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「霞」(2014/12/18 (木) 18:19:12) の最新版変更点
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#image(No090.jpg)
#contents()
&autolink(id=wikibody)
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*CV
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宮川若菜
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*史実情報
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#ref(Michishio Arare Kasumi Shiranui and Kuroshio.jpg)
作戦行動中の駆逐艦群を空撮したもの。手前から3番目が「[[霞]]」。
朝潮型駆逐艦10番艦として1939年6月に浦賀船渠にて竣工。
就役後は同型艦の「[[霰]]「と、陽炎型の「[[陽炎]]」「[[不知火]]」とともに第2水雷戦隊所属の第18駆逐隊を組成していた。
戦争初期は機動部隊の護衛に徹し、初陣は真珠湾攻撃作戦。1942年1月からはラバウル攻撃を行う機動部隊に随伴。
二航戦によるポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦にも従事し、機動部隊同士の衝突となったセイロン沖海戦にも護衛として参加した。
同年6月、運命のミッドウェー海戦では南雲中将率いる機動部隊の護衛ではなく、近藤中将率いる攻略部隊に参加。
そこで「[[霞]]」は、長い間彼女が守ってきた歴戦の空母たちを、その最後を看取れぬまま失ったのである。
6月後半から7月、「[[霞]]」は第18駆逐隊司令艦として水上機母艦「[[千代田]]」と輸送船あるぜんちな丸のキスカ行への護衛にあたったが
キスカ湾にて濃霧のために仮泊していたところを湾内に忍び寄ってきた米潜水艦グロウラー(SS-215)の雷撃を受け、一番砲塔下に魚雷一本が命中したために艦体前部が破断。
浸水と大火災が発生し、乗員10余名が死亡するに至った。
グロウラーのもたらした被害はそれだけにとどまらず、姉妹艦「[[霰]]」は轟沈、「[[不知火]]」も同様に大破し、第18駆逐隊は一瞬にして「[[陽炎]]」を除く全艦が大きな損害を被ったのだ。
一撃で1隻沈没2隻大破という事態に、海軍内では「第18駆逐隊は何をしていたのか、油断していたのではないか」と非難の声が上がり、
司令艦の「[[霞]]」に座乗していた第18駆逐隊司令 宮坂義登大佐は&bold(){責任を取り切腹自決するに至った。}
このため8月に「[[雷]]」に曳航されて本土に戻った「[[霞]]」は、舞鶴海軍工廠にて翌年6月までの修理を余儀なくされた。
また、「[[霰]]」轟沈と「[[霞]]」「[[不知火]]」の長期修理のために艦隊での行動が不能となった第18駆逐隊は二隻の修理完了と同時に解隊。
唯一稼働可能だった「[[陽炎]]」は先だって1942年7月の時点で第15駆逐隊へと転属されていた。
[[霞]]」は1943年9月には第5艦隊第1水雷戦隊隷下の第9駆逐隊に編入。&bold(){この駆逐隊は特Ⅰ型と朝潮型で組成された駆逐隊で、性能の大きく異るこの両型を同じ駆逐隊に編入していた。}
このことから、「[[霞]]」自身もこの時点での帝国海軍の置かれていた状況が見てとれたと思われる。
第9駆逐隊編入後、1944年まで「[[霞]]」は北千島の船団護衛や横須賀・ルオット島間の輸送任務、父島や硫黄島への輸送など
かつての華々しい戦場を駆けた日々と打って変わって、地味な任務に従事することとなる。
なお、43年10月に朝潮型の「朝雲」が第10駆逐隊に転属し、1944年3月に特Ⅰ型の「白雲」が襟裳岬東方で被雷沈没したため、第9駆逐隊は
解隊・再編を余儀なくされ、「[[霞]]」は懐かしい僚艦「[[不知火]]」と、第9駆逐隊の特Ⅰ型「薄雲」とともに、第18駆逐隊を再結成した。
(しかし同年7月に「薄雲」は沈没した)
「[[霞]]」が再び戦火の海に舞い戻ったのは1944年10月のレイテ沖海戦。
「[[霞]]」含む第18駆逐隊は志摩清英中将麾下の第2遊撃部隊(第5艦隊)に配属され、西村艦隊突入に続いてスリガオ海峡よりレイテ湾に突入する腹積もりであった。
だがスリガオ海峡に差し掛かったところで第1水雷戦隊旗艦の「[[阿武隈]]」が敵魚雷艇の攻撃により小破。
戦闘続行が困難となり、木村昌福少将を始めとした第1水雷戦隊司令部は急遽「[[霞]]」に移乗して、戦闘を続行することとなった。
だが志摩艦隊は最終的にレイテ突入を諦め、フィリピン西方のコロン湾まで撤退するに至った。
その途上、第18駆逐隊の僚艦であり、「[[霞]]」にとっては開戦時からの戦友であった「[[不知火]]」が、栗田艦隊の軽巡「[[鬼怒]]」、駆逐艦「浦波」の救助中に米軍艦載機隊の攻撃で戦没。
