高雄

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#image(No059.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 東山奈央 ---- *史実情報 ---- #image(IJN_Heavy_Cruiser_Takao.jpg) [[妙高]]型に続く重巡洋艦として、妙高型を発展改良した形で設計が行われたのが高雄型である。設計は藤本喜久雄造船官。 [[妙高]]型の居住性の悪さと艦隊指揮能力の低さ、各種不具合の解消を主目的として設計がなされている。 なお、1番艦高雄と2番艦[[愛宕]]の艦名は、廃案となった八八艦隊計画の天城型巡洋戦艦3,4番艦に本来付けられる艦名を継承したものである。 高雄型最大の特徴は巨大な艦橋で、艦隊指揮能力の拡張や戦闘指揮能力の増加、さらに艦橋を煙突基部まで後退させ、バイタルパート短縮を狙った為であった。 そのため高雄型は戦艦並み、もしくはそれ以上の指揮能力を有したのである。(その裏付けが高雄型の旗艦率の高さとなっている) しかし斬新すぎたこの艦橋は、大型化した分被断面積が増えると各国の設計官の間ではボロクソに批判されている。 なお実際の戦闘では特に被弾が多かったということもなく、大して問題にはならなかったと言う。 主砲とレイアウトは[[妙高]]型と同様の20.3cm連装砲5基。しかし主砲が高射対空攻撃も可能になったE号砲に切り替わった。 また革新的だったのが魚雷発射管の配置で、これまで中甲板に艦体内蔵型で設置されていたが、次発装填装置の装備に伴い上部甲板に移動、通常の旋回式へと変わった。 この変更は大成功で、不具合の指摘されていた[[妙高]]型だけでなく、古鷹・青葉型も近代化改装時に順次変更している。 このように日本重巡の決定版となった高雄型だが、藤本喜久雄設計に共通する重心の悪化、強度の問題を抱えていた(藤本氏が軍令部の要求する重武装化に可能な限り応えた為)。 後に、高雄と愛宕は艦橋の縮小を行い、重心改善に努めている。 高雄は1番艦として、1927年4月28日に横須賀海軍工廠にて起工、1930年5月12日に進水。1932年5月31日に竣工した。 一部の資料では、2番艦[[愛宕]]が先に完成したことから、愛宕型となっている場合もあるが、書類上1番艦は高雄である。 就役後は、姉妹揃って第2艦隊第4戦隊に所属した。 就役後に発生した第4艦隊事件の影響から、高雄は改装工事を実施。艦橋の縮小と後部マストの移設が行われている。 開戦後は近藤信竹中将の麾下として、主に南方での作戦に従事。 1943年には、米艦載機の攻撃を受け小破。翌44年1月には被雷し艦首切断の憂き目にあった軽空母雲鷹の護衛をした。 1944年10月22日、レイテ沖海戦に参加すべく、姉妹4隻揃ってブルネイを出撃。 23日早朝、パラワン水道航行中に米潜水艦の雷撃2発が右舷に命中。機関とスクリューを破壊され、航行不能となる。 高雄は艦隊から落伍し、同日夜にようやく復旧。駆逐艦2隻と水雷艇に護衛され、ブルネイへと後退した。11月にはブルネイからシンガポールへと移動する。 1945年、応急修理を続けていた高雄だったが、シンガポール防衛のため残留が決定。損傷していた艦尾を切断し、防水措置を取った上で停泊を続けた。 7月31日、イギリスの潜水艇により、艦底に仕掛けられた機雷が爆発し小破。そのままの状態で終戦となった。 戦後はイギリスに賠償艦として引き渡された。 だが中華民国の[[雪風]]やソ連の[[響]]と違い、イギリス海軍は自国艦と規格の大きく異る高雄を必要とはせず、処分に高雄の自沈を決定する。 10月27日、イギリス海軍は高雄をマラッカ海峡へ牽引。29日に爆薬と砲撃を以って撃沈した。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|元ネタ| |自己紹介|こんにちは。高雄です。貴方のような素敵な提督で良かったわ。| | |秘書クリック会話①|気になるところ、ございますか?|| |秘書クリック会話②|なんでもおっしゃってくださいね。|COLOR(white):ん?