bold(){飛鷹}は1942年7月31日に工事を完了。[[隼鷹]]と共に新生第二航空戦隊を編成し、旗艦となる。
一部資料では[[隼鷹]]の方が先に竣工したこと、海軍の書類では[[隼鷹]]が一番艦とされていることから、隼鷹型と呼ばれることもある。
しかし、トラック進出直後の10月20日に機関故障を起こしてしまい、同時期の日米空母決戦や諸作戦からの離脱を余儀なくされる。
1943年には米潜水艦の雷撃を受け損傷。この後、&bold(){飛鷹}は調度品や木製品など、艦内のあらゆる可燃物を撤去した。
1944年6月19日には、マリアナ沖海戦に参加。攻撃隊を発進させるも、戦果は挙げられなかった。
翌日の20日、米機動部隊の攻撃を受け、魚雷1本が右舷後部に命中。タービンが停止し、航行不能となる。さらに艦橋後部に爆弾が命中、艦首脳部に多数の死傷者が出てしまう。
戦艦[[長門]]が空襲の合間に&bold(){飛鷹}を曳航しようとするが、再び潜水艦の攻撃を受けガソリンタンクが爆発。この衝撃で、前後のエレベーターが直上に吹き飛び、元の位置に落ちて戻ったという。
&bold(){飛鷹}は不幸なことに消火ポンプが故障しており、艦首脳部は復旧を断念。夕日の中で粛々と総員退艦が行われ、生存者は駆逐艦[[満潮]]らに移乗した。
その後、&bold(){飛鷹}は左舷に傾斜すると、艦尾から沈んでいった。
尚、本人は活躍したと言っているが、活躍したのはどちらかというと[[隼鷹]]である。
余談だが、最近話題に上った%%空母%%護衛艦「いずも」は帝国海軍の装甲巡洋艦「出雲」(艦これ未登場)の名を継いだ艦船である。
出雲丸さんは関係ないので座っててください。
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&table_color(table1,#ddd){}
|>|>|~艦歴|
|発注|>|日本郵船橿原丸級貨客船二番船“出雲丸”|
|起工|1939年11月30日|於神戸川崎造船所|
||1940年10月|航空母艦への改造を決定|
|発注|>|買収第1001番艦|
||1940年11月08日|第1001番艦へ名称変更|
||1940年11月30日|空母化改造工事に着手|
||1941年01月21日|海軍、橿原丸級2隻の買収を決定|
||1941年02月10日|買収第1001番艦として海軍が購入|
|進水|1941年06月24日|飛鷹型航空母艦一番艦&bold(){“飛鷹”}と命名|
|竣工|1942年07月31日|呉鎮守府所属。第三艦隊第二航空戦隊に編入|
||1942年08月12日|第三艦隊第二航空戦隊旗艦となる|
||1942年10月23日|主機関故障により戦線離脱。同26日の南太平洋海戦には参加せず|
||1943年04月01日|い号作戦に参加|
||1944年06月19日|マリアナ沖海戦に参加|
|沈没|1944年06月20日|魚雷2本、爆弾1発が命中。マリアナ諸島西方で沈没|
|除籍|1945年11月10日||
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*台詞一覧
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&table_color(table2,#ddd){}
|~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|名前は出雲ま…じゃなかった、飛鷹です。航空母艦よ。よろしくね、提督!|貨客船「出雲丸」を建造途中に改造したことから|
|秘書クリック会話①|何? 忙しいのよ……||
|秘書クリック会話②|ちょうどよかったわ、艦載機の整備を手伝って。何気に数が多くって……|史実でも「蒼龍」に匹敵する航空機搭載能力を持つ|
|秘書クリック会話③|そんなに暇なら、エレベーターの油圧の具合を見てよ。調子悪いったら……|魚雷の被弾によりエレベーターが上空に飛び上がったというエピソードから|
|戦績表示時|提督に連絡があるみたい、何かなー||
|編成選択時|さあ、飛鷹型航空母艦の出撃よ!||
|装備時①|なになに? パワーアップ? いいわね~||
|装備時②|私もともと民間の客船になるはずだったのにぃー。まあいっか|上記の商船改造エピソード。建造の際、戦時には改造されることを条件に政府の資金援助を受けていた|
|装備時③|やっるぅ~||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|補給時|補給、大事に使わせていただきます||
|ドック入り|入渠してる暇なんか、ないのに|南太平洋海戦を前にして機関故障により艦隊を離脱、同海戦に参加できなかった|
|ドック入り(重傷)|ドック入りぃ!? ……もぅドックは飽きたなぁ……||
|建造時|ちょうど進水した船があるわよ||
|艦隊帰投時|作戦、完了ですってぇー||
|出撃時|さあ、飛鷹型航空母艦の出撃よ! &br()次はどこ? アリューシャン方面?| &br()竣工直前に行われたアリューシャン列島方面の攻略戦(姉妹艦の隼鷹などが参加していた)を意識したものか|
|戦闘開始時|攻撃隊、発艦開始!||
|航空戦開始時|攻撃隊、発艦開始! &br()多少防御力が弱くったってぇ~っ!||
|攻撃時|全機爆装! さあ、飛び立って! &br()さあ、ミッドウェーの仇を取るわよ!| &br()飛鷹はミッドウェー後、「蒼龍」「飛龍」を喪った第二航空戦隊の旗艦を務めた|
|夜戦開始時|さあ、ミッドウェーの仇を取るわよ!||
|MVP時|どう? 改装空母だって、甘くないでしょ? 私たち、結構やれるんだから||
|被弾小破①|あぁんっ!||
|被弾小破②|飛行甲板に火……!? 消火ポンプ、急いで!|次項参照|
|被弾カットイン|消火ポンプが故障って……どういうことよ……!?|消火ポンプの故障で鎮火ができず、沈没を余議なくされた最期から|
|撃沈時(反転)|COLOR(white):火災鎮火は、……無理か。私も逝くのね|COLOR(white):同上|
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*コメント
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最新の30コメントを表示しています。
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