九六式艦戦

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|CENTER:|CENTER:|CENTER:|CENTER:|CENTER:|c |BGCOLOR(#e5d9c6):&ref(装備19.jpg)|>|>|>|種類:艦上戦闘機| |~|>|>|>|| |~|>|>|>|&bold(){スペック}| |~|>|対空:+2|>|    | |~|>|    |>|    | |~|>|    |>|    | |~|>|>|>|| |~|>|>|>|&bold(){装備可能艦種}| |~|駆逐|軽巡|重巡|戦艦| |~|BGCOLOR(cyan):軽母|空母BGCOLOR(cyan):戦艦|水母|航戦| |~|雷巡|航巡|潜水|潜母| 初期装備艦娘:飛鷹型 #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *ゲーム内情報 ---- 図鑑紹介 旧式の艦上戦闘機です。 ゼロ戦より前に実戦配備された旧型機ですが、優れた格闘戦能力を持っています。 武装や航続力、速度の点では既に二線級ではありますが、防空戦闘には活用可能です。 #br() 性能的にはやはり物足りないため、開発で[[零式艦上戦闘機二一型]]を開発し、代替するのが良いと思われる。 ---- *史実情報 ---- 零式艦上戦闘機、雷電、烈風の開発者である堀越二郎技師の出世作として有名な機体。 原型機は1934年に海軍の『九試単座戦闘機』コンペティションに応募した試作機であり、日本海軍の戦闘機としては初めて低翼単葉の全金属戦闘機である。 その速度性能は当時の主力戦闘機である九五式艦上戦闘機を約100km近く引き離す高速を示している。 また「単葉機は格闘戦では不利ではないか」との関係者からの疑問を吹き飛ばす程、優秀な運動性能もその内に秘め、この機体は競合相手の中島機をおいて海軍に正式採用されたのである。 ちなみに、当時のテストパイロットは源田実海軍大尉であり、彼は九試単戦の格闘戦性能を当初疑問視する側であったが、その優れた格闘戦性能に惚れ込み、それ以降堀越技師の支持者になった。 またこの九試単戦は、2013年のスタジオ・ジブリ映画「風立ちぬ」にて開発までの話を多分に脚色込みで語られ、逆ガル翼の試作一号機が空を舞う描写が描かれている。 正式配備が行われたのは2年後の1936年で、逆ガル翼ではなく通常の楕円翼形態の試作ニ号機をベースとした量産型が配備された。 空気抵抗を抑える沈頭鋲、フラップ機構の採用などが行われた革新的な機体ながら、その一方で非力なエンジン出力を補うべく徹底した軽量化を行い、機構の面倒な主脚引き込み機構を搭載しなかった。 しかし武装面が従来通りの7.7mm機銃2丁とやや貧弱なのが玉に瑕であった。 なお堀越二郎技師本人は零戦以上の会心作と本機を評している。 初陣は日華事変であり、どちらかと言うと艦上機と言うより陸上機としての活躍のほうが有名だった。 艦上機としての活躍は[[加賀]]搭載機による渡洋爆撃隊の護衛と、中国空軍機の駆逐エピソードなどがある。 若き日の『大空のサムライ』坂井三郎も中国の空で九六式艦上戦闘機を駆り、戦闘機1、爆撃機1を仕留めている。 しかし、日華事変が進行するにつれ、徐々に攻撃力不足と航続力不足の問題が露呈しはじめ、徐々に本機はこれらの欠点を解消した零戦に置き換えられて行った。 太平洋戦争では完全に能力不足の二線級機の本機であったが、緒戦では零戦の配備数が足りないことから、軽空母や基地航空隊を中心に戦争中期まで使用されていた。 戦争後期には練習機として運用され、終戦まで務め上げている。 なお余談だが、ゲーム内に登場する九六式艦上戦闘機は、おそらく民間からの献金によって製造された『報国機』と呼ばれる機体である。 #br ----
