初霜

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#image(No078.jpg) ---- CV ---- 小林元子 ---- 史実情報 ---- 「初霜」は初春型駆逐艦4番艦。 浦賀船渠で1933年(昭和8年)1月31日に起工したが、建造途中で同型艦「[[初春]]」「[[子日]]」の復元性能不良が判明し(詳細は両艦の項目参照)、 改善工事を施して1934年(昭和9年)9月27日竣工した。 「初霜」は進水式に一度失敗してやりなおしており関係者から前途を案じられたが、それは杞憂であった。 #image(Hatsushimo.jpg) 太平洋戦争開戦時には、第1水雷戦隊第21駆逐隊に所属し、他の姉妹とともに主力艦隊に随伴、瀬戸内海西部で対潜掃討に従事した。 1942年(昭和17年)、ケンダリー攻略作戦、マカッサル攻略作戦、バリ島攻略作戦、アリューシャン作戦などに参加。 1943年(昭和18年)3月、アッツ島沖海戦に参加後、第5艦隊第1水雷戦隊に編入され、内地と千島間の船団護衛に従事。 7月にキスカ島撤退作戦に加わったが、7月26日、濃霧により「[[若葉]]」と激突。 「[[若葉]]」は大破し引き返すはめになったが、「[[初霜]]」は行動に支障はなかった。幌筵で応急修理後、千島方面の船団護衛に従事した。 1944年(昭和19年)1月より空母「[[雲鷹]]」「[[千歳]]」「[[瑞鳳]]」「[[龍鳳]]」などの護衛に従事し、 6月のマリアナ沖海戦に参加後、船団護衛の任務を実施した。 10月のレイテ沖海戦時には第1水雷戦隊の志摩艦隊に属し、台湾からマニラへの輸送任務に分遣されこれに成功、 マニラから志摩艦隊本隊へ合流するためスルー海を南下中の10月24日、米空母「フランクリン」艦載機の攻撃を受け損傷した。 沈没した僚艦「[[若葉]]」の生存者を「[[初春]]」とともに救助してマニラに送り届け、本隊を追って26日にブスアンガ島コロン泊地に入港した。 マニラ湾のカビテ軍港で修理した後、第二次多号作戦に参加。 その後、シンガポールに回航し、北号作戦に参加して「[[伊勢]]」「[[日向]]」を護衛して内地に帰投した。 1945年(昭和20年)4月、戦艦「[[大和]]」とともに沖縄水上特攻作戦に参加(坊ノ岬沖海戦)。 開戦以来長らく活動し高練度を誇った「[[初霜]]」は老練な回避運動により全弾回避、至近弾で負傷者2名を出したのみであった。 また海戦中、通信設備を破壊された「[[大和]]」の要請により通信を代行している。 その後、生き残った「[[雪風]]」「[[冬月]]」とともに、沈没した「[[矢矧]]」「[[浜風]]」などの生存者を救助し帰投した。 6月に宮津湾で砲術学校練習艦となるが、7月30日に米機の攻撃を受け「[[雪風]]」とともに対空戦闘を行った。 ところが戦闘中「[[雪風]]」が機雷と接触するが、なんと回数機雷であり、最初に触れた「[[雪風]]」の時は起爆せず、 直後続行した「初霜」が触れた途端に爆発。 「初霜」も不死身の強運を謳われた艦だったが、最後の最後で「[[雪風]]」の強運に負けた形となった。 大破した「初霜」は沈没を防ぐため海岸へとのし上げ擱座、そのまま終戦を迎えた。 #image(Hatsushimo_1947.jpg) 本人のコメントにもあるとおり、様々な激戦をくぐり抜けた。 キスカの「奇跡の作戦」、北号作戦という2つの無傷での撤退作戦にも参加しており、 坊ノ岬沖海戦では「[[雪風]]」より損害が少なかったなど、稀代の強運艦の一隻であった。 ただ、終戦後[[雪風]]を始め残存艦はほとんど賠償として戦勝国へ取り上げられたが、 この艦は1945年7月のアメリカ軍の磁気機雷に触雷して大破した損害があまり酷かったこともあり、取り上げられることはなく解体された。 因みに、解体後錨だけが記念として、本艦の軍医長であった山田正明元軍医少佐に引き取られ、墨田区の山田記念病院に飾られている なお、吉田満の『戦艦大和ノ最期』では、「初霜」の救助艇では舷側に群がりしがみつく救助者たちの手首を軍刀で斬り落とし、足蹴にかけて転覆を防いだとの話が載っている。 しかしこれは&bold(){全く事実無根}であり、作品発表当時から「初霜」「雪風」「大和」乗員を中心に海軍関係者から批判や抗議が行われた。 (そもそも「初霜」が救助したのは「矢矧」「浜風」乗員であり、「大和」乗員の救助は行っていない) ところが作品自体は高い評価を受けて映画化、更にのちにはドラマ化や英訳版の出版など、世間に広まっていってしまった。 しかも著者の吉田満は抗議に対し「検討する」と言ったものの訂正せず、そのまま世を去ってしまったのである。 平成17年には朝日新聞天声人語欄でも事実のように取り上げられるなどし、たまりかねた元乗員が産経新聞紙上で反論している。 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kaihei73-matui.htm http://ohmura-study.net/322.html その他さまざまな検証を通じ事実無根が確定した現在においても、有名作品故に世間には事実のように広まったままであり、 「初霜」の汚された名誉は、いまだ回復されているとは言いがたい。 幸運艦にもかかわらず運の数値が高くないのは、戦後有名作品によって身に覚えがない汚名を着せられ、撒き散らされるという不幸に遭ったからなのかもしれない。 |>|>|艦歴| |発注|>|1931第1次補充計画甲型第62号(一等)駆逐艦| |起工|1931年01月31日|於浦賀船渠| ||1933年10月|進水滑走中に支柱等の折損事故により作業中止| |進水|1933年11月04日|再進水| |就役|1934年09月27日|佐世保鎮守府へ編入| ||1934年09月30日|姉妹艦の&bold(){[[初春]]}などと共に第21駆逐隊を編制| ||1935年08月13日|船体補強工事のため佐世保工廠へ入渠&br()(復元性に問題を抱えており設計変更レベルの改修が必要と判断された)| ||1936年05月09日|大幅な船体改造を経て出渠| ||1941年11月15日|第1艦隊第1水雷戦隊第21駆逐隊に編入。