阿武隈

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阿武隈」(2015/09/08 (火) 00:04:53) の最新版変更点

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#image(ダウンロード.png) #contents() //&autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 野水伊織 ---- *Illustrator ---- コニシ ---- *史実情報 ---- #image(Abukuma_cl1941.jpg)  1925年5月、浦賀船渠にて[[長良]]型6番艦として竣工する。  横須賀の造船所で建造されたために阿武隈もまた関東大震災に遭遇しており、既に進水を済ませていたため被災の末に大破した空母天城や [[那珂]]ちゃんのように艦体へのダメージは無かったものの、造船所施設が被災した関係で艤装が大幅に長引くことになった。  1930年には御前崎南方で行われた海軍大演習における夜間演習中に、突然舵が故障。人力操舵に切り替える間もなく 前方を航行していた僚艦[[北上]]に追突し、阿武隈は艦首が破損。[[北上]]も大破する事故が発生した。 実際のところ当たっていったのは阿武隈の方だった。  損傷の修復にあたって、阿武隈は艦首が『一号機雷』対策のための凌波性に劣るスプーン艦首から、新たに帝国海軍標準として採用されて いた、ダブルカーヴド艦首に変更されている。ちなみに長良型だけでなく、三本煙突の5500t型軽巡ではダブルカーヴド艦首の艦は彼女のみである。 もっとも四本煙突こと川内型もダブルカーヴド艦首になったのは衝突事故を起こした[[神通]]と震災で作り直すはめになった[[那珂]]と奇縁が有るのだが。  初陣となったのは1932年の上海事変での警備出動。1933年には長良型では初の近代化改装が施され、実用性に乏しい艦橋の陸上機滑走台を撤去。 新たに火薬式の水上機カタパルトと水上偵察機を搭載している。  ちなみに5500t型軽巡に当初搭載された水上偵察機は、長らく軽巡の偵察機として使用された九四式水上偵察機などの通常の三座水上偵察機ではなく 夜戦での仕様を考慮した夜間用偵察機と呼ばれる小型飛行艇であった。しかし、これらの機体は使用用途が限られるため大量生産されなかった上に、 通常の三座水偵でも任務遂行が可能だと判明すると順次通常の三座水偵に切り替えられているのである。 #image(E11A-1.jpg) これが夜間用水上偵察機の愛知・九八式水上偵察機(E11A)。  開戦直前に旧来の魚雷発射管を九三式酸素魚雷が発射可能な四連装発射管に換装されており、開戦時は第一水雷戦隊旗艦として真珠湾攻撃にも参加した。 &bold(){「[[暁]]」「[[響]]」「[[雷]]」「[[電]]」で構成される第六駆逐隊は彼女の直属の部下である。}  その後は南方、北方と転戦を続けたが、ミッドウェー海戦やソロモン海の諸海戦といった大規模な戦闘には遭遇はしなかった。  彼女の初の晴れ舞台となったのは1943年3月のアッツ島沖海戦で、阿武隈は[[那智]]、[[摩耶]]、[[多摩]]などとともに米重巡ソルトレークシティを大破せしめる。  同年7月のキスカ島撤退作戦でも木村昌福中将座乗の旗艦として参加しており、同島駐留の兵員1202名を回収している。  しかしその一方で突入時に濃霧で小島を敵艦と誤認し、後続の[[島風]]と一緒に島に向かって魚雷4発をお見舞いしたエピソードもある。  この時、阿武隈水雷長が残した狂歌がこれである。 &bold(){「一番が敵だ敵だとわめき立てあっと打ち出す二十万円」}  (ちなみに当時の20万円は現代の感覚では20億円程度)  1944年頃にはすでに艦隊決戦は望めないとして航空兵装を撤去し、代わりに対空電探設置など防空設備を強化。同年10月のレイテ沖海戦では第一水雷 戦隊は第五艦隊遊撃部隊(通称志摩艦隊)に所属し、25日深夜には西村艦隊の後方よりスリガオ海峡に突入するのだが、米オルデンドルフ艦隊の魚雷艇 群の放った魚雷の一本が旗艦阿武隈の艦首第一砲塔下部に直撃し、第一砲塔や電探室などで五十数名が死亡。阿武隈の速力も低下するに至った。  このためやむなく第一水雷戦隊は旗艦を[[霞]]に移し、阿武隈は[[潮]]を随伴して後方へと離脱することとなる。  この時、前方の海上に炎上する軍艦が見え、阿武隈では先行する西村艦隊が大戦果を上げているものと思い「まずは緒戦の血祭りだ!」と沸き立った。 