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ゲームには直接関係ないけれど、知っているとゲームが少し楽しくなるかもしれない知識を扱うページです。 &sizex(5){&color(red){※詳しい説明は Wikipedia などに任せてください。}} // // ◆◆◆ 本ページを作成した目的 ◆◆◆ // // 「知識を持たない人でも、このページを読めばゲームを楽しむための必要最小限のエッセンスを得られること」です。 // そのため、記述は”要点のみを簡潔に”を心がけ、詳細な説明は Wikipedia などに任せるようにしてください。 // #contents() ---- // //艦船を「主要」と「その他」で分ける必要がある場合は、h2以下の見出しを繰り下げて使用することを提案します。 //h1は他の項目との関連性を保つ必要があるため、いったん元に戻させて頂きます。 // //『cm』表記と『mm』表記を『センチ』と『ミリ』へ統一しました(2013.5.4) // *艦艇の種類 **駆逐艦  Destroyer、艦種記号DD。  名前の由来は当初は「水雷艇」と呼ばれる魚雷を装備した小型艇を「駆逐」するための船として生まれたことによる。  日本海軍における艦の命名基準は植物、風、天気、波、潮流、月名など、実に多彩で軍艦らしからぬ優美さがある。  しかし、「なんだ、旅館の部屋みたいな名前ばっかり付けて」と憤慨する将兵も居たとか。  第二次世界大戦では、艦同士の直接戦闘はもちろん、対潜、対空、哨戒、輸送船団の護衛など、多様な任務に当たった。  さらにはその駿足を活かして輸送艦の代役を務めるなど、正しく海軍一の便利屋さんであった。  特に、潜水艦に対抗するための兵装(爆雷など)を備えるのは小回りが効く駆逐艦と軽巡のみで、こればかりは戦艦でも敵わない。  しかし悲しいことに 日本海軍では潜水艦とともに(狭義の)軍艦には含まれず、艦首に菊花紋章を付されなかった。  更に言うと、日本海軍は駆逐艦を艦隊決戦の補助艦艇としていたため、水雷撃戦は重視していたが対潜にあまり重きを置いていなかった。  (多分原因は安上がりで数が揃えやすかったのと、日本海海戦で駆逐艦部隊の夜戦が大戦果を上げ、その勝利が刷り込みレベルで海軍内部に残ってしまったこと)  その結果、多数の駆逐艦がデストロイするはずの潜水艦にデストロイされたというなんとも切ない話がある(公式漫画でもネタになっている)。  ゲーム内では高速で一撃必殺の魚雷を備えるものの、主砲と装甲は今ひとつで戦闘能力的にはあまり良いところがない。  しかし、入手する頻度が高く、運用コストも低いことから、将棋の『歩』のごとく必要不可欠な艦種であるといえよう。  また、軽巡洋艦と並んで対潜能力を保有している点を憶えておきたい。  海域4-1からは敵潜水艦が出没し、かつ対潜能力を要求される遠征もあるので注意しよう。  なお、日本海軍においては対空兵装に重点を置いた「防空駆逐艦」たる[[秋月]]型駆逐艦が存在した。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[雪風]]}  陽炎型8番艦。終戦まで生き延びた幸運艦として有名で、ゲームでも運の数値に反映されている。  ただ、「僚艦が沈み雪風だけは生き残る」と僚艦からは死神艦と疎まれることもあったとか。  戦後は賠償艦として中華民国海軍に渡ったが、[[その際のエピソード>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)#.E3.80.8C.E4.B8.B9.E9.99.BD.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6]] も一読の価値あり。 -&bold(){[[島風]]}  旧日本海軍の駆逐艦として最高速(40.37ノット)を記録し、世界的にも極めて高速な駆逐艦。  有名な [[キスカ島撤退作戦>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%B3%B6%E6%92%A4%E9%80%80%E4%BD%9C%E6%88%A6]] にも携わった。 -&bold(){[[綾波]]}  特型11番艦。特型を3タイプに分類する場合は、特型II型(綾波型)の1番艦。  第三次ソロモン海戦で、連絡の齟齬から米艦隊に単艦で突撃。駆逐艦2隻撃沈、1隻大破、戦艦1隻損傷の戦果を挙げるも、自身も撃沈される。  史実では特筆すべきほどではないが、この艦にちなんだ有名キャラのお陰でオタク界隈では有名。 -&bold(){[[夕立]]}  白露型4番艦にして、海戦史に残る駆逐艦無双を繰り広げた艦。  第三次ソロモン海戦で米艦隊との夜間遭遇戦となった際に、駆逐艦春雨と共に突撃。  米艦隊を混乱させ味方艦隊を優位に導いただけでなく、反転して今度は単艦で米艦隊に突撃。  敵艦に肉薄しては砲雷撃を叩き込み続け、32分間に渡る「素敵なパーティ」を開いて米艦隊に大打撃を与えた。  (夜戦かつ混乱が激しかったため、正確な戦果ははっきりしていない)  敵味方の砲弾による被害により行動不能となったが(敵艦隊内部で戦ったため誤射も多かった)、それでも乗員はハンモックで帆を作り戦おうとしていたと言われている。  (「80万の感謝」掛け軸にあるハンモック意匠や、改二の艤装に張られている帆の元ネタ)  総員退艦後五月雨が雷撃処分を行ったが魚雷は不発に終わり、米艦隊の砲雷撃により沈没。夕立はまだ暴れ足りなかったのかもしれない。 **巡洋艦 ***軽巡洋艦  Light Cruiser、艦種記号CL。  駆逐艦が未発達だった頃、外洋を安定して航行可能な艦種のうち最も小型であったのが「巡洋艦」であり、その名の由来となった。  日本海軍における『二等巡洋艦』であり、艦の命名基準は河川の名前にちなんだもの。  元々は艦隊の目として偵察任務や哨戒任務を念頭に置いた「偵察艦(スカウター)」を起源とする艦種で、太平洋戦争時には水雷戦隊の旗艦や艦隊の便利屋としての任務が多かった。  ワシントン海軍軍縮条約以降、各国海軍に大型の巡洋艦を建造し戦艦の代用とする傾向が現れた。  これに対応すべく、ロンドン海軍軍縮条約で「軽巡洋艦」と「重巡洋艦」の二つの区分が新たに設定され、  軽巡は「主砲口径12.7センチ以上、15.5センチ以下の1万トン未満の戦闘艦」と定義された。  日本海軍ではいわゆる[[5500トン級>>http://ja.wikipedia.org/wiki/5500%E3%83%88%E3%83%B3%E5%9E%8B%E8%BB%BD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6]]の軽巡洋艦が代表格で、大戦中には後継の阿賀野型なども登場している。  意外にその国の海軍の特色が見て取れる艦種であり、日本では国防戦略から水雷戦隊旗艦能力に特化した重武装艦がほとんどである。  逆に欧州(特に英国)では植民地警備用の汎用艦としての役割が重く見られ、攻撃力よりも汎用性が高く、航続距離の長い艦が多い。  ゲーム的には「大きな駆逐艦」で、駆逐艦を少し強くして水上偵察機の運用能力を加えたものである。  なぜか重巡と同じ20.3センチ砲を装備できてしまうのは条約失効後という設定か。  とはいえ、自称軽巡の最上のような例外を除けば、軽巡の排水量で20.3cmを運用するのは実際かなり無茶だと思われる。  運用コストはわずかに増大するものの、駆逐艦の上位互換として運用でき、遠征でも重宝する。  対潜攻撃が可能だが、史実では軽巡洋艦が対潜攻撃を行うことはほとんどなかった。  爆雷攻撃は敵の潜水艦の上から爆雷を投下するので小回りが利くことが大事なのだが、軽巡洋艦では大きすぎたのである。  実際の対潜攻撃の主役は、駆逐艦や更に小さい艦種(フリゲートや水雷艇など)が担うことが多かった。   &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} // 項目自体が「代表的な艦」ということで5500トン級の説明を削除し、代わりに本文中にwikipediaの5500トン級へのリンクを追加。 -&bold(){[[神通]]}  いわゆる5500トン級に含まれる、[[川内]]型軽巡洋艦の2番艦。  ゲーム中ではおとなしい雰囲気で描かれているが、帝国海軍の誇る最強最精鋭の殴り込み部隊、第二水雷戦隊(通称:二水戦)を率いた旗艦として有名。  1943年7月の夜間、ソロモン海のコロンバンガラ島沖にて自軍の倍以上の戦力から成るアメリカ艦隊と遭遇。  神通はただちにサーチライトを敵艦隊に照射しつつ、麾下の駆逐艦隊とともに砲雷戦を開始。  突撃した駆逐艦部隊は次発装填装置を活かした雷撃によりアメリカ艦隊に大打撃を与え、夜戦の練度を見せつける勝利となった。  しかし照射元の神通にはアメリカ艦隊の砲雷撃が集中し、神通は行動不能になりながらも敵艦隊照射と砲撃を続行していたが爆発炎上、沈没した。 -&bold(){[[矢矧]]}  [[阿賀野]]型軽巡洋艦の3番艦。  水雷戦隊旗艦用軽巡洋艦(乙巡)として建造された最新鋭の軽巡洋艦だった…のだが、就役した時には海戦の主役は航空戦力に移行。水雷戦隊の戦場は失われており、阿賀野型は時代遅れの艦となってしまった。  そのため就役後は艦隊護衛任務等で不向きな対空戦闘に従事することが多く、戦果は駆逐艦1隻撃沈程度と芳しくないものだった。  1945年4月6日、天一号作戦に参加。米軍艦載機の雷撃により機関が停止し、半ば標的艦と化した矢矧は集中砲火を受けるが、魚雷や艦載機等誘爆の危険性がある装備を早々に投棄したことや、注水等による効果的なダメコンにより軽巡洋艦とは思えない粘りを見せた。  最終的に魚雷7本、爆弾10発以上の被弾を受け、自身と同じく航空戦力の台頭により就役時には活躍の場が失われていた世界最大の戦艦・[[大和]]と共に、坊ノ岬沖に沈んでいった。 ***重雷装巡洋艦  夜戦での雷撃戦に重きを置き、苦心の末に秘密兵器『酸素魚雷』を開発した日本海軍が、艦隊決戦でアメリカ艦隊を葬るために開発した日本独自の艦種。重雷装艦とも。  その実態は既存の軽巡洋艦から両舷側の上部構造物を取り払い甲板を拡幅、酸素魚雷が発射可能な4連装魚雷発射管を片舷5基、両舷合わせて10基ガン積みしたもの。   改造ドナーとして選ばれたのは射出機の装備が行われなかった球磨型の大井と北上で、これ以外にも同型の木曾も改造計画があった。  その片舷火力は下手な戦艦並みで、夜戦では圧倒的な破壊力を有するだろう……と海軍は期待していた。  だが現実は厳しく、本来日本海軍が企図していたシナリオとは全く別の形で対米戦が行われたため出番はなく、降ろした発射管のスペースを活かした輸送任務の方が本業だった。  また末期まで生き残った北上は魚雷発射管を全撤去し、回天を運用するという後味の悪い任務を行うことともなったが、実戦投入することとなく終戦を迎えたのは不幸中の幸いと言うべきか…。  ちなみに航空戦艦同様に艦種としての重雷装巡洋艦は存在せず、北上も大井も書類上は二等巡洋艦のままだったりする。  ゲーム中では大井、北上を改造するとこの艦種になる。  最初の改造では雷装以外は微妙なステータスながら、改二状態ではそれも改善され、水雷戦・夜戦・対潜・甲標的での開幕雷撃と大活躍を果たせる。  ただし改二でも装甲と耐久が薄いのが致命的で、雷撃戦や夜戦で何も出来ないこともしばしば。それでも育てがいのある艦種。  バージョンアップにより甲標的装備時は先制雷撃が可能になったため、火力を発揮しやすくなった。  ちなみに史実で、重雷装巡洋艦が甲標的の運用を行ったことはない。 ***重巡洋艦  Heavy Cruiser、艦種記号CA。  ワシントン海軍軍縮条約によって誕生し、第二次大戦以降作られなくなった、30年しか存在しなかった短命の艦種。  上述の「偵察艦(スカウター)」の進化系にあたる艦で、いずれも軽巡以上の高い打撃力と索敵能力をもっている。  日本海軍における『一等巡洋艦』であり、艦の命名基準は山の名前にちなんだもの。  『古鷹型』、『青葉型』が20.3cmではなく20.0cm砲搭載だったのは条約前に企画されたためで、ワシントン条約後最初の計画が『妙高型』  ロンドン条約で巡洋艦以下の補助艦艇にまで制限がかけられ、残りトン数に余裕のあった軽巡枠を利用して重巡変更前提に作られたのが『最上型』  戦艦の建造が禁止された軍縮条約期において、事実上の主力艦として整備された、中小国では戦艦の代替的存在でもある。  海軍軍縮条約での定義は「15.5センチより大口径で、20.3センチ以下の主砲を備えた排水量1万トン以下の戦闘艦」である。  日本海軍における『一等巡洋艦』であり、艦の命名基準は、後述する巡洋戦艦と同様に山の名前にちなんだもの。  燃料その他の理由で動かしづらい戦艦の代わりに、平時の他国への表敬訪問、戦時の最前線で奮戦をした。  戦艦が建造できない条約下、主力艦としての能力を限られた排水量内で纏めることを強いられたため、国ごとに大きな特色が出ている艦種である。  例えば日本は漸減作戦の思想上、近海での米艦隊迎撃を最重要任務としたため、砲雷撃能力を重視し、その分航続能力を削っている。  アメリカも日本との艦隊決戦を考慮しているが、太平洋海域での使用を鑑み航続能力や、航空機による偵察能力を重視し、雷撃能力を廃した。  植民地防護を巡洋艦の最重要任務としたイギリスでは、コストパフォーマンスに劣る重巡は早期に増備が打ち切られ、軽巡の増備にシフトしている。  フランス・イタリアは地中海での使用を考慮したため、積極的に航続力を削り、防御や速力に秀でた艦を建造している。  そういった意味ではある意味、各国海軍の思想を映す鏡のような艦種であったりする。 // 重巡の性能が中途半端と評価されてたとか、妄想を史実と称して書くのはやめて下さい。 // 性能的には中途半端と評価されながらも、上位艦種たる戦艦が後述する事情のためおいそれと多用できるものではなかっため、事実上の最上位艦種として活躍した。 // // 以下は詳細すぎるのでコメントアウト。要約するか、相応しいページへの誘導を提案します。 //  // 日本海軍は最上型建造の際、この定義を逆手に取る形で重巡洋艦並みのサイズながらも主砲を15.5センチとし、制約の少ない軽巡枠を適用させた。 // この15.5センチ砲は後に20.3センチ砲に換装され、性能的には完全に重巡洋艦となったが、対外的にはこの事実が公表されず、書類上でも最後まで軽巡のままであった。 // 無論、戦後その事情が明らかになってからは換装後の最上型はれっきとした重巡洋艦として扱われている。ゲームの最上型は一貫して重巡である反面、初期兵装は史実どおりの15.5センチ砲である。 //  ゲームでは、軽巡洋艦の上位互換と思いきや、対潜能力が消えている点に注意。 // 史実同様に火力とコストのバランスなど色々と中途半端な感はあるが、マルチプレイヤーと言えないこともない。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[最上]]}  軽巡洋艦として生まれたため、艦名は河川に由来する。  2回のクラスチェンジと2回の衝突事故と第四艦隊事件、ミッドウェー、レイテ沖海戦に遭遇する(2回の衝突事故はミッドウェーとレイテ沖の時)素敵な艦。  CLカテゴリじゃね?いや、CAでしょ。私的には、航空j(ry)とめまぐるしく変わったその生涯に敬意を評し、(独断と偏見に基づき)ここに祀る。  余談だが「マブラヴオルタネイティヴ」の佐渡島攻略作戦「甲21号作戦」で、旗艦となっていたことから、こちらから知った人もいるだろう。(設定上佐渡島が敵に侵略されている) -&bold(){[[摩耶]]}  スタジオジブリのアニメ「火垂るの墓」で、主人公兄妹の父が乗艦していたという設定の船。  出航シーンはかの庵野秀明が担当し、時間をかけて子々細々に描いたが、残念なことに実際の映像では影で潰れてしまった。 -&bold(){[[青葉]]}  青葉型1番艦。姉貴分の古鷹・加古、妹の衣笠を激戦のソロモン海で失いながらも、大戦を戦い抜いた強運艦。  サボ島沖海戦では米艦隊を味方と誤認。「ワレアオバ」と発光信号を発信。  米艦隊に「あれ日本艦隊じゃね?」とフルボッコにされた。  この他、出撃するたびに大破しているが、その都度どうにか生き延びている。  開戦直前に、当時主計中尉だった元首相・中曽根康弘が乗艦していた事でも有名。 ***航空巡洋艦  一定の砲撃戦能力を維持しつつ、水上機の運用能力を向上させた巡洋艦。  水上機による偵察能力を充実させているため重巡よりも高い索敵能力を有しており、文字通りの艦隊の目として運用することが可能。  非常に便利なように思えるかもしれないが、中途半端さが祟ったのか史実ではこの艦種が建造された事例はない。  改造艦としては『最上』がある他、(このテの艦種呼称が好きな人には)利根・筑摩も分類されることがある。  ゲーム内での最上曰く「ヘリ搭載護衛艦の先駆け」で、ひゅうが型護衛艦には航空戦艦『日向』『伊勢』の名が受け継がれている。  (なお、厳密には航空巡洋艦とヘリコプター護衛艦の用途は異なり、ヘリコプター護衛艦は原潜などを相手取った対潜が主任務)  ゲームでは、最上を改造するとこれになる。  水上機の搭載数と索敵能力が大幅に向上。また水上爆撃機「瑞雲」が装備可能になり、小規模ながら爆撃を行える(制空権に注意)。  巡洋艦隊に随伴し、艦隊の目として機能しながら爆撃、砲撃、雷撃と戦闘の各段階で活躍できる艦になる。  ちなみに旧海軍では「航空巡洋艦」という艦種は存在せず、あくまで重巡洋艦であった。 // // 代表艦は最上なのですが、初版執筆者に敬意を表して分類は重巡のままにしときます。 // 魚雷積めるようになったので、該当部分削除。 **主力艦 ***戦艦  Battleship、艦種記号BB。  海の女王。日本海軍における艦の命名基準では旧国名。(金剛級は巡洋戦艦として設計されたため、山の名前である)  魚雷が消えた代わりに、大口径の主砲と、強靭な防御力、副砲や対空火器を備える。水上偵察機の運用能力もあり。  国家の威信を賭けた艦種であるため、その喪失によるショックを恐れられて投入される機会は少なかった。  かの大和型は類い希なる攻撃力と防御力を誇りながらも、「ホテル」と揶揄されるほどの運用状況だった。  一方、最も古いながらも足が速かった金剛級は、空母機動部隊に随伴するなど活躍を見せた。  日本軍が世界で初めて航空戦力によって作戦行動中の戦艦を撃沈したマレー沖海戦を契機に、その重要性は徐々に衰退していった。  ゲームでは、砲撃戦において女王の二つ名に相応しい能力を発揮する。空? 見ちゃいけません。  (とはいえ対空を十分に上げて46cm砲や三式弾を搭載しておくと、下手な航空隊なら制空権を確保してしまうことも)  ゲーム内では20.3cm砲も積めるため、重巡洋艦の主砲を外して、近代化改装しつつ主砲を取り付けると、お手軽に強化できる。  別戦艦があれば、その主砲を載せれば更にパワーアップ!すごいね!  しかし、その代償に大量の燃料も弾薬が必要で、損傷した場合は修理に大量の時間と資源が必要となる。  どちらかの艦隊に戦艦が居る場合、敵味方全ての艦の砲撃ターンが2巡回ってくるようになる。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[長門]]}  長く聯合艦隊旗艦を務めたため、当時は軍機だった[[大和]]より民間によく知られたこちらの方が人気であった。  関東大震災の救援に向かう際、機密だった最大船速で航行したため、追い越した練習艦隊の司令官に嫌味半分で速力を尋ねられた。  建造当時は世界最大の主砲を持つ艦としてワシントン軍縮条約の契機を作り、Big7(世界七大戦艦)の一角を担っていた。  終戦まで生き残り、アメリカ軍に接収された後に迎えた最期も涙を誘うものである。 -&bold(){[[扶桑]]/[[山城]]}  初の日本独自設計の超弩級戦艦で、連装砲塔6機を積んだ野心的な設計がされたが、現実はそんなに甘くなく不具合が多発、山城さんがドックで嘆くこととなった。  あまりにも不具合が多すぎたために妹となるはずだった伊勢・日向は建造途中で改良が加えられ、妹ではなく伊勢型となった。  最期は、レイテ沖海戦で最上や時雨、満潮らとともに出撃するも米艦隊にフルボッコにされた。  扶桑は魚雷攻撃により、大爆発&船体が真っ二つになり轟沈。山城は、1,2番砲塔のみになりながら奮戦するも、沈んでいった。  湾内突撃という速力と防御力が必須の作戦に、最も向かない低速・低防御の扶桑型を使用した辺り、帝国海軍の戦力払底が見えた戦いでもあった。  生き証人は[[時雨]]ちゃんだけである。   // // ゲーム内で巡戦をカテゴリ分けするみたいな話を耳にしたので、その時は比叡ちゃんは↓へ移動。 // -&bold(){[[比叡]]}  天皇陛下の御召艦として人気があった。  開戦前、建造中だった[[大和]]のテストケースとして大改造を受けており、大和型に似た準近代的な艦橋を有している。  開戦後は機動部隊の護衛として活躍したが、第三次ソロモン海海戦で大破。航行不能となり自沈した。 ***巡洋戦艦  Battlecruiser、艦種記号BC。  ゲーム内には存在しない艦種だが、図鑑で榛名を確認するとこの文字が見える。  第一次世界大戦前後に流行ったカテゴリであり、[[金剛型]]4隻と赤城は当初この艦種として建造された。  旧日本海軍における艦の命名基準では、計画時装甲巡洋艦(一等巡洋艦)に類別されていたため山にちなんだ名前が付けられている。  巡洋艦から発展した艦種であり、戦艦のような強靭な装甲は持たないものの、戦艦に準ずる主砲と巡洋艦譲りの速力と航続力を持つ。  金剛型については第一次世界大戦の戦訓を元に装甲強化→機関強化の二度の改修を経て高速の戦艦として生まれ変わった。  30ノットという快足に加え艦齢が高かった(実はゲーム内でも最年長)こともあり便利使いされ、空母機動部隊に随伴し縦横無尽の活躍を見せることになる。  主に速力に由来する使い勝手の良さは皆さんご存知の通り。 // ゲーム内では、現在は戦艦に分類されているが金剛級四姉妹が巡洋戦艦(将来的に独立して分類されるかも?)。 // ↑改修後の金剛型はれっきとした戦艦です。連合軍側の艦型識別図などでもBB Kongo Classとして戦艦扱いされています。 // これまた旧海軍では「巡洋戦艦」という艦種は存在せず、あくまで戦艦である。 // ↑「巡洋戦艦」という艦種は存在します(していた)。改修以前の金剛型などが巡洋戦艦に類別されていました。実在しない艦種は「高速戦艦」。 ***航空戦艦  艦尾の砲を取り外し飛行甲板を設置することで、一定の砲撃戦能力を維持しつつ艦載機の運用能力を向上させた艦種。  非常に便利なように思えるかもしれないが、戦艦として求められる砲戦能力と空母として求められる航空機運用能力は二律背反であり、史実ではこの艦種が建造された事例は皆無である。  改造艦としては、太平洋戦争中期に航空戦艦『[[伊勢]]』と『[[日向]]』が成立したが、旧海軍では「航空戦艦」という艦種は存在せず、最後まで戦艦として扱われた。  双方ともに旧式化していた戦艦であり、ミッドウェー海戦での正規空母4隻喪失を契機に後部砲塔を撤去し、軽空母並みの艦載機運用能力を備える改装が施された。  (『扶桑』・『山城』にも計画だけは存在しており、ゲーム中で航空戦艦に改造可能なのはその辺が理由と思われる)  しかし、完工し飛行機も受け取って訓練していたものの、出番の直前で飛行機を陸上基地に取り上げられ、飛行機を1機も持たない名ばかりの航空戦隊としてレイテ沖海戦に出撃することとなった・・・。  ちなみにこの時の『伊勢』『日向』の対空戦闘での奮闘ぶりは語り草になっている。  艦載機は瑞雲とカタパルト発艦可能に改造した彗星を載せる予定だったが、水上機である瑞雲はともかく艦爆である彗星は着艦できないので(後部飛行甲板は艦載機が着艦出来るほど広くない)、もしも運用することになっていたら発艦後は近場の空母か基地に着艦or着陸という無茶をするつもりだったとか。無論それらがなければ不時着である。  ゲームでは、戦艦に随伴しても比較的安心して索敵と砲撃戦をこなせる艦なのが救いか。  瑞雲を装備させると小規模ながら爆撃を行うが、その際は制空権に注意。 **航空機母艦 ***正規空母  Aircraft Carrier、艦種記号CV。  航空母艦の略で、着水機構が足かせとなる水上機より高性能である艦上機を運用する艦。  後述する軽空母という艦種もあるが、単に空母と言った場合はこちらの正規空母を指す。  艦の命名基準は鳥や龍など、空を飛ぶものにちなんだ合成語。戦争後期になると山の名前からも取られている。  例外として赤城は巡洋戦艦、加賀は戦艦からの改造であるため、この基準とは違い元の名前を引き継いでいる。  最初から正規空母として作られた艦も多いが、条約で建造中止となった巡洋戦艦・戦艦からの改装も多い。  ちなみに日本海軍での正規空母の定義は「最初から航空母艦として建造された艦」であるため、正規空母並みの積載量を持っていても他艦種からの改造である飛鷹型は正規空母ではなく、逆に軽空母クラスの積載量しかないが最初から航空母艦だった鳳翔や龍驤は正規空母となる。  (例外的に巡洋戦艦や戦艦からの改装の場合は正規空母扱い)  艦上機による索敵と空襲は強力無比で、ごく短期間の内に戦艦を海戦の主役の座から引きずり下ろした。  ただ、当時の艦上機は悪天候時や夜間の行動が基本的にできなかったため、そこが弱点と言えば弱点。  よく間違えられるが、空母を指す艦種記号CVはCarrier VesselではなくCruiser Volerに由来するとされている。(Vの方の由来には諸説あり。)  Volerはフランス語で『飛ぶ』という意味で、直訳すると航空巡洋艦になってしまうが、  これは巡洋艦の制海権を得る役割の延長線上に空母はあると考えられていたからだ。  ただし、政治的理由によりソ連では空母を航空巡洋艦と呼ぶ。  ゲームでも艦載機による無慈悲かつ圧倒的な空襲は再現されており、砲撃戦開始前に敵艦隊を撃滅することも可能。  ただし、航空機の材料であるジュラルミンの原料であるボーキサイトが悩みの種。  他にも打撃力を発揮するには頭数が必要、運用コストも高めなど、戦争は物量ということを体感させてくれる艦種。  ところで、「声の出演」を表す「キャラクターボイス」も、同じくCVと略される。  フルボイスゲーである艦これをプレイする際はどちらの意味なのか注意だ。