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#image(No089.jpg) #contents ---- *CV ---- 宮川若菜 ---- *Illustrator ---- ??? ---- *史実情報 ---- 「[[朝潮]]」型10番艦として1939年4月に舞鶴海軍工廠にて竣工。 「[[朝潮]]」型は優れた攻撃力を有する駆逐艦であったが、友鶴・第四艦隊両事件の直後に建造された駆逐艦であり、 極端に電気溶接を嫌ってリベット止めを多用するなど「羹に懲りて膾を吹く」的な設計のため非常に無駄が多く、速力・航続力で不満が残る結果となる。 そのため海軍はマル2計画で[[[朝潮]]」型の調達を停止し、1937年のマル3計画以降は朝潮型の設計を洗練させ、船体強度を保ちつつ速力・航続力を伸ばした 改良型の「[[陽炎]]」型駆逐艦を発注することとなった。 そのため「[[霰]]」は最後の朝潮型となったのである。 なお、本来「[[朝潮]]」型10番艦は「[[霰]]」なのだが、&bold(){9番艦の「[[霞]]」が本艦より遅れての就役となった}ため、「[[霞]]」を10番艦とする場合もある。 艦これでは就役日をとって本艦を9番艦としたようである。 1939年に就役してからは同型艦の「[[霞]]」、「[[陽炎]]」型の「[[陽炎]]」「[[不知火]]」とともに第18駆逐隊を編成。最新鋭艦ということもあって水雷戦のエリート第二水雷戦隊に配属された。 真珠湾攻撃には南雲機動部隊の護衛として参加し、以降南雲機動部隊と活動を共にした。 真珠湾攻撃時のエピソードで、当時の艦長の言によると「[[陽炎]]」型に比べて航続力に劣る当艦は、予備用として18リットルの燃料缶を艦内ところ狭しと積載していたらしい。 恐らく同じ「[[朝潮]]」型の「[[霞]]」も同様の処置がされていたであろう。 また真珠湾からの帰り道では暴風雨に悩まされ、帰ってきてから艦体を見たところ、波浪であちこちボコボコになっていたらしい。 1942年以降はラバウル攻撃、ポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、セイロン沖海戦を機動部隊の随伴艦として経験。 1942年のミッドウェイ海戦では攻略部隊に配備されたため、長きに渡り随伴した空母機動部隊の最期を看取ることは無かった。 #ref(Michishio Arare Kasumi Shiranui and Kuroshio2.jpg) 作戦行動中の駆逐艦群を空撮したもの。手前から2番目が「[[霰]]」。 ミッドウェイ海戦敗戦後、日本は北方に積極的な進出を始める。第18駆逐隊も6月末にキスカ島へ向かう航空母艦「[[千代田]]」と輸送船あるぜんちな丸の護衛として同島へ向かう。 1942年7月5日、キスカはあいにくの濃霧であり、入港は不能となったため第18駆逐隊はキスカ沖に霧が晴れるまで仮泊することを決定する。 霧が晴れるのを待つ第18駆逐隊の面々だったが、その海面下で米潜水艦「SS-215 グロウラー」が蠢いていたことを彼女たちは知らなかった。 最初に標的となったのは霰だった。キスカを覆う霧が晴れ始め、入港を試みようとした直後、グロウラーの放った魚雷が左舷に命中。第一魚雷発射管が被弾のショックで吹き飛んだ。 そして次に標的となったのは前方で投錨していた「[[不知火]]」。続き「[[霞]]」も被雷。 投錨中ということもあり逃亡も爆雷攻撃も行えず、「[[霰]]」は魚雷を撃ち込んだグロウラーへ、残された第二魚雷発射管と主砲で反撃を試みる。 だが水中の敵に水上艦用装備が通じるはずもなく、「[[霰]]」はグロウラーの放ったもう一本の魚雷で艦体がV字状に折れ、そのまま海中に没していった。 艦長の緒方友兄少佐は九死に一生を得たが、104名の乗員が「[[霰]]」と運命を共にしている。 なお、「[[霰]]」は「[[朝潮]]」型最初の戦没艦である。 2006年、キスカ沖で日本軍輸送船の攻撃を受けて沈没した米潜水艦「SS-216 グラニオン」を探索する民間チームが、同様にキスカ沖で沈没した「[[霰]]」を探索し、これを発見している。 調査チームによると「[[霰]]」は魚雷発射管のあった辺りで完全に分断され、艦尾側は正立状態、艦首側は艦橋が艦尾側に重なって横転した状態で沈んでいるらしく 付近には吹き飛ばされた第一魚雷発射管も存在するようだ。