|CENTER:|CENTER:|CENTER:|CENTER:|CENTER:|c |BGCOLOR(#e5d9c6):&ref(装備19.jpg)|>|>|>|種類:艦上戦闘機| |~|>|>|>|| |~|>|>|>|&bold(){スペック}| |~|>|対空:+2|>|    | |~|>|    |>|    | |~|>|    |>|    | |~|>|>|>|| |~|>|>|>|&bold(){装備可能艦種}| |~|駆逐|軽巡|重巡|戦艦| |~|BGCOLOR(cyan):軽母|BGCOLOR(cyan):空母|水母|航戦| |~|雷巡|航巡|潜水|潜母| 初期装備艦娘:飛鷹型 #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *ゲーム内情報 ---- 図鑑紹介 旧式の艦上戦闘機です。 ゼロ戦より前に実戦配備された旧型機ですが、優れた格闘戦能力を持っています。 武装や航続力、速度の点では既に二線級ではありますが、防空戦闘には活用可能です。 #br() 性能的にはやはり物足りないため、開発で[[零式艦上戦闘機二一型]]を開発し、代替するのが良いと思われる。 ---- *史実情報 ---- 零式艦上戦闘機、雷電、烈風の開発者である堀越二郎技師の出世作として有名な機体。 #ref(A5M.jpg) 原型機は1934年に海軍の『九試単座戦闘機』コンペティションに応募した試作機であり、日本海軍の戦闘機としては初めて低翼単葉の全金属戦闘機である。 その速度性能は当時の主力戦闘機である九五式艦上戦闘機を約100km近く引き離す高速を示している。 また「単葉機は格闘戦では不利ではないか」との関係者からの疑問を吹き飛ばす程、優秀な運動性能もその内に秘め、この機体は競合相手の中島機をおいて海軍に正式採用されたのである。 ちなみに、当時のテストパイロットは源田実海軍大尉であり、彼は九試単戦の格闘戦性能を当初疑問視する側であったが、その優れた格闘戦性能に惚れ込み、それ以降堀越技師の支持者になった。 またこの九試単戦は、2013年のスタジオ・ジブリ映画「風立ちぬ」にて開発までの話を多分に脚色込みで語られ、逆ガル翼の試作一号機が空を舞う描写が描かれている。 正式配備が行われたのは2年後の1936年で、逆ガル翼ではなく通常の楕円翼形態の試作ニ号機をベースとした量産型が配備された。 空気抵抗を抑える沈頭鋲、フラップ機構の採用などが行われた革新的な機体ながら、その一方で非力なエンジン出力を補うべく徹底した軽量化を行い、機構の面倒な主脚引き込み機構を搭載しなかった。 しかし武装面が従来通りの7.7mm機銃2丁とやや貧弱なのが玉に瑕であった。 なお堀越二郎技師本人は零戦以上の会心作と本機を評している。 初陣は日華事変であり、どちらかと言うと艦上機と言うより陸上機としての活躍のほうが有名だった。 艦上機としての活躍は[[加賀]]搭載機による渡洋爆撃隊の護衛と、中国空軍機の駆逐エピソードなどがある。 若き日の『大空のサムライ』坂井三郎も中国の空で九六式艦上戦闘機を駆り、戦闘機1、爆撃機1を仕留めている。 しかし、日華事変が進行するにつれ、徐々に攻撃力不足と航続力不足の問題が露呈しはじめ、徐々に本機はこれらの欠点を解消した零戦に置き換えられて行った。 太平洋戦争では完全に能力不足の二線級機の本機であったが、緒戦では零戦の配備数が足りないことから、軽空母や基地航空隊を中心に戦争中期まで使用されていた。 戦争後期には練習機として運用され、終戦まで務め上げている。 なお余談だが、ゲーム内に登場する九六式艦上戦闘機は、おそらく民間からの献金によって製造された『報国機』と呼ばれる機体である。 #br ----

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