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[飛龍]]}  第2航空戦隊旗艦として真珠湾奇襲、インド洋作戦に参加。  運命のミッドウェイ海戦では僚艦3艦が燃え上がる中、孤軍奮闘の末敵空母ヨークタウンを撃破(のちに潜水艦伊168により沈没)しかし自らも爆弾4発を浴び大破炎上、沈没した。 -&bold(){[[翔鶴]]/[[瑞鶴]]}  1941年に完成した最新鋭の大型空母。二隻で第五航空戦隊を編成した。  一航戦・二航戦壊滅後は、新設された第三艦隊の中核となっている。  翔鶴は毎回毎回被弾することから「被害担当艦」と揶揄された。1944年6月のマリアナ沖海戦で潜水艦の雷撃を受け、沈没。  対する瑞鶴は幸運艦の一隻で、被弾することがなかった。が、姉の加護を失ったマリアナ沖では遂に被弾。  同年10月、レイテへ突入する戦艦部隊から敵を引きはがす囮として、空母[[千歳]]、[[千代田]]、[[瑞鳳]]らと出撃。  見事囮の任を全うし、沈没した。 ***軽空母  Light Aircraft Carrier、艦種記号CVL。  搭載機数が少なめの小型空母で、主に建造にコストがかかる正規空母を補助する目的で建造された。  改造によって軽空母となった軍艦、商船も少なくない。  艦の命名基準は正規空母と同じく鳥や龍など、空を飛ぶものにちなんだ合成語。  日本海軍では正規空母も軽空母も、航空母艦としてひとまとめにされていた。  ゲームでも搭載機数が少ないが、高速タイプの艦なら史実のように正規空母の補助を務められる。  低速タイプの軽空母は、同じく低速の戦艦群の索敵や防空役を務めるのが相応か。  正規空母よりコストが低いので、比較的気軽に投入していけるのが強み。   &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[鳳翔>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B3%E7%BF%94_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]}  最初から空母として設計・建造されたものとしては世界で最初に完成した艦。そのため日本海軍の分類では「正規空母」。  他艦種からの改装ではイギリスの[[フューリアス>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]が世界初で、こちらは着艦方法が有名。 -&bold(){[[瑞鳳>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E9%B3%B3_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]}  上述の鳳翔とは反対に、他艦種から改装されたタイプの軽空母。  小さな艦体ながら、以降は主要な機動部隊戦の全てに参加しつつ、護衛や輸送もこなすなどヘタな正規空母も顔負けの活躍をした。  日本機動部隊として最後の戦いとなったレイテ沖海戦にも瑞鶴の僚艦として参加。  他の空母が次々と撃沈される中で最後まで奮闘するが、直撃弾2発・魚雷2発に100発近い至近弾という猛攻撃を受け、ついに沈没した。 -&bold(){[[隼鷹]]}  姉の飛鷹同様に、建造途中の豪華客船橿原丸を改造して作られた商船改装空母。  改造空母ながら正規空母に匹敵する積載量を持つ…というより排水量は蒼龍型より上で実質正規空母扱い。艦橋一体型の煙突や電探等も装備された先進的な艦だった。  南太平洋海戦では瑞鶴と共に空母エンタープライズを大破、空母ホーネットを撃沈するという正規空母顔負けの武勲艦である。  マリアナ沖海戦や台湾沖航空戦で艦載機とパイロットを失ってからは輸送任務に従事。  雷撃による機関損傷により外洋航海が出来ない状態ではあったが、終戦まで生き残った。  (逆に言えば機関損傷がなかった場合、天一号作戦に駆り出され撃沈していた可能性もある) ***水上機母艦  水上機を運用する母艦。艦上機を運用する空母とは異なる。  海外では既存艦からの改造が多く、移動水上機基地として運用された。  日本の千歳型はかなり特殊で、艦隊随伴能力を持ち、給油機能も備えていた。  また、短期間で空母に改装できるよう設計されていた。  ちなみに日本は数多くの水上機母艦を建造しており、停泊時のみだが二式大艇1機を搭載できる秋津洲などはある意味水上機母艦の極北とも言えるだろう。  ゲームでは水上機による索敵が主な役割で、空母不在でも安定した索敵が可能となるのが強み。  以前は砲撃でもなかなかのダメージを叩き出していたが、修正されたため駆逐艦並の威力しか出ない。  瑞雲を搭載すると爆撃も行うようになるが、護衛機をつけられないため制空権には注意。  改造によって甲標的母艦、軽空母へと姿を変えていく。  甲標的母艦にして甲標的と瑞雲を装備すると開幕爆撃→先制雷撃→砲雷撃と非常に手数が多くなるが、どれも威力が中途半端なのが難点。 // // 以下の項目はゲームで実装された後に再び記述されることを提案します。 // あるいは、ゲームで実装されている範囲の記述に収めることを提案します。 // **潜水艦  Submarine、艦種記号SS  潜水航行が可能な戦闘用艦艇。  命名基準は艦のサイズ(大型=伊、中型=呂、小型=波)+番号という形になっていた。  現在の原潜のように無限に潜航していられるわけではなく、潜航時に使うバッテリーの充電と、艦内の換気のために浮上する必要がある。  しかし、敵に発見される危険性が高まる浮上は楽には行えず……この辺の葛藤は吉村昭著「深海の使者」に詳しい。  通常は水上を移動し必要に応じて潜航を行う可潜艦、というのがこの頃の潜水艦といえる。  そのため、水上では20ノット前後出せるが水中での速力は10ノットも出せず、巡航時は人間の早歩き程度の速力である。  外殻は水圧には強いが装甲としては薄く、機銃でも損傷する。  主な武装は艦首魚雷発射管(艦によっては艦尾にも)に装填された魚雷と、浮上時に使用する小型の艦載砲や対空用の連装機銃。  単独行動の輸送船などを攻撃する場合は高価な魚雷を節約するために砲を使用していたが、輸送船に備砲や護衛艦がつき、航空戦力の増大により浮上砲撃の危険性が増したのと、  大口径高威力砲も、精密な測距儀もないため砲はあまり使われなくなっていった。  時に軍艦すら易々と葬る魚雷は特に恐れられており、どの陣営も潜水艦に対して神経を尖らせていた。  潜航中の潜水艦を攻撃するためには、位置を探る[[ソナー>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%BC]]や、水中で爆発する[[爆雷>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E9%9B%B7]]が必要になる。  これらの装備を備えるのは駆逐艦や軽巡洋艦で、さすがの戦艦でもこれらの小型艦による護衛が欠かせなかった。  各国では通商破壊が主任務だったが、日本海軍では駆逐艦同様、艦隊決戦の補助艦艇として用いる予定だったため、艦隊随伴能力や耐波性等が重視された。  反面、潜水艦にとって最重要視されるべき静寂性に劣っており、それが災いして多くの潜水艦が米英の駆逐艦に狩られていくこととなる。  鈍足な潜水艦の攻撃は水中に隠れての「待ち伏せ」が基本で、これが開幕雷撃ができる所以であると思われる。  なお、夜間は伊168が言うように潜水艦の世界である。  夜間では小さな潜望鏡を探し出すのは困難な上に、魚雷の航跡も見えないので、直撃を受けて初めて潜水艦に気付くということも。  ゲームではイベント海域と同時に実装された。西方海域より敵潜水艦が登場する。  潜水艦に攻撃が可能なのは、軽空母、航空巡洋艦(瑞雲搭載時のみ)、重雷装巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦に限られる。  これらの艦種は相手に潜水艦がいた場合、最優先で潜水艦を攻撃する仕様となっている。  これら以外の艦種では、潜水艦相手には何もできないので要注意。  先述の通り、夜は潜水艦の世界。潜水艦相手の夜戦は非常にリスクが高いので、よく考えて選択しよう。  遠征には対潜能力を要求されるものがある。  単横陣・輪形陣が対潜戦闘には有効。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){伊168}  艦これ初めての潜水艦娘。セラスク。  ミッドウェー海戦では自力航行が可能になるまで復旧していた正規空母ヨークタウン(とオマケでヨークタウンの修復と乗員移乗のために横付けしていた駆逐艦ハムマン)を撃沈し[[飛龍]]の仇をとった。  装備は駆逐艦等が使っている61cm魚雷を装備できる(しかも発射管ごと)が、史実の魚雷は53.3cm魚雷である。いずれ修正されるのだろうか。  (2013年11月イベントのE3クリア特典に53.3cm酸素魚雷が追加された)  Lv10より、航空攻撃に続いて開幕雷撃が可能になる。 ***潜水空母  潜水艦に水上機を搭載したものを便宜的にこう呼ぶ。潜水艦に対し補給を行う潜水母艦とは別のものなので注意。  水上機を搭載した潜水艦というアイディアは古くから欧米各国で試されたが、その多くは実用化されなかったか、もしくは少数に留まった。  (有名どこだと%%伊-507%%フランス海軍の潜水艦スルクフ(シュルクーフ)が偵察用の水上機を搭載している)  だが潜水艦を艦隊決戦の戦力として認識していた日本海軍は本気で潜水艦に偵察機を搭載することを目論見、ついにこれに成功している。  搭載機は通常の水上機に比べて小型な機体で、巡潜甲型以降の艦では艦体前方の圧搾式カタパルトからこれを射出した。  最終的にこの艦種は戦略原潜の始祖とも言われる、水上攻撃機の晴嵐3機を搭載した『怪物潜水艦』伊-400型に繋がることとなる。    通常の空母に比べて高い隠密性を生かし、敵艦隊の偵察や奇襲に用いることを想定したが、実際に艦隊決戦や作戦で使われることは無かった。  発進、任務遂行後の搭載機帰還待ち、収容の間に長時間浮上を強いられるため使いたがらなかったといわれる。  しかし一応戦果はあり、搭載機によるアメリカ本土爆撃を果たした伊-25の大戦果が有名。  また、航空戦艦と並んで「実績はあまりないはずなのに、架空戦記では大活躍する艦種」としてもある意味有名。  ゲーム中では今のところオマケ程度に航空機が積める潜水艦といった感じで、航空機を搭載しても雀の涙程度の航空戦力にしかならない。  なので現状は航空機ではなく魚雷や甲標的を乗せて雷撃専門艦と割り切るのが妥当と言えよう。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){伊58}  改造によって潜水空母となる。史実では航空機搭載機能こそあったが、終始回天母艦として運用されたため航空機は搭載したことがない。  (最終的には船体前部の航空機運用設備を下ろして回天搭載数を増やしている)  原爆輸送後の重巡洋艦インディアナポリスを撃沈したのが最も有名な戦果だが、これは回天ではなく通常魚雷を使用しての戦果である。  現状では零式水上偵察機や瑞雲が搭載できるが、実際にはもちろんこれらは運用不能。 //2013年7月のイベントから、ついに帝国海軍の伊号潜水艦がお目見えする事となった。 //一応書いてはおきましたが、実装されてからがええかな? **給糧艦  輸送艦の一種で、前線基地や艦隊に食料を持っていくのが主任務だが、強力な無線設備や病院設備も持っており、艦隊の無線検知や標的船の曳航、制服のクリーニング等と様々な任務を行っている。  食料についてはただ材料を輸送するだけではなく艦内に食品加工設備を持ち、豆腐やこんにゃくのような加工食品はもちろん、羊羹や饅頭、アイスクリームやラムネといった嗜好品まで生産可能だった。ちなみに材料とは生きた家畜も含まれ、当然ながら屠殺設備も完備。  ゲーム中で艦娘として配備はされないが、疲労回復アイテムとして最も有名な給糧艦である『間宮』が登場している。  この他に日本海軍には『間宮』の拡大型である給糧艦『伊良湖』も存在する。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){間宮}  八八艦隊計画で作られた能登呂型給油艦の予算を流用して作られた、当時世界最大クラスの給糧艦。  設計は大阪商船の民間客船「はわい丸」の設計をもとに、米海軍の給糧艦「アークティック」を参考にしたものだとか。そのためなんとなく客船風の外観。  間宮には民間の職人が軍属として働いており、作られる食品は量はもちろん味も一級品。特に『間宮羊羹』(間宮のイラストで左手の籠に入ってるあれ)は老舗『虎屋』に匹敵するとまで言われた(しかもサイズは虎屋以上)。  そのため間宮は海軍軍人に大人気の艦であり、入港するだけで歓声が上がったとか。  1944年12月20日に潜水艦「シーライオン」の雷撃により沈没。 **潜水母艦  祥鳳・瑞鳳の説明に登場する、潜水艦作戦支援用の補助艦。  限られた物資下で長期間の任務を行う潜水艦への物資・燃料の補給や、潜水艦乗務員の休息、つまり潜水艦乗務員へのホテル業務を営むのがお仕事の艦。  そのため比較的高い居住性能や省燃費の艦が多かった。  日本海軍では太平洋戦争直前に世界的にも高い水準の潜水母艦である『剣崎』型や『大鯨』などを竣工させているが、これらの高性能艦はすべて後に空母に改装された。  その結果、日本海軍は太平洋戦争中、八八艦隊計画下で建造された旧式の『迅鯨』型や、『日枝丸』『平安丸』(いずれも横浜港の『氷川丸』の姉妹船)などの客船を改装した特設潜水母艦を使用せざるを得なかった。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){剣崎}  後の空母[[祥鳳]]。当初は高速給油艦として建造されたが、後に潜水母艦に変更された。  主機関には燃費に優れたディーゼルエンジンを使用しており、また設備や居住性も良好であり潜水艦乗組員から絶賛され、『剣崎ホテル』の渾名が付いた。%%某超々弩級戦艦と違って名誉称号である。%%  しかし時局悪化に伴い、潜水艦乗組員に惜しまれながらも設計時の計画通り空母へと改装された。ディーゼル機関であるにもかかわらずボイラー船並みの偽装煙突を付けたのはそのためである。   ---- *航空機の種類 **水上機  着水機構のために性能は艦上機に劣るものの、水面を滑走路として使えるという大きな利点がある。  艦船ではカタパルトで射出またはクレーンで海面に下ろして離水、帰投時は海面に着水させてクレーンで回収した。  また、滑走路を造れない小島の前線基地などでも活用された。  艦これでは偵察機が主だが、水上基地防空用に作られた水上戦闘機というものもある。  余談になるが水上戦闘機に強風という機体があるが、強風をベースに作られた局地戦闘機が紫電、さらにそれを改良したのが紫電改。  その紫電改を艦載機に改造したものが、艦これに登場する紫電改ニである。 ***水上偵察機  零式水上偵察機(零式水偵)、潜水艦用の零式小型水偵と区別するため、零式三座水偵と呼ぶこともある。  小型の爆弾を積むこともでき、自衛用の機銃を搭載しているが、基本的に偵察が主任務。  ちなみに、戦艦などに搭載されていた水上機の主な任務は、弾着観測(着弾位置のズレを報告し、次の砲撃を修正する)である。  ゲームでの機能は索敵のみで、駆逐艦と正規空母・軽空母と潜水艦以外は装備できる。  ただし、史実で偵察機搭載能力がなかった一部の軽巡(天龍型や夕張など)は搭載数が0のため、搭載しても索敵を行わないので注意。  航空機による索敵が成功すると命中率と回避が上昇する。  索敵が失敗すると能力低下と表示されるが、処理は航空偵察を行わなかった時と同じらしい。 ***水上爆撃機  瑞雲と試製晴嵐。  水上爆撃機という分類は正式なものではなく、瑞雲の史実での分類は零式水偵と同じく水上偵察機。 // 編注:瑞雲は開発成功時に「水上爆撃機」という文字が流れるため、内部的に区別されていると思われる。  開発に際して格闘戦と急降下爆撃の能力を要求されたため、それらの装備を備える多目的水上機となった。(日本海軍機で「爆撃機」は任務統合された「流星」を除き急降下爆撃可能な機を指す)  晴嵐は伊400に搭載するための特殊な組立機構を持つ。分類は特殊攻撃機(特殊な攻撃機という意味なので、特攻とは関係ない)。  伊400を母艦とした敵根拠地への奇襲攻撃用に開発されたが、作戦実行中に終戦を迎えたため実戦投入は行われていない。    ゲームでは、航空戦艦と航空巡洋艦、水上機母艦と潜水空母のみが装備可能で、零式水偵とは区別されている。  本機を搭載すると索敵に加えて爆撃を行えるようになるが、本機の対空能力は高くない。  敵艦隊に空母が居て、本職の戦闘機を相手にする可能性がある場合は注意。 **艦上機  空母の飛行甲板に着艦するための機能を持つ点で陸上機と異なる。  それ以外は陸上機と同じなので、滑走路を利用した陸上機地での運用も行われている。  艦上機として開発されたが載せる空母がなく、陸上運用のみが行われたような機体も多々ある。    ※見やすさを考慮して、見出しでは「艦上」の文字を省略。 ***戦闘機  九六式艦戦、零戦シリーズなど。  正確に言うと、航空母艦で運用可能な戦闘機なので艦上戦闘機(艦戦)。  戦闘機を含む敵航空機を攻撃する機種で、史実では爆撃機と雷撃機の護衛や、艦隊防空(直掩)が任務。  主な兵装は機銃。小さな爆弾を積むこともできるが、ゲームでは爆装の設定はない。  ゲームでは、2013/4/28のアップデートで制空権の概念が追加されたため、直掩と護衛の両方をこなすようになった。  制空権とは、要は航空攻撃隊を通したい護衛機側と、通したくない直掩機側のどちらが優勢かということ。  ちなみに、細かく史実に沿った設定になっていると定評のある艦これだが  この艦上戦闘機だけは架空戦記的傾向が強いので、真に受けないよう注意。  (陸上運用前提の局地戦闘機、震電がなぜか艦載運用できたり…後ろにプロペラあるのにフックどうするんだ) ***戦闘爆撃機  零戦六二型。  戦闘機に250kgクラスの本格的な爆弾を搭載可能にしたもの。本職ほどではないが爆撃が行え、投下後は空戦可能という汎用性が売り。  現在でいうマルチロールファイター(戦闘攻撃機)にあたる機種。  艦爆ほどの爆弾搭載は出来ず、ダイブブレーキが無いので緩降下爆撃、爆弾という重荷を積んだままでは空戦出来ないため艦戦には劣るというどっちつかずなところが難点。  (ただし海外の戦闘爆撃機は、軽爆撃機がやっかむほどの活躍を見せた戦闘爆撃機も多い。)  日本海軍では通常攻撃にも使われたが、爆弾を抱えたまま特攻に使われることも多かった。  (図鑑の説明文で書かれている「あの攻撃方法」とは、まさにそれである)  2013/08/15のアップデートで7月トップランカー用に先行配信された。 ***爆撃機  九九式艦爆、彗星など。艦戦同様に、こちらは艦爆。  爆弾を抱いて急降下爆撃を敢行し、敵艦を攻撃するのが任務。  ちなみに、急降下しながら爆撃を行うのは命中率を上げるためで、爆撃のダメージを上げるためではない。  ダイヴブレーキで機体強度許容範囲内の降下速度となるため高高度水平爆撃のほうが弾速が出るかも?  (垂直方向への移動中なら、爆弾投下のタイミングがずれても水平方向への着弾位置のずれが少なくて済むため)  史実では、1942年の日本海軍は命中率80%というとんでもない数値を記録している。  (余談ではあるが、米軍側の記録でも命中率80%と記録されている)  ゲームでは対潜能力が設定されているが、軽空母に搭載しないと対潜攻撃は行わない。  ゲーム内での爆撃と雷撃の差はわからないが、個人的な推測だと爆撃は雷撃より命中率が高い?  艦攻と艦爆の統合機である流星がゲームでは艦攻扱いのため、艦爆の開発が彗星止まりになるのが悩ましいところ。  2013/08/26のアップデートで彗星一二甲型が開発可能になったため、以前より火力が向上した。 ***攻撃機  九七式艦攻、天山など。艦戦同様に、こちらは艦攻。  海面すれすれを飛びながら魚雷を投下し、敵艦を攻撃するのが任務。  史実では爆弾も積むことができるが、システム的な問題のためかゲームでは省かれている。  初期の機種は艦爆のような急降下爆撃能力を持たなかったものの、流星など後期の機種では可能になっている。  (艦攻と艦爆の統合を進めた結果。米軍のA-1スカイレーダーも同様の機種)  艦攻が偵察機を兼ねることもあったためか、ゲームでも数値こそ低いものの偵察能力を持っている。  ゲーム内での爆撃と雷撃の差はわからないが、個人的な推測だと雷撃は爆撃より攻撃力が高い? ***偵察機  彩雲。 偵察機と言うと水上機のイメージが強いが、必ずしも同一の物ではない。  艦偵……とはあまり言わないが  先行配備された彗星の偵察機型(爆弾倉に爆弾ではなく増槽を装備)は二式艦偵と呼ばれていた。  偵察専用の艦載機は世界的にも例が無く、他の機種(旧日本海軍では攻撃機)が偵察機の役割を兼務していた。  旧日本海軍だけが艦上偵察機「彩雲」を開発し、戦後にアメリカ軍が行ったテストによって日本軍最速機と認定された。  ちなみに、索敵は各偵察機を放射線状(扇形)に飛ばすことによって行う。機数が多ければ扇は拡がる。  余談になるが、ミッドウェー海戦の時にアメリカ艦隊が居たのは、故障で発艦が遅れた機が担当する索敵線上だった。ただし予定通り飛んでいた場合時間軸から考えてアメリカ艦隊を発見できなかった可能性が高く、現在はむしろ故障したがゆえに艦隊発見ができたとされている。  ゲームでは彩雲を運用すると、不利な体勢で敵と遭遇する確率を大幅に減らすことができる。 **局地戦闘機  海軍が陸上基地で運用する、迎撃戦闘を主任務とした戦闘機を指す言葉。乙戦とも。  本来は大型爆撃機の迎撃を想定しており、短時間での高高度到達能力と目標を追尾・撃墜するための速力・火力に主眼が置かれている。  雷電や、紫電改二の大本である紫電改などが代表的な局地戦闘機。  試作で終わったが震電も局地戦闘機となる予定の戦闘機であり、本来艦載運用は全く考えられていない。  艦隊を運用する艦これではあまり縁の無い機体だが、局地戦闘機からの発展系である艦戦・紫電改二の説明でこの言葉が出る。 ---- *兵器 **魚雷  魚形水雷の略称。  比較的装甲の薄い喫水線下を攻撃するため、戦艦クラスでも2,3本被雷するだけで無力化されることがある。  砲塔に比べて小型の発射機(発射管)で運用でき、なおかつ戦艦にも致命傷を与えることができるという能力を持つ。  そのため、潜水艦や魚雷艇・水雷艇・駆逐艦といった高速・小型の艦艇や航空機に装備された。  ただし、以下のような欠点も存在した。    ・超精密機械であるため、一本あたりのコストは非常に高価(魚雷1本で当時の東京の一等地に家が建つレベル)     高価を物語る狂歌が残っている     「一番が敵だ敵だとわめき立てあっと打ち出す二十万円」(詠み人、軽巡洋艦『阿武隈』水雷長)     島影を敵艦と誤認して魚雷を4本発射してしまったときのもので、1本約5万円だったことがわかる     当時の零式艦上戦闘機の値段が約5万5千円であり、魚雷1本が飛行機1機分の値段だったことが窺われる    ・命中率が悪いこと(平均2%程度)    ・当時の技術レベルが低かったことによる自爆や不発の頻発(大戦末期には殆ど改善された)    余談:水中爆発の衝撃は上に逃げるため、舷側にぶつかって起爆する接触式信管よりも     艦底直下で起爆する磁気信管の方が圧倒的に破壊力が大きい。     現在運用されている対水上艦用魚雷はほぼ全て磁気信管である。     当初は魚雷本体強度問題のため重巡洋艦では誘爆事故の被害拡大に目を瞑って中甲板に発射機を設置したが、後に強度改善され上甲板へ移設した **酸素魚雷  水上艦艇が運用する61cmの九三式魚雷と、潜水艦が運用する53cmの九五式魚雷のこと(秘密兵器なので「酸素」は省略されている)。  各国が魚雷の推進剤として酸素に注目していたものの、実用化に成功したのは旧日本海軍のみだった。  打撃力のみならず、雷速や射程も従来型の魚雷を大きく上回る性能を誇る、日本海軍伝家の宝刀。  その上、航跡が見えにくいため回避しにくいという、まさに秘密兵器の名に相応しい代物だった。  欧米諸国からはその長射程ぶりからLong Lanceと呼ばれ、怖れられたという。  ただし、初期は色々とボロが出ており、決して信頼性が高いものではなかった。  もちろん機密として扱われ、酸素ではなく「特用空気」と呼ばれていた。  その長射程故に友軍の上陸支援中に襲撃してきた敵艦に撃ったら  外れた酸素魚雷が味方(しかも陸軍)の輸送船に直撃して撃沈したでござる(因みに撃ったのは[[この娘>最上]])、とか  同じく外れた酸素魚雷が10km先にいた全然別の敵艦隊に到達して戦艦撃破してました(こっちは[[この娘>伊19]])、なんてエピソードも。  なお、酸素魚雷は当時同盟国のドイツにも渡っている(運んだのは[[この娘>伊8]])が、商船を沈めるのが仕事のドイツ海軍では艦隊決戦用  最終兵器など特に使う機会もなく、逆に量産性やら整備性の悪さが指摘されて採用されなかったとか。  値段はただでさえ高い通常魚雷より高価なので、大井のように毎回20発撃ってたら財政が火の車になること間違いなし。  長射程が売りの一つだが、誘導性能があるわけではないので遠距離での命中率はかなり低い。  (これは酸素魚雷のみの話ではないが、例えばスラバヤ沖海戦にて日本軍はアウトレンジ戦法として遠距離からの砲雷撃戦に固執したが、参加艦艇全体で発射した魚雷188本のうち当たったのはわずか4本。命中率2%程度である)  そのため、射程を減らして炸薬を増やし破壊力を増加させる方向性で改良されていった。  威力を表すエピソードとして早発した魚雷の水柱をかぶった米戦艦のボイラーの火を消したとか  ゲームでは、システム的な問題のためか射程「短」なのがちょっと切ない。  なお、よくある勘違いだが航空魚雷は空気式魚雷である。  ちなみに酸素魚雷の信管は接触式のみ。 **甲標的(特殊潜航艇)  53cm魚雷2発を装備した小型の有人潜航艇。母艦より発進し、敵艦隊の通る海域に潜伏。  雷撃で奇襲をかけることで敵艦隊の戦力を削ぎ艦隊決戦を有利にする、というのが当初の開発思想であった。  ただし、発艦した艇を回収するのは非常に困難なため、事実上の特攻兵器として扱われることもある。  (発達した航空戦力の脅威を開発時考慮に入れておらず、また艦隊決戦に敗れた場合、甲標的の機動性では撤退する母艦に追いつけない)  まあ、元々のコンセプトが『人間が操縦できる魚雷』と『アレ』そのものであるため、いくら妥協しても特攻兵器と扱われて仕方ないと言えよう。  こちらも機密扱いで、潜航艇であることを秘するために甲標的と呼ばれた。  史実では太平洋戦争初頭に行われた真珠湾やシドニー湾の攻撃に用いられた。  真珠湾では搭乗員が日本軍初の捕虜となり、シドニー湾では現在も沈んだままの艇を確認できる。  ちなみに最大の戦果は英戦艦ラミリーズを大破させたこと。ただしこの戦艦、日本でいうところの[[扶桑]]姉様並の二線級艦なのだが。  ゲームでは……きちんと回収されていると思いたい。 **電探  電波探信儀の略。要はレーダー。水上(対艦用)と対空(航空機用)がある。  本項とは直接関係ないが、旧日本海軍は夜目が利く者を見張りに据えており、レーダーより遠くが「見える」人も居たとか。  ……そのレーダーがしょぼかっただけなんだけどね。  日本軍は特にこの分野に関しては後手に回り続けたが、「伊58乗艦中に危険な目にあったことがない」と橋本艦長が言ったように末期はある水準まで到達したようだ。  対するアメリカ軍は、大戦初期の頃こそ大した性能のレーダーを配備していなかったが、イギリスからの技術供与により性能が格段に向上。先手を取って行動できるようになり、日本海軍お家芸の夜戦も封殺されていった。 **爆雷  駆逐艦や軽巡洋艦が装備する、対潜用の水中爆弾。  艦からレールで直接、あるいは投射機で射出することで爆雷を海中に投下、投下された爆雷は設定された深度に達すると爆発。  爆発時の衝撃で潜水艦にダメージを与える。  潜水艦の深度や場所は水中聴音器・探信儀で探るが、爆雷による損傷を避けるため爆雷投下時はそれらを船内にしまわなくてはならない。 **水中聴音器  駆逐艦や軽巡洋艦等が装備する、音を聴くことで水上・水中の艦艇の居場所を探る装置。現在のパッシブ・ソナー。  自身が音を発して探知する探信儀(アクティブ・ソナー)と比較すると精度に劣るが、隠密性が高い。 **水中探信儀  駆逐艦や軽巡洋艦等が装備する、音波を発して音波の反射によって水上・水中の艦艇の居場所を探る装置。現在のアクティブ・ソナー。  艦艇の音を聴いて探知する聴音機(パッシブ・ソナー)と比較すると隠密性に劣るが、精度が高い。 **三式弾  日本軍が、戦艦や重巡洋艦の主砲用に開発した対空弾頭。  敵航空機編隊の手前で砲弾を炸裂させ、弾頭に仕込まれた大量の焼夷弾子によって敵編隊を一網打尽にする狙いの兵器。  ゲーム中ではそこそこ頼れる対空兵器だが、実際には砲弾の炸裂は時限信管で行われるため、高速で飛来する敵編隊に対し理想のタイミングで炸裂させることは困難で、派手な見た目ほど頼れる兵器ではなかった模様。  対地砲撃にも運用可能で、現在のクラスター弾のような使い方もされている。ヘンダーソン飛行場への砲撃作戦では大量の三式弾が撃ち込まれ、施設を火の海にするなど猛威を振るった。 **九一式徹甲弾  日本軍が開発した、戦艦や巡洋艦の主砲用徹甲弾。  砲弾が海面に着弾してもしばらくは水面下を直進する水中弾効果に着目し、比較的装甲が薄い喫水線下への攻撃を狙って作られた。  滑り止めのカバー(被帽)がついた砲弾の上に、更に水中弾効果を起こしやすくするカバー(風帽)を取り付けたもので、徹甲弾の種別で言えば風帽付被帽徹甲弾。  着水後はカバーが外れ滑り止め付き砲弾のみが直進していき、遅延信管により装甲を貫いた辺りで爆発する。  カバーのお陰で空気抵抗的にも有利なため、通常の徹甲弾より射程も長い。  視認できない箇所を狙う砲弾のため命中したかどうかがわかりにくく、性質上信管が0.4秒とかなり長く設定されているため、非装甲部位へ直に着弾すると爆発する前に貫通してしまい砲弾貫通以外のダメージがいかないのが難点で、金剛が護衛空母ガンビア・ベイをなかなか仕留められなかったのはそのせいと云われている。  また、通常弾と水中弾効果の発生割合はさほど変化がないともいわれている。   ちなみにゲーム中では戦艦では金剛型のみ九一式徹甲弾を装備できないが、史実では第二次改修にて使用可能となっている。  ゲームでも金剛改二・比叡改ニが実装されたが、今も装備は出来ない模様。 **噴進砲  現在でいうロケットランチャーの日本軍名称。炸薬の爆発により砲弾を加速して撃ちだすのではなく、弾頭底部に仕込まれたロケットの推進力によって弾自身が加速して飛ぶ。  この兵器は二次大戦で大きく進化したジャンルで、歩兵用の携帯型対戦車兵器、砲兵が扱う面制圧用の牽引式あるいは自走式の連装ロケット、航空機に搭載する空対地ロケット弾や対爆撃機用の空対空ロケット弾、果てはロケット推進の戦闘機や世界初の弾道ミサイルまで開発された。  ゲームに登場する12cm30連装噴進砲は機銃架に据え付ける防空兵装で、ロケット弾30発の連続発射による弾幕で艦を護るため開発された。  このロケット弾1発1発の中には三式弾のように焼夷弾子が入っており、時限信管で起爆するようになっている。いわば近接版三式弾か。  射程が短いのと装填に手間取るのが難点だが、派手な弾幕に敵爆撃機も思わず回避行動をとってしまうため、意外に有効な対空兵装だった。  ちなみに瑞鶴や伊勢らが装備したのは12cm28連装噴進砲。30連装噴進砲は空母葛城(艦これ未実装)等に装備された。 **回天  戦争末期に61cm酸素魚雷をベースに開発された、有人誘導魚雷。開発者は甲標的の講習員だった士官二名。  甲標的の子孫といえなくもないが、あちらが母艦が(困難ではあるが)回収する事が可能で乗組員の脱出も可能な小型潜航艇であるのに対し、こちらは魚雷そのものに人が乗り込んで運命を共にする人間魚雷である。  魚雷だが、発射管からの発射ではなく甲板に設けられたレールから海中に投下(北上の場合。伊号潜水艦の場合は甲板から直接発進)。中に乗り込んだ乗員は潜望鏡を上げ、そこから得た情報を元に潜望鏡を下げ魚雷を誘導、目標への直撃を狙う。外れた場合は潜望鏡を上げなおして再度情報を得る。  ハッチは俗説と違い内部からのみ開閉可能だが、脱出装置はないため一回発射されれば攻撃の成否に関わらず乗員の命はない。  (そのため上層部は当初この提案を却下し、開発決定後も「脱出装置をつけないとぜってー採用しない」と断言していたが、戦局の悪化と脱出装置の開発の遅れで、結局省かれてしまった)  元が魚雷であるため速度はともかく機動性に優れているとは言いがたく、また伊号潜水艦より浅い深度までしか耐えられないため、伊号を母艦とする場合母艦の水中機動に制限を課してしまうなど、特攻兵器ということを差し引いてもいろいろ問題のある兵器だった。  (回天は潜水艦で運用する53cm魚雷よりも大きいため、隔壁に守られた艦内ではなく甲板上に搭載されている)  なお開発者のうち一人は回天での訓練中の事故で死亡。もう一人は回天最初の特攻で、米油槽艦ミシンネワを道連れに戦死した。  兵器の性質上当然ゲーム中には登場しないが、[[北上]]や[[伊58]]といった史実で搭載した艦娘の会話で「アレ」として触れられることがあり、両名とも積みたくないと提督に漏らしている。 **次発装填装置  日本海軍の61cm4連装魚雷発射管などに装備された、魚雷の次弾装填を迅速に行うための装置。  魚雷発射管の側に設置される魚雷を搭載した箱型の装置で、撃ち終えた魚雷発射管を装填位置に旋回、装置から魚雷を発射管に移し替えることで装填を行う。  重巡等は天井クレーン式の次発装填装置もあった。  従来の魚雷発射管は予備魚雷が無いため、撃ち切ったら戦闘中どころか帰港まで再装填はできなかったが、この装置の搭載により装填作業中の安定航行(大体数分)が必要とはいえ魚雷の再装填が戦闘時でも可能となり、一発射管辺りの火力が大きく向上した。  ただしこの装置は駆逐艦の防御上のネックでもあり、実際に爆弾が次発装填装置に当たり、予備魚雷が誘爆して沈没した駆逐艦もいたりする(駆逐艦『秋月』)。  装備として実装されているわけではないが61cm四連装魚雷の図鑑で触れられている。また、神通の夜戦開始時の台詞「次発装填済み」は、台詞のコロンバンガラ島沖海戦にて神通を旗艦とする二水戦の駆逐艦が、魚雷を撃ち尽くしたと判断し突撃した米艦艇を次発装填装置で再装填した魚雷で返り討ちにした戦果を元とした台詞となっている。  ちなみに魚雷の代名詞といえば重雷装巡洋艦となった北上や大井だが、魚雷発射管を片舷に5基20門、両舷合計40門と多数搭載している代わりに次発装填装置は搭載されていないため、瞬間火力は高いが全弾撃ったら帰港までそれっきりだったりする。 **カタパルト  利根の台詞で触れられている、艦艇から艦載機を発進させるための装置。元々は投石機の事を指していた、飛行機を石と見立てれば納得できる。  飛行甲板の無い巡洋艦や戦艦から水上機を発進させたりするのに使われるもので、水圧式や火薬式、油圧式や空気式等いろいろあるが、基本的にはそれらの動力を用いて航空機を一気に加速し射出、離陸に必要な速度を確保するものである。  日本軍では巡洋艦や戦艦、水上機母艦といった艦種で水上機を発艦させるために火薬式カタパルトが使われていたが、連続使用に向かないこともあって艦載機を運用する空母への搭載はなかった。そのため、艦載機発艦時は艦をも風上へと走らせて離陸速度を稼ぐ必要があり、空母の設計(巡洋艦並の高速力)と運用(発艦時は風上に向かい全力航行)に制限を課せられた(とはいえ、現在の空母も発艦の際に風上に全速航行する必要があるのは変わらない)。また、甲板が狭く速度の出ない軽空母クラスの空母では、大型化し発艦距離が長くなった新型機の運用が出来ない(=艦体の大型化=護衛等の任務に支障が出てくる)という問題があった(飛鷹クラスでさえ風がなければ彗星発進不能)。  対するアメリカ軍はイギリスからの技術供与を受け油圧式カタパルトを空母に装備。正規空母の艦載機運用能力が向上したばかりでなく、軽空母や護衛空母のような小型低速の空母でも新型機の運用が可能となっていた。  現在はボイラーの蒸気を流用する蒸気式カタパルトが主流だが、新型の原子力空母では、原子炉から生み出される莫大な電力を活用して、磁力により加速するリニアカタパルトをCVN-78ジェラルド・R・フォードに設置した。 *艦載砲 **サイズ  センチ表記で端数が出るのは本来インチ表記のため。敵艦隊の砲はインチ表記。  12.7センチ(駆逐艦)→5インチ  15.5センチ(軽巡)→6.1インチ  20.3センチ(重巡)→8インチ(古鷹型、青葉型は当初20.0cmだったが後に内部を削って20.3cmに拡大)  35.6センチ(金剛)→14インチ  41.0センチ(長門)→約16インチ。ワシントン条約の制限は16インチ(40.6センチ)であるため、厳密には条約違反である。  46.0センチ(大和)→約18インチ。ちなみに18インチは45.7センチ **単装・連装・三連装  要は砲塔から砲身が何本生えてるか。  艦載砲ではないが、魚雷発射管も同じ。 **副砲  戦艦は、魚雷攻撃のために接近を試みる小型艦艇を撃退するための副砲を、主砲とは別に備えている。  大和は15.5センチ三連装を4基、他は14センチ~15.2センチ単装を大量と、駆逐艦や軽巡洋艦にとっては脅威。  しかし、航空戦力の脅威が増すに連れ、一部は対空火器へと置き換えられていった。  ゲームでは、15.5センチ三連装砲などは主砲専用のものと副砲として使用可能なものが別れている。  これは大和型の副砲は同型ながら、最上型での運用実績を元に改良されたものだからだとか。 **高角砲  対空火器と思いきや、実は仰角を大きく取れる砲というだけなので、船などを撃っても良い。  ゲームでは、12.7センチ連装高角砲を装備した千歳や千代田が対艦砲撃を行うのはこのため。  ちなみに対艦と対空の両方をこなせる砲を両用砲と言い、ゲームで対空能力を持つ砲はこれと見て良いだろう。  一般には高射砲と呼ばれるが、日本海軍では「陸軍と同じ呼び方なんて嫌だい!」という(つまらない面子を張る)ことで、高角砲と呼んだとか。 **機銃  基本的に飛来する敵航空機を攻撃するための火器。  だが実際には『敵機を追尾し撃墜する』ものではなく、『弾幕を張って敵攻撃機を近づけさせない』ための自衛装備の意味合いが強い。  口径が小さい(センチとミリの違い)ので、装甲が施された戦闘艦艇に対する攻撃力は期待できない。  ただ、史実では爆発物や可燃物に命中し、結果として撃沈に至った例もあったとか。  あまり関係ないが、現代では口径が20ミリ未満なら機関「銃」、20ミリ以上なら機関「砲」と呼ばれる。  しかし、旧日本海軍では銃と砲の境目が40ミリだったため、ゲームでは25ミリも「機銃」となっている。細かい。  航空戦力の脅威増加と共に増設が進んでいき、大戦後半にもなると甲板各所はもちろん艦橋上や主砲塔上などにも銃座が追加されている。  (航空戦艦の伊勢・日向の肩にある主砲上にある機銃は、後から追加されたもの)  ただ増設された銃座には爆風避けのシールドがない物が多く、爆風の被害範囲に増設された銃座の機銃手は、主砲や副砲の発射時は艦内に退避しないと大変なことに…。 *艦艇自体 **速力  艦隊の速度は一番遅い船に合わせられる(置いていくわけにいかないので)。  ゆえに、高速艦の中に低速艦を混ぜると、速度に由来する何らかのペナルティを受けるという公式回答。  (具体的なペナルティの内容は未回答。詳細は [[公式回答集]] を参照されたし)  史実の最大船速は大体こんな感じ。40ノットで時速74キロ、30ノットで時速56キロ。(1ノット=時速1.852キロ) -駆逐艦:30ノット後半 -軽巡洋艦:30ノット中盤 -重巡洋艦:30ノット前半 -速い戦艦:25ノット~30ノット前後 -遅い戦艦:20ノット前後 -正規空母:30ノット前後 -速い軽空母:30ノット前後(軽巡や重巡の改造、もしくは空母として建造されたタイプ) -遅い軽空母:20ノット前後(貨物船やタンカー、外洋客船などの船を改装したタイプ)  ゲームでの低速と高速の境目は27ノットあたりと思われる。([[大和]]が低速扱いで[[加賀]]が高速扱いの為)  ちなみに、普段は燃費の良い巡航速度で航行する。 **装甲  艦全体をくまなく防護しようとすると、重量がかさんで別の不具合が現れるようになってしまった。  このため、重要な部分のみに重装甲を施して他は妥協するようにした。これを集中防御方式と呼ぶ。  また、この重要な部分のことを [[バイタルパート>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88]] と呼ぶ。  扶桑型の防御が弱いのは、このバイタルパートが長大で十分な防御が施せないため。 **缶  ボイラーのこと、艦にとってのエンジンみたいなもん。ボイラーから生まれる蒸気でタービンを回し、スクリューを回す。  今でも使われている言葉で、「汽罐」で検索すると企業が結構見つかる。  なお、潜水艦は浮上時はディーゼルエンジン、潜水時はモーターとバッテリーで駆動する(ディーゼルなら圧縮空気で即機動するがボイラーは蒸気が出来るまで時間がかかる)。 **超弩級戦艦  イギリスが建造した画期的戦艦、ドレットノート(ド級。弩は当て字)を超える戦艦、という意味。  あまりに画期的な戦艦だったがために各国が弩級戦艦や超弩級戦艦の建艦競争を始めてしまったため、皮肉にも語源であるドレットノートはわりと早い段階で旧式化してしまった。(登場した瞬間から''ニュースタンダードの最古参''になってしまうため)  ちなみに現在艦これで実装されている戦艦は、全て超弩級戦艦である。 **ビッグ7  [[長門]]の図鑑に記載があり、[[長門]]本人もなにかと口にする単語。  16インチクラスの砲を搭載した当時世界最強の7大戦艦…すなわち、  日本の長門型([[長門]]、[[陸奥]])  アメリカのコロラド型(コロラド、メリーランド、ウエストバージニア)  イギリスのネルソン型(ネルソン、ロドニー)  を指した言葉。 **イージス艦  [[霧島]]、[[妙高]]、[[鳥海]]といった艦娘の図鑑に出てくる言葉。  戦後にアメリカ軍が開発した防空戦闘、特にソ連の飽和攻撃(敵の迎撃能力を超える攻撃を一気に送り込むことで直撃を狙う、ソ連らしい力技)への対応を重視した火器管制システム(イージスシステム)を搭載した艦船を指す言葉であり、駆逐艦や巡洋艦といった艦種を指す言葉ではない。  極端な話戦艦や空母、潜水艦でもイージスシステムを搭載すればイージス艦となるが、基本的には巡洋艦や駆逐艦に搭載されるもの。  現在海上自衛隊ではこんごう型護衛艦として「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」、あたご型護衛艦として「あたご」「あしがら」の6隻のイージス艦が就役している。  ちなみにイージスの由来は、ギリシャ神話で戦神アテナが持つ邪悪を払う盾の名前(アイギス)。なるほどなー。 **八八艦隊計画  [[長門]]、[[加賀]]などの図鑑に出てくる言葉。1920年までに米海軍のダニエルズプランに対抗して計画された、日本海軍の艦隊整備計画の通称。  最終案では在来の保有艦に加え41cm以上の口径の主砲を搭載した戦艦8隻と巡洋戦艦8隻、そして5500t巡洋艦23隻をはじめとした大量の補助艦艇を整備する、超大規模な計画となった。  [[長門]]型はこの計画の戦艦第一陣として計画されたもので、その後建造される加賀型戦艦、天城型巡洋戦艦はより強力な艦として仕上がる予定だった。  しかし1922年のワシントン軍縮会議で主力艦の保有制限が厳しく制限されたため、そのピリオドは打たれることとなる。  結局この計画で完成した主力艦は[[長門]]と[[陸奥]](建造工程6割の所を強引に完成したと言いはった)、また空母に改装された[[加賀]]、[[赤城]]のみである。  また、主力艦の燃料消費が大きくなることが予想されたため、燃料消費を抑えた新設計の軽巡洋艦(川内型)も建造されている。(当初は8艦建造予定だったが八八艦隊計画終了により[[川内]]、[[神通]]、[[那珂]]の3艦で終了)。  しかし、もしこの計画が実現していたら日本は&bold(){軍艦建造費だけで国家予算の1/3、維持費に至っては国家予算の半分}を費やすこととなる。  日本のためにも、むしろ実現しなかったほうが良かったのであろう。%%どんな米帝提督だって、長門型以上の大食らいを14隻も保有・運用などできるはずがないのだ。%% **Uボート  [[伊8]]の図鑑に出てくる言葉。潜水艦の中でも、特にドイツ海軍の潜水艦を指す言葉。  通商破壊が主任務ということもあって、日本海軍の潜水艦と比較すると小型。  一次大戦・二次大戦と商船を狙った通商破壊で暴れまわり、連合国側、特にイギリスに恐れられた。  ちなみにUボートの意味はドイツ語でウンターゼーボート(水の下の船)…意訳すればそのものずばり、「潜水艦」である。   *戦闘 **陣形  主に公式でフォローされていないものについて。  単縦陣と輪形陣だけじゃ寂しいからと員数合わせに突っ込まれた気がしないでもなく……。 &sizex(3){&bold(){単縦陣}}  ゲーム的に役立ちそうなことは [[陣形]] へ。  陣形のページにも書いてあるが、各艦が一斉に回頭(旋回)することで、梯形陣、単横陣と陣形が変わる。  艦隊が一斉に180度回頭した場合、最後尾の艦は先頭になるため、そちらにも第二の旗艦を務められる人物が必要になる。  これが、英語で海軍少将を意味する”Rear Admiral”の由来。 &sizex(3){&bold(){複縦陣}}  対潜航行時や水雷戦隊が使用する陣形とのこと。  単縦陣より隊列の長さが短いため、無線以外(信号旗、信号灯)による命令が伝わりやすい。  いざ砲雷撃戦と言う時には、それに適した単縦陣へと隊列を変更する。 &sizex(3){&bold(){単横陣}}  公式に「宇宙のソロモン戦争で用いられた」とやる気のない説明をされている陣形(元ネタはガンダム)。  史実では [[衝角(ラム)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9D%E8%A7%92]] 戦術が主流だった時期に用いられた。  またこの陣形は横方向からの連続した攻撃が行いにくいのと、広範囲の爆雷攻撃に向いているため、潜水艦からの被害を抑えるのにも適している。  日本海軍では潜水艦による哨戒線展開として横一列を使用し、逆手を取られて対潜掃討で大被害を被った。  そのため大戦中ドイツ海軍の潜水艦(Uボート)に悩まされ続けた英国が、横陣と輪形陣を組み合わせた大型輸送船団の航行方法を編み出し、Uボートによる被害を減らしたのは有名。  艦これの時代では、主に対潜や索敵などで使用される陣形。 &sizex(3){&bold(){梯形陣}}  帝国海軍では単梯陣と呼んでいた模様。  艦これでは「/」のみだが、中央の艦に対して両翼が前進して∨字を描くと前翼単梯陣、後退してΛ字を描くと後翼単梯陣。  &sizex(3){&bold(){輪形陣}}  旗艦を中心として、他の艦を円状に配置する陣形。  周囲の艦が対空砲火の壁を張り巡らせるため、敵航空隊は中央の艦を攻撃することが難しくなる。  また、外周に位置する艦艇にレーダーを搭載することにより、艦隊の探知範囲を大きく広げることができた  砲雷撃には向かない配置だが、空母機動部隊のように他の攻撃手段を用いる艦隊には問題ない。  ちなみに、この陣形には潜水艦に対する攻撃・防御にも有効なため、僚艦には対空能力に併せて対潜能力も要求される。  現在の米海軍の主戦力である空母打撃群で、多数のイージス艦と一隻の空母と潜水艦でこの陣形を組む姿は有名。    余談:太平洋戦争末期のアメリカ海軍の輪形陣は中小艦艇合わせて60~100隻以上、直径はピケットラインを含めると70~80キロの巨大な物となっていた。     米帝マジチート。 *編成名の呼称 **艦隊  複数の戦隊を編成した部隊のこと。  戦隊が2つ以上編成されていないと艦隊とは呼ばないため、  たとえば戦隊1つ&駆逐隊1つで編成された部隊は基本的には艦隊とは呼称しない。 -航空艦隊:いくつかの航空戦隊で編成された部隊。 -機動部隊(機動艦隊):航空母艦を主力とし、これを補助する艦艇で編成した部隊の呼称。 &sizex(3){&bold(){編成クエスト例:「三川艦隊」を編成せよ!}}  ゲーム内では重巡洋艦「[[鳥海]]」「[[青葉]]」「[[加古]]」「[[古鷹]]」、軽巡洋艦「[[天龍]]」の編成でクリアとなる。  史実では他に「[[衣笠]]」「[[夕張]]」「[[夕凪]]」がおり2個戦隊であったため呼称が艦隊。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦隊}} -南雲機動艦隊 南雲提督の指揮下、開戦初頭から中盤まで日本海軍の主力として戦った。 空母・[[赤城]]を旗艦とし、熟練搭乗員の巧みな航空攻撃で真珠湾攻撃から開戦初頭の快進撃を支えたが ミッドウェー海戦にて中核である[[赤城]]・[[加賀]]・[[飛龍]]・[[蒼龍]]が全滅して劣勢になり、ついに優勢を回復できなかった。 世界初の機動部隊とされるが、(南雲本人を含む世界の)海軍はあくまで戦艦中心の艦隊決戦を考えていた為、 南雲艦隊の空母部隊には十分な護衛艦艇は随伴しておらず、それがミッドウェーの大損害の一因ともなった。 南雲提督の人事異動に伴い、小沢提督に引き継がれた。 -小沢機動艦隊 南雲の後任である小沢提督の指揮下、中盤から壊滅までを戦った。 戦艦部隊・巡洋艦部隊も護衛に組み込んだ大規模な編成で史上最大の機動部隊決戦となったマリアナ沖海戦に挑んだ。 しかし開戦以来、消耗を重ねた艦載機搭乗員の練度は着艦も満足にできないほど低下していたこと、 何より機動部隊の威力を痛感したアメリカ海軍が倍以上の機動部隊戦力を整えていたことなどから、 「マリアナ沖の七面鳥撃ち」と嘲笑されるほどの大惨敗で主力空母3隻([[大鳳]]・[[翔鶴]]・[[飛鷹]])も失い、事実上壊滅した。 続くレイテ沖海戦では十分な艦載機も持てない空母部隊は戦力として期待されず、 アメリカ機動部隊の攻撃を、戦艦部隊からそらすための囮役として出撃。 敵機動部隊の攻撃を引き付けることに成功したものの、[[瑞鶴]]・[[瑞鳳]]・[[千歳]]・[[千代田]]から成る空母部隊は全滅。 以後、日本海軍が機動部隊を編成して戦うことは無く、ここに日本海軍機動部隊の歴史は終わった。 **戦隊  2個以上の軍艦(注意:船の数ではない。狭義の軍艦。)で編成された部隊のこと。  軍艦についての詳細は下部記載の項目「軍艦」を参照。 -航空戦隊:航空母艦または水上機母艦、基地航空隊で編成された部隊。 -水雷戦隊:軽巡洋艦と複数の駆逐隊で編成された部隊。 -駆逐連隊:軽巡洋艦が無く駆逐隊だけ、または駆逐隊がひとつしか無いなど水雷戦隊より1段下の場合の呼称。 &sizex(3){&bold(){編成クエスト例:「第五航空戦隊」を編成せよ!}}  ゲーム内では正規空母「翔鶴」「瑞鶴」および駆逐艦2隻の編成でクリアとなる。駆逐艦は史実では「[[曙]]」「[[潮]]」。  1個航空戦隊と1個駆逐隊の編成であり、戦隊が複数ではないため部隊は艦隊ではなく戦隊となる。 **軍艦  狭義の軍艦。旧日本海軍が軍艦と定めたもののことで、  戦艦、航空母艦、一等巡洋艦(重巡洋艦)、二等巡洋艦(軽巡洋艦)、水上機母艦はそれ一隻で軍艦だが、  駆逐艦は単艦では軍艦として認められず、複数集まって駆逐隊となって初めてひとつの軍艦という扱いとなる。  潜水艦も同様に、複数集まって潜水隊となって初めてひとつの軍艦となる。 **駆逐隊  複数の駆逐艦で編成された部隊。この駆逐隊となって初めて軍艦の扱いとなる。 &sizex(3){&bold(){編成クエスト例:「第六駆逐隊」を編成せよ!}}  ゲーム内では「[[暁]]」「[[響]]」「[[雷]]」「[[電]]」の編成でクリアとなる。  1個駆逐隊=軍艦1つのため艦隊でも戦隊でもない。  余談:「駆逐&bold(){隊}」のことを「駆逐&bold(){艦隊}」と誤読しないよう注意。それぞれ意味が全然違うので。 暁響雷電ちゃんたちは「第六駆逐隊」だよ!艦隊じゃないよ! //編制→編成の修正ついでに駆逐隊について追記。間違えて思えちゃっている提督が多いみたいですので。 **潜水隊  複数の潜水艦で編成された部隊。駆逐隊と同様、潜水隊となって初めて軍艦の扱いとなる。  そのため旧日本海軍としては(ゲーム内では敵として登場する)潜水艦4隻は艦隊でも戦隊でもない。 *人物 図鑑や任務、艦娘の台詞などに登場する人物 // // 編集に参加して下さる方へ // 簡潔にお願いします。詳しいことは Wikipedia などへ。 // // ということで一部コメントアウトにしときます **山本五十六  五十鈴の図鑑に登場。名前は「いそろく」と読む。  海軍大将。言わずと知れた太平洋戦争開戦時の聯合艦隊司令長官。稀代の博打打ちで真珠湾攻撃の発案、決定は彼によるもの。  しかし、本人はアメリカ駐在時などに国力の差を肌で実感しており、対米戦争には反対していた。  とかく軍神・名将と祭り上げられがちだが、十分な護衛の無い状態で空母部隊を先行させたミッドウェーの指揮など批判も多い。  本人も総司令官より一艦隊を預かる艦隊指令の方が向いていると考えていたようである。  また当人が軍政家のため、GF長官よりも海軍大臣の方が向いていたんじゃないかという意見も、当時の海軍将官からちらほら出ている。  (実際にはGF長官就任は、開戦反対派の山本を暗殺の魔の手から遠ざけるための措置だったらしい)  日本海海戦にも参加していて、この時乗艦『日進』の副砲暴発に巻き込まれ、左手の人差し指と中指を失っている。  戦局が悪化する中、直々に南方戦線の視察中にアメリカ軍戦闘機隊の待ち伏せに遭い、乗機の一式陸攻がP-38に撃墜されて戦死。  主な乗艦  [[北上]]、[[五十鈴]]、[[赤城]]、[[長門]]、[[大和]]、[[武蔵]] **南雲忠一  赤城の台詞に登場。  海軍中将。第一航空戦隊の赤城・加賀、第二航空戦隊の飛龍・蒼龍を主力とする世界初の空母機動部隊の司令官として知られるが、実際は当時の日本海軍の(悪い)慣習であった年功序列による栄転で、本来の専門は水雷と艦隊運用。  そのため航空部隊は完全に門外漢で、航空参謀の源田実の意見を積極的に取り入れた(そのため南雲機動部隊は『源田艦隊』の通称もあった)。  反面、操艦に関しての腕は良く、ミッドウェー海戦で自ら[[赤城]]の操艦を行い、航空魚雷6本を回避していたりする。  ミッドウェー海戦では説得を容れて炎上する赤城から脱出するも、後にサイパンで自決。  戦後はミッドウェイの一件だけでボロクソに叩かれていたが、近年再検証と再評価が始まっており、彼も名誉回復が待たれる。    主な乗艦  [[那珂]]、[[高雄]]、[[山城]]、[[赤城]]、[[翔鶴]] **山口多聞  五十鈴と飛龍の台詞に登場。  楠木正成の幼名「多聞丸」が名前の由来だが、彼のあだ名も飛龍がよく台詞で言う「多聞丸」である。  海軍少将。護衛機を付けずに爆撃隊を飛ばしたり、航空隊に猛訓練を科したことから「人殺し多聞丸」というあだ名を奉呈される。  飛龍・蒼龍から成る第二航空戦隊の司令官としてミッドウェー海戦に参加。アメリカ軍の攻撃により[[赤城]]・[[加賀]]・[[蒼龍]]が戦闘不能に陥る中、飛龍一艦の航空隊をもってアメリカ艦隊に一矢報いたものの、アメリカ軍の再反撃により損傷し沈みゆく[[飛龍]]と運命を共にした。  アメリカからは山本五十六よりも優秀な軍人として高く評価されていた。  ちなみに[[搭>飛龍]][[乗>長門]][[艦>伊勢]]よろしく本人も大食漢で、留学から帰る際に友人たちと競争して客船の食堂の全メニューを制覇したり、  [[大和]]での会食の際には「美味いが量が少ないね」と発言、山本長官が以後山口にはビフテキ2枚を出すように指示したといった逸話も持つ。  主な乗艦  [[由良]]、[[五十鈴]]、[[伊勢]]、[[長門]]、[[蒼龍]]、[[飛龍]] **小沢治三郎  「瑞鶴」の台詞に登場。  海軍中将、最後の連合艦隊司令長官。空母の集中運用を早くから唱えていたことからわかるように、識見はあったが結果が出なかった将として知られる。  マリアナ沖海戦時、第1機動艦隊兼第3艦隊司令長官。敵の機先を制して攻撃をしかける「アウトレンジ戦法」で勝利をつかもうとする。  しかし、南太平洋で消耗した航空隊の練度は開戦時に及ぶべくもなく、さらに電探により航空機隊を補足され、先手を取られたと判断した敵将マーク・ミッチャー中将が無理に攻撃隊を出さずに迎撃に徹した結果、新兵器VT信管の効果も相まって「マリアナの七面鳥撃ち」とまで呼ばれる大敗を喫す。  そしてレイテ沖海戦では「[[瑞鶴]]」に将旗を掲げ、栗田艦隊をレイテ泊地に突入させるためのおとりとして「[[千歳]]」「[[千代田]]」「[[瑞鳳]]」を率いてハルゼー艦隊を見事に釣り出した。  しかし栗田艦隊は突入寸前に反転、小沢機動部隊は空母のすべてを失い、彼の行動は無に帰してしまった。  主な乗艦  [[摩耶]]、[[榛名]]、[[鳥海]]、[[翔鶴]]、[[瑞鶴]]、大淀 **井上成美  比叡の図鑑に登場。名前は「しげよし」と読むが、「せいび」とも呼ばれていたとか。  最後の海軍大将。非常に頭が切れ、戦前には軍政部門、戦中には教育部門で大きな足跡を残したが、清廉潔白が過ぎる人柄のため不義を許さず、衝突も多かった。  海軍省軍務局第一課長を務めていた頃、「軍令部令並に省部事務互渉規定改定」((海軍省の持つ統帥権や人事権を軍令部によこせと言う、軍令部が勝手に戦争起こしかねない改定))を巡って海軍省と軍令部が対立。  この改定を一向に認めようとしない井上は、軍令部側の代表者であった南雲忠一に「ぶっ殺すぞ!」と暴言を吐かれたこともある。  また米内光政や山本五十六と共に、戦前は三国同盟反対、対米戦反対の立場(条約派)の中心人物であったことでも有名。  緒戦では南洋方面に展開する第四艦隊司令として指揮を取ったが、ウェーク島攻略失敗、珊瑚海海戦での空母喪失など、指揮した戦闘の評価は低く、本人も戦下手を認めている。  珊瑚海海戦後しばらくして海軍兵学校校長に就任。  軍事色と右傾化が強くなっていた学内風潮を改革し、最後まで普通学を重視して、『戦士』ではなく『紳士』を教育することをモットーとした。  終戦間際には海軍次官として終戦工作に奔走したが、海軍大将就任や米内の海相進退問題、終戦観の違いを巡って盟友米内と衝突。  そして米内と仲違いの末に大将就任とともに次官を罷免。軍事参議官に転任となった。  戦後は横須賀市長井の自宅に隠遁。自宅で英語塾を開いたりして糊口を凌いでいた。  晩年は兵学校時代の教え子たちに援助されつつ、教育や防衛に関しての数々の助言を行っている。  軍政家や教育者として評価されることはあるが、この手のゲームで名前が挙がるのは珍しい人物。  練習戦艦時代の比叡の艦長を勤めており、比叡ほどの大艦を大連港の桟橋に横付けしてみせたという逸話も残っている(専門は航海科)。  井上曰く比叡艦長時代は『人生で最も愉快だった時代』で、退艦した後も執務室に比叡の油絵を飾るなど、かなり気に入っていたようである。  なお本人は大きな船だと酔う体質で、比叡艦長時代は常に船酔いしていたとか。  主な乗艦  [[比叡]]、鹿島 **大井篤  海軍大佐。船団護衛やその護衛艦の任務につく予備士官の拡張を主張した人。  海上護衛総司令部を創設時に参謀。戦後、「海上護衛戦」を著す。とかく通商路の確保に無理解な海軍上層部と現場に挟まれた苦労人。  例1:「商船を守る護衛艦をください」→「じゃあ軽空母回すよ」→来たのは入渠しないと航空艤装が使えないonbr艦(艦これにも出ているが本人のプライバシーを守るため特に名を秘す)  例2:対潜装備を充実させた航空隊がようやくできたよ!→戦果確認のために偵察に出せ→全滅  極めつけは大戦末期、枯渇する中割り当ててもらった重油6000トンのうち2000トンを大和特攻のため召し上げられる。  さすがにマジギレして電話口で「国を挙げての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎」と怒鳴ったそうである。  なお戦後、海上自衛隊が対潜キ○ガイ&シーレーン防衛に重点を置くようになったのは米帝の潜水艦に油やボーキサイトのみならず、食料まで締め上げられたトラウマのせいである。シーレーンはきちんと守ろうね!  そして、前述の出来事から、戦後は大和乗組員の生存者の会で大和と武蔵をボロクソにこき下ろしたのも有名なお話。  ただ米軍側の資料には輸送船団の定期的な暗号通信がなけりゃここまでズタボロにできなかったとも書かれている……海上護衛総司令部自体が慢心していたのかもしれない。  このゲームには出てこないのに、どこからともなく名前が出てくる人。  いずれ海防艦が出るらしいのでその図鑑ででるかも?  ……と思っていたら、2013年6月12日に追加された特注家具、“海上護衛”掛け軸の説明においてまさかの艦これデビューを果たす。全提督に資源輸送の大切さを説いているとかいないとか。  理詰めなところが井上成美と似ているためか何かと接点が多く、かつて井上の書いた戦略テキストを発掘して熟読したり、比叡乗務の友人に「お前井上艦長と絶対ウマ合うぞ」と言われたりもしている。  主な乗艦  [[日向]]、[[扶桑]]、[[鳥海]] **源田実  海軍大佐。日本海軍では珍しいパイロット出身の高級士官で、開戦時の南雲機動部隊の航空参謀。  航空機畑出身だけあって航空論者であり、日華事変ではそれまであくまで援護用と考えられていた戦闘機で、制空戦というジャンルを開拓。  太平洋戦争では真珠湾攻撃からミッドウェー海戦まで南雲機動部隊の航空参謀を務めていた。  この航空参謀時代、航空戦の門外漢である南雲提督は頻繁に源田の提案を受け入れたため、南雲機動部隊は「源田艦隊」の仇名で呼ばれ、源田自身も困惑したとかなんとか。  戦争末期には紫電改を集中配備した伝説的な防空部隊、三四三航空隊の指揮官を勤めた。  戦後は航空自衛隊幕僚長や参議院議員を歴任した。空自初代F-XでのF-104の選定や、ブルーインパルス設立も源田の功績。  だがその一方で、戦闘機不要論をブチ上げ有能な操縦士を輸送機に左遷したり、ミッドウェー海戦での異常な慢心、特攻兵器桜花の採用、政治家時代には大物右翼と関係を持つなど問題行為も数多く行っており、評価が真っ二つに別れる人物。    ちなみに「[[加賀]]」の「鎧袖一触よ、心配いらないわ」と言うセリフは、ミッドウェー攻略作戦に際して行われた兵棋演習での源田の発言による。  この言葉は後の創作とも言われているが、もし本当なら&bold(){慢心ここに極まれりである}。  主な乗艦  [[赤城]]、[[加賀]]、[[龍驤]]、[[瑞鶴]] **工藤俊作  海軍中佐。開戦時の駆逐艦[[雷]]艦長で、1942年8月からは[[響]]艦長を務めた駆逐艦乗り。  185㎝・95㎏という堂々とした体躯に加え柔道の段位持ちという猛者でありながら、非常に温和な人物で「工藤大仏」の渾名もあったほど。  [[雷]]乗務時代にスラバヤ沖海戦で撃沈した敵艦三隻の乗員を僚艦の[[電]]とともに救助し、彼らを捕虜とせず、賓客としてもてなしたエピソードが特に有名。  この話は帝国海軍の美談として書籍やテレビドキュメンタリーにもなっている。  しかし本人は[[響]]艦長に転属後、自分の与り知らぬところで[[雷]]が沈没し、乗員全員が犠牲になった事の自戒としてこの話を生涯口外しなかったと言う。  戦後は故郷の山形で過ごしたが、後に家族の仕事を手伝うため埼玉県に移住。家族が敵兵救助の話を知ったのは彼の死後、救助された英海軍士官の口からだった。  ちなみに前述の大井篤とは兵学校の同期で、彼の死に際に駆けつけてきた。  主な乗艦  [[雷]]、[[響]] **黛治夫  海軍大佐。[[大和]]副長、[[利根]]艦長などを務めた砲術のエライ人。名前は「まゆずみ はるお」と読む。  松田千秋少将と並ぶ砲術屋で、戦後、「海軍砲戦史談」、「艦砲射撃の歴史」を著す。  「海軍砲戦史談」は陣形、艦砲射撃の計算の仕方・撃ち方、日本海軍の砲戦事例などが書かれている。  一般には「日本海軍の射撃の命中率はアメリカ海軍の三倍だ」との名(迷?)言が特に有名。  一方で[[利根]]艦長時代に艦籍を偽って英商船に接近、これを撃沈し、捕虜を処刑するなどのエグイこともやってたりする。  (ビハール号事件。言うまでもなく戦時国際法違反であり、戦後に戦犯訴追され懲役刑となっている)。  戦後は一時期上記事件のおかげで香港に収監されていたが、後に帰国。水産会社に入社し、捕鯨砲の開発などを行った。    主な乗艦  [[古鷹]]、[[大和]]、[[利根]]、秋津島 **木村昌福  海軍中将。海軍兵学校を下から二番目という惨憺たる成績で卒業するも、重巡「[[鈴谷]]」艦長や第二・第一水雷戦隊司令官を歴任した、生粋の水雷屋。  トレードマークは顔からはみ出す立派なカイゼル髭。名前の読みは「まさとみ」で、あだ名は名前の音読みである「ショウフク(ショーフクとも)」。  米軍の包囲網の中にあり成功も困難なキスカ島撤退作戦(3-2「キス島撤退作戦」の元ネタ)を、1名の戦死者も出さず成功させた事で有名な司令官。  1度目の突入時には霧が晴れた為に突入を中止、はやる指揮下駆逐艦をなだめ「帰ろう。帰ればまた来られるから。」と帰路に就く。  無論司令部は激怒し要員を送り込んだりなどした((艦隊を動かす燃料の枯渇や、霧が発生しない季節になりつつあった為))が温厚で勇猛なショウフク司令は全く意に介さず、釣りや将棋をしながら次の作戦を練っていた。急いては事をし損じる、というわけである。  2度目の突入時はついに霧が発生し、米軍艦隊がレーダーの虚像に惑わされて海原に攻撃→補給の為離脱すると言う奇跡のタイミングでキスカ島に突入し、見事全員を生還させた。  他にも味方艦隊に[[座乗艦>鈴谷]]が機関故障と偽って海域に留まって[[大破した味方艦>三隈]]の乗員を救助したり、敵の民間輸送船を乗組員を退避させてから沈めるなど、敵味方問わず可能な限り人命を尊重するエピソードも多い。  戦後は自分を慕う部下と共に製塩業を興した。家族に海軍での出来事を語らなかったため、家族がその功績を知ったのは晩年戦史家が取材に訪れた時だった。  無理をせずに時を窺い万全を期すその言葉は、艦これにおいても、無理な進撃で愛娘を轟沈させかねない作戦指揮を諌める重要な戦訓である。  失った艦娘は戻ってこないのだ、今一度考えよう。   主な乗艦  [[神通]]、[[鈴谷]]、[[白雪]]、[[阿武隈]]、[[霞]] **平賀譲  「[[妙高]]」「[[夕張]]」の図鑑に登場。  海軍中将。造船官として戦艦紀伊型(ゲーム未登場)、重巡洋艦古鷹型、妙高型、軽巡洋艦夕張、川内型、駆逐艦神風型、若竹型を設計した名設計家。  またこれ以外にも戦艦扶桑型、長門型、大和型などの設計にも(いずれも主任設計者ではないが)関わっている。  特に「[[夕張]]」は実験艦としてさまざまな新設計案を盛り込み、排水量の割に重武装となって海軍を喜ばせた。  設計の傾向としては復原力を重視し、やたらと兵器を積みたがるユーザー(海軍)には断固として反対し、「平賀不譲」「ニクロム線」(熱するとすぐ赤くなることから)のあだ名を奉られる。  手堅い設計を好むがゆえに、当時の各種新技術を重視せず、ダメージコントロール術にも無理解だった。一例としてリベット工法に固執し、結果的に重量面や被弾時に不利になるという一面もあった。また、居住性が犠牲になりやすい事(特に顕著なのが古鷹型)や、設計が複雑すぎるのも特徴とも言える。  上記の性格が窺い知られるエピソードに、左遷中、老朽化した金剛型の代替艦の建造が計画された際に、当時の筆頭造船官であった藤本喜久雄少将の設計案に納得がいかないと勝手に代替艦の設計案を作成・提出し、海軍内部で大いに顰蹙を買ったと言う伝説がある。  しかも自信満々に提出したその戦艦の設計案も、平賀の悪癖である異なる門数の主砲塔混載に、荒天時の使用が限られるケースメイト式副砲を採用するなどの旧式な設計を用いたため、当時の海軍での評価は低かった模様。  藤本との関係が険悪だったのは非常に有名な話で、二人の不仲は当時の海軍では知らないものがいなかったと言われている。  退官後は東大総長となり、急速に軍国主義に傾いていく世相の中、英語教育を重視するなどバランスの取れた教育に力を入れた。  総長時代、東大内部で巻き起こっていた主義主張に関わる内紛に終止符を打たせた『平賀粛学』が最も有名な功績のひとつ。  晩年は咽頭癌に苦しみ、死の前年に古鷹・加古戦没の報を聞いた際には我が子を失ったが如く嘆いたという。  1943年、自らが設計した艦が南洋の海に横たわっていくのを追うかのように死去。  暴言暴挙や特定人物のえこひいきなどが目立ち、とりわけ藤本と藤本派造船官への嫌がらせに関するエピソードは枚挙に暇が無いほど。  しかし、お世辞にも人格者とは言えないが、技術者としては非常に優れた才覚を持ち、多数の功績や多彩な逸話も残している。決して悪行だけの人間ではなかったのは付け加えておく。  なお、ゲーム内で[[夕張]]がやたらと蕎麦を食べたがるのは、平賀が喉頭癌の闘病時、最後に食べたがった食物であることに由来すると思われる。  主な設計艦  [[加賀]]型戦艦、紀伊型戦艦、[[川内]]型、[[夕張]]、[[古鷹]]型、[[妙高]]型 **藤本喜久雄  海軍少将。特型駆逐艦、高雄型重巡洋艦、最上型重巡洋艦などを設計した、平賀譲と並ぶ名造船官。  長門型戦艦の煙突は排煙に問題があり、平賀はこの解消のために試行錯誤を繰り返すも、結果は芳しくなかった。  藤本はこれを煙突を屈曲させることで解決。「芋虫煙突」と揶揄されたこの「屈曲煙突」はしかし、後の日本軍艦艇の機関設計に影響を与えた。  ところが平賀は、これら藤本の提案を無断で借用。藤本もまた平賀の海外出張中に、軍令部の意向で青葉型・妙高型の設計を平賀に無断で変更する。  これらの出来事や、軍令部の意見を通しにくい平賀に代わって藤本が艦政本部の主任設計者になったのが重なり、藤本は以後様々な場面で平賀と対立することとなる。  設計の特徴としては、用兵側の無茶な要求にも精一杯答え、電気溶接やダメージコントロールと言った新技術を次々取り入れる柔軟さが挙げられる。  ただし、蓄積が不十分な技術を使用し、上層部の無理難題を受け入れてしまった点は平賀に批判されており、実際にそれが後の悲劇に繋がることになった。  その他にも、平賀の設計では何かと無視しがちだった艦の居住性を重視している。尤もこれは、機能性を追及するあまり居住性を省みなかった平賀と比較しての話であるが。  上述の通り、条約による制限と軍令部の要求の中で無理な設計を行ったこと、導入した新技術が未熟だったことが原因で、1934年に「友鶴事件」が発生。  当時艦政本部の責任者であった藤本は、多数の死傷者を出し問題を生んだ「友鶴」を含む千鳥型水雷艇の設計の責を一身に負わされ、その名声と信用は失墜。謹慎処分を受けてしまう。  1935年、謹慎処分中に失意のまま脳溢血により死去。  藤本の残したデータは彼の死後、平賀の手によって処分されたと言われており、また藤本の弟子たちも平賀の横暴によって辛酸を舐め続けた。  追い討ちを掛けるかのように、死の同年に発生した「第四艦隊事件」により、藤本の導入した当時の日本の溶接技術の稚拙さが問題とされてしまい、結果的に評価を更に下げることとなってしまう。  後期の日本海軍を代表する名設計家であり、新技術に対する先見性なども持ち合わせながら、海軍を揺るがす事件の責任を問われたがために不遇の晩年を送ることになった非業の才人であった。  上記の通り、とかく平賀とは切っても切れない人物で、良くも悪くも二人の話はお互いの存在抜きには語れないほど縁が深い。  主な設計艦  特型([[吹雪]]型)、[[初春]]型、[[高雄]]型、[[最上]]型、千鳥型水雷艇 **西村祥治  海軍中将。任務及び[[時雨]]・[[満潮]]の図鑑に西村艦隊の名で登場。  「見張りの神様」という異名があった第四水雷戦隊司令官だったが、バリクパパン沖海戦では先に襲撃をかけてきた潜水艦を深追いするあまり護衛していた輸送船団が撃沈される不覚をとる。  第二戦隊司令官に就任し、旗艦[[山城]]を率いてレイテ沖海戦に臨んだが米軍艦隊にT字で迎え撃たれて[[山城]]と共に戦没。  この時「我魚雷を受く。各艦は我に省みず前進し、敵を攻撃すべし」と残存艦に出した指令が[[山城]]の大破時の台詞の元ネタである。  西村艦隊とはレイテ沖海戦時に組織された西村が司令官の[[山城]]・[[扶桑]]・[[最上]]・[[時雨]]の他に[[満潮]]・[[山雲]]・[[朝雲]]の編成による艦隊だったが、生還したのは[[時雨]]だけだった。  主な乗艦  [[三日月]]、[[熊野]]、[[日向]]、[[榛名]]、[[金剛]]、[[那珂]]、[[山城]] **美濃部正  彗星一二甲型の図鑑に記載のある夜間攻撃専門の航空部隊、『芙蓉部隊』を設立した指揮官。海軍少佐。  夜襲部隊を設立しようにも戦争末期で資材もない中、高速だが液冷エンジンのため稼働率が低く持て余されていた彗星一二甲型に着目。  整備担当が彗星の開発メーカーから整備方法を教わることで稼働率を向上。安定した実戦投入を可能とするだけでなく、パイロットには効率的な訓練を行うことで少ない飛行時間でもある程度の能力向上と練度維持に成功。組織的な戦闘ができるようになったこの部隊を芙蓉部隊と名づけた。  沖縄防衛戦では上層部の特攻強要に対し、芙蓉部隊というまっとうな戦力を保持する美濃部はこれを拒否。特攻が免除された芙蓉部隊は夜間戦闘機に悩まされながらも夜間爆撃により滑走路や艦船を攻撃することで戦果を上げ、終戦までの短い期間だが航空隊の主力として奮闘しつづけた。  戦後は航空自衛隊に入隊し空将となっている。 **松田千秋  軍令部時代に[[大和]]型戦艦建造を発案し、[[大和]]の三代目艦長も努めた砲術の権威。海軍少将。  標的艦「摂津」艦長時代に独自の急降下爆撃の回避法を編み出して教育に取り入れさせたり、トラック泊地から動けない[[大和]]の艦上で砲術講義を行うなどをしている。 また、戦艦時代の日向艦長や航空戦艦への改装の提案、その後編成された第四航空戦隊では司令をつとめるなど、伊勢型戦艦とは縁が深かった。  エンガノ岬海戦・北号作戦には司令として参加。エンガノ岬海戦では米艦載機の猛攻から司令下の[[伊勢]]・[[日向]]を弾幕射撃と爆撃回避法で守り切り、北号作戦では参加した船を全艦無傷で無事帰還させた「伝説」もある。  終戦時は横須賀海軍航空隊司令、戦後は事務機器メーカーを起こし、事務機械の発明と販売で成功を収めている。  なお[[大和]]建造に文句をつけたからか山本五十六には否定的で、戦後になって軍事雑誌のインタビューで真珠湾攻撃は立案からして失敗だったと徹底的に批判した事もある。  平成7年11月に99歳で死去。日本海軍の将官最後の生き残りだった。    主な乗艦  [[伊勢]]、[[日向]]、[[大和]] **有賀幸作  海軍大佐。[[電]]、[[鳥海]]、[[大和]]の艦長を努めた。味方からは戦上手と高く評価される人物。  [[大和]]艦長として有名だが、元々は駆逐艦乗務のほうが向いていたらしく、豪放磊落かつ大胆な駆逐艦乗りの気質が目立つ軍人であった。  日華事変では第一掃海隊司令として参加し、掃海任務以外に中国軍の掃討や友軍援護に勤しみ、中華民国の賞金首になったエピソードもある。  太平洋戦争は緒戦では第四駆逐隊(艦これ勢では[[舞風]]が所属)司令として、マレー方面で英駆逐艦と米砲艦それぞれ1隻づつ、また連合国軍の商船3隻と油槽船2隻を撃沈、商船2隻を拿捕する快挙を上げている。  1944年から[[大和]]艦長に任命され、この時喜びのあまり息子に&bold(){「大和艦長 有賀幸作」}と書いた手紙を送ったりしている(当時の大和の存在は&bold(){機密事項})。  1945年4月の坊ノ岬沖海戦にて乗艦[[大和]]と共に沈んだ。  なお、極度のヘビースモーカーで「エントツ男」の通称があり、更に極度の水虫持ちで、艦内では草履を履いていたとか。    主な乗艦  [[電]]、[[鳥海]]、[[大和]]、嵐   **友永丈市  飛龍の台詞に登場。  海軍大尉。ミッドウェー島攻略に、[[飛龍]]の艦攻隊飛行隊長として参加する。  [[赤城]]・[[加賀]]・[[蒼龍]]が攻撃を受け混乱する中、唯一無傷の[[飛龍]]から二次攻撃隊として発艦。  空母ヨークタウンを発見し雷撃により大破させるが、彼自身も戦死。死後二階級特進し海軍中佐となった。  一説によると、彼の機体は対空砲火を受けて炎上し、ヨークタウンの艦橋に激突自爆したとも言われている。  主な乗艦  [[加賀]]、[[飛龍]] **吉川潔  [[夕立改二]]の台詞に登場。海軍中佐。苗字は「きっかわ」と読む。  海軍兵学校を出て以降、駆逐艦『[[長月]]』の水雷長を始めとして一貫して駆逐艦に乗り続けた生粋の水雷屋で、「不滅の駆逐艦長」と称された歴戦の闘将。  第三次ソロモン海戦での駆逐艦無双が有名だが、それ以前にも『[[大潮]]』艦長時代にバリ島海戦にて『[[朝潮]]』と共に軽巡3隻・駆逐艦7隻からなる艦隊を撃退したり、『[[夕立]]』艦長となってからも揚陸任務の帰投途上で単身本隊から離れ、ルンガ泊地に夜間潜入、停泊中の艦2隻を撃沈した上飛行場を破壊するという驚異的な戦果を上げている。  多大な戦果を誇示せず、当然のことのように振る舞う謙虚な人柄で、訓練は非常に厳しかったが不思議な温かみのある人物として部下からも慕われていた。  また人が軽視されがちな当時の日本において人材の大切さを知る人物でもあり、「艦長がいちいち艦と運命を共にしていたら、たまったものではない。艦は3年もすれば出来るが、艦長が出来るまでには10年はかかる。誰もが艦と運命を共にしていたら、誰が戦争をするんだ」という言葉を口癖のように言っていたと言われている。  上記のように艦より人が大事と公言していたが艦に対する愛情がなかったわけではなく、第三次ソロモン海戦『五月雨』に救助された後、傷の手当もせず『[[五月雨]]』艦長の元に向かい、戦地に残していく『[[夕立]]』への雷撃処分を要請。雷撃処分は行われたが失敗し、敵艦の接近から雷撃処分を断念した後も、艦長に何度も雷撃処分を要請。危険故にその要請は受け入れられず、彼は米軍の砲撃を受け漂流する『[[夕立]]』を、涙を浮かべ見送ったという。  第三次ソロモン海戦の後は海軍兵学校の教官職を命じられたが、あくまでも前線勤務を望む彼はそれを固辞。後に望みどおり新造駆逐艦『大波』の艦長となり前線に舞い戻った彼は、再度『[[夕立]]』と共に戦ったソロモン海に出撃した。…が、セントジョージ岬沖海戦にてアーレイ・バーク大佐率いる駆逐艦隊に電索を利用した先制攻撃を受け、反撃する間もなく撃沈。『[[大波]]』と共に帰らぬ人となった。  戦死の後、一駆逐艦の艦長としては異例の二階級特進の栄誉を受け、海軍少将となっている。   主な乗艦  [[大潮]]、[[夕立]]、大波 **田中頼三  [[長波]]の図鑑に登場。海軍中将。  生粋の駆逐艦乗りで、水雷のスペシャリスト。第一次大戦時には欧州に派遣され、地中海での船団護衛任務に従事した経験もあった人物。  開戦時には第二水雷戦隊司令の職に着いており、スラバヤ沖海戦にも参加している。但し、この時は遠距離雷撃戦に固執するあまり戦果を挙げられず、敢闘精神に欠けると批判された。  ガ島を巡る海戦にも幾つか参加しており、駆逐艦での鼠輸送中に遭遇したルンガ沖夜戦では圧倒的な不利な態勢・戦力の中で米重巡戦隊を圧倒する。  だがここでも輸送任務を放棄し戦闘に移る。座乗艦[[長波]]でなく、僚艦高波を先行させて犠牲にした。などの消極的な戦闘指揮に上司・部下からの非難が殺到。  最終的に第二水雷戦隊の役職を解かれ、終戦まで閑職に回されていた。  だがその一方で敵であるアメリカ海軍からの評価は異様に高く、ルンガ沖夜戦での田中の戦闘指揮と判断をして絶賛。戦史家サミュエル=モリソンからは「不屈の猛将・田中」と称された。  主な乗艦  [[潮]]、[[神通]]、[[金剛]]、[[長波]] ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/雑学) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