「[[霞]]」は第18駆逐隊の僚艦の全てを失ってしまったのである。
その後第18駆逐隊の僚艦を失った「[[霞]]」は11月に第7駆逐隊に編入される。
第7駆逐隊は緒戦から一貫して存在した駆逐隊であり、1942年に単独行動中の「[[朧]]」が戦没した以外は組成当時から1944年まで所属艦の戦没が無かった隊であった。
しかし同年以降は1月に「[[漣]]」、11月に「[[曙]]」と戦局の悪化と米潜水艦の跳梁跋扈を物語るかのように次々と所属艦が戦没するに至り
「[[霞]]」編入時には当初からの所属艦は既に「[[潮]]」のみであった。
ちなみに第6駆逐隊最後の生き残りとなった「[[響]]」も1945年初頭に同駆逐隊に編入されており、「[[潮]]」「[[響]]」「[[霞]]」で組成された第7駆逐隊は
&bold(){死にぞこなった駆逐艦どもの居場所}同然となっていた。
10月末からのオルモックへの輸送作戦(多号作戦)にも第1水雷戦隊旗艦として護衛任務に従事しており、木村少将の第2水雷戦隊
司令就任と共に「[[霞]]」も同戦隊旗艦に就任することとなった。
そして12月の木村少将率いる挺身部隊によるミンドロ島への攻撃作戦(礼号作戦)では艦隊旗艦となり、あの重巡「[[足柄]]」までもを従えてミンドロ島の米軍の上陸拠点攻撃を敢行。
同島の敵上陸地点に砲雷撃を加え輸送船1隻を大破炎上させ、米海軍の輸送物資集積所を破壊するに至った。
これは「[[霞]]」が掴んだ最後の勝利であり、そして&bold(){帝国海軍の艦隊が掴んだ最後の勝利でもあった}のである。
なお、重巡「[[足柄]]」や軽巡「大淀」といった大型艦が配備されていながら、なぜ駆逐艦の「[[霞]]」が旗艦になったかと言うと
木村少将が「図体の大きな巡洋艦よりも、小柄で機動性の高い駆逐艦の方が適任」とし
さらにレイテ沖海戦、多号作戦で何度も座乗し、乗員とも馴染みが深い「[[霞]]」の方が、臨時で加わった大型艦よりも意思疎通しやすいと判断されたからであった。
その帰り道、「[[霞]]」は往路に撃沈された「清霜」乗員救助のため、敵前の危険極まりない状況下、他艦への退避命令を出した上で自身は機関を停止、救助を敢行した。
途中案の定敵魚雷艇の襲撃を受けたものの、退避命令を無視して警戒にあたっていた「[[足柄]]」「大淀」が盾となって立ちはだかりこれを撃退。
「[[霞]]」のこの救助活動によって「清霜」乗員250名以上が救助された。
1945年2月には北号作戦に「[[伊勢]]」「[[日向]]」の護衛として参加するが、既に帝国海軍には水上艦の動ける場所は狭められており、「[[霞]]」もそれまでのように海原を駆けることも無くなった。
第7駆逐隊もまた、1944年11月から「[[潮]]」が主機損傷により本土で行動不能となり、1945年1月に「[[響]]」が加わるまでは半ば「[[霞]]」一隻の駆逐隊と化していた。
「[[霞]]」は1945年3月、第7駆逐隊を離れて第21駆逐隊に編入。夕雲型の「[朝霜」、初春型の「[[初霜]]」と共に行動する事となった。
1945年3月の天一号作戦。「[[霞]]」は第2水雷戦隊隷下の艦として「[[大和]]」とともに沖縄への水上特攻へ参加し、1945年4月7日、坊ノ岬沖にて米軍の艦載機隊と遭遇。
数百単位で襲いかかる艦載機相手にはいくら歴戦艦と言えど多勢に無勢で、奮戦むなしく13時25分に「[[霞]]」は米艦載機から直撃弾2発、至近弾1発を受け、缶室に浸水。
そのまま航行不能となる。
そして「[[大和]]」と連合艦隊の最後を見届け、乗員が救助されたのを見届けた後、16時57分に「[[霞]]」は僚艦「冬月」の砲撃によって水底へと消えていった。
この時[[「霞」]]の乗員を移乗させ「[[霞]]」の介錯を行った「冬月」の艦長は、奇しくも「[[霞]]」の前艦長である山名寛雄中佐であった。
最期の移乗の際、大きな乗員入れ替えもなく開戦からこの時まで一緒になって戦い続けた「[[霞]]」の乗員たちは、ベストを尽くしたという誇りから皆胸を張って退艦したと伝わっている。
「[[霞]]」の戦没をもって、全10隻が建造された朝潮型駆逐艦は全艦戦没。帝国海軍よりその姿を消すに至った。
「[[霞]]」の一見不遜とも見える態度は、&bold(){帝国海軍の栄光と凋落、そして僚艦を失っていく様を間近に見続け、連合艦隊最後の日まで壮烈に生きた彼女の一生によるものなのかもしれないし、歴戦の艦として提督をより良い道へと導くためのものなのかもしれない。}
なお、「[[霞]]」と「[[霰]]」は残存している写真が極度にボケた写真や望遠写真ばかりで、まともに艦体を収めている写真はまず無い。
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参考動画
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[[誇り高き勇者~駆逐艦『霞』と第18駆逐隊~前篇>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22858401]]