| |秘書クリック会話③|えーと、えーと…どうしたらよいでしょうか?|| |戦績表示時|何か、お言付けが来ていますね。|| |編成選択時|高雄、出撃いたします!|| |装備時①|何かが、私の中で解放されたような…。素敵な気持ち。|| |装備時②|この力、提督のおかげですね。|| |装備時③|やったわね!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|あの子たちをここで見守りましょう|| |ドック入り(重傷)|絶対安静なんて、まだ、やれるのに|シンガポール到着後は最低限の応急修理のみが施され、そのまま出港することなく終戦を迎えた| |建造時|新しい仲間です。暖かく迎えましょう!|| |艦隊帰投時|作戦完了!艦隊が帰投します!|| |出撃時|私に続いてくださぁぁい|| |戦闘開始時|砲雷撃戦、用意!|| |攻撃時|右舷の敵艦を叩いて!|| |夜戦開始時|大人しくなさい!|| |夜戦攻撃時|馬鹿め、と言って差し上げますわ!|宇宙戦艦ヤマトの有名なセリフ| |MVP時|提督、私の活躍見てくれましたか?|| |被弾小破①|嫌っ!|| |被弾小破②|きゃぁぁっ!|| |被弾カットイン|な、なによ!それで勝ったつもり!?|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):私…沈むのね…さようなら…提督…|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/高雄) ---- *外部リンク -[[Wikipedia:高雄>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%9B%84_(%E9%87%8D%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)]] //-[[ニコニコ大百科:高雄]] //-&link_atpedia(高雄){@PEDIA:高雄} ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No059.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 東山奈央 ---- *Illustrator ---- 絵師 ---- *史実情報 ---- #image(IJN_Heavy_Cruiser_Takao.jpg) [[妙高]]型に続く重巡洋艦として、妙高型を発展改良した形で設計が行われたのが高雄型である。設計は藤本喜久雄造船官。 [[妙高]]型の居住性の悪さと艦隊指揮能力の低さ、各種不具合の解消を主目的として設計がなされている。 なお、1番艦高雄と2番艦[[愛宕]]の艦名は、廃案となった八八艦隊計画の天城型巡洋戦艦3,4番艦に本来付けられる艦名を継承したものである。 高雄型最大の特徴は巨大な艦橋で、艦隊指揮能力の拡張や戦闘指揮能力の増加、さらに艦橋を煙突基部まで後退させ、バイタルパート短縮を狙った為であった。 そのため高雄型は戦艦並み、もしくはそれ以上の指揮能力を有したのである。(その裏付けが高雄型の旗艦率の高さとなっている) しかし斬新すぎたこの艦橋は、大型化した分被断面積が増えると各国の設計官の間ではボロクソに批判されている。 なお実際の戦闘では特に被弾が多かったということもなく、大して問題にはならなかったと言う。 主砲とレイアウトは[[妙高]]型と同様の20.3cm連装砲5基。しかし主砲が高射対空攻撃も可能になったE号砲に切り替わった。 また革新的だったのが魚雷発射管の配置で、これまで中甲板に艦体内蔵型で設置されていたが、次発装填装置の装備に伴い上部甲板に移動、通常の旋回式へと変わった。 この変更は大成功で、不具合の指摘されていた[[妙高]]型だけでなく、古鷹・青葉型も近代化改装時に順次変更している。 このように日本重巡の決定版となった高雄型だが、藤本喜久雄設計に共通する重心の悪化、強度の問題を抱えていた(藤本氏が軍令部の要求する重武装化に可能な限り応えた為)。 後に、高雄と愛宕は艦橋の縮小を行い、重心改善に努めている。 