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その結果、多数の駆逐艦がデストロイするはずの潜水艦にデストロイされたというなんとも切ない話がある(公式漫画でもネタになっている)。  ゲーム内では高速で一撃必殺の魚雷を備えるものの、主砲と装甲は今ひとつで戦闘能力的にはあまり良いところがない。  しかし、入手する頻度が高く、運用コストも低いことから、将棋の『歩』のごとく必要不可欠な艦種であるといえよう。  また、軽巡洋艦と並んで対潜能力を保有している点を憶えておきたい。  海域4-1からは敵潜水艦が出没し、かつ対潜能力を要求される遠征もあるので注意しよう。  なお、日本海軍においては対空兵装に重点を置いた「防空駆逐艦」たる[[秋月]]型駆逐艦が存在した。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[雪風]]}  陽炎型8番艦。終戦まで生き延びた幸運艦として有名で、ゲームでも運の数値に反映されている。  ただ、「僚艦が沈み雪風だけは生き残る」と僚艦からは死神艦と疎まれることもあったとか。  戦後は賠償艦として中華民国海軍に渡ったが、[[その際のエピソード>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)#.E3.80.8C.E4.B8.B9.E9.99.BD.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6]] も一読の価値あり。 -&bold(){[[島風]]}  旧日本海軍の駆逐艦として最高速(40.37ノット)を記録し、世界的にも極めて高速な駆逐艦。  有名な [[キスカ島撤退作戦>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%B3%B6%E6%92%A4%E9%80%80%E4%BD%9C%E6%88%A6]] にも携わった。 -&bold(){[[綾波]]}  特型11番艦。特型を3タイプに分類する場合は、特型II型(綾波型)の1番艦。  第三次ソロモン海戦で、連絡の齟齬から米艦隊に単艦で突撃。駆逐艦2隻撃沈、1隻大破、戦艦1隻損傷の戦果を挙げるも、自身も撃沈される。  史実では特筆すべきほどではないが、この艦にちなんだ有名キャラのお陰でオタク界隈では有名。 -&bold(){[[夕立]]}  白露型4番艦にして、海戦史に残る駆逐艦無双を繰り広げた艦。  第三次ソロモン海戦で米艦隊との夜間遭遇戦となった際に、駆逐艦春雨と共に突撃。  米艦隊を混乱させ味方艦隊を優位に導いただけでなく、反転して今度は単艦で米艦隊に突撃。  敵艦に肉薄しては砲雷撃を叩き込み続け、32分間に渡る「素敵なパーティ」を開いて米艦隊に大打撃を与えた。  (夜戦かつ混乱が激しかったため、正確な戦果ははっきりしていない)  敵味方の砲弾による被害により行動不能となったが(敵艦隊内部で戦ったため誤射も多かった)、それでも乗員はハンモックで帆を作り戦おうとしていたと言われている。  (「80万の感謝」掛け軸にあるハンモック意匠や、改二の艤装に張られている帆の元ネタ)  総員退艦後五月雨が雷撃処分を行ったが魚雷は不発に終わり、米艦隊の砲雷撃により沈没。夕立はまだ暴れ足りなかったのかもしれない。 **巡洋艦 ***軽巡洋艦  Light Cruiser、艦種記号CL。  駆逐艦が未発達だった頃、外洋を安定して航行可能な艦種のうち最も小型であったのが「巡洋艦」であり、その名の由来となった。  日本海軍における『二等巡洋艦』であり、艦の命名基準は河川の名前にちなんだもの。  元々は艦隊の目として偵察任務や哨戒任務を念頭に置いた「偵察艦(スカウター)」を起源とする艦種で、太平洋戦争時には水雷戦隊の旗艦や艦隊の便利屋としての任務が多かった。  ワシントン海軍軍縮条約以降、各国海軍に大型の巡洋艦を建造し戦艦の代用とする傾向が現れた。  これに対応すべく、ロンドン海軍軍縮条約で「軽巡洋艦」と「重巡洋艦」の二つの区分が新たに設定され、  軽巡は「主砲口径12.7センチ以上、15.5センチ以下の1万トン未満の戦闘艦」と定義された。  日本海軍ではいわゆる[[5500トン級>>http://ja.wikipedia.org/wiki/5500%E3%83%88%E3%83%B3%E5%9E%8B%E8%BB%BD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6]]の軽巡洋艦が代表格で、大戦中には後継の阿賀野型なども登場している。  意外にその国の海軍の特色が見て取れる艦種であり、日本では国防戦略から水雷戦隊旗艦能力に特化した重武装艦がほとんどである。  逆に欧州(特に英国)では植民地警備用の汎用艦としての役割が重く見られ、攻撃力よりも汎用性が高く、航続距離の長い艦が多い。  ゲーム的には「大きな駆逐艦」で、駆逐艦を少し強くして水上偵察機の運用能力を加えたものである。  なぜか重巡と同じ20.3センチ砲を装備できてしまうのは条約失効後という設定か。  とはいえ、自称軽巡の最上のような例外を除けば、軽巡の排水量で20.3cmを運用するのは実際かなり無茶だと思われる。  運用コストはわずかに増大するものの、駆逐艦の上位互換として運用でき、遠征でも重宝する。  対潜攻撃が可能だが、史実では軽巡洋艦が対潜攻撃を行うことはほとんどなかった。  爆雷攻撃は敵の潜水艦の上から爆雷を投下するので小回りが利くことが大事なのだが、軽巡洋艦では大きすぎたのである。  実際の対潜攻撃の主役は、駆逐艦や更に小さい艦種(フリゲートや水雷艇など)が担うことが多かった。   &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} // 項目自体が「代表的な艦」ということで5500トン級の説明を削除し、代わりに本文中にwikipediaの5500トン級へのリンクを追加。 -&bold(){[[神通]]}  いわゆる5500トン級に含まれる、[[川内]]型軽巡洋艦の2番艦。  ゲーム中ではおとなしい雰囲気で描かれているが、帝国海軍の誇る最強最精鋭の殴り込み部隊、第二水雷戦隊(通称:二水戦)を率いた旗艦として有名。  1943年7月の夜間、ソロモン海のコロンバンガラ島沖にて自軍の倍以上の戦力から成るアメリカ艦隊と遭遇。  神通はただちにサーチライトを敵艦隊に照射しつつ、麾下の駆逐艦隊とともに砲雷戦を開始。  突撃した駆逐艦部隊は次発装填装置を活かした雷撃によりアメリカ艦隊に大打撃を与え、夜戦の練度を見せつける勝利となった。  しかし照射元の神通にはアメリカ艦隊の砲雷撃が集中し、神通は行動不能になりながらも敵艦隊照射と砲撃を続行していたが爆発炎上、沈没した。 -&bold(){[[矢矧]]}  [[阿賀野]]型軽巡洋艦の3番艦。  水雷戦隊旗艦用軽巡洋艦(乙巡)として建造された最新鋭の軽巡洋艦だった…のだが、就役した時には海戦の主役は航空戦力に移行。水雷戦隊の戦場は失われており、阿賀野型は時代遅れの艦となってしまった。  そのため就役後は艦隊護衛任務等で不向きな対空戦闘に従事することが多く、戦果は駆逐艦1隻撃沈程度と芳しくないものだった。  1945年4月6日、天一号作戦に参加。米軍艦載機の雷撃により機関が停止し、半ば標的艦と化した矢矧は集中砲火を受けるが、魚雷や艦載機等誘爆の危険性がある装備を早々に投棄したことや、注水等による効果的なダメコンにより軽巡洋艦とは思えない粘りを見せた。  最終的に魚雷7本、爆弾10発以上の被弾を受け、自身と同じく航空戦力の台頭により就役時には活躍の場が失われていた世界最大の戦艦・[[大和]]と共に、坊ノ岬沖に沈んでいった。 ***重雷装巡洋艦  夜戦での雷撃戦に重きを置き、苦心の末に秘密兵器『酸素魚雷』を開発した日本海軍が、艦隊決戦でアメリカ艦隊を葬るために開発した日本独自の艦種。重雷装艦とも。  その実態は既存の軽巡洋艦から両舷側の上部構造物を取り払い甲板を拡幅、酸素魚雷が発射可能な4連装魚雷発射管を片舷5基、両舷合わせて10基ガン積みしたもの。   改造ドナーとして選ばれたのは射出機の装備が行われなかった球磨型の大井と北上で、これ以外にも同型の木曾も改造計画があった。  その片舷火力は下手な戦艦並みで、夜戦では圧倒的な破壊力を有するだろう……と海軍は期待していた。  だが現実は厳しく、本来日本海軍が企図していたシナリオとは全く別の形で対米戦が行われたため出番はなく、降ろした発射管のスペースを活かした輸送任務の方が本業だった。  また末期まで生き残った北上は魚雷発射管を全撤去し、回天を運用するという後味の悪い任務を行うことともなったが、実戦投入することとなく終戦を迎えたのは不幸中の幸いと言うべきか…。  ちなみに航空戦艦同様に艦種としての重雷装巡洋艦は存在せず、北上も大井も書類上は二等巡洋艦のままだったりする。  ゲーム中では大井、北上を改造するとこの艦種になる。  最初の改造では雷装以外は微妙なステータスながら、改二状態ではそれも改善され、水雷戦・夜戦・対潜・甲標的での開幕雷撃と大活躍を果たせる。  ただし改二でも装甲と耐久が薄いのが致命的で、雷撃戦や夜戦で何も出来ないこともしばしば。それでも育てがいのある艦種。  バージョンアップにより甲標的装備時は先制雷撃が可能になったため、火力を発揮しやすくなった。  ちなみに史実で、重雷装巡洋艦が甲標的の運用を行ったことはない。 ***重巡洋艦  Heavy Cruiser、艦種記号CA。  ワシントン海軍軍縮条約によって誕生し、第二次大戦以降作られなくなった、30年しか存在しなかった短命の艦種。  上述の「偵察艦(スカウター)」の進化系にあたる艦で、いずれも軽巡以上の高い打撃力と索敵能力をもっている。  日本海軍における『一等巡洋艦』であり、艦の命名基準は山の名前にちなんだもの。  『古鷹型』、『青葉型』が20.3cmではなく20.0cm砲搭載だったのは条約前に企画されたためで、ワシントン条約後最初の計画が『妙高型』  ロンドン条約で巡洋艦以下の補助艦艇にまで制限がかけられ、残りトン数に余裕のあった軽巡枠を利用して重巡変更前提に作られたのが『最上型』  戦艦の建造が禁止された軍縮条約期において、事実上の主力艦として整備された、中小国では戦艦の代替的存在でもある。  海軍軍縮条約での定義は「15.5センチより大口径で、20.3センチ以下の主砲を備えた排水量1万トン以下の戦闘艦」である。  日本海軍における『一等巡洋艦』であり、艦の命名基準は、後述する巡洋戦艦と同様に山の名前にちなんだもの。  燃料その他の理由で動かしづらい戦艦の代わりに、平時の他国への表敬訪問、戦時の最前線で奮戦をした。  戦艦が建造できない条約下、主力艦としての能力を限られた排水量内で纏めることを強いられたため、国ごとに大きな特色が出ている艦種である。  例えば日本は漸減作戦の思想上、近海での米艦隊迎撃を最重要任務としたため、砲雷撃能力を重視し、その分航続能力を削っている。  アメリカも日本との艦隊決戦を考慮しているが、太平洋海域での使用を鑑み航続能力や、航空機による偵察能力を重視し、雷撃能力を廃した。  植民地防護を巡洋艦の最重要任務としたイギリスでは、コストパフォーマンスに劣る重巡は早期に増備が打ち切られ、軽巡の増備にシフトしている。  フランス・イタリアは地中海での使用を考慮したため、積極的に航続力を削り、防御や速力に秀でた艦を建造している。  そういった意味ではある意味、各国海軍の思想を映す鏡のような艦種であったりする。 // 重巡の性能が中途半端と評価されてたとか、妄想を史実と称して書くのはやめて下さい。 // 性能的には中途半端と評価されながらも、上位艦種たる戦艦が後述する事情のためおいそれと多用できるものではなかっため、事実上の最上位艦種として活躍した。 // // 以下は詳細すぎるのでコメントアウト。要約するか、相応しいページへの誘導を提案します。 //  // 日本海軍は最上型建造の際、この定義を逆手に取る形で重巡洋艦並みのサイズながらも主砲を15.5センチとし、制約の少ない軽巡枠を適用させた。 // この15.5センチ砲は後に20.3センチ砲に換装され、性能的には完全に重巡洋艦となったが、対外的にはこの事実が公表されず、書類上でも最後まで軽巡のままであった。 // 無論、戦後その事情が明らかになってからは換装後の最上型はれっきとした重巡洋艦として扱われている。ゲームの最上型は一貫して重巡である反面、初期兵装は史実どおりの15.5センチ砲である。 //  ゲームでは、軽巡洋艦の上位互換と思いきや、対潜能力が消えている点に注意。 // 史実同様に火力とコストのバランスなど色々と中途半端な感はあるが、マルチプレイヤーと言えないこともない。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[最上]]}  軽巡洋艦として生まれたため、艦名は河川に由来する。  2回のクラスチェンジと2回の衝突事故と第四艦隊事件、ミッドウェー、レイテ沖海戦に遭遇する(2回の衝突事故はミッドウェーとレイテ沖の時)素敵な艦。  CLカテゴリじゃね?いや、CAでしょ。私的には、航空j(ry)とめまぐるしく変わったその生涯に敬意を評し、(独断と偏見に基づき)ここに祀る。  余談だが「マブラヴオルタネイティヴ」の佐渡島攻略作戦「甲21号作戦」で、旗艦となっていたことから、こちらから知った人もいるだろう。(設定上佐渡島が敵に侵略されている) -&bold(){[[摩耶]]}  スタジオジブリのアニメ「火垂るの墓」で、主人公兄妹の父が乗艦していたという設定の船。  出航シーンはかの庵野秀明が担当し、時間をかけて子々細々に描いたが、残念なことに実際の映像では影で潰れてしまった。 -&bold(){[[青葉]]}  青葉型1番艦。姉貴分の古鷹・加古、妹の衣笠を激戦のソロモン海で失いながらも、大戦を戦い抜いた強運艦。  サボ島沖海戦では米艦隊を味方と誤認。「ワレアオバ」と発光信号を発信。  米艦隊に「あれ日本艦隊じゃね?」とフルボッコにされた。  この他、出撃するたびに大破しているが、その都度どうにか生き延びている。  開戦直前に、当時主計中尉だった元首相・中曽根康弘が乗艦していた事でも有名。 ***航空巡洋艦  一定の砲撃戦能力を維持しつつ、水上機の運用能力を向上させた巡洋艦。  水上機による偵察能力を充実させているため重巡よりも高い索敵能力を有しており、文字通りの艦隊の目として運用することが可能。  先駆けとなったのはスウェーデン海軍の軽巡洋艦『ゴトランド』。後部甲板を思い切って航空機用甲板とした設計は世界中から注目された。  非常に便利なように思えるかもしれないが、中途半端さや水上機運用の難しさが祟ったのか、史実では『ゴトランド』を除きこの艦種が建造された事例はない。  改造艦としては『最上』がある他、(このテの艦種呼称が好きな人には)利根・筑摩も分類されることがある。  ゲーム内での最上曰く「ヘリ搭載護衛艦の先駆け」で、ひゅうが型護衛艦には航空戦艦『日向』『伊勢』の名が受け継がれている。  (なお、厳密には航空巡洋艦とヘリコプター護衛艦の用途は異なり、ヘリコプター護衛艦は原潜などを相手取った対潜が主任務)  ゲームでは、最上型(改)や利根型(改ニ)がこれにあたる。  水上機の搭載数と索敵能力が大幅に向上。また水上爆撃機「瑞雲」が装備可能になり、小規模ながら爆撃を行える(制空権に注意)。  巡洋艦隊に随伴し、艦隊の目として機能しながら爆撃、砲撃、雷撃と戦闘の各段階で活躍できる艦になる。  ちなみに旧海軍では「航空巡洋艦」という艦種は存在せず、あくまで重巡洋艦であった。 // // 代表艦は最上なのですが、初版執筆者に敬意を表して分類は重巡のままにしときます。 // 魚雷積めるようになったので、該当部分削除。 **主力艦 ***戦艦  Battleship、艦種記号BB。  海の女王。日本海軍における艦の命名基準では旧国名。(金剛級は巡洋戦艦として設計されたため、山の名前である)  魚雷が消えた代わりに、大口径の主砲と、強靭な防御力、副砲や対空火器を備える。水上偵察機の運用能力もあり。  国家の威信を賭けた艦種であるため、その喪失によるショックを恐れられて投入される機会は少なかった。  かの大和型は類い希なる攻撃力と防御力を誇りながらも、「ホテル」と揶揄されるほどの運用状況だった。  一方、最も古いながらも足が速かった金剛級は、空母機動部隊に随伴するなど活躍を見せた。  日本軍が世界で初めて航空戦力によって作戦行動中の戦艦を撃沈したマレー沖海戦を契機に、その重要性は徐々に衰退していった。  ゲームでは、砲撃戦において女王の二つ名に相応しい能力を発揮する。空? 見ちゃいけません。  (とはいえ対空を十分に上げて46cm砲や三式弾を搭載しておくと、下手な航空隊なら制空権を確保してしまうことも)  ゲーム内では20.3cm砲も積めるため、重巡洋艦の主砲を外して、近代化改装しつつ主砲を取り付けると、お手軽に強化できる。  別戦艦があれば、その主砲を載せれば更にパワーアップ!すごいね!  しかし、その代償に大量の燃料も弾薬が必要で、損傷した場合は修理に大量の時間と資源が必要となる。  どちらかの艦隊に戦艦が居る場合、敵味方全ての艦の砲撃ターンが2巡回ってくるようになる。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[長門]]}  長く聯合艦隊旗艦を務めたため、当時は軍機だった[[大和]]より民間によく知られたこちらの方が人気であった。  関東大震災の救援に向かう際、機密だった最大船速で航行したため、追い越した練習艦隊の司令官に嫌味半分で速力を尋ねられた。  建造当時は世界最大の主砲を持つ艦としてワシントン軍縮条約の契機を作り、Big7(世界七大戦艦)の一角を担っていた。  終戦まで生き残り、アメリカ軍に接収された後に迎えた最期も涙を誘うものである。 -&bold(){[[扶桑]]/[[山城]]}  初の日本独自設計の超弩級戦艦で、連装砲塔6機を積んだ野心的な設計がされたが、現実はそんなに甘くなく不具合が多発、山城さんがドックで嘆くこととなった。  あまりにも不具合が多すぎたために妹となるはずだった伊勢・日向は建造途中で改良が加えられ、妹ではなく伊勢型となった。  最期は、レイテ沖海戦で最上や時雨、満潮らとともに出撃するも米艦隊にフルボッコにされた。  扶桑は魚雷攻撃により、大爆発&船体が真っ二つになり轟沈。山城は、1,2番砲塔のみになりながら奮戦するも、沈んでいった。  湾内突撃という速力と防御力が必須の作戦に、最も向かない低速・低防御の扶桑型を使用した辺り、帝国海軍の戦力払底が見えた戦いでもあった。  生き証人は[[時雨]]ちゃんだけである。   // // ゲーム内で巡戦をカテゴリ分けするみたいな話を耳にしたので、その時は比叡ちゃんは↓へ移動。 // -&bold(){[[比叡]]}  天皇陛下の御召艦として人気があった。  開戦前、建造中だった[[大和]]のテストケースとして大改造を受けており、大和型に似た準近代的な艦橋を有している。  開戦後は機動部隊の護衛として活躍したが、第三次ソロモン海海戦で大破。航行不能となり自沈した。 ***巡洋戦艦  Battlecruiser、艦種記号BC。  ゲーム内には存在しない艦種だが、図鑑で榛名を確認するとこの文字が見える。  第一次世界大戦前後に流行ったカテゴリであり、[[金剛型]]4隻と赤城は当初この艦種として建造された。  旧日本海軍における艦の命名基準では、計画時装甲巡洋艦(一等巡洋艦)に類別されていたため山にちなんだ名前が付けられている。  巡洋艦から発展した艦種であり、戦艦のような強靭な装甲は持たないものの、戦艦に準ずる主砲と巡洋艦譲りの速力と航続力を持つ。  金剛型については第一次世界大戦の戦訓を元に装甲強化→機関強化の二度の改修を経て高速の戦艦として生まれ変わった。  30ノットという快足に加え艦齢が高かった(実はゲーム内でも最年長)こともあり便利使いされ、空母機動部隊に随伴し縦横無尽の活躍を見せることになる。  主に速力に由来する使い勝手の良さは皆さんご存知の通り。 // ゲーム内では、現在は戦艦に分類されているが金剛級四姉妹が巡洋戦艦(将来的に独立して分類されるかも?)。 // ↑改修後の金剛型はれっきとした戦艦です。連合軍側の艦型識別図などでもBB Kongo Classとして戦艦扱いされています。 // これまた旧海軍では「巡洋戦艦」という艦種は存在せず、あくまで戦艦である。 // ↑「巡洋戦艦」という艦種は存在します(していた)。改修以前の金剛型などが巡洋戦艦に類別されていました。実在しない艦種は「高速戦艦」。 ***航空戦艦  艦尾の砲を取り外し飛行甲板を設置することで、一定の砲撃戦能力を維持しつつ艦載機の運用能力を向上させた艦種。  非常に便利なように思えるかもしれないが、戦艦として求められる砲戦能力と空母として求められる航空機運用能力は二律背反であり、史実ではこの艦種が建造された事例は皆無である。  改造艦としては、太平洋戦争中期に航空戦艦『[[伊勢]]』と『[[日向]]』が成立したが、旧海軍では「航空戦艦」という艦種は存在せず、最後まで戦艦として扱われた。  双方ともに旧式化していた戦艦であり、ミッドウェー海戦での正規空母4隻喪失を契機に後部砲塔を撤去し、軽空母並みの艦載機運用能力を備える改装が施された。  (『扶桑』・『山城』にも計画だけは存在しており、ゲーム中で航空戦艦に改造可能なのはその辺が理由と思われる)  しかし、完工し飛行機も受け取って訓練していたものの、出番の直前で飛行機を陸上基地に取り上げられ、飛行機を1機も持たない名ばかりの航空戦隊としてレイテ沖海戦に出撃することとなった……。  ちなみにこの時の『伊勢』『日向』の対空戦闘での奮闘ぶりは語り草になっている。  艦載機は瑞雲とカタパルト発艦可能に改造した彗星を載せる予定だったが、水上機である瑞雲はともかく艦爆である彗星は着艦できないので(後部飛行甲板は艦載機が着艦出来るほど広くない)、もしも運用することになっていたら発艦後は近場の空母か基地に着艦or着陸という無茶をするつもりだったとか。無論それらがなければ不時着である。  ゲームでは、戦艦に随伴しても比較的安心して索敵と砲撃戦をこなせる艦なのが救いか。  瑞雲を装備させると小規模ながら爆撃を行うが、その際は制空権に注意。 **航空機母艦 ***正規空母  Aircraft Carrier、艦種記号CV。  航空母艦の略で、着水機構が足かせとなる水上機より高性能である艦上機を運用する艦。  後述する軽空母という艦種もあるが、単に空母と言った場合はこちらの正規空母を指す。  艦の命名基準は鳥や龍など、空を飛ぶものにちなんだ合成語。戦争後期になると山の名前からも取られている。  例外として赤城は巡洋戦艦、加賀は戦艦からの改造であるため、この基準とは違い元の名前を引き継いでいる。  最初から正規空母として作られた艦も多いが、条約で建造中止となった巡洋戦艦・戦艦からの改装も多い。  ちなみに日本海軍での正規空母の定義は「最初から航空母艦として建造された艦」であるため、正規空母並みの積載量を持っていても他艦種からの改造である飛鷹型は正規空母ではなく、逆に軽空母クラスの積載量しかないが最初から航空母艦だった鳳翔や龍驤は正規空母となる。  (例外的に巡洋戦艦や戦艦からの改装の場合は正規空母扱い)  艦上機による索敵と空襲は強力無比で、ごく短期間の内に戦艦を海戦の主役の座から引きずり下ろした。  ただ、当時の艦上機は悪天候時や夜間の行動が基本的にできなかったため、そこが弱点と言えば弱点。  よく間違えられるが、空母を指す艦種記号CVはCarrier VesselではなくCruiser Volerに由来するとされている。(Vの方の由来には諸説あり。)  Volerはフランス語で『飛ぶ』という意味で、直訳すると航空巡洋艦になってしまうが、  これは巡洋艦の制海権を得る役割の延長線上に空母はあると考えられていたからだ。  ただし、政治的理由によりソ連では空母を航空巡洋艦と呼ぶ。  ゲームでも艦載機による無慈悲かつ圧倒的な空襲は再現されており、砲撃戦開始前に敵艦隊を撃滅することも可能。  ただし、航空機の材料であるジュラルミンの原料であるボーキサイトが悩みの種。  他にも打撃力を発揮するには頭数が必要、運用コストも高めなど、戦争は物量ということを体感させてくれる艦種。  ところで、「声の出演」を表す「キャラクターボイス」も、同じくCVと略される。  フルボイスゲーである艦これをプレイする際はどちらの意味なのか注意だ。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[飛龍]]}  第2航空戦隊旗艦として真珠湾奇襲、インド洋作戦に参加。  運命のミッドウェイ海戦では僚艦3艦が燃え上がる中、孤軍奮闘の末敵空母ヨークタウンを撃破(のちに潜水艦伊168により沈没)しかし自らも爆弾4発を浴び大破炎上、沈没した。 -&bold(){[[翔鶴]]/[[瑞鶴]]}  1941年に完成した最新鋭の大型空母。二隻で第五航空戦隊を編成した。  一航戦・二航戦壊滅後は、新設された第三艦隊の中核となっている。  翔鶴は毎回毎回被弾することから「被害担当艦」と揶揄された。1944年6月のマリアナ沖海戦で潜水艦の雷撃を受け、沈没。  対する瑞鶴は幸運艦の一隻で、被弾することがなかった。が、姉の加護を失ったマリアナ沖では遂に被弾。  同年10月、レイテへ突入する戦艦部隊から敵を引きはがす囮として、空母[[千歳]]、[[千代田]]、[[瑞鳳]]らと出撃。  見事囮の任を全うし、沈没した。 ***軽空母  Light Aircraft Carrier、艦種記号CVL。  搭載機数が少なめの小型空母で、主に建造にコストがかかる正規空母を補助する目的で建造された。  改造によって軽空母となった軍艦、商船も少なくない。  艦の命名基準は正規空母と同じく鳥や龍など、空を飛ぶものにちなんだ合成語。  日本海軍では正規空母も軽空母も、航空母艦としてひとまとめにされていた。  ゲームでも搭載機数が少ないが、高速タイプの艦なら史実のように正規空母の補助を務められる。  低速タイプの軽空母は、同じく低速の戦艦群の索敵や防空役を務めるのが相応か。  正規空母よりコストが低いので、比較的気軽に投入していけるのが強み。   &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){[[鳳翔>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B3%E7%BF%94_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]}  最初から空母として設計・建造されたものとしては世界で最初に完成した艦。そのため日本海軍の分類では「正規空母」。  他艦種からの改装ではイギリスの[[フューリアス>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]が世界初で、こちらは着艦方法が有名。 -&bold(){[[瑞鳳>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E9%B3%B3_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]}  上述の鳳翔とは反対に、他艦種から改装されたタイプの軽空母。  小さな艦体ながら、以降は主要な機動部隊戦の全てに参加しつつ、護衛や輸送もこなすなどヘタな正規空母も顔負けの活躍をした。  日本機動部隊として最後の戦いとなったレイテ沖海戦にも瑞鶴の僚艦として参加。  他の空母が次々と撃沈される中で最後まで奮闘するが、直撃弾2発・魚雷2発に100発近い至近弾という猛攻撃を受け、ついに沈没した。 -&bold(){[[隼鷹]]}  姉の飛鷹同様に、建造途中の豪華客船橿原丸を改造して作られた商船改装空母。  改造空母ながら正規空母に匹敵する積載量を持つ…というより排水量は蒼龍型より上で実質正規空母扱い。艦橋一体型の煙突や電探等も装備された先進的な艦だった。  南太平洋海戦では瑞鶴と共に空母エンタープライズを大破、空母ホーネットを撃沈するという正規空母顔負けの武勲艦である。  マリアナ沖海戦や台湾沖航空戦で艦載機とパイロットを失ってからは輸送任務に従事。  雷撃による機関損傷により外洋航海が出来ない状態ではあったが、終戦まで生き残った。  (逆に言えば機関損傷がなかった場合、天一号作戦に駆り出され撃沈していた可能性もある) ***水上機母艦  水上機を運用する母艦。艦上機を運用する空母とは異なる。  海外では既存艦からの改造が多く、移動水上機基地として運用された。  日本の千歳型はかなり特殊で、艦隊随伴能力を持ち、給油機能も備えていた。  また、短期間で空母に改装できるよう設計されていた。  ちなみに日本は数多くの水上機母艦を建造しており、停泊時のみだが二式大艇1機を搭載できる秋津洲などはある意味水上機母艦の極北とも言えるだろう。  ゲームでは水上機による索敵が主な役割で、空母不在でも安定した索敵が可能となるのが強み。  以前は砲撃でもなかなかのダメージを叩き出していたが、修正されたため駆逐艦並の威力しか出ない。  瑞雲を搭載すると爆撃も行うようになるが、護衛機をつけられないため制空権には注意。  改造によって甲標的母艦、軽空母へと姿を変えていく。  甲標的母艦にして甲標的と瑞雲を装備すると開幕爆撃→先制雷撃→砲雷撃と非常に手数が多くなるが、どれも威力が中途半端なのが難点。 // 以下の項目はゲームで実装されている範囲の記述に収めることを提案します。 **潜水艦  Submarine、艦種記号SS  潜水航行が可能な戦闘用艦艇。  命名基準は艦のサイズ(大型=伊、中型=呂、小型=波)+番号という形になっていた。  現在の原潜のように無限に潜航していられるわけではなく、潜航時に使うバッテリーの充電と、艦内の換気のために浮上する必要がある。  しかし、敵に発見される危険性が高まる浮上は楽には行えず……この辺の葛藤は吉村昭著「深海の使者」に詳しい。  通常は水上を移動し必要に応じて潜航を行う可潜艦、というのがこの頃の潜水艦といえる。  そのため、水上では20ノット前後出せるが水中での速力は10ノットも出せず、巡航時は人間の早歩き程度の速力である。  外殻は水圧には強いが装甲としては薄く、機銃でも損傷する。  主な武装は艦首魚雷発射管(艦によっては艦尾にも)に装填された魚雷と、浮上時に使用する小型の艦載砲や対空用の連装機銃。  単独行動の輸送船などを攻撃する場合は高価な魚雷を節約するために砲を使用していたが、輸送船に備砲や護衛艦がつき、航空戦力の増大により浮上砲撃の危険性が増したのと、  大口径高威力砲も、精密な測距儀もないため砲はあまり使われなくなっていった。  時に軍艦すら易々と葬る魚雷は特に恐れられており、どの陣営も潜水艦に対して神経を尖らせていた。  潜航中の潜水艦を攻撃するためには、位置を探る[[ソナー>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%BC]]や、水中で爆発する[[爆雷>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E9%9B%B7]]が必要になる。  これらの装備を備えるのは駆逐艦や軽巡洋艦で、さすがの戦艦でもこれらの小型艦による護衛が欠かせなかった。  各国では通商破壊が主任務だったが、日本海軍では駆逐艦同様、艦隊決戦の補助艦艇として用いる予定だったため、艦隊随伴能力や耐波性等が重視された。  反面、潜水艦にとって最重要視されるべき静寂性に劣っており、それが災いして多くの潜水艦が米英の駆逐艦に狩られていくこととなる。  鈍足な潜水艦の攻撃は水中に隠れての「待ち伏せ」が基本で、これが開幕雷撃ができる所以であると思われる。  なお、夜間は伊168が言うように潜水艦の世界である。  夜間では小さな潜望鏡を探し出すのは困難な上に、魚雷の航跡も見えないので、直撃を受けて初めて潜水艦に気付くということも。  ゲームではイベント海域と同時に実装された。西方海域より敵潜水艦が登場する。  潜水艦に攻撃が可能なのは、軽空母、航空巡洋艦(瑞雲搭載時のみ)、重雷装巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦に限られる。  これらの艦種は相手に潜水艦がいた場合、最優先で潜水艦を攻撃する仕様となっている。  これら以外の艦種では、潜水艦相手には何もできないので要注意。  先述の通り、夜は潜水艦の世界。潜水艦相手の夜戦は非常にリスクが高いので、よく考えて選択しよう。  遠征には対潜能力を要求されるものがある。  単横陣・輪形陣が対潜戦闘には有効。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){伊168}  艦これ初めての潜水艦娘。セラスク。  ミッドウェー海戦では自力航行が可能になるまで復旧していた正規空母ヨークタウン(とオマケでヨークタウンの修復と乗員移乗のために横付けしていた駆逐艦ハムマン)を撃沈し[[飛龍]]の仇をとった。  装備は駆逐艦等が使っている61cm魚雷を装備できる(しかも発射管ごと)が、史実の魚雷は53.3cm魚雷である。いずれ修正されるのだろうか。  (2013年11月イベントのE3クリア特典に53.3cm酸素魚雷が追加された)  Lv10より、航空攻撃に続いて開幕雷撃が可能になる。 ***潜水空母  潜水艦に水上機を搭載したものを便宜的にこう呼ぶ。潜水艦に対し補給を行う潜水母艦とは別のものなので注意。  水上機を搭載した潜水艦というアイディアは古くから欧米各国で試されたが、その多くは実用化されなかったか、もしくは少数に留まった。  (有名どこだと%%伊507%%フランス海軍の潜水艦スルクフ(シュルクーフ)が偵察用の水上機を搭載している)  だが潜水艦を艦隊決戦の戦力として認識していた日本海軍は本気で潜水艦に偵察機を搭載することを目論見、ついにこれに成功している。  搭載機は通常の水上機に比べて小型な機体で、巡潜甲型以降の艦では艦体前方の圧搾式カタパルトからこれを射出した。  最終的にこの艦種は戦略原潜の始祖とも言われる、水上攻撃機の晴嵐3機を搭載した『怪物潜水艦』伊400型に繋がることとなる。    通常の空母に比べて高い隠密性を生かし、敵艦隊の偵察や奇襲に用いることを想定したが、実際に艦隊決戦や作戦で使われることは無かった。  発進、任務遂行後の搭載機帰還待ち、収容の間に長時間浮上を強いられるため使いたがらなかったといわれる。  しかし一応戦果はあり、搭載機によるアメリカ本土爆撃を果たした伊25の戦果が有名。  また、航空戦艦と並んで「実績はあまりないはずなのに、架空戦記では大活躍する艦種」としてもある意味有名。  ゲーム中では今のところオマケ程度に航空機が積める潜水艦といった感じで、航空機を搭載しても雀の涙程度の航空戦力にしかならない。  なので現状は航空機ではなく魚雷や甲標的を乗せて雷撃専門艦と割り切るのが妥当と言えよう。  また、索敵値によりルートの決定するマップでは航空機運用能力の陽の目を見ることがあるかもしれない。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){伊58}  改造によって潜水空母となる。史実では航空機搭載機能こそあったが、終始回天母艦として運用されたため航空機は搭載したことがない。  (最終的には船体前部の航空機運用設備を下ろして回天搭載数を増やしている)  原爆輸送後の重巡洋艦インディアナポリスを撃沈したのが最も有名な戦果だが、これは回天ではなく通常魚雷を使用しての戦果である。  現状では零式水上偵察機や瑞雲が搭載できるが、実際にはもちろんこれらは運用不能。 **給糧艦  輸送艦の一種で、前線基地や艦隊に食料を持っていくのが主任務だが、強力な無線設備や病院設備も持っており、艦隊の無線検知や標的船の曳航、制服のクリーニング等と様々な任務を行っている。  食料についてはただ材料を輸送するだけではなく艦内に食品加工設備を持ち、豆腐やこんにゃくのような加工食品はもちろん、羊羹や饅頭、アイスクリームやラムネといった嗜好品まで生産可能だった。ちなみに材料とは生きた家畜も含まれ、当然ながら屠殺設備も完備。  ゲーム中で艦娘として配備はされないが、疲労回復アイテムとして最も有名な給糧艦である『間宮』が登場している。  この他に日本海軍には『間宮』の拡大型である給糧艦『伊良湖』も存在する。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){間宮}  八八艦隊計画で作られた能登呂型給油艦の予算を流用して作られた、当時世界最大クラスの給糧艦。  設計は大阪商船の民間客船「はわい丸」の設計をもとに、米海軍の給糧艦「アークティック」を参考にしたものだとか。そのためなんとなく客船風の外観。  間宮には民間の職人が軍属として働いており、作られる食品は量はもちろん味も一級品。特に『間宮羊羹』(間宮のイラストで左手の籠に入ってるあれ)は老舗『虎屋』に匹敵するとまで言われた(しかもサイズは虎屋以上)。  そのため間宮は海軍軍人に大人気の艦であり、入港するだけで歓声が上がったとか。  1944年12月20日に潜水艦「シーライオン」の雷撃により沈没。 **潜水母艦  祥鳳・瑞鳳の説明に登場する、潜水艦作戦支援用の補助艦。  限られた物資下で長期間の任務を行う潜水艦への物資・燃料の補給や、潜水艦乗務員の休息、つまり潜水艦乗務員へのホテル業務を営むのがお仕事の艦。  そのため比較的高い居住性能や省燃費の艦が多かった。  日本海軍では太平洋戦争直前に世界的にも高い水準の潜水母艦である『剣崎』型や『大鯨』などを竣工させているが、これらの高性能艦はすべて後に空母に改装された。  その結果、日本海軍は太平洋戦争中、八八艦隊計画下で建造された旧式の『迅鯨』型や、『日枝丸』『平安丸』(いずれも横浜港の『氷川丸』の姉妹船)などの客船を改装した特設潜水母艦を使用せざるを得なかった。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦}} -&bold(){剣崎}  後の空母[[祥鳳]]。当初は高速給油艦として建造されたが、後に潜水母艦に変更された。  主機関には燃費に優れたディーゼルエンジンを使用しており、また設備や居住性も良好であり潜水艦乗組員から絶賛され、『剣崎ホテル』の渾名が付いた。%%某超々弩級戦艦と違って名誉称号である。%%  しかし時局悪化に伴い、潜水艦乗組員に惜しまれながらも設計時の計画通り空母へと改装された。ディーゼル機関であるにもかかわらずボイラー船並みの偽装煙突を付けたのはそのためである。   ---- *航空機の種類 **水上機  着水機構のために性能は艦上機に劣るものの、水面を滑走路として使えるという大きな利点がある。  艦船ではカタパルトで射出またはクレーンで海面に下ろして離水、帰投時は海面に着水させてクレーンで回収した。  また、滑走路を造れない小島の前線基地などでも活用された。  艦これでは偵察機が主だが、水上基地防空用に作られた水上戦闘機というものもある。  余談になるが水上戦闘機に強風という機体があるが、強風をベースに作られた局地戦闘機が紫電、さらにそれを改良したのが紫電改。  その紫電改を艦載機に改造したものが、艦これに登場する紫電改ニである。 ***水上偵察機  零式水上偵察機(零式水偵)、潜水艦用の零式小型水偵と区別するため、零式三座水偵と呼ぶこともある。  小型の爆弾を積むこともでき、自衛用の機銃を搭載しているが、基本的に偵察が主任務。  ちなみに、戦艦などに搭載されていた水上機の主な任務は、弾着観測(着弾位置のズレを報告し、次の砲撃を修正する)である。  ゲームでの機能は索敵のみで、駆逐艦と正規空母・軽空母と潜水艦以外は装備できる。  ただし、史実で偵察機搭載能力がなかった一部の軽巡(天龍型や夕張など)は搭載数が0のため、搭載しても索敵を行わないので注意。  航空機による索敵が成功すると命中率と回避が上昇する。  索敵が失敗すると能力低下と表示されるが、処理は航空偵察を行わなかった時と同じらしい。 ***水上爆撃機  瑞雲と試製晴嵐。  水上爆撃機という分類は正式なものではなく、瑞雲の史実での分類は零式水偵と同じく水上偵察機。 // 編注:瑞雲は開発成功時に「水上爆撃機」という文字が流れるため、内部的に区別されていると思われる。  開発に際して格闘戦と急降下爆撃の能力を要求されたため、それらの装備を備える多目的水上機となった。(日本海軍機で「爆撃機」は任務統合された「流星」を除き急降下爆撃可能な機を指す)  晴嵐は伊400に搭載するための特殊な組立機構を持つ。分類は特殊攻撃機(特殊な攻撃機という意味なので、特攻とは関係ない)。  伊400を母艦とした敵根拠地への奇襲攻撃用に開発されたが、作戦実行中に終戦を迎えたため実戦投入は行われていない。    ゲームでは、航空戦艦と航空巡洋艦、水上機母艦と潜水空母のみが装備可能で、零式水偵とは区別されている。  本機を搭載すると索敵に加えて爆撃を行えるようになるが、本機の対空能力は高くない。  敵艦隊に空母が居て、本職の戦闘機を相手にする可能性がある場合は注意。 **艦上機  空母の飛行甲板に着艦するための機能を持つ点で陸上機と異なる。  それ以外は陸上機と同じなので、滑走路を利用した陸上機地での運用も行われている。  艦上機として開発されたが載せる空母がなく、陸上運用のみが行われたような機体も多々ある。    ※見やすさを考慮して、見出しでは「艦上」の文字を省略。 ***戦闘機  九六式艦戦、零戦シリーズなど。  正確に言うと、航空母艦で運用可能な戦闘機なので艦上戦闘機(艦戦)。  戦闘機を含む敵航空機を攻撃する機種で、史実では爆撃機と雷撃機の護衛や、艦隊防空(直掩)が任務。  主な兵装は機銃。小さな爆弾を積むこともできるが、ゲームでは爆装の設定はない。  ゲームでは、2013/4/28のアップデートで制空権の概念が追加されたため、直掩と護衛の両方をこなすようになった。  制空権とは、要は航空攻撃隊を通したい護衛機側と、通したくない直掩機側のどちらが優勢かということ。  ちなみに、細かく史実に沿った設定になっていると定評のある艦これだが  この艦上戦闘機だけは架空戦記的傾向が強いので、真に受けないよう注意。  (陸上運用前提の局地戦闘機、震電がなぜか艦載運用できたり…後ろにプロペラあるのにフックどうするんだ) ***戦闘爆撃機  零戦六二型。  戦闘機に250kgクラスの本格的な爆弾を搭載可能にしたもの。本職ほどではないが爆撃が行え、投下後は空戦可能という汎用性が売り。  現在でいうマルチロールファイター(戦闘攻撃機)にあたる機種。  艦爆ほどの爆弾搭載は出来ず、ダイブブレーキが無いので緩降下爆撃、爆弾という重荷を積んだままでは空戦出来ないため艦戦には劣るというどっちつかずなところが難点。  (ただし海外の戦闘爆撃機は、軽爆撃機がやっかむほどの活躍を見せた戦闘爆撃機も多い。)  日本海軍では通常攻撃にも使われたが、爆弾を抱えたまま特攻に使われることも多かった。  (図鑑の説明文で書かれている「あの攻撃方法」とは、まさにそれである)  2013/08/15のアップデートで7月トップランカー用に先行配信された。 ***爆撃機  九九式艦爆、彗星など。艦戦同様に、こちらは艦爆。  爆弾を抱いて急降下爆撃を敢行し、敵艦を攻撃するのが任務。  ちなみに、急降下しながら爆撃を行うのは命中率を上げるためで、爆撃のダメージを上げるためではない。  ダイヴブレーキで機体強度許容範囲内の降下速度となるため高高度水平爆撃のほうが弾速が出るかも?  (垂直方向への移動中なら、爆弾投下のタイミングがずれても水平方向への着弾位置のずれが少なくて済むため)  史実では、1942年の日本海軍は命中率80%というとんでもない数値を記録している。  (余談ではあるが、米軍側の記録でも命中率80%と記録されている)  ゲームでは対潜能力が設定されているが、軽空母に搭載しないと対潜攻撃は行わない。  ゲーム内での爆撃と雷撃の差はわからないが、個人的な推測だと爆撃は雷撃より命中率が高い?  艦攻と艦爆の統合機である流星がゲームでは艦攻扱いのため、艦爆の開発が彗星止まりになるのが悩ましいところ。  2013/08/26のアップデートで彗星一二甲型が開発可能になったため、以前より火力が向上した。 ***攻撃機  九七式艦攻、天山など。艦戦同様に、こちらは艦攻。  海面すれすれを飛びながら魚雷を投下し、敵艦を攻撃するのが任務。  史実では爆弾も積むことができるが、システム的な問題のためかゲームでは省かれている。  初期の機種は艦爆のような急降下爆撃能力を持たなかったものの、流星など後期の機種では可能になっている。  (艦攻と艦爆の統合を進めた結果。米軍のA-1スカイレーダーも同様の機種)  艦攻が偵察機を兼ねることもあったためか、ゲームでも数値こそ低いものの偵察能力を持っている。  ゲーム内での爆撃と雷撃の差はわからないが、個人的な推測だと雷撃は爆撃より攻撃力が高い? ***偵察機  彩雲。 偵察機と言うと水上機のイメージが強いが、必ずしも同一の物ではない。  艦偵……とはあまり言わないが  先行配備された彗星の偵察機型(爆弾倉に爆弾ではなく増槽を装備)は二式艦偵と呼ばれていた。  偵察専用の艦載機は世界的にも例が無く、他の機種(旧日本海軍では攻撃機)が偵察機の役割を兼務していた。  旧日本海軍だけが艦上偵察機「彩雲」を開発し、戦後にアメリカ軍が行ったテストによって日本軍最速機と認定された。  ちなみに、索敵は各偵察機を放射線状(扇形)に飛ばすことによって行う。機数が多ければ扇は拡がる。  余談になるが、ミッドウェー海戦の時にアメリカ艦隊が居たのは、故障で発艦が遅れた機が担当する索敵線上だった。ただし予定通り飛んでいた場合時間軸から考えてアメリカ艦隊を発見できなかった可能性が高く、現在はむしろ故障したがゆえに艦隊発見ができたとされている。  ゲームでは彩雲を運用すると、不利な体勢で敵と遭遇する確率を大幅に減らすことができる。 **局地戦闘機  海軍が陸上基地で運用する、迎撃戦闘を主任務とした戦闘機を指す言葉。乙戦とも。  本来は大型爆撃機の迎撃を想定しており、短時間での高高度到達能力と目標を追尾・撃墜するための速力・火力に主眼が置かれている。  雷電や、紫電改二の大本である紫電改などが代表的な局地戦闘機。  試作で終わったが震電も局地戦闘機となる予定の戦闘機であり、本来艦載運用は全く考えられていない。  艦隊を運用する艦これではあまり縁の無い機体だが、局地戦闘機からの発展系である艦戦・紫電改二の説明でこの言葉が出る。 ---- *兵器 **魚雷  魚形水雷の略称。  比較的装甲の薄い喫水線下を攻撃するため、戦艦クラスでも2,3本被雷するだけで無力化されることがある。  砲塔に比べて小型の発射機(発射管)で運用でき、なおかつ戦艦にも致命傷を与えることができるという能力を持つ。  そのため、潜水艦や魚雷艇・水雷艇・駆逐艦といった高速・小型の艦艇や航空機に装備された。  ただし、以下のような欠点も存在した。    ・超精密機械であるため、一本あたりのコストは非常に高価(魚雷1本で当時の東京の一等地に家が建つレベル)     高価を物語る狂歌が残っている     「一番が敵だ敵だとわめき立てあっと打ち出す二十万円」(詠み人、軽巡洋艦『阿武隈』水雷長)     島影を敵艦と誤認して魚雷を4本発射してしまったときのもので、1本約5万円だったことがわかる     当時の零式艦上戦闘機の値段が約5万5千円であり、魚雷1本が飛行機1機分の値段だったことが窺われる    ・命中率が悪いこと(平均2%程度)    ・当時の技術レベルが低かったことによる自爆や不発の頻発(大戦末期には殆ど改善された)    余談:水中爆発の衝撃は上に逃げるため、舷側にぶつかって起爆する接触式信管よりも     艦底直下で起爆する磁気信管の方が圧倒的に破壊力が大きい。     現在運用されている対水上艦用魚雷はほぼ全て磁気信管である。     当初は魚雷本体強度問題のため重巡洋艦では誘爆事故の被害拡大に目を瞑って中甲板に発射機を設置したが、後に強度改善され上甲板へ移設した **酸素魚雷  水上艦艇が運用する61cmの九三式魚雷と、潜水艦が運用する53cmの九五式魚雷のこと(秘密兵器なので「酸素」は省略されている)。  各国が魚雷の推進剤として酸素に注目していたものの、実用化に成功したのは旧日本海軍のみだった。  打撃力のみならず、雷速や射程も従来型の魚雷を大きく上回る性能を誇る、日本海軍伝家の宝刀。  その上、航跡が見えにくいため回避しにくいという、まさに秘密兵器の名に相応しい代物だった。  欧米諸国からはその長射程ぶりからLong Lanceと呼ばれ、怖れられたという。  ただし、初期は色々とボロが出ており、決して信頼性が高いものではなかった。  もちろん機密として扱われ、酸素ではなく「特用空気」と呼ばれていた。  その長射程故に友軍の上陸支援中に襲撃してきた敵艦に撃ったら  外れた酸素魚雷が味方(しかも陸軍)の輸送船に直撃して撃沈したでござる(因みに撃ったのは[[この娘>最上]])、とか  同じく外れた酸素魚雷が10km先にいた全然別の敵艦隊に到達して戦艦撃破してました(こっちは[[この娘>伊19]])、なんてエピソードも。  なお、酸素魚雷は当時同盟国のドイツにも渡っている(運んだのは[[この娘>伊8]])が、商船を沈めるのが仕事のドイツ海軍では艦隊決戦用  最終兵器など特に使う機会もなく、逆に量産性やら整備性の悪さが指摘されて採用されなかったとか。  値段はただでさえ高い通常魚雷より高価なので、大井のように毎回20発撃ってたら財政が火の車になること間違いなし。  長射程が売りの一つだが、誘導性能があるわけではないので遠距離での命中率はかなり低い。  (これは酸素魚雷のみの話ではないが、例えばスラバヤ沖海戦にて日本軍はアウトレンジ戦法として遠距離からの砲雷撃戦に固執したが、参加艦艇全体で発射した魚雷188本のうち当たったのはわずか4本。命中率2%程度である)  そのため、射程を減らして炸薬を増やし破壊力を増加させる方向性で改良されていった。  威力を表すエピソードとして早発した魚雷の水柱をかぶった米戦艦のボイラーの火を消したとか  ゲームでは、システム的な問題のためか射程「短」なのがちょっと切ない。  なお、よくある勘違いだが航空魚雷は空気式魚雷である。  ちなみに酸素魚雷の信管は接触式のみ。 **甲標的(特殊潜航艇)  53cm魚雷2発を装備した小型の有人潜航艇。母艦より発進し、敵艦隊の通る海域に潜伏。  雷撃で奇襲をかけることで敵艦隊の戦力を削ぎ艦隊決戦を有利にする、というのが当初の開発思想であった。  ただし、発艦した艇を回収するのは非常に困難なため、事実上の特攻兵器として扱われることもある。  (発達した航空戦力の脅威を開発時考慮に入れておらず、また艦隊決戦に敗れた場合、甲標的の機動性では撤退する母艦に追いつけない)  まあ、元々のコンセプトが『人間が操縦できる魚雷』と『アレ』そのものであるため、いくら妥協しても特攻兵器と扱われて仕方ないと言えよう。  こちらも機密扱いで、潜航艇であることを秘するために甲標的と呼ばれた。  史実では太平洋戦争初頭に行われた真珠湾やシドニー湾の攻撃に用いられた。  真珠湾では搭乗員が日本軍初の捕虜となり、シドニー湾では現在も沈んだままの艇を確認できる。  ちなみに最大の戦果は英戦艦ラミリーズを大破させたこと。ただしこの戦艦、日本でいうところの[[扶桑]]姉様並の二線級艦なのだが。  ゲームでは……きちんと回収されていると思いたい。 **電探  電波探信儀の略。要はレーダー。水上(対艦用)と対空(航空機用)がある。  本項とは直接関係ないが、旧日本海軍は夜目が利く者を見張りに据えており、レーダーより遠くが「見える」人も居たとか。  ……そのレーダーがしょぼかっただけなんだけどね。  日本軍は特にこの分野に関しては後手に回り続けたが、「伊58乗艦中に危険な目にあったことがない」と橋本艦長が言ったように末期はある水準まで到達したようだ。  