#nicovideo2(sm22858401,420,280)
[[誇り高き勇者~駆逐艦『霞』と第18駆逐隊~後編>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22866960]]
#nicovideo2(sm22866960,420,280)
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*台詞一覧
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|状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|霞よ、ガンガン行くわよ。ついてらっしゃい|艦隊旗艦として重巡すら指揮下に従えていたことがある|
|秘書クリック会話①|だから何よ||
|秘書クリック会話②|用があるなら目を見ていいなさいな|第18駆逐隊壊滅の件で、司令駆逐艦であった「霞」は陰口に近いレベルの非難にさらされた。&br()結果、当時の司令は責任を取り切腹自決を遂げた。|
|秘書クリック会話③|はぁ?それで逆切れ?だらし無いったら|「逆切れ」とは前述の自決の事?|
|秘書クリック会話(ケッコンカッコカリ)(反転)|COLOR(white):なっ、何よ! ホントは少しくらい感謝してるし、いなくなったらさみしいし、ち、違うー!|COLOR(white):見事なデレである|
|戦績表示時|手紙よ、何度言わせるのよ、このクズ||
|編成選択時|霞出るわ、見てらんないったら|開戦当初より数々の作戦に参加し戦い続けた歴戦の猛者であった|
|装備時①|こんなの全然強化のうちに入んないわよ||
|装備時②|まあ、お礼は言わないわ||
|装備時③|つまらないわ||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|補給時|何よ!? 補給なの!? …まあ、必要だけど||
|ドック入り|タイミングおかしいったら!||
|ドック入り(重傷)|たく、どんな采配してんのよ。ホント迷惑だわ||
|建造時|新艦が完成したわ。迎えに行きなさい||
|艦隊帰投時|作戦が終了したわ。報告を聞きなさい||
|出撃時|霞の水雷戦隊出るから||
|戦闘開始時|沈みなさい||
|攻撃時|惨めよね||
|夜戦開始時|ぁぁもう馬鹿ばっかり|礼号作戦完了後の清霜乗員救助(夜間の話である)の際、霞からの退避命令を無視して居残った僚艦たちに対しての感想だろうか|
|夜戦攻撃時|×ねば良いのに!||
|MVP時|別に嬉しくもなんとも無いわ。一応貰っといてあげるけどね||
|被弾小破①|ぁぁ嘘でしょ!||
|被弾小破②|||
|被弾カットイン|少しは出来るやつがいるようね。褒めてあげるわ||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):あたしが沈むなんて……認めない……認めないんだから||
|ケッコンカッコカリ(反転)|COLOR(white):あらクズ司令官、こんな所にいるなんて相当おヒマなようねぇ。…え、…プレゼント? 私に? え、あ、あ、うっ…ばかああっ!|COLOR(white):遂にデレが来たッ!|
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*同型艦
[[朝潮]] ― [[大潮]] ― [[満潮]] ― [[荒潮]] ― 山雲 ― 夏雲 ― 朝雲 ― 峯雲 ― &bold(){霞} ― [[霰]]
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*コメント
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最新の30コメントを表示しています。
#comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/霞)
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*タグクラウド
#tag_cloud(sort=num)
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*関連ページ
#related(sort=timestamp)
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#contents()
&autolink(id=wikibody)
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*CV
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宮川若菜
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*Illustrator
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???