高雄は1番艦として、1927年4月28日に横須賀海軍工廠にて起工、1930年5月12日に進水。1932年5月31日に竣工した。 一部の資料では、2番艦[[愛宕]]が先に完成したことから、愛宕型となっている場合もあるが、書類上1番艦は高雄である。 就役後は、姉妹揃って第2艦隊第4戦隊に所属した。 就役後に発生した第4艦隊事件の影響から、高雄は改装工事を実施。艦橋の縮小と後部マストの移設が行われている。 開戦後は近藤信竹中将の麾下として、主に南方での作戦に従事。 1943年には、米艦載機の攻撃を受け小破。翌44年1月には被雷し艦首切断の憂き目にあった軽空母雲鷹の護衛をした。 1944年10月22日、レイテ沖海戦に参加すべく、姉妹4隻揃ってブルネイを出撃。 23日早朝、パラワン水道航行中に米潜水艦の雷撃2発が右舷に命中。機関とスクリューを破壊され、航行不能となる。 高雄は艦隊から落伍し、同日夜にようやく復旧。駆逐艦2隻と水雷艇に護衛され、ブルネイへと後退した。11月にはブルネイからシンガポールへと移動する。 1945年、応急修理を続けていた高雄だったが、シンガポール防衛のため残留が決定。損傷していた艦尾を切断し、防水措置を取った上で停泊を続けた。 7月31日、イギリスの潜水艇により、艦底に仕掛けられた機雷が爆発し小破。そのままの状態で終戦となった。 戦後はイギリスに賠償艦として引き渡された。 だが中華民国の[[雪風]]やソ連の[[響]]と違い、イギリス海軍は自国艦と規格の大きく異る高雄を必要とはせず、処分に高雄の自沈を決定する。 10月27日、イギリス海軍は高雄をマラッカ海峡へ牽引。29日に爆薬と砲撃を以って撃沈した。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|こんにちは。高雄です。貴方のような素敵な提督で良かったわ。| | |秘書クリック会話①|気になるところ、ございますか?|| |秘書クリック会話②|なんでもおっしゃってくださいね。|COLOR(white):ん?| |秘書クリック会話③|えーと、えーと…どうしたらよいでしょうか?|| |戦績表示時|何か、お言付けが来ていますね。|| |編成選択時|高雄、出撃いたします!|| |装備時①|何かが、私の中で解放されたような…。素敵な気持ち。|| |装備時②|この力、提督のおかげですね。|| |装備時③|やったわね!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|あの子たちをここで見守りましょう|| |ドック入り(重傷)|絶対安静なんて、まだ、やれるのに|シンガポール到着後は最低限の応急修理のみが施され、そのまま出港することなく終戦を迎えた| |建造時|新しい仲間です。暖かく迎えましょう!|| |艦隊帰投時|作戦完了!艦隊が帰投します!|| |出撃時|私に続いてくださぁぁい|| |戦闘開始時|砲雷撃戦、用意!|| |攻撃時|右舷の敵艦を叩いて!|| |夜戦開始時|大人しくなさい!|| |夜戦攻撃時|馬鹿め、と言って差し上げますわ!|宇宙戦艦ヤマトの有名なセリフ| |MVP時|提督、私の活躍見てくれましたか?|| |被弾小破①|嫌っ!|| |被弾小破②|きゃぁぁっ!|| |被弾カットイン|な、なによ!それで勝ったつもり!?|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):私…沈むのね…さようなら…提督…|| ---- *同型艦 &bold(){高雄} ― [[愛宕]] ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=高雄/コメント) ---- *外部リンク -[[Wikipedia:高雄>>http://ja.wikipedia.org/wiki/高雄_(重巡洋艦)]] //-[[ニコニコ大百科:高雄]] //-&link_atpedia(高雄){@PEDIA:高雄} ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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