しかし見張り員が「左に炎上するのは[[扶桑]]!」「右に燃えながら突っ込んで行くのは[[山城]]!」と報告、艦内は愕然となっている。  夜が明けると阿武隈は米機動部隊から発艦した攻撃機隊に襲撃されるのだが、攻撃が同様に損傷によって後方待機となっていた[[最上]]に集中したため 事なきを得る。  26日にはなんとかたどり着いたミンダナオ島にて応急修理を施され、[[潮]]とともにコロンを目指すのであるが、同日中に飛来した米陸軍のB-24爆撃機 30機の攻撃を受け、250kg爆弾により直撃弾3発、至近弾4発を被弾。阿武隈は一瞬にして艦上部にいた人間がほぼ全滅し、機関も停止。火災も発生と、 「死の船」と化したのである。  しばらく阿武隈は浮いてはいたが、発射管内の魚雷への火災の引火、誘爆によって艦体が破断。ついに総員退去命令が下され、乗員は[[潮]]に移乗。 阿武隈はフィリピンのネグロス島沖にその身を沈めたのである。  死者512名。生存者は米軍の攻撃を掻い潜った潮によって無事マニラへと送り届けられた。  余談だが、阿武隈もまた海自護衛艦に名前が受け継がれている。  二代目阿武隈ことDDE-229あぶくまは地方隊用の小型護衛艦の集大成として建造された傑作艦で、5隻の姉妹艦がいる。  その姉妹艦が艦これユーザーに特に馴染み深い名前が多いのも(あぶくま、じんづう、おおよど、せんだい、とね、ちくま)また特徴だったりする。  映画「太平洋奇跡の作戦キスカ」で、主役の船として阿武隈の活躍を見ることができる。モノクロ映像だが現在でも評価の高い映画なので、興味のある方は是非。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|こ、こんにちは。軽巡、阿武隈です| | |秘書クリック会話①|阿武隈の名前、覚えてくれました?|| |秘書クリック会話②|あたしの名前、漢字で書けます?|| |秘書クリック会話③|わあぁ! あんまり触らないでくださいよぉ! あたしの前髪崩れやすいんだから。&br()提督、ちょっと北上さんみたいです|1930年に[[北上>http://www56.atwiki.jp/kancolle/pages/74.html]]と衝突。その際に艦首を損傷した&br()ただ上記史実情報にもあるように、どちらかといえば阿武隈が加害者である。| |戦績表示時|提督! 報告書よ。成績はどう?|| |編成選択時|えっ、やだ、私!? い、行けるけど|| |装備時①|あたしに期待してるの? そうなのね!|| |装備時②|わかったわ! あたしの力が必要なのね|| |装備時③|あたし的にはおKです|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |補給時|これでばっちり戦えます|| |ドック入り|お風呂は大好き〜、ふふ〜ん!|| |ドック入り(重傷)|ちょっと長いお風呂になりそう、いいよね?|| |建造時|建造が終了しました|| |艦隊帰投時|艦隊が母港に帰還しました!|| |出撃時|待ってました! って、そんなに心待ちにしてたわけじゃないんだから|| |戦闘開始時|阿武隈、ご期待に応えます!|| |航空戦開始時||空母・水母のみ・夜戦攻撃時と同じ| |攻撃時|やる時はやるんだから!|| |夜戦開始時|さぁて夜戦ね、どこかの夜戦バカには負けないんだから|一見すると追加艦お馴染みの川内いじりだが、そんな夜戦バカが史実で後方支援に回ったときに水雷戦隊の旗艦任務を受け継いだのは彼女という奇妙な縁が有ったりする。&br()ちなみにあぶくま型護衛艦の4番艦もせんだい。| |夜戦攻撃時|がら空きなんですけど!|空母以外・航空戦開始時と同じ| |MVP時|こんな私でもやれば出来る! ねっ、提督、本当にありがとう。|| |被弾小破①|きゃっ!嘘でしょ!?|| |被弾小破②|やめてよ!艦首直したばかりなのに!|| |被弾カットイン|やっぱあたしじゃ無理? でも、このまま負けるなんて嫌!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):やられた・・・ねぇ、潮ちゃん、傍にいる・・・?後の事、頼んでいいかな・・・|1944年、沈没。生存者は[[潮]]に救出された。| ---- *時報 &table_color(table2,#ddd){} |~時間|~台詞|~関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|深夜0時じゃない!提督のばかぁ!|| |01:00|1時よぉ?お肌が荒れちゃう・・・先に寝ま~す|| |02:00|2時ぃ・・・?ん?