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*史実情報
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#ref(Michishio Arare Kasumi Shiranui and Kuroshio.jpg)
作戦行動中の駆逐艦群を空撮したもの。手前から3番目が「[[霞]]」。
朝潮型駆逐艦10番艦として1939年6月に浦賀船渠にて竣工。
就役後は同型艦の「[[霰]]「と、陽炎型の「[[陽炎]]」「[[不知火]]」とともに第2水雷戦隊所属の第18駆逐隊を組成していた。
戦争初期は機動部隊の護衛に徹し、初陣は真珠湾攻撃作戦。1942年1月からはラバウル攻撃を行う機動部隊に随伴。
二航戦によるポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦にも従事し、機動部隊同士の衝突となったセイロン沖海戦にも護衛として参加した。
同年6月、運命のミッドウェー海戦では南雲中将率いる機動部隊の護衛ではなく、近藤中将率いる攻略部隊に参加。
そこで「[[霞]]」は、長い間彼女が守ってきた歴戦の空母たちを、その最後を看取れぬまま失ったのである。
6月後半から7月、「[[霞]]」は第18駆逐隊司令艦として水上機母艦「[[千代田]]」と輸送船あるぜんちな丸のキスカ行への護衛にあたったが
キスカ湾にて濃霧のために仮泊していたところを湾内に忍び寄ってきた米潜水艦グロウラー(SS-215)の雷撃を受け、一番砲塔下に魚雷一本が命中したために艦体前部が破断。
浸水と大火災が発生し、乗員10余名が死亡するに至った。
グロウラーのもたらした被害はそれだけにとどまらず、姉妹艦「[[霰]]」は轟沈、「[[不知火]]」も同様に大破し、第18駆逐隊は一瞬にして「[[陽炎]]」を除く全艦が大きな損害を被ったのだ。
一撃で1隻沈没2隻大破という事態に、海軍内では「第18駆逐隊は何をしていたのか、油断していたのではないか」と非難の声が上がり、
司令艦の「[[霞]]」に座乗していた第18駆逐隊司令 宮坂義登大佐は&bold(){責任を取り切腹自決するに至った。}
このため8月に「[[雷]]」に曳航されて本土に戻った「[[霞]]」は、舞鶴海軍工廠にて翌年6月までの修理を余儀なくされた。
また、「[[霰]]」轟沈と「[[霞]]」「[[不知火]]」の長期修理のために艦隊での行動が不能となった第18駆逐隊は二隻の修理完了と同時に解隊。
唯一稼働可能だった「[[陽炎]]」は先だって1942年7月の時点で第15駆逐隊へと転属されていた。
[[霞]]」は1943年9月には第5艦隊第1水雷戦隊隷下の第9駆逐隊に編入。&bold(){この駆逐隊は特Ⅰ型と朝潮型で組成された駆逐隊で、性能の大きく異るこの両型を同じ駆逐隊に編入していた。}
このことから、「[[霞]]」自身もこの時点での帝国海軍の置かれていた状況が見てとれたと思われる。
第9駆逐隊編入後、1944年まで「[[霞]]」は北千島の船団護衛や横須賀・ルオット島間の輸送任務、父島や硫黄島への輸送など
かつての華々しい戦場を駆けた日々と打って変わって、地味な任務に従事することとなる。
なお、43年10月に朝潮型の「朝雲」が第10駆逐隊に転属し、1944年3月に特Ⅰ型の「白雲」が襟裳岬東方で被雷沈没したため、第9駆逐隊は
解隊・再編を余儀なくされ、「[[霞]]」は懐かしい僚艦「[[不知火]]」と、第9駆逐隊の特Ⅰ型「薄雲」とともに、第18駆逐隊を再結成した。
(しかし同年7月に「薄雲」は沈没した)
「[[霞]]」が再び戦火の海に舞い戻ったのは1944年10月のレイテ沖海戦。
「[[霞]]」含む第18駆逐隊は志摩清英中将麾下の第2遊撃部隊(第5艦隊)に配属され、西村艦隊突入に続いてスリガオ海峡よりレイテ湾に突入する腹積もりであった。
だがスリガオ海峡に差し掛かったところで第1水雷戦隊旗艦の「[[阿武隈]]」が敵魚雷艇の攻撃により小破。
戦闘続行が困難となり、木村昌福少将を始めとした第1水雷戦隊司令部は急遽「[[霞]]」に移乗して、戦闘を続行することとなった。
だが志摩艦隊は最終的にレイテ突入を諦め、フィリピン西方のコロン湾まで撤退するに至った。
その途上、第18駆逐隊の僚艦であり、「[[霞]]」にとっては開戦時からの戦友であった「[[不知火]]」が、栗田艦隊の軽巡「[[鬼怒]]」、駆逐艦「浦波」の救助中に米軍艦載機隊の攻撃で戦没。