対するアメリカ軍は、大戦初期の頃こそ大した性能のレーダーを配備していなかったが、イギリスからの技術供与により性能が格段に向上。先手を取って行動できるようになり、日本海軍お家芸の夜戦も封殺されていった。 **爆雷  駆逐艦や軽巡洋艦が装備する、対潜用の水中爆弾。  艦からレールで直接、あるいは投射機で射出することで爆雷を海中に投下、投下された爆雷は設定された深度に達すると爆発。  爆発時の衝撃で潜水艦にダメージを与える。  潜水艦の深度や場所は水中聴音器・探信儀で探るが、爆雷による損傷を避けるため爆雷投下時はそれらを船内にしまわなくてはならない。 **水中聴音器  駆逐艦や軽巡洋艦等が装備する、音を聴くことで水上・水中の艦艇の居場所を探る装置。現在のパッシブ・ソナー。  自身が音を発して探知する探信儀(アクティブ・ソナー)と比較すると精度に劣るが、隠密性が高い。 **水中探信儀  駆逐艦や軽巡洋艦等が装備する、音波を発して音波の反射によって水上・水中の艦艇の居場所を探る装置。現在のアクティブ・ソナー。  艦艇の音を聴いて探知する聴音機(パッシブ・ソナー)と比較すると隠密性に劣るが、精度が高い。 **三式弾  日本軍が、戦艦や重巡洋艦の主砲用に開発した対空弾頭。  敵航空機編隊の手前で砲弾を炸裂させ、弾頭に仕込まれた大量の焼夷弾子によって敵編隊を一網打尽にする狙いの兵器。  ゲーム中ではそこそこ頼れる対空兵器だが、実際には砲弾の炸裂は時限信管で行われるため、高速で飛来する敵編隊に対し理想のタイミングで炸裂させることは困難で、派手な見た目ほど頼れる兵器ではなかった模様。  対地砲撃にも運用可能で、現在のクラスター弾のような使い方もされている。ヘンダーソン飛行場への砲撃作戦では大量の三式弾が撃ち込まれ、施設を火の海にするなど猛威を振るった。 **九一式徹甲弾  日本軍が開発した、戦艦や巡洋艦の主砲用徹甲弾。  砲弾が海面に着弾してもしばらくは水面下を直進する水中弾効果に着目し、比較的装甲が薄い喫水線下への攻撃を狙って作られた。  滑り止めのカバー(被帽)がついた砲弾の上に、更に水中弾効果を起こしやすくするカバー(風帽)を取り付けたもので、徹甲弾の種別で言えば風帽付被帽徹甲弾。  着水後はカバーが外れ滑り止め付き砲弾のみが直進していき、遅延信管により装甲を貫いた辺りで爆発する。  カバーのお陰で空気抵抗的にも有利なため、通常の徹甲弾より射程も長い。  視認できない箇所を狙う砲弾のため命中したかどうかがわかりにくく、性質上信管が0.4秒とかなり長く設定されているため、非装甲部位へ直に着弾すると爆発する前に貫通してしまい砲弾貫通以外のダメージがいかないのが難点で、金剛が護衛空母ガンビア・ベイをなかなか仕留められなかったのはそのせいと云われている。  また、通常弾と水中弾効果の発生割合はさほど変化がないともいわれている。   ちなみにゲーム中では戦艦では金剛型のみ九一式徹甲弾を装備できないが、史実では第二次改修にて使用可能となっている。  ゲームでも金剛改二・比叡改ニが実装されたが、今も装備は出来ない模様。 **噴進砲  現在でいうロケットランチャーの日本軍名称。炸薬の爆発により砲弾を加速して撃ちだすのではなく、弾頭底部に仕込まれたロケットの推進力によって弾自身が加速して飛ぶ。  この兵器は二次大戦で大きく進化したジャンルで、歩兵用の携帯型対戦車兵器、砲兵が扱う面制圧用の牽引式あるいは自走式の連装ロケット、航空機に搭載する空対地ロケット弾や対爆撃機用の空対空ロケット弾、果てはロケット推進の戦闘機や世界初の弾道ミサイルまで開発された。  ゲームに登場する12cm30連装噴進砲は機銃架に据え付ける防空兵装で、ロケット弾30発の連続発射による弾幕で艦を護るため開発された。  このロケット弾1発1発の中には三式弾のように焼夷弾子が入っており、時限信管で起爆するようになっている。いわば近接版三式弾か。  射程が短いのと装填に手間取るのが難点だが、派手な弾幕に敵爆撃機も思わず回避行動をとってしまうため、意外に有効な対空兵装だった。  ちなみに瑞鶴や伊勢らが装備したのは12cm28連装噴進砲。30連装噴進砲は空母葛城(艦これ未実装)等に装備された。 **回天  戦争末期に61cm酸素魚雷をベースに開発された、有人誘導魚雷。開発者は甲標的の講習員だった士官二名。  甲標的の子孫といえなくもないが、あちらが母艦が(困難ではあるが)回収する事が可能で乗組員の脱出も可能な小型潜航艇であるのに対し、こちらは魚雷そのものに人が乗り込んで運命を共にする人間魚雷である。  魚雷だが、発射管からの発射ではなく甲板に設けられたレールから海中に投下(北上の場合。伊号潜水艦の場合は甲板から直接発進)。中に乗り込んだ乗員は潜望鏡を上げ、そこから得た情報を元に潜望鏡を下げ魚雷を誘導、目標への直撃を狙う。外れた場合は潜望鏡を上げなおして再度情報を得る。  ハッチは俗説と違い内部からのみ開閉可能だが、脱出装置はないため一回発射されれば攻撃の成否に関わらず乗員の命はない。  (そのため上層部は当初この提案を却下し、開発決定後も「脱出装置をつけないとぜってー採用しない」と断言していたが、戦局の悪化と脱出装置の開発の遅れで、結局省かれてしまった)  元が魚雷であるため速度はともかく機動性に優れているとは言いがたく、また伊号潜水艦より浅い深度までしか耐えられないため、伊号を母艦とする場合母艦の水中機動に制限を課してしまうなど、特攻兵器ということを差し引いてもいろいろ問題のある兵器だった。  (回天は潜水艦で運用する53cm魚雷よりも大きいため、隔壁に守られた艦内ではなく甲板上に搭載されている)  なお開発者のうち一人は回天での訓練中の事故で死亡。もう一人は回天最初の特攻で、米油槽艦ミシンネワを道連れに戦死した。  兵器の性質上当然ゲーム中には登場しないが、[[北上]]や[[伊58]]といった史実で搭載した艦娘の会話で「アレ」として触れられることがあり、両名とも積みたくないと提督に漏らしている。 **次発装填装置  日本海軍の61cm4連装魚雷発射管などに装備された、魚雷の次弾装填を迅速に行うための装置。  魚雷発射管の側に設置される魚雷を搭載した箱型の装置で、撃ち終えた魚雷発射管を装填位置に旋回、装置から魚雷を発射管に移し替えることで装填を行う。  重巡等は天井クレーン式の次発装填装置もあった。  従来の魚雷発射管は予備魚雷が無いため、撃ち切ったら戦闘中どころか帰港まで再装填はできなかったが、この装置の搭載により装填作業中の安定航行(大体数分)が必要とはいえ魚雷の再装填が戦闘時でも可能となり、一発射管辺りの火力が大きく向上した。  ただしこの装置は駆逐艦の防御上のネックでもあり、実際に爆弾が次発装填装置に当たり、予備魚雷が誘爆して沈没した駆逐艦もいたりする(駆逐艦『秋月』)。  装備として実装されているわけではないが61cm四連装魚雷の図鑑で触れられている。また、神通の夜戦開始時の台詞「次発装填済み」は、台詞のコロンバンガラ島沖海戦にて神通を旗艦とする二水戦の駆逐艦が、魚雷を撃ち尽くしたと判断し突撃した米艦艇を次発装填装置で再装填した魚雷で返り討ちにした戦果を元とした台詞となっている。  ちなみに魚雷の代名詞といえば重雷装巡洋艦となった北上や大井だが、魚雷発射管を片舷に5基20門、両舷合計40門と多数搭載している代わりに次発装填装置は搭載されていないため、瞬間火力は高いが全弾撃ったら帰港までそれっきりだったりする。 **カタパルト  利根の台詞で触れられている、艦艇から艦載機を発進させるための装置。元々は投石機の事を指していた、飛行機を石と見立てれば納得できる。  飛行甲板の無い巡洋艦や戦艦から水上機を発進させたりするのに使われるもので、水圧式や火薬式、油圧式や空気式等いろいろあるが、基本的にはそれらの動力を用いて航空機を一気に加速し射出、離陸に必要な速度を確保するものである。  日本軍では巡洋艦や戦艦、水上機母艦といった艦種で水上機を発艦させるために火薬式カタパルトが使われていたが、連続使用に向かないこともあって艦載機を運用する空母への搭載はなかった。そのため、艦載機発艦時は艦をも風上へと走らせて離陸速度を稼ぐ必要があり、空母の設計(巡洋艦並の高速力)と運用(発艦時は風上に向かい全力航行)に制限を課せられた(とはいえ、現在の空母も発艦の際に風上に全速航行する必要があるのは変わらない)。また、甲板が狭く速度の出ない軽空母クラスの空母では、大型化し発艦距離が長くなった新型機の運用が出来ない(=艦体の大型化=護衛等の任務に支障が出てくる)という問題があった(飛鷹クラスでさえ風がなければ彗星発進不能)。  対するアメリカ軍はイギリスからの技術供与を受け油圧式カタパルトを空母に装備。正規空母の艦載機運用能力が向上したばかりでなく、軽空母や護衛空母のような小型低速の空母でも新型機の運用が可能となっていた。  現在はボイラーの蒸気を流用する蒸気式カタパルトが主流だが、新型の原子力空母では、原子炉から生み出される莫大な電力を活用して、磁力により加速するリニアカタパルトをCVN-78ジェラルド・R・フォードに設置した。 *艦載砲 **サイズ  センチ表記で端数が出るのは本来インチ表記のため。敵艦隊の砲はインチ表記。  12.7センチ(駆逐艦)→5インチ  15.5センチ(軽巡)→6.1インチ  20.3センチ(重巡)→8インチ(古鷹型、青葉型は当初20.0cmだったが後に内部を削って20.3cmに拡大)  35.6センチ(金剛)→14インチ  41.0センチ(長門)→約16インチ。ワシントン条約の制限は16インチ(40.6センチ)であるため、厳密には条約違反である。  46.0センチ(大和)→約18インチ。ちなみに18インチは45.7センチ **単装・連装・三連装  要は砲塔から砲身が何本生えてるか。  艦載砲ではないが、魚雷発射管も同じ。 **副砲  戦艦は、魚雷攻撃のために接近を試みる小型艦艇を撃退するための副砲を、主砲とは別に備えている。  大和は15.5センチ三連装を4基、他は14センチ~15.2センチ単装を大量と、駆逐艦や軽巡洋艦にとっては脅威。  しかし、航空戦力の脅威が増すに連れ、一部は対空火器へと置き換えられていった。  ゲームでは、15.5センチ三連装砲などは主砲専用のものと副砲として使用可能なものが別れている。  これは大和型の副砲は同型ながら、最上型での運用実績を元に改良されたものだからだとか。 **高角砲  対空火器と思いきや、実は仰角を大きく取れる砲というだけなので、船などを撃っても良い。  ゲームでは、12.7センチ連装高角砲を装備した千歳や千代田が対艦砲撃を行うのはこのため。  ちなみに対艦と対空の両方をこなせる砲を両用砲と言い、ゲームで対空能力を持つ砲はこれと見て良いだろう。  一般には高射砲と呼ばれるが、日本海軍では「陸軍と同じ呼び方なんて嫌だい!」という(つまらない面子を張る)ことで、高角砲と呼んだとか。 **機銃  基本的に飛来する敵航空機を攻撃するための火器。  だが実際には『敵機を追尾し撃墜する』ものではなく、『弾幕を張って敵攻撃機を近づけさせない』ための自衛装備の意味合いが強い。  口径が小さい(センチとミリの違い)ので、装甲が施された戦闘艦艇に対する攻撃力は期待できない。  ただ、史実では爆発物や可燃物に命中し、結果として撃沈に至った例もあったとか。  あまり関係ないが、現代では口径が20ミリ未満なら機関「銃」、20ミリ以上なら機関「砲」と呼ばれる。  しかし、旧日本海軍では銃と砲の境目が40ミリだったため、ゲームでは25ミリも「機銃」となっている。細かい。  航空戦力の脅威増加と共に増設が進んでいき、大戦後半にもなると甲板各所はもちろん艦橋上や主砲塔上などにも銃座が追加されている。  (航空戦艦の伊勢・日向の肩にある主砲上にある機銃は、後から追加されたもの)  ただ増設された銃座には爆風避けのシールドがない物が多く、爆風の被害範囲に増設された銃座の機銃手は、主砲や副砲の発射時は艦内に退避しないと大変なことに…。 *艦艇自体 **速力  艦隊の速度は一番遅い船に合わせられる(置いていくわけにいかないので)。  ゆえに、高速艦の中に低速艦を混ぜると、速度に由来する何らかのペナルティを受けるという公式回答。  (具体的なペナルティの内容は未回答。詳細は [[公式回答集]] を参照されたし)  史実の最大船速は大体こんな感じ。40ノットで時速74キロ、30ノットで時速56キロ。(1ノット=時速1.852キロ) -駆逐艦:30ノット後半 -軽巡洋艦:30ノット中盤 -重巡洋艦:30ノット前半 -速い戦艦:25ノット~30ノット前後 -遅い戦艦:20ノット前後 -正規空母:30ノット前後 -速い軽空母:30ノット前後(軽巡や重巡の改造、もしくは空母として建造されたタイプ) -遅い軽空母:20ノット前後(貨物船やタンカー、外洋客船などの船を改装したタイプ)  ゲームでの低速と高速の境目は27ノットあたりと思われる。([[大和]]が低速扱いで[[加賀]]が高速扱いの為)  ちなみに、普段は燃費の良い巡航速度で航行する。 **装甲  艦全体をくまなく防護しようとすると、重量がかさんで別の不具合が現れるようになってしまった。  このため、重要な部分のみに重装甲を施して他は妥協するようにした。これを集中防御方式と呼ぶ。  また、この重要な部分のことを [[バイタルパート>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88]] と呼ぶ。  扶桑型の防御が弱いのは、このバイタルパートが長大で十分な防御が施せないため。 **缶  ボイラーのこと、艦にとってのエンジンみたいなもん。ボイラーから生まれる蒸気でタービンを回し、スクリューを回す。  今でも使われている言葉で、「汽罐」で検索すると企業が結構見つかる。  なお、潜水艦は浮上時はディーゼルエンジン、潜水時はモーターとバッテリーで駆動する(ディーゼルなら圧縮空気で即機動するがボイラーは蒸気が出来るまで時間がかかる)。 **超弩級戦艦  イギリスが建造した画期的戦艦、ドレットノート(ド級。弩は当て字)を超える戦艦、という意味。  あまりに画期的な戦艦だったがために各国が弩級戦艦や超弩級戦艦の建艦競争を始めてしまったため、皮肉にも語源であるドレットノートはわりと早い段階で旧式化してしまった。(登場した瞬間から''ニュースタンダードの最古参''になってしまうため)  ちなみに現在艦これで実装されている戦艦は、全て超弩級戦艦である。 **ビッグ7  [[長門]]の図鑑に記載があり、[[長門]]本人もなにかと口にする単語。  16インチクラスの砲を搭載した当時世界最強の7大戦艦…すなわち、  日本の長門型([[長門]]、[[陸奥]])  アメリカのコロラド型(コロラド、メリーランド、ウエストバージニア)  イギリスのネルソン型(ネルソン、ロドニー)  を指した言葉。 **イージス艦  [[霧島]]、[[妙高]]、[[鳥海]]といった艦娘の図鑑に出てくる言葉。  戦後にアメリカ軍が開発した防空戦闘、特にソ連の飽和攻撃(敵の迎撃能力を超える攻撃を一気に送り込むことで直撃を狙う、ソ連らしい力技)への対応を重視した火器管制システム(イージスシステム)を搭載した艦船を指す言葉であり、駆逐艦や巡洋艦といった艦種を指す言葉ではない。  極端な話戦艦や空母、潜水艦でもイージスシステムを搭載すればイージス艦となるが、基本的には巡洋艦や駆逐艦に搭載されるもの。  現在海上自衛隊ではこんごう型護衛艦として「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」、あたご型護衛艦として「あたご」「あしがら」の6隻のイージス艦が就役している。  ちなみにイージスの由来は、ギリシャ神話で戦神アテナが持つ邪悪を払う盾の名前(アイギス)。なるほどなー。 **八八艦隊計画  [[長門]]、[[加賀]]などの図鑑に出てくる言葉。1920年までに米海軍のダニエルズプランに対抗して計画された、日本海軍の艦隊整備計画の通称。  最終案では在来の保有艦に加え41cm以上の口径の主砲を搭載した戦艦8隻と巡洋戦艦8隻、そして5500t巡洋艦23隻をはじめとした大量の補助艦艇を整備する、超大規模な計画となった。  [[長門]]型はこの計画の戦艦第一陣として計画されたもので、その後建造される加賀型戦艦、天城型巡洋戦艦はより強力な艦として仕上がる予定だった。  しかし1922年のワシントン軍縮会議で主力艦の保有制限が厳しく制限されたため、そのピリオドは打たれることとなる。  結局この計画で完成した主力艦は[[長門]]と[[陸奥]](建造工程6割の所を強引に完成したと言いはった)、また空母に改装された[[加賀]]、[[赤城]]のみである。  また、主力艦の燃料消費が大きくなることが予想されたため、燃料消費を抑えた新設計の軽巡洋艦(川内型)も建造されている。(当初は8艦建造予定だったが八八艦隊計画終了により[[川内]]、[[神通]]、[[那珂]]の3艦で終了)。  しかし、もしこの計画が実現していたら日本は&bold(){軍艦建造費だけで国家予算の1/3、維持費に至っては国家予算の半分}を費やすこととなる。  日本のためにも、むしろ実現しなかったほうが良かったのであろう。%%どんな米帝提督だって、長門型以上の大食らいを14隻も保有・運用などできるはずがないのだ。%% **Uボート  [[伊8]]の図鑑に出てくる言葉。潜水艦の中でも、特にドイツ海軍の潜水艦を指す言葉。  通商破壊が主任務ということもあって、日本海軍の潜水艦と比較すると小型。  一次大戦・二次大戦と商船を狙った通商破壊で暴れまわり、連合国側、特にイギリスに恐れられた。  ちなみにUボートの意味はドイツ語でウンターゼーボート(水の下の船)…意訳すればそのものずばり、「潜水艦」である。   *戦闘 **陣形  主に公式でフォローされていないものについて。  単縦陣と輪形陣だけじゃ寂しいからと員数合わせに突っ込まれた気がしないでもなく……。 &sizex(3){&bold(){単縦陣}}  ゲーム的に役立ちそうなことは [[陣形]] へ。  陣形のページにも書いてあるが、各艦が一斉に回頭(旋回)することで、梯形陣、単横陣と陣形が変わる。  艦隊が一斉に180度回頭した場合、最後尾の艦は先頭になるため、そちらにも第二の旗艦を務められる人物が必要になる。  これが、英語で海軍少将を意味する”Rear Admiral”の由来。 &sizex(3){&bold(){複縦陣}}  対潜航行時や水雷戦隊が使用する陣形とのこと。  単縦陣より隊列の長さが短いため、無線以外(信号旗、信号灯)による命令が伝わりやすい。  いざ砲雷撃戦と言う時には、それに適した単縦陣へと隊列を変更する。 &sizex(3){&bold(){単横陣}}  公式に「宇宙のソロモン戦争で用いられた」とやる気のない説明をされている陣形(元ネタはガンダム)。  史実では [[衝角(ラム)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9D%E8%A7%92]] 戦術が主流だった時期に用いられた。  またこの陣形は横方向からの連続した攻撃が行いにくいのと、広範囲の爆雷攻撃に向いているため、潜水艦からの被害を抑えるのにも適している。  日本海軍では潜水艦による哨戒線展開として横一列を使用し、逆手を取られて対潜掃討で大被害を被った。  そのため大戦中ドイツ海軍の潜水艦(Uボート)に悩まされ続けた英国が、横陣と輪形陣を組み合わせた大型輸送船団の航行方法を編み出し、Uボートによる被害を減らしたのは有名。  艦これの時代では、主に対潜や索敵などで使用される陣形。 &sizex(3){&bold(){梯形陣}}  帝国海軍では単梯陣と呼んでいた模様。  艦これでは「/」のみだが、中央の艦に対して両翼が前進して∨字を描くと前翼単梯陣、後退してΛ字を描くと後翼単梯陣。  &sizex(3){&bold(){輪形陣}}  旗艦を中心として、他の艦を円状に配置する陣形。  周囲の艦が対空砲火の壁を張り巡らせるため、敵航空隊は中央の艦を攻撃することが難しくなる。  また、外周に位置する艦艇にレーダーを搭載することにより、艦隊の探知範囲を大きく広げることができた  砲雷撃には向かない配置だが、空母機動部隊のように他の攻撃手段を用いる艦隊には問題ない。  ちなみに、この陣形には潜水艦に対する攻撃・防御にも有効なため、僚艦には対空能力に併せて対潜能力も要求される。  現在の米海軍の主戦力である空母打撃群で、多数のイージス艦と一隻の空母と潜水艦でこの陣形を組む姿は有名。    余談:太平洋戦争末期のアメリカ海軍の輪形陣は中小艦艇合わせて60~100隻以上、直径はピケットラインを含めると70~80キロの巨大な物となっていた。     米帝マジチート。 *編成名の呼称 **艦隊  複数の戦隊を編成した部隊のこと。  戦隊が2つ以上編成されていないと艦隊とは呼ばないため、  たとえば戦隊1つ&駆逐隊1つで編成された部隊は基本的には艦隊とは呼称しない。 -航空艦隊:いくつかの航空戦隊で編成された部隊。 -機動部隊(機動艦隊):航空母艦を主力とし、これを補助する艦艇で編成した部隊の呼称。 &sizex(3){&bold(){編成クエスト例:「三川艦隊」を編成せよ!}}  ゲーム内では重巡洋艦「[[鳥海]]」「[[青葉]]」「[[加古]]」「[[古鷹]]」、軽巡洋艦「[[天龍]]」の編成でクリアとなる。  史実では他に「[[衣笠]]」「[[夕張]]」「[[夕凪]]」がおり2個戦隊であったため呼称が艦隊。 &sizex(3){&bold(){代表的な艦隊}} -南雲機動艦隊 南雲提督の指揮下、開戦初頭から中盤まで日本海軍の主力として戦った。 空母・[[赤城]]を旗艦とし、熟練搭乗員の巧みな航空攻撃で真珠湾攻撃から開戦初頭の快進撃を支えたが ミッドウェー海戦にて中核である[[赤城]]・[[加賀]]・[[飛龍]]・[[蒼龍]]が全滅して劣勢になり、ついに優勢を回復できなかった。 世界初の機動部隊とされるが、(南雲本人を含む世界の)海軍はあくまで戦艦中心の艦隊決戦を考えていた為、 南雲艦隊の空母部隊には十分な護衛艦艇は随伴しておらず、それがミッドウェーの大損害の一因ともなった。 南雲提督の人事異動に伴い、小沢提督に引き継がれた。 -小沢機動艦隊 南雲の後任である小沢提督の指揮下、中盤から壊滅までを戦った。 戦艦部隊・巡洋艦部隊も護衛に組み込んだ大規模な編成で史上最大の機動部隊決戦となったマリアナ沖海戦に挑んだ。 しかし開戦以来、消耗を重ねた艦載機搭乗員の練度は着艦も満足にできないほど低下していたこと、 何より機動部隊の威力を痛感したアメリカ海軍が倍以上の機動部隊戦力を整えていたことなどから、 「マリアナ沖の七面鳥撃ち」と嘲笑されるほどの大惨敗で主力空母3隻([[大鳳]]・[[翔鶴]]・[[飛鷹]])も失い、事実上壊滅した。 続くレイテ沖海戦では十分な艦載機も持てない空母部隊は戦力として期待されず、 アメリカ機動部隊の攻撃を、戦艦部隊からそらすための囮役として出撃。 敵機動部隊の攻撃を引き付けることに成功したものの、[[瑞鶴]]・[[瑞鳳]]・[[千歳]]・[[千代田]]から成る空母部隊は全滅。 以後、日本海軍が機動部隊を編成して戦うことは無く、ここに日本海軍機動部隊の歴史は終わった。 **戦隊  2個以上の軍艦(注意:船の数ではない。狭義の軍艦。)で編成された部隊のこと。  軍艦についての詳細は下部記載の項目「軍艦」を参照。 -航空戦隊:航空母艦または水上機母艦、基地航空隊で編成された部隊。 -水雷戦隊:軽巡洋艦と複数の駆逐隊で編成された部隊。 -駆逐連隊:軽巡洋艦が無く駆逐隊だけ、または駆逐隊がひとつしか無いなど水雷戦隊より1段下の場合の呼称。 &sizex(3){&bold(){編成クエスト例:「第五航空戦隊」を編成せよ!}}  ゲーム内では正規空母「翔鶴」「瑞鶴」および駆逐艦2隻の編成でクリアとなる。駆逐艦は史実では「[[曙]]」「[[潮]]」。  1個航空戦隊と1個駆逐隊の編成であり、戦隊が複数ではないため部隊は艦隊ではなく戦隊となる。 **軍艦  狭義の軍艦。旧日本海軍が軍艦と定めたもののことで、  戦艦、航空母艦、一等巡洋艦(重巡洋艦)、二等巡洋艦(軽巡洋艦)、水上機母艦はそれ一隻で軍艦だが、  駆逐艦は単艦では軍艦として認められず、複数集まって駆逐隊となって初めてひとつの軍艦という扱いとなる。  潜水艦も同様に、複数集まって潜水隊となって初めてひとつの軍艦となる。 **駆逐隊  複数の駆逐艦で編成された部隊。この駆逐隊となって初めて軍艦の扱いとなる。 &sizex(3){&bold(){編成クエスト例:「第六駆逐隊」を編成せよ!}}  ゲーム内では「[[暁]]」「[[響]]」「[[雷]]」「[[電]]」の編成でクリアとなる。  1個駆逐隊=軍艦1つのため艦隊でも戦隊でもない。  余談:「駆逐&bold(){隊}」のことを「駆逐&bold(){艦隊}」と誤読しないよう注意。それぞれ意味が全然違うので。 暁響雷電ちゃんたちは「第六駆逐隊」だよ!艦隊じゃないよ! //編制→編成の修正ついでに駆逐隊について追記。間違えて思えちゃっている提督が多いみたいですので。 **潜水隊  複数の潜水艦で編成された部隊。駆逐隊と同様、潜水隊となって初めて軍艦の扱いとなる。  そのため旧日本海軍としては(ゲーム内では敵として登場する)潜水艦4隻は艦隊でも戦隊でもない。 *人物 図鑑や任務、艦娘の台詞などに登場する人物 // // 編集に参加して下さる方へ // 簡潔にお願いします。詳しいことは Wikipedia などへ。 // // ということで一部コメントアウトにしときます **山本五十六  五十鈴の図鑑に登場。名前は「いそろく」と読む。  海軍大将。言わずと知れた太平洋戦争開戦時の聯合艦隊司令長官。稀代の博打打ちで真珠湾攻撃の発案、決定は彼によるもの。  しかし、本人はアメリカ駐在時などに国力の差を肌で実感しており、対米戦争には反対していた。  とかく軍神・名将と祭り上げられがちだが、十分な護衛の無い状態で空母部隊を先行させたミッドウェーの指揮など批判も多い。  本人も総司令官より一艦隊を預かる艦隊指令の方が向いていると考えていたようである。  また当人が軍政家のため、GF長官よりも海軍大臣の方が向いていたんじゃないかという意見も、当時の海軍将官からちらほら出ている。  (実際にはGF長官就任は、開戦反対派の山本を暗殺の魔の手から遠ざけるための措置だったらしい)  日本海海戦にも参加していて、この時乗艦『日進』の副砲暴発に巻き込まれ、左手の人差し指と中指を失っている。  戦局が悪化する中、直々に南方戦線の視察中にアメリカ軍戦闘機隊の待ち伏せに遭い、乗機の一式陸攻がP-38に撃墜されて戦死。  