提督ー?|| |03:00|深夜の3時のおやつは要らないわ|| |04:00|朝の4時ぃ~!? もう、冗談でしょー|| |05:00|提督ぅ~、5じですー。そろそろまずくない~?|| |06:00|もう6時かぁ。髪作ってくるね|| |07:00|朝7時かぁ。ねえねえ、あたしの前髪どうかなぁ?|| |08:00|今日も提督と一緒にいていいかな?|| |09:00|9時です。今日はどうします?|| |10:00|10時です。そろそろリアルする?|| |11:00|11時です。もうちょっとがんばったらランチしよ!|| |12:00|12時になったよ。ねえ、美味しいもの食べたいなぁ|| |13:00|午後1時です。午後の部突入~!|| |14:00|午後2時ってら(な)んかれ(ね)むくない?&br()ふぁ?私だけ?|| |15:00|3時よ。お昼寝する?おやつにする?|| |16:00|4時になりましたね。そろそろ疲れてきたなぁ|| |17:00|5時です!髪なおしてきますー|| |18:00|6時です!おなかすきました!|| |19:00|7時です!勉強、仕事!そして艦これ!|| |20:00|夜の8時をお知らせします!提督ぅー、調子はどーおー?|| |21:00|夜の9時になりました、そろそろ夜戦のお時間です|| |22:00|10時です!ちょっと一息入れましょうよ|| |23:00|11時になりました。いよいよ正念場ね!|| |放置時|もぅーっ!忘れられちゃったかと思ったじゃない!|| ---- *同型艦 [[長良]] ― [[五十鈴]]([[五十鈴改二]]) ― [[名取]] ― [[由良]] ― [[鬼怒]] ― &bold(){阿武隈} ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=阿武隈/コメント) ---- *外部リンク -[[Wikipedia:阿武隈>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AD%A6%E9%9A%88_(%E8%BB%BD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)]] //-[[ニコニコ大百科:阿武隈]] //-&link_atpedia(阿武隈){@PEDIA:阿武隈} ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(ダウンロード.png) #contents() //&autolink(id=wikibody) ---- *CV 野水伊織 ---- *Illustrator コニシ ---- *史実情報 #image(Abukuma_cl1941.jpg) 1925年5月、浦賀船渠にて[[長良]]型6番艦として竣工する。 横須賀の造船所で建造されたために阿武隈もまた関東大震災に遭遇しており、既に進水を済ませていたため被災の末に大破した空母天城や [[那珂]]ちゃんのように艦体へのダメージは無かったものの、造船所施設が被災した関係で艤装が大幅に長引くことになった。 1930年には御前崎南方で行われた海軍大演習における夜間演習中に、突然舵が故障。人力操舵に切り替える間もなく 前方を航行していた僚艦[[北上]]に追突し、阿武隈は艦首が破損。[[北上]]も大破する事故が発生した。 実際のところ当たっていったのは阿武隈の方だった。 損傷の修復にあたって、阿武隈は艦首が『一号機雷』対策のための凌波性に劣るスプーン艦首から、新たに帝国海軍標準として採用されて いた、ダブルカーヴド艦首に変更されている。ちなみに長良型だけでなく、三本煙突の5500t型軽巡ではダブルカーヴド艦首の艦は彼女のみである。 もっとも四本煙突こと川内型もダブルカーヴド艦首になったのは衝突事故を起こした[[神通]]と震災で作り直すはめになった[[那珂]]と奇縁が有るのだが。 初陣となったのは1932年の上海事変での警備出動。1933年には長良型では初の近代化改装が施され、実用性に乏しい艦橋の陸上機滑走台を撤去。 新たに火薬式の水上機カタパルトと水上偵察機を搭載している。 ちなみに5500t型軽巡に当初搭載された水上偵察機は、長らく軽巡の偵察機として使用された九四式水上偵察機などの通常の三座水上偵察機ではなく夜戦での仕様を考慮した夜間用偵察機と呼ばれる小型飛行艇であった。しかし、これらの機体は使用用途が限られるため大量生産されなかった上に、通常の三座水偵でも任務遂行が可能だと判明すると順次通常の三座水偵に切り替えられているのである。 #image(E11A-1.jpg) これが夜間用水上偵察機の愛知・九八式水上偵察機(E11A)。 開戦直前に旧来の魚雷発射管を九三式酸素魚雷が発射可能な四連装発射管に換装されており、開戦時は第一水雷戦隊旗艦として真珠湾攻撃にも参加した。 &bold(){「[[暁]]」「[[響]]」「[[雷]]」「[[電]]」で構成される第六駆逐隊は彼女の直属の部下である。} その後は南方、北方と転戦を続けたが、ミッドウェー海戦やソロモン海の諸海戦といった大規模な戦闘には遭遇はしなかった。 彼女の初の晴れ舞台となったのは1943年3月のアッツ島沖海戦で、阿武隈は[[那智]]、[[摩耶]]、[[多摩]]などとともに米重巡ソルトレークシティを大破せしめる。 同年7月のキスカ島撤退作戦でも木村昌福中将座乗の旗艦として参加しており、同島駐留の兵員1202名を回収している。 しかしその一方で突入時に濃霧で小島を敵艦と誤認し、後続の[[島風]]と一緒に島に向かって魚雷4発をお見舞いしたエピソードもある。 この時、阿武隈水雷長が残した狂歌がこれである。 &bold(){「一番が敵だ敵だとわめき立てあっと打ち出す二十万円」} (ちなみに当時の20万円は現代の感覚では20億円程度) 1944年頃にはすでに艦隊決戦は望めないとして航空兵装を撤去し、代わりに対空電探設置など防空設備を強化。同年10月のレイテ沖海戦では第一水雷 戦隊は第五艦隊遊撃部隊(通称志摩艦隊)に所属し、25日深夜には西村艦隊の後方よりスリガオ海峡に突入するのだが、米オルデンドルフ艦隊の魚雷艇 群の放った魚雷の一本が旗艦阿武隈の艦首第一砲塔下部に直撃し、第一砲塔や電探室などで五十数名が死亡。阿武隈の速力も低下するに至った。 このためやむなく第一水雷戦隊は旗艦を[[霞]]に移し、阿武隈は[[潮]]を随伴して後方へと離脱することとなる。 この時、前方の海上に炎上する軍艦が見え、阿武隈では先行する西村艦隊が大戦果を上げているものと思い「まずは緒戦の血祭りだ!」と沸き立った。 しかし見張り員が「左に炎上するのは[[扶桑]]!」「右に燃えながら突っ込んで行くのは[[山城]]!」と報告、艦内は愕然となっている。 夜が明けると阿武隈は米機動部隊から発艦した攻撃機隊に襲撃されるのだが、攻撃が同様に損傷によって後方待機となっていた[[最上]]に集中したため事なきを得る。 26日にはなんとかたどり着いたミンダナオ島にて応急修理を施され、[[潮]]とともにコロンを目指すのであるが、同日中に飛来した米陸軍のB-24爆撃機30機の攻撃を受け、250kg爆弾により直撃弾3発、至近弾4発を被弾。阿武隈は一瞬にして艦上部にいた人間がほぼ全滅し、機関も停止。火災も発生と、「死の船」と化したのである。 しばらく阿武隈は浮いてはいたが、発射管内の魚雷への火災の引火、誘爆によって艦体が破断。ついに総員退去命令が下され、乗員は[[潮]]に移乗。 阿武隈はフィリピンのネグロス島沖にその身を沈めたのである。 死者512名。生存者は米軍の攻撃を掻い潜った潮によって無事マニラへと送り届けられた。 余談だが、阿武隈もまた海自護衛艦に名前が受け継がれている。 二代目阿武隈ことDDE-229あぶくまは地方隊用の小型護衛艦の集大成として建造された傑作艦で、5隻の姉妹艦がいる。 その姉妹艦が艦これユーザーに特に馴染み深い名前が多いのも(あぶくま、じんづう、おおよど、せんだい、とね、ちくま)また特徴だったりする。 映画「太平洋奇跡の作戦キスカ」で、主役の船として阿武隈の活躍を見ることができる。モノクロ映像だが現在でも評価の高い映画なので、興味のある方は是非。 ---- *台詞一覧 &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|こ、こんにちは。軽巡、阿武隈です| | |秘書クリック会話①|阿武隈の名前、覚えてくれました?|| |秘書クリック会話②|あたしの名前、漢字で書けます?|| |秘書クリック会話③|わあぁ! あんまり触らないでくださいよぉ! あたしの前髪崩れやすいんだから。&br()提督、ちょっと北上さんみたいです|1930年に[[北上>http://www56.atwiki.jp/kancolle/pages/74.html]]と衝突。その際に艦首を損傷した&br()ただ上記史実情報にもあるように、どちらかといえば阿武隈が加害者である。| |戦績表示時|提督! 報告書よ。成績はどう?|| |編成選択時|えっ、やだ、私!? い、行けるけど|| |装備時①|あたしに期待してるの? そうなのね!