「[[霞]]」は第18駆逐隊の僚艦の全てを失ってしまったのである。
その後第18駆逐隊の僚艦を失った「[[霞]]」は11月に第7駆逐隊に編入される。
第7駆逐隊は緒戦から一貫して存在した駆逐隊であり、1942年に単独行動中の「[[朧]]」が戦没した以外は組成当時から1944年まで所属艦の戦没が無かった隊であった。
しかし同年以降は1月に「[[漣]]」、11月に「[[曙]]」と戦局の悪化と米潜水艦の跳梁跋扈を物語るかのように次々と所属艦が戦没するに至り
「[[霞]]」編入時には当初からの所属艦は既に「[[潮]]」のみであった。
ちなみに第6駆逐隊最後の生き残りとなった「[[響]]」も1945年初頭に同駆逐隊に編入されており、「[[潮]]」「[[響]]」「[[霞]]」で組成された第7駆逐隊は
&bold(){死にぞこなった駆逐艦どもの居場所}同然となっていた。
10月末からのオルモックへの輸送作戦(多号作戦)にも第1水雷戦隊旗艦として護衛任務に従事しており、木村少将の第2水雷戦隊
司令就任と共に「[[霞]]」も同戦隊旗艦に就任することとなった。
そして12月の木村少将率いる挺身部隊によるミンドロ島への攻撃作戦(礼号作戦)では艦隊旗艦となり、あの重巡「[[足柄]]」までもを従えてミンドロ島の米軍の上陸拠点攻撃を敢行。
同島の敵上陸地点に砲雷撃を加え輸送船1隻を大破炎上させ、米海軍の輸送物資集積所を破壊するに至った。
これは「[[霞]]」が掴んだ最後の勝利であり、そして&bold(){帝国海軍の艦隊が掴んだ最後の勝利でもあった}のである。
なお、重巡「[[足柄]]」や軽巡「大淀」といった大型艦が配備されていながら、なぜ駆逐艦の「[[霞]]」が旗艦になったかと言うと
木村少将が「図体の大きな巡洋艦よりも、小柄で機動性の高い駆逐艦の方が適任」とし
さらにレイテ沖海戦、多号作戦で何度も座乗し、乗員とも馴染みが深い「[[霞]]」の方が、臨時で加わった大型艦よりも意思疎通しやすいと判断されたからであった。
その帰り道、「[[霞]]」は往路に撃沈された「清霜」乗員救助のため、敵前の危険極まりない状況下、他艦への退避命令を出した上で自身は機関を停止、救助を敢行した。
途中案の定敵魚雷艇の襲撃を受けたものの、退避命令を無視して警戒にあたっていた「[[足柄]]」「大淀」が盾となって立ちはだかりこれを撃退。
「[[霞]]」のこの救助活動によって「清霜」乗員250名以上が救助された。
1945年2月には北号作戦に「[[伊勢]]」「[[日向]]」の護衛として参加するが、既に帝国海軍には水上艦の動ける場所は狭められており、「[[霞]]」もそれまでのように海原を駆けることも無くなった。
第7駆逐隊もまた、1944年11月から「[[潮]]」が主機損傷により本土で行動不能となり、1945年1月に「[[響]]」が加わるまでは半ば「[[霞]]」一隻の駆逐隊と化していた。
「[[霞]]」は1945年3月、第7駆逐隊を離れて第21駆逐隊に編入。夕雲型の「[朝霜」、初春型の「[[初霜]]」と共に行動する事となった。
1945年3月の天一号作戦。「[[霞]]」は第2水雷戦隊隷下の艦として「[[大和]]」とともに沖縄への水上特攻へ参加し、1945年4月7日、坊ノ岬沖にて米軍の艦載機隊と遭遇。
数百単位で襲いかかる艦載機相手にはいくら歴戦艦と言えど多勢に無勢で、奮戦むなしく13時25分に「[[霞]]」は米艦載機から直撃弾2発、至近弾1発を受け、缶室に浸水。
そのまま航行不能となる。
そして「[[大和]]」と連合艦隊の最後を見届け、乗員が救助されたのを見届けた後、16時57分に「[[霞]]」は僚艦「冬月」の砲撃によって水底へと消えていった。
この時[[「霞」]]の乗員を移乗させ「[[霞]]」の介錯を行った「冬月」の艦長は、奇しくも「[[霞]]」の前艦長である山名寛雄中佐であった。
最期の移乗の際、大きな乗員入れ替えもなく開戦からこの時まで一緒になって戦い続けた「[[霞]]」の乗員たちは、ベストを尽くしたという誇りから皆胸を張って退艦したと伝わっている。
「[[霞]]」の戦没をもって、全10隻が建造された朝潮型駆逐艦は全艦戦没。帝国海軍よりその姿を消すに至った。
「[[霞]]」の一見不遜とも見える態度は、&bold(){帝国海軍の栄光と凋落、そして僚艦を失っていく様を間近に見続け、連合艦隊最後の日まで壮烈に生きた彼女の一生によるものなのかもしれないし、歴戦の艦として提督をより良い道へと導くためのものなのかもしれない。}