主な乗艦  [[北上]]、[[五十鈴]]、[[赤城]]、[[長門]]、[[大和]]、[[武蔵]] **南雲忠一  赤城の台詞に登場。  海軍中将。第一航空戦隊の赤城・加賀、第二航空戦隊の飛龍・蒼龍を主力とする世界初の空母機動部隊の司令官として知られるが、実際は当時の日本海軍の(悪い)慣習であった年功序列による栄転で、本来の専門は水雷と艦隊運用。  そのため航空部隊は完全に門外漢で、航空参謀の源田実の意見を積極的に取り入れた(そのため南雲機動部隊は『源田艦隊』の通称もあった)。  反面、操艦に関しての腕は良く、ミッドウェー海戦で自ら[[赤城]]の操艦を行い、航空魚雷6本を回避していたりする。  ミッドウェー海戦では説得を容れて炎上する赤城から脱出するも、後にサイパンで自決。  戦後はミッドウェイの一件だけでボロクソに叩かれていたが、近年再検証と再評価が始まっており、彼も名誉回復が待たれる。    主な乗艦  [[那珂]]、[[高雄]]、[[山城]]、[[赤城]]、[[翔鶴]] **山口多聞  五十鈴と飛龍の台詞に登場。  楠木正成の幼名「多聞丸」が名前の由来だが、彼のあだ名も飛龍がよく台詞で言う「多聞丸」である。  海軍少将。護衛機を付けずに爆撃隊を飛ばしたり、航空隊に猛訓練を科したことから「人殺し多聞丸」というあだ名を奉呈される。  飛龍・蒼龍から成る第二航空戦隊の司令官としてミッドウェー海戦に参加。アメリカ軍の攻撃により[[赤城]]・[[加賀]]・[[蒼龍]]が戦闘不能に陥る中、飛龍一艦の航空隊をもってアメリカ艦隊に一矢報いたものの、アメリカ軍の再反撃により損傷し沈みゆく[[飛龍]]と運命を共にした。  アメリカからは山本五十六よりも優秀な軍人として高く評価されていた。  ちなみに[[搭>飛龍]][[乗>長門]][[艦>伊勢]]よろしく本人も大食漢で、留学から帰る際に友人たちと競争して客船の食堂の全メニューを制覇したり、  [[大和]]での会食の際には「美味いが量が少ないね」と発言、山本長官が以後山口にはビフテキ2枚を出すように指示したといった逸話も持つ。  主な乗艦  [[由良]]、[[五十鈴]]、[[伊勢]]、[[長門]]、[[蒼龍]]、[[飛龍]] **小沢治三郎  「瑞鶴」の台詞に登場。  海軍中将、最後の連合艦隊司令長官。空母の集中運用を早くから唱えていたことからわかるように、識見はあったが結果が出なかった将として知られる。  マリアナ沖海戦時、第1機動艦隊兼第3艦隊司令長官。敵の機先を制して攻撃をしかける「アウトレンジ戦法」で勝利をつかもうとする。  しかし、南太平洋で消耗した航空隊の練度は開戦時に及ぶべくもなく、さらに電探により航空機隊を補足され、先手を取られたと判断した敵将マーク・ミッチャー中将が無理に攻撃隊を出さずに迎撃に徹した結果、新兵器VT信管の効果も相まって「マリアナの七面鳥撃ち」とまで呼ばれる大敗を喫す。  そしてレイテ沖海戦では「[[瑞鶴]]」に将旗を掲げ、栗田艦隊をレイテ泊地に突入させるためのおとりとして「[[千歳]]」「[[千代田]]」「[[瑞鳳]]」を率いてハルゼー艦隊を見事に釣り出した。  しかし栗田艦隊は突入寸前に反転、小沢機動部隊は空母のすべてを失い、彼の行動は無に帰してしまった。  主な乗艦  [[摩耶]]、[[榛名]]、[[鳥海]]、[[翔鶴]]、[[瑞鶴]]、大淀 **井上成美  比叡の図鑑に登場。名前は「しげよし」と読むが、「せいび」とも呼ばれていたとか。  最後の海軍大将。非常に頭が切れ、戦前には軍政部門、戦中には教育部門で大きな足跡を残したが、清廉潔白が過ぎる人柄のため不義を許さず、衝突も多かった。  海軍省軍務局第一課長を務めていた頃、「軍令部令並に省部事務互渉規定改定」((海軍省の持つ統帥権や人事権を軍令部によこせと言う、軍令部が勝手に戦争起こしかねない改定))を巡って海軍省と軍令部が対立。  この改定を一向に認めようとしない井上は、軍令部側の代表者であった南雲忠一に「ぶっ殺すぞ!」と暴言を吐かれたこともある。  また米内光政や山本五十六と共に、戦前は三国同盟反対、対米戦反対の立場(条約派)の中心人物であったことでも有名。  緒戦では南洋方面に展開する第四艦隊司令として指揮を取ったが、ウェーク島攻略失敗、珊瑚海海戦での空母喪失など、指揮した戦闘の評価は低く、本人も戦下手を認めている。  珊瑚海海戦後しばらくして海軍兵学校校長に就任。  軍事色と右傾化が強くなっていた学内風潮を改革し、最後まで普通学を重視して、『戦士』ではなく『紳士』を教育することをモットーとした。  終戦間際には海軍次官として終戦工作に奔走したが、海軍大将就任や米内の海相進退問題、終戦観の違いを巡って盟友米内と衝突。  そして米内と仲違いの末に大将就任とともに次官を罷免。軍事参議官に転任となった。  戦後は横須賀市長井の自宅に隠遁。自宅で英語塾を開いたりして糊口を凌いでいた。  晩年は兵学校時代の教え子たちに援助されつつ、教育や防衛に関しての数々の助言を行っている。  軍政家や教育者として評価されることはあるが、この手のゲームで名前が挙がるのは珍しい人物。  練習戦艦時代の比叡の艦長を勤めており、比叡ほどの大艦を大連港の桟橋に横付けしてみせたという逸話も残っている(専門は航海科)。  井上曰く比叡艦長時代は『人生で最も愉快だった時代』で、退艦した後も執務室に比叡の油絵を飾るなど、かなり気に入っていたようである。  なお本人は大きな船だと酔う体質で、比叡艦長時代は常に船酔いしていたとか。  主な乗艦  [[比叡]]、鹿島 **大井篤  海軍大佐。船団護衛やその護衛艦の任務につく予備士官の拡張を主張した人。  海上護衛総司令部を創設時に参謀。戦後、「海上護衛戦」を著す。とかく通商路の確保に無理解な海軍上層部と現場に挟まれた苦労人。  例1:「商船を守る護衛艦をください」→「じゃあ軽空母回すよ」→来たのは入渠しないと航空艤装が使えないonbr艦(艦これにも出ているが本人のプライバシーを守るため特に名を秘す)  例2:対潜装備を充実させた航空隊がようやくできたよ!→戦果確認のために偵察に出せ→全滅  極めつけは大戦末期、枯渇する中割り当ててもらった重油6000トンのうち2000トンを大和特攻のため召し上げられる。  さすがにマジギレして電話口で「国を挙げての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎」と怒鳴ったそうである。  なお戦後、海上自衛隊が対潜キ○ガイ&シーレーン防衛に重点を置くようになったのは米帝の潜水艦に油やボーキサイトのみならず、食料まで締め上げられたトラウマのせいである。シーレーンはきちんと守ろうね!  そして、前述の出来事から、戦後は大和乗組員の生存者の会で大和と武蔵をボロクソにこき下ろしたのも有名なお話。  ただ米軍側の資料には輸送船団の定期的な暗号通信がなけりゃここまでズタボロにできなかったとも書かれている……海上護衛総司令部自体が慢心していたのかもしれない。  このゲームには出てこないのに、どこからともなく名前が出てくる人。  いずれ海防艦が出るらしいのでその図鑑ででるかも?  ……と思っていたら、2013年6月12日に追加された特注家具、“海上護衛”掛け軸の説明においてまさかの艦これデビューを果たす。全提督に資源輸送の大切さを説いているとかいないとか。  理詰めなところが井上成美と似ているためか何かと接点が多く、かつて井上の書いた戦略テキストを発掘して熟読したり、比叡乗務の友人に「お前井上艦長と絶対ウマ合うぞ」と言われたりもしている。  主な乗艦  [[日向]]、[[扶桑]]、[[鳥海]] **源田実  海軍大佐。日本海軍では珍しいパイロット出身の高級士官で、開戦時の南雲機動部隊の航空参謀。  航空機畑出身だけあって航空論者であり、日華事変ではそれまであくまで援護用と考えられていた戦闘機で、制空戦というジャンルを開拓。  太平洋戦争では真珠湾攻撃からミッドウェー海戦まで南雲機動部隊の航空参謀を務めていた。  この航空参謀時代、航空戦の門外漢である南雲提督は頻繁に源田の提案を受け入れたため、南雲機動部隊は「源田艦隊」の仇名で呼ばれ、源田自身も困惑したとかなんとか。  戦争末期には紫電改を集中配備した伝説的な防空部隊、三四三航空隊の指揮官を勤めた。  戦後は航空自衛隊幕僚長や参議院議員を歴任した。空自初代F-XでのF-104の選定や、ブルーインパルス設立も源田の功績。  だがその一方で、戦闘機不要論をブチ上げ有能な操縦士を輸送機に左遷したり、ミッドウェー海戦での異常な慢心、特攻兵器桜花の採用、政治家時代には大物右翼と関係を持つなど問題行為も数多く行っており、評価が真っ二つに別れる人物。    ちなみに「[[加賀]]」の「鎧袖一触よ、心配いらないわ」と言うセリフは、ミッドウェー攻略作戦に際して行われた兵棋演習での源田の発言による。  この言葉は後の創作とも言われているが、もし本当なら&bold(){慢心ここに極まれりである}。  主な乗艦  [[赤城]]、[[加賀]]、[[龍驤]]、[[瑞鶴]] **工藤俊作  海軍中佐。開戦時の駆逐艦[[雷]]艦長で、1942年8月からは[[響]]艦長を務めた駆逐艦乗り。  185㎝・95㎏という堂々とした体躯に加え柔道の段位持ちという猛者でありながら、非常に温和な人物で「工藤大仏」の渾名もあったほど。  [[雷]]乗務時代にスラバヤ沖海戦で撃沈した敵艦三隻の乗員を僚艦の[[電]]とともに救助し、彼らを捕虜とせず、賓客としてもてなしたエピソードが特に有名。  この話は帝国海軍の美談として書籍やテレビドキュメンタリーにもなっている。  しかし本人は[[響]]艦長に転属後、自分の与り知らぬところで[[雷]]が沈没し、乗員全員が犠牲になった事の自戒としてこの話を生涯口外しなかったと言う。  戦後は故郷の山形で過ごしたが、後に家族の仕事を手伝うため埼玉県に移住。家族が敵兵救助の話を知ったのは彼の死後、救助された英海軍士官の口からだった。  ちなみに前述の大井篤とは兵学校の同期で、彼の死に際に駆けつけてきた。  主な乗艦  [[雷]]、[[響]] **黛治夫  海軍大佐。[[大和]]副長、[[利根]]艦長などを務めた砲術のエライ人。名前は「まゆずみ はるお」と読む。  松田千秋少将と並ぶ砲術屋で、戦後、「海軍砲戦史談」、「艦砲射撃の歴史」を著す。  「海軍砲戦史談」は陣形、艦砲射撃の計算の仕方・撃ち方、日本海軍の砲戦事例などが書かれている。  一般には「日本海軍の射撃の命中率はアメリカ海軍の三倍だ」との名(迷?)言が特に有名。  一方で[[利根]]艦長時代に艦籍を偽って英商船に接近、これを撃沈し、捕虜を処刑するなどのエグイこともやってたりする。  (ビハール号事件。言うまでもなく戦時国際法違反であり、戦後に戦犯訴追され懲役刑となっている)。  戦後は一時期上記事件のおかげで香港に収監されていたが、後に帰国。水産会社に入社し、捕鯨砲の開発などを行った。    主な乗艦  [[古鷹]]、[[大和]]、[[利根]]、秋津島 **木村昌福  海軍中将。海軍兵学校を下から二番目という惨憺たる成績で卒業するも、重巡「[[鈴谷]]」艦長や第二・第一水雷戦隊司令官を歴任した、生粋の水雷屋。  トレードマークは顔からはみ出す立派なカイゼル髭。名前の読みは「まさとみ」で、あだ名は名前の音読みである「ショウフク(ショーフクとも)」。  米軍の包囲網の中にあり成功も困難なキスカ島撤退作戦(3-2「キス島撤退作戦」の元ネタ)を、1名の戦死者も出さず成功させた事で有名な司令官。  1度目の突入時には霧が晴れた為に突入を中止、はやる指揮下駆逐艦をなだめ「帰ろう。帰ればまた来られるから。」と帰路に就く。  無論司令部は激怒し要員を送り込んだりなどした((艦隊を動かす燃料の枯渇や、霧が発生しない季節になりつつあった為))が温厚で勇猛なショウフク司令は全く意に介さず、釣りや将棋をしながら次の作戦を練っていた。急いては事をし損じる、というわけである。  2度目の突入時はついに霧が発生し、米軍艦隊がレーダーの虚像に惑わされて海原に攻撃→補給の為離脱すると言う奇跡のタイミングでキスカ島に突入し、見事全員を生還させた。  他にも味方艦隊に[[座乗艦>鈴谷]]が機関故障と偽って海域に留まって[[大破した味方艦>三隈]]の乗員を救助したり、敵の民間輸送船を乗組員を退避させてから沈めるなど、敵味方問わず可能な限り人命を尊重するエピソードも多い。  戦後は自分を慕う部下と共に製塩業を興した。家族に海軍での出来事を語らなかったため、家族がその功績を知ったのは晩年戦史家が取材に訪れた時だった。  無理をせずに時を窺い万全を期すその言葉は、艦これにおいても、無理な進撃で愛娘を轟沈させかねない作戦指揮を諌める重要な戦訓である。  失った艦娘は戻ってこないのだ、今一度考えよう。   主な乗艦  [[神通]]、[[鈴谷]]、[[白雪]]、[[阿武隈]]、[[霞]] **平賀譲  「[[妙高]]」「[[夕張]]」の図鑑に登場。  海軍中将。造船官として戦艦紀伊型(ゲーム未登場)、重巡洋艦古鷹型、妙高型、軽巡洋艦夕張、川内型、駆逐艦神風型、若竹型を設計した名設計家。  またこれ以外にも戦艦扶桑型、長門型、大和型などの設計にも(いずれも主任設計者ではないが)関わっている。  特に「[[夕張]]」は実験艦としてさまざまな新設計案を盛り込み、排水量の割に重武装となって海軍を喜ばせた。  設計の傾向としては復原力を重視し、やたらと兵器を積みたがるユーザー(海軍)には断固として反対し、「平賀不譲」「ニクロム線」(熱するとすぐ赤くなることから)のあだ名を奉られる。  手堅い設計を好むがゆえに、当時の各種新技術を重視せず、ダメージコントロール術にも無理解だった。一例としてリベット工法に固執し、結果的に重量面や被弾時に不利になるという一面もあった。また、居住性が犠牲になりやすい事(特に顕著なのが古鷹型)や、設計が複雑すぎるのも特徴とも言える。  上記の性格が窺い知られるエピソードに、左遷中、老朽化した金剛型の代替艦の建造が計画された際に、当時の筆頭造船官であった藤本喜久雄少将の設計案に納得がいかないと勝手に代替艦の設計案を作成・提出し、海軍内部で大いに顰蹙を買ったと言う伝説がある。  しかも自信満々に提出したその戦艦の設計案も、平賀の悪癖である異なる門数の主砲塔混載に、荒天時の使用が限られるケースメイト式副砲を採用するなどの旧式な設計を用いたため、当時の海軍での評価は低かった模様。  藤本との関係が険悪だったのは非常に有名な話で、二人の不仲は当時の海軍では知らないものがいなかったと言われている。  退官後は東大総長となり、急速に軍国主義に傾いていく世相の中、英語教育を重視するなどバランスの取れた教育に力を入れた。  総長時代、東大内部で巻き起こっていた主義主張に関わる内紛に終止符を打たせた『平賀粛学』が最も有名な功績のひとつ。  晩年は咽頭癌に苦しみ、死の前年に古鷹・加古戦没の報を聞いた際には我が子を失ったが如く嘆いたという。  1943年、自らが設計した艦が南洋の海に横たわっていくのを追うかのように死去。  暴言暴挙や特定人物のえこひいきなどが目立ち、とりわけ藤本と藤本派造船官への嫌がらせに関するエピソードは枚挙に暇が無いほど。  しかし、お世辞にも人格者とは言えないが、技術者としては非常に優れた才覚を持ち、多数の功績や多彩な逸話も残している。決して悪行だけの人間ではなかったのは付け加えておく。  なお、ゲーム内で[[夕張]]がやたらと蕎麦を食べたがるのは、平賀が喉頭癌の闘病時、最後に食べたがった食物であることに由来すると思われる。  主な設計艦  [[加賀]]型戦艦、紀伊型戦艦、[[川内]]型、[[夕張]]、[[古鷹]]型、[[妙高]]型 **藤本喜久雄  海軍少将。特型駆逐艦、高雄型重巡洋艦、最上型重巡洋艦などを設計した、平賀譲と並ぶ名造船官。  長門型戦艦の煙突は排煙に問題があり、平賀はこの解消のために試行錯誤を繰り返すも、結果は芳しくなかった。  藤本はこれを煙突を屈曲させることで解決。「芋虫煙突」と揶揄されたこの「屈曲煙突」はしかし、後の日本軍艦艇の機関設計に影響を与えた。  ところが平賀は、これら藤本の提案を無断で借用。藤本もまた平賀の海外出張中に、軍令部の意向で青葉型・妙高型の設計を平賀に無断で変更する。  これらの出来事や、軍令部の意見を通しにくい平賀に代わって藤本が艦政本部の主任設計者になったのが重なり、藤本は以後様々な場面で平賀と対立することとなる。  設計の特徴としては、用兵側の無茶な要求にも精一杯答え、電気溶接やダメージコントロールと言った新技術を次々取り入れる柔軟さが挙げられる。  ただし、蓄積が不十分な技術を使用し、上層部の無理難題を受け入れてしまった点は平賀に批判されており、実際にそれが後の悲劇に繋がることになった。  その他にも、平賀の設計では何かと無視しがちだった艦の居住性を重視している。尤もこれは、機能性を追及するあまり居住性を省みなかった平賀と比較しての話であるが。  上述の通り、条約による制限と軍令部の要求の中で無理な設計を行ったこと、導入した新技術が未熟だったことが原因で、1934年に「友鶴事件」が発生。  当時艦政本部の責任者であった藤本は、多数の死傷者を出し問題を生んだ「友鶴」を含む千鳥型水雷艇の設計の責を一身に負わされ、その名声と信用は失墜。謹慎処分を受けてしまう。  1935年、謹慎処分中に失意のまま脳溢血により死去。  藤本の残したデータは彼の死後、平賀の手によって処分されたと言われており、また藤本の弟子たちも平賀の横暴によって辛酸を舐め続けた。  追い討ちを掛けるかのように、死の同年に発生した「第四艦隊事件」により、藤本の導入した当時の日本の溶接技術の稚拙さが問題とされてしまい、結果的に評価を更に下げることとなってしまう。  後期の日本海軍を代表する名設計家であり、新技術に対する先見性なども持ち合わせながら、海軍を揺るがす事件の責任を問われたがために不遇の晩年を送ることになった非業の才人であった。  上記の通り、とかく平賀とは切っても切れない人物で、良くも悪くも二人の話はお互いの存在抜きには語れないほど縁が深い。  主な設計艦  特型([[吹雪]]型)、[[初春]]型、[[高雄]]型、[[最上]]型、千鳥型水雷艇 **西村祥治  海軍中将。任務及び[[時雨]]・[[満潮]]の図鑑に西村艦隊の名で登場。  「見張りの神様」という異名があった第四水雷戦隊司令官だったが、バリクパパン沖海戦では先に襲撃をかけてきた潜水艦を深追いするあまり護衛していた輸送船団が撃沈される不覚をとる。  第二戦隊司令官に就任し、旗艦[[山城]]を率いてレイテ沖海戦に臨んだが米軍艦隊にT字で迎え撃たれて[[山城]]と共に戦没。  この時「我魚雷を受く。各艦は我に省みず前進し、敵を攻撃すべし」と残存艦に出した指令が[[山城]]の大破時の台詞の元ネタである。  西村艦隊とはレイテ沖海戦時に組織された西村が司令官の[[山城]]・[[扶桑]]・[[最上]]・[[時雨]]の他に[[満潮]]・[[山雲]]・[[朝雲]]の編成による艦隊だったが、生還したのは[[時雨]]だけだった。  主な乗艦  [[三日月]]、[[熊野]]、[[日向]]、[[榛名]]、[[金剛]]、[[那珂]]、[[山城]] **美濃部正  彗星一二甲型の図鑑に記載のある夜間攻撃専門の航空部隊、『芙蓉部隊』を設立した指揮官。海軍少佐。  夜襲部隊を設立しようにも戦争末期で資材もない中、高速だが液冷エンジンのため稼働率が低く持て余されていた彗星一二甲型に着目。  整備担当が彗星の開発メーカーから整備方法を教わることで稼働率を向上。安定した実戦投入を可能とするだけでなく、パイロットには効率的な訓練を行うことで少ない飛行時間でもある程度の能力向上と練度維持に成功。組織的な戦闘ができるようになったこの部隊を芙蓉部隊と名づけた。  沖縄防衛戦では上層部の特攻強要に対し、芙蓉部隊というまっとうな戦力を保持する美濃部はこれを拒否。特攻が免除された芙蓉部隊は夜間戦闘機に悩まされながらも夜間爆撃により滑走路や艦船を攻撃することで戦果を上げ、終戦までの短い期間だが航空隊の主力として奮闘しつづけた。  戦後は航空自衛隊に入隊し空将となっている。 **松田千秋  軍令部時代に[[大和]]型戦艦建造を発案し、[[大和]]の三代目艦長も努めた砲術の権威。海軍少将。  標的艦「摂津」艦長時代に独自の急降下爆撃の回避法を編み出して教育に取り入れさせたり、トラック泊地から動けない[[大和]]の艦上で砲術講義を行うなどをしている。 また、戦艦時代の日向艦長や航空戦艦への改装の提案、その後編成された第四航空戦隊では司令をつとめるなど、伊勢型戦艦とは縁が深かった。  エンガノ岬海戦・北号作戦には司令として参加。エンガノ岬海戦では米艦載機の猛攻から司令下の[[伊勢]]・[[日向]]を弾幕射撃と爆撃回避法で守り切り、北号作戦では参加した船を全艦無傷で無事帰還させた「伝説」もある。  終戦時は横須賀海軍航空隊司令、戦後は事務機器メーカーを起こし、事務機械の発明と販売で成功を収めている。  なお[[大和]]建造に文句をつけたからか山本五十六には否定的で、戦後になって軍事雑誌のインタビューで真珠湾攻撃は立案からして失敗だったと徹底的に批判した事もある。  平成7年11月に99歳で死去。日本海軍の将官最後の生き残りだった。    主な乗艦  [[伊勢]]、[[日向]]、[[大和]] **有賀幸作  海軍大佐。[[電]]、[[鳥海]]、[[大和]]の艦長を努めた。味方からは戦上手と高く評価される人物。  [[大和]]艦長として有名だが、元々は駆逐艦乗務のほうが向いていたらしく、豪放磊落かつ大胆な駆逐艦乗りの気質が目立つ軍人であった。  日華事変では第一掃海隊司令として参加し、掃海任務以外に中国軍の掃討や友軍援護に勤しみ、中華民国の賞金首になったエピソードもある。  太平洋戦争は緒戦では第四駆逐隊(艦これ勢では[[舞風]]が所属)司令として、マレー方面で英駆逐艦と米砲艦それぞれ1隻づつ、また連合国軍の商船3隻と油槽船2隻を撃沈、商船2隻を拿捕する快挙を上げている。  1944年から[[大和]]艦長に任命され、この時喜びのあまり息子に&bold(){「大和艦長 有賀幸作」}と書いた手紙を送ったりしている(当時の大和の存在は&bold(){機密事項})。  1945年4月の坊ノ岬沖海戦にて乗艦[[大和]]と共に沈んだ。  なお、極度のヘビースモーカーで「エントツ男」の通称があり、更に極度の水虫持ちで、艦内では草履を履いていたとか。    主な乗艦  [[電]]、[[鳥海]]、[[大和]]、嵐   **友永丈市  飛龍の台詞に登場。  海軍大尉。ミッドウェー島攻略に、[[飛龍]]の艦攻隊飛行隊長として参加する。  [[赤城]]・[[加賀]]・[[蒼龍]]が攻撃を受け混乱する中、唯一無傷の[[飛龍]]から二次攻撃隊として発艦。  空母ヨークタウンを発見し雷撃により大破させるが、彼自身も戦死。死後二階級特進し海軍中佐となった。  一説によると、彼の機体は対空砲火を受けて炎上し、ヨークタウンの艦橋に激突自爆したとも言われている。  主な乗艦  [[加賀]]、[[飛龍]] **吉川潔  [[夕立改二]]の台詞に登場。海軍中佐。苗字は「きっかわ」と読む。  海軍兵学校を出て以降、駆逐艦『[[長月]]』の水雷長を始めとして一貫して駆逐艦に乗り続けた生粋の水雷屋で、「不滅の駆逐艦長」と称された歴戦の闘将。  第三次ソロモン海戦での駆逐艦無双が有名だが、それ以前にも『[[大潮]]』艦長時代にバリ島海戦にて『[[朝潮]]』と共に軽巡3隻・駆逐艦7隻からなる艦隊を撃退したり、『[[夕立]]』艦長となってからも揚陸任務の帰投途上で単身本隊から離れ、ルンガ泊地に夜間潜入、停泊中の艦2隻を撃沈した上飛行場を破壊するという驚異的な戦果を上げている。  多大な戦果を誇示せず、当然のことのように振る舞う謙虚な人柄で、訓練は非常に厳しかったが不思議な温かみのある人物として部下からも慕われていた。  また人が軽視されがちな当時の日本において人材の大切さを知る人物でもあり、「艦長がいちいち艦と運命を共にしていたら、たまったものではない。艦は3年もすれば出来るが、艦長が出来るまでには10年はかかる。誰もが艦と運命を共にしていたら、誰が戦争をするんだ」という言葉を口癖のように言っていたと言われている。  上記のように艦より人が大事と公言していたが艦に対する愛情がなかったわけではなく、第三次ソロモン海戦『五月雨』に救助された後、傷の手当もせず『[[五月雨]]』艦長の元に向かい、戦地に残していく『[[夕立]]』への雷撃処分を要請。雷撃処分は行われたが失敗し、敵艦の接近から雷撃処分を断念した後も、艦長に何度も雷撃処分を要請。危険故にその要請は受け入れられず、彼は米軍の砲撃を受け漂流する『[[夕立]]』を、涙を浮かべ見送ったという。  第三次ソロモン海戦の後は海軍兵学校の教官職を命じられたが、あくまでも前線勤務を望む彼はそれを固辞。後に望みどおり新造駆逐艦『大波』の艦長となり前線に舞い戻った彼は、再度『[[夕立]]』と共に戦ったソロモン海に出撃した。…が、セントジョージ岬沖海戦にてアーレイ・バーク大佐率いる駆逐艦隊に電索を利用した先制攻撃を受け、反撃する間もなく撃沈。『[[大波]]』と共に帰らぬ人となった。  戦死の後、一駆逐艦の艦長としては異例の二階級特進の栄誉を受け、海軍少将となっている。   主な乗艦  [[大潮]]、[[夕立]]、大波 **田中頼三  [[長波]]の図鑑に登場。海軍中将。  生粋の駆逐艦乗りで、水雷のスペシャリスト。第一次大戦時には欧州に派遣され、地中海での船団護衛任務に従事した経験もあった人物。  開戦時には第二水雷戦隊司令の職に着いており、スラバヤ沖海戦にも参加している。但し、この時は遠距離雷撃戦に固執するあまり戦果を挙げられず、敢闘精神に欠けると批判された。  ガ島を巡る海戦にも幾つか参加しており、駆逐艦での鼠輸送中に遭遇したルンガ沖夜戦では圧倒的な不利な態勢・戦力の中で米重巡戦隊を圧倒する。  だがここでも輸送任務を放棄し戦闘に移る。座乗艦[[長波]]でなく、僚艦高波を先行させて犠牲にした。などの消極的な戦闘指揮に上司・部下からの非難が殺到。  最終的に第二水雷戦隊の役職を解かれ、終戦まで閑職に回されていた。  だがその一方で敵であるアメリカ海軍からの評価は異様に高く、ルンガ沖夜戦での田中の戦闘指揮と判断をして絶賛。戦史家サミュエル=モリソンからは「不屈の猛将・田中」と称された。  主な乗艦  [[潮]]、[[神通]]、[[金剛]]、[[長波]] ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/雑学) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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