|| |装備時②|わかったわ! あたしの力が必要なのね|| |装備時③|あたし的にはおKです|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |補給時|これでばっちり戦えます|| |ドック入り|お風呂は大好き〜、ふふ〜ん!|| |ドック入り(重傷)|ちょっと長いお風呂になりそう、いいよね?|| |建造時|建造が終了しました|| |艦隊帰投時|艦隊が母港に帰還しました!|| |出撃時|待ってました! って、そんなに心待ちにしてたわけじゃないんだから|| |戦闘開始時|阿武隈、ご期待に応えます!|| |航空戦開始時||空母・水母のみ・夜戦攻撃時と同じ| |攻撃時|やる時はやるんだから!|| |夜戦開始時|さぁて夜戦ね、どこかの夜戦バカには負けないんだから|一見すると追加艦お馴染みの川内いじりだが、そんな夜戦バカが史実で後方支援に回ったときに水雷戦隊の旗艦任務を受け継いだのは彼女という奇妙な縁が有ったりする。&br()ちなみにあぶくま型護衛艦の4番艦もせんだい。| |夜戦攻撃時|がら空きなんですけど!|空母以外・航空戦開始時と同じ| |MVP時|こんな私でもやれば出来る! ねっ、提督、本当にありがとう。|| |被弾小破①|きゃっ!嘘でしょ!?|| |被弾小破②|やめてよ!艦首直したばかりなのに!|| |被弾カットイン|やっぱあたしじゃ無理? でも、このまま負けるなんて嫌!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):やられた・・・ねぇ、潮ちゃん、傍にいる・・・?後の事、頼んでいいかな・・・|1944年、沈没。生存者は[[潮]]に救出された。| ---- *時報 &table_color(table2,#ddd){} |~時間|~台詞|~関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|深夜0時じゃない!提督のばかぁ!|| |01:00|1時よぉ?お肌が荒れちゃう・・・先に寝ま~す|| |02:00|2時ぃ・・・?ん?提督ー?|| |03:00|深夜の3時のおやつは要らないわ|| |04:00|朝の4時ぃ~!? もう、冗談でしょー|| |05:00|提督ぅ~、5じですー。そろそろまずくない~?|| |06:00|もう6時かぁ。髪作ってくるね|| |07:00|朝7時かぁ。ねえねえ、あたしの前髪どうかなぁ?|| |08:00|今日も提督と一緒にいていいかな?|| |09:00|9時です。今日はどうします?|| |10:00|10時です。そろそろリアルする?|| |11:00|11時です。もうちょっとがんばったらランチしよ!|| |12:00|12時になったよ。ねえ、美味しいもの食べたいなぁ|| |13:00|午後1時です。午後の部突入~!|| |14:00|午後2時ってら(な)んかれ(ね)むくない?&br()ふぁ?私だけ?|| |15:00|3時よ。お昼寝する?おやつにする?|| |16:00|4時になりましたね。そろそろ疲れてきたなぁ|| |17:00|5時です!髪なおしてきますー|| |18:00|6時です!おなかすきました!|| |19:00|7時です!勉強、仕事!そして艦これ!|| |20:00|夜の8時をお知らせします!提督ぅー、調子はどーおー?|| |21:00|夜の9時になりました、そろそろ夜戦のお時間です|| |22:00|10時です!ちょっと一息入れましょうよ|| |23:00|11時になりました。いよいよ正念場ね!|| |放置時|もぅーっ!忘れられちゃったかと思ったじゃない!|| ---- *同型艦 [[長良]] ― [[五十鈴]]([[五十鈴改二]]) ― [[名取]] ― [[由良]] ― [[鬼怒]] ― &bold(){阿武隈}([[阿武隈改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=阿武隈/コメント) ---- *外部リンク -[[Wikipedia:阿武隈>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AD%A6%E9%9A%88_(%E8%BB%BD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)]] //-[[ニコニコ大百科:阿武隈]] //-&link_atpedia(阿武隈){@PEDIA:阿武隈} ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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