なお、「[[霞]]」と「[[霰]]」は残存している写真が極度にボケた写真や望遠写真ばかりで、まともに艦体を収めている写真はまず無い。
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**参考動画
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[[誇り高き勇者~駆逐艦『霞』と第18駆逐隊~前篇>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22858401]]
#nicovideo2(sm22858401,420,280)
[[誇り高き勇者~駆逐艦『霞』と第18駆逐隊~後編>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22866960]]
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*台詞一覧
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|~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|霞よ、ガンガン行くわよ。ついてらっしゃい|艦隊旗艦として重巡すら指揮下に従えていたことがある|
|秘書クリック会話①|だから何よ||
|秘書クリック会話②|用があるなら目を見ていいなさいな|第18駆逐隊壊滅の件で、司令駆逐艦であった「霞」は陰口に近いレベルの非難にさらされた。&br()結果、当時の司令は責任を取り切腹自決を遂げた。|
|秘書クリック会話③|はぁ?それで逆切れ?だらし無いったら|「逆切れ」とは前述の自決の事?|
|秘書クリック会話(ケッコンカッコカリ)(反転)|COLOR(white):なっ、何よ! ホントは少しくらい感謝してるし、いなくなったらさみしいし、ち、違うー!|COLOR(white):見事なデレである|
|戦績表示時|手紙よ、何度言わせるのよ、このクズ||
|編成選択時|霞出るわ、見てらんないったら|開戦当初より数々の作戦に参加し戦い続けた歴戦の猛者であった|
|装備時①|こんなの全然強化のうちに入んないわよ||
|装備時②|まあ、お礼は言わないわ||
|装備時③|つまらないわ||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|補給時|何よ!? 補給なの!? …まあ、必要だけど||
|ドック入り|タイミングおかしいったら!||
|ドック入り(重傷)|たく、どんな采配してんのよ。ホント迷惑だわ||
|建造時|新艦が完成したわ。迎えに行きなさい||
|艦隊帰投時|作戦が終了したわ。報告を聞きなさい||
|出撃時|霞の水雷戦隊出るから||
|戦闘開始時|沈みなさい||
|攻撃時|惨めよね||
|夜戦開始時|ぁぁもう馬鹿ばっかり|礼号作戦完了後の清霜乗員救助(夜間の話である)の際、霞からの退避命令を無視して居残った僚艦たちに対しての感想だろうか|
|夜戦攻撃時|×ねば良いのに!||
|MVP時|別に嬉しくもなんとも無いわ。一応貰っといてあげるけどね||
|被弾小破①|ぁぁ嘘でしょ!||
|被弾小破②|||
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|撃沈時(反転)|COLOR(white):あたしが沈むなんて……認めない……認めないんだから||
|ケッコンカッコカリ(反転)|COLOR(white):あらクズ司令官、こんな所にいるなんて相当おヒマなようねぇ。…え、…プレゼント? 私に? え、あ、あ、うっ…ばかああっ!|COLOR(white):遂にデレが来たッ!|
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*同型艦
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*コメント
最新の30コメントを表示しています。
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*タグクラウド
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*関連ページ
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