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|霰です……。んちゃ、とかは言いません……。よろしく……|「Dr.スランプ アラレちゃん」名前つながりネタ| |秘書クリック会話①|なぁに|| |秘書クリック会話②|司令官…………なにを、するの?|| |秘書クリック会話③|あまり魚雷には触らないで……|沈没時、最初の被雷によって第一魚雷発射管が吹き飛んでしまった| |戦績表示時|お手紙……|| |編成選択時|駆逐艦霰、抜錨します|| |装備時①|ふぅ……ありかも|| |装備時②|いいの……うん、いいかも|| |装備時③|んちゃ……|COLOR(white):言ってるじゃないですか…| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|直すよ……|| |ドック入り(重傷)|たくさん……、直すよ……|| |建造時|新しい船ができたみたい……|| |艦隊帰投時|艦隊が……戻ってきた……!|| |出撃時|駆逐艦霰、抜錨します &br()霰の水雷戦隊、出撃です|| |戦闘開始時|撃ちます……!|| |攻撃時|撃ちます……! &br()砲戦より、水雷戦ですよ……?|| |夜戦開始時|突撃…………する?|| |夜戦攻撃時|いける……?|| |MVP時|え……? なに、この拍手喝采は……? 霰が何かしたの……?|拍手喝采の雨霰| |被弾小破①|痛っ|| |被弾小破②||| |被弾カットイン|ちょっと……恥ずかしい……|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):あぁ・・・水が入ってきた・・・冷たいな |COLOR(white):最期は船体を真っ二つにされて沈んだ| ---- *同型艦 朝潮型 [[朝潮]] ― [[大潮]] ― [[満潮]] ― [[荒潮]] ― 山雲 ― 夏雲 ― [[朝雲]] ― 峯雲 ― [[霞]] ― &bold(){霰} ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=霰/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No089.jpg) #contents ---- *CV ---- 宮川若菜 ---- *Illustrator ---- ??? ---- *史実情報 ---- 「[[朝潮]]」型10番艦として1939年4月に舞鶴海軍工廠にて竣工。 「[[朝潮]]」型は優れた攻撃力を有する駆逐艦であったが、友鶴・第四艦隊両事件の直後に建造された駆逐艦であり、 極端に電気溶接を嫌ってリベット止めを多用するなど「羹に懲りて膾を吹く」的な設計のため非常に無駄が多く、速力・航続力で不満が残る結果となる。 そのため海軍はマル2計画で「[[朝潮]]」型の調達を停止し、1937年のマル3計画以降は朝潮型の設計を洗練させ、船体強度を保ちつつ速力・航続力を伸ばした 改良型の「[[陽炎]]」型駆逐艦を発注することとなった。 そのため「[[霰]]」は最後の朝潮型となったのである。 なお、本来「[[朝潮]]」型10番艦は「[[霰]]」なのだが、&bold(){9番艦の「[[霞]]」が本艦より遅れての就役となった}ため、「[[霞]]」を10番艦とする場合もある。 艦これでは就役日をとって本艦を9番艦としたようである。 1939年に就役してからは同型艦の「[[霞]]」、「[[陽炎]]」型の「[[陽炎]]」「[[不知火]]」とともに第18駆逐隊を編成。最新鋭艦ということもあって水雷戦のエリート第二水雷戦隊に配属された。 真珠湾攻撃には南雲機動部隊の護衛として参加し、以降南雲機動部隊と活動を共にした。 真珠湾攻撃時のエピソードで、「[[陽炎]]」型に比べて航続力に劣る「霰」は燃料枯渇に備えて艦長の命令で予備用として18リットルの燃料缶を艦内ところ狭しと積載していた。 そのため乗員は航行中煙草一本吸えなかったそうである。 また真珠湾からの帰り道では暴風雨に悩まされ、帰ってきてから艦体を見たところ、波浪であちこちボコボコになっていたらしい。 1942年以降はラバウル攻撃、ポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、セイロン沖海戦を機動部隊の随伴艦として経験。 1942年のミッドウェイ海戦では攻略部隊に配備されたため、長きに渡り随伴した空母機動部隊の最期を看取ることは無かった。 #ref(Michishio Arare Kasumi Shiranui and Kuroshio2.jpg) 作戦行動中の駆逐艦群を空撮したもの。手前から2番目が「[[霰]]」。 ミッドウェイ海戦敗戦後、日本は北方に積極的な進出を始める。第18駆逐隊も6月末にキスカ島へ向かう航空母艦「[[千代田]]」と輸送船あるぜんちな丸の護衛として同島へ向かう。 1942年7月5日、キスカはあいにくの濃霧であり、入港は不能となったため第18駆逐隊はキスカ沖に霧が晴れるまで仮泊することを決定する。 霧が晴れるのを待つ第18駆逐隊の面々だったが、その海面下で米潜水艦「SS-215 グロウラー」が蠢いていたことを彼女たちは知らなかった。 最初に標的となったのは霰だった。キスカを覆う霧が晴れ始め、入港を試みようとした直後、グロウラーの放った魚雷が左舷に命中。第一魚雷発射管が被弾のショックで吹き飛んだ。 そして次に標的となったのは前方で投錨していた「[[不知火]]」。続き「[[霞]]」も被雷。 投錨中ということもあり逃亡も爆雷攻撃も行えず、「[[霰]]」は魚雷を撃ち込んだグロウラーへ、残された第二魚雷発射管と主砲で反撃を試みる。 だが水中の敵に水上艦用装備が通じるはずもなく、「[[霰]]」はグロウラーの放ったもう一本の魚雷で(主砲砲撃の反動との説もあり)艦体がV字状に折れ、そのまま海中に没していった。 艦長の緒方友兄少佐は九死に一生を得たが、104名の乗員が「[[霰]]」と運命を共にしている。 なお、「[[霰]]」は「[[朝潮]]」型最初の戦没艦である。 2006年、キスカ沖で日本軍輸送船の攻撃を受けて沈没した米潜水艦「SS-216 グラニオン」を探索する民間チームが、同様にキスカ沖で沈没した「[[霰]]」を探索し、これを発見している。 調査チームによると「[[霰]]」は魚雷発射管のあった辺りで完全に分断され、艦尾側は正立状態、艦首側は艦橋が艦尾側に重なって横転した状態で沈んでいるらしく 付近には吹き飛ばされた第一魚雷発射管も存在するようだ。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|霰です……。んちゃ、とかは言いません……。よろしく……|「Dr.スランプ アラレちゃん」名前つながりネタ| |秘書クリック会話①|なぁに|| |秘書クリック会話②|司令官…………なにを、するの?|| |秘書クリック会話③|あまり魚雷には触らないで……|沈没時、最初の被雷によって第一魚雷発射管が吹き飛んでしまった| |戦績表示時|お手紙……|| |編成選択時|駆逐艦霰、抜錨します|| |装備時①|ふぅ……ありかも|| |装備時②|いいの……うん、いいかも|| |装備時③|んちゃ……|COLOR(white):言ってるじゃないですか…| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|直すよ……|| |ドック入り(重傷)|たくさん……、直すよ……|| |建造時|新しい船ができたみたい……|| |艦隊帰投時|艦隊が……戻ってきた……!|| |出撃時|駆逐艦霰、抜錨します &br()霰の水雷戦隊、出撃です|| |戦闘開始時|撃ちます……!|| |攻撃時|撃ちます……! &br()砲戦より、水雷戦ですよ……?|| |夜戦開始時|突撃…………する?|| |夜戦攻撃時|いける……?|| |MVP時|え……? なに、この拍手喝采は……? 霰が何かしたの……?|拍手喝采の雨霰| |被弾小破①|痛っ|| |被弾小破②||| |被弾カットイン|ちょっと……恥ずかしい……|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):あぁ・・・水が入ってきた・・・冷たいな |COLOR(white):最期は船体を真っ二つにされて沈んだ| ---- *同型艦 朝潮型 [[朝潮]] ― [[大潮]] ― [[満潮]] ― [[荒潮]] ― 山雲 ― 夏雲 ― [[朝雲]] ― 峯雲 ― [[霞]] ― &bold(){霰} ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=霰/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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