同艦隊には他に&bold(){[[初春]]、[[子日]]、[[若葉]]}が所属| ||1942年01月25日|&bold(){[[初春]]}と&bold(){[[長良]]}の衝突事故を受け、第1根拠地隊旗艦を長良から継承| ||1942年02月08日|マカッサル攻略に参加| ||1942年02月18日|バリ、ロンボック攻略に参加| ||1942年05月20日|第1水雷戦隊ごと北方部隊に編入| ||1942年05月28日|アリューシャン作戦に参加| ||1942年10月17日|キスカ沖で航行不能となっていた&bold(){[[初春]]}を&bold(){[[若葉]]}と共に救援| ||1943年03月26日|アッツ沖海戦に参加| ||1943年04月01日|第1水雷戦隊ごと第5艦隊に編入| ||1943年07月29日|&bold(){キスカ撤収作戦(いわゆる奇跡の作戦)}中、&bold(){[[若葉]]}と衝突し損傷| ||1944年06月19日|マリアナ沖海戦に参加| ||1944年10月24日|パネイ島西方にて空襲による直撃弾を受け損傷| ||1945年02月10日|シンガポールからの撤退作戦(北号作戦)に参加| ||1945年04月07日|坊ノ岬沖海戦に参加。&bold(){戦艦[[大和]]}を始めとして多くの艦船が沈む中、無傷(乗組員に2名の戦傷者が出たのみ)で帰還する。&br()ちなみに&bold(){あの[[雪風]]}ですらこの戦いでは乗組員に死者が出ており(戦死3名、戦傷15名)、最も被害が少なかった艦であった| ||1944年06月|宮津の砲術学校での訓練船、特攻機の訓練目標艦として配備| |沈没|1945年07月30日|宮津湾にてアメリカ軍の磁気機雷に二度触雷して、二度目に大破し海岸に擱座| |除籍|1945年09月30日|除籍後浮揚| |解体|1948年09月|| ---- 参考動画 ---- [[悲劇の武勲艦~駆逐艦初霜の物語~>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22506918]] #nicovideo2(sm22506918,420,280) ---- 台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|初春型四番艦、初霜です。皆さん、よろしくお願いします!| | |秘書クリック会話①|はい、いつでもご質問どうぞ|| |秘書クリック会話②|準備万端ですよ|| |秘書クリック会話③|て、提督…?ああ、魚雷管の角度を直してくれてるんですね?いつもすみません|| |戦績表示時|提督に、ご連絡があるみたい|| |編成選択時|初霜、出撃します!|| |装備時①|うん!ちょうどいいわ!|| |装備時②|これはすごいわ!ありがとう!|| |装備時③|やっちゃいます!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ちょっとだけ、休憩ね|| |ドック入り(重傷)|これでまたみんなを守れるわ|| |建造時|新しい仲間が誕生したようです|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投したみたい、お疲れ様|| |出撃時|戦艦の護衛なら任せてね|キスカ・北号のほか、様々な艦隊護衛任務をこなし終戦を迎えた| |戦闘開始時|敵艦発見です!|| |攻撃時|見てなさい!|| |夜戦開始時|ほんと詰めが甘いのね|| |夜戦攻撃時|私が、守ります!|| |MVP時|一隻でも一人でも、救えるなら私は、それで満足なの|キスカ・北号と二回も無傷の撤退作戦に参加した他、坊ノ岬沖海戦では多くの生存者を救助した| |被弾小破①|きゃっ!|| |被弾小破②|信じられません…|| |被弾カットイン|ま、まだ…沈んだり…しないわ…|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):提督...みんな...ご無事ですか...? なら...いいの...|| ---- コメント ---- - [ -- 名無しさん (2013-06-27 23:14:41) - 声が老けて聞こえるんだよな… -- 名無しさん (2013-07-13 20:13:04) - 歴戦の強者っぽい感じだから?>声が老けてる -- 名無しさん (2013-07-21 02:14:28) - グヘへそうだよ魚雷管の角度を直しているだけだよ・・・ふぅ -- 名無しさん (2013-07-22 20:45:16) - なんか少し訛りはいってるよな -- 名無しさん (2013-07-24 18:38:37) - でも可愛い -- 名無しさん (2013-07-26 21:38:52) - 攻撃時「見てですばい」にしか聞こえない -- 名無しさん (2013-07-30 21:36:12) - 駆逐艦の中でも小柄な印象だけど、声はむしろ大人な印象があるな。何となく駆逐艦姉妹の姉っぽいイメージ。 -- 名無しさん (2013-08-03 01:42:44) - 一部の人にしかわからないかわいさがあると思う。俺だけかも知れんが -- 名無しさん (2013-08-08 20:49:21) - 撃沈時台詞に泣いた 「提督...みんな...ご無事ですか...? なら...いいの...」 -- 名無しさん (2013-08-10 02:07:34) - 初霜ってなんで運が普通の駆逐艦と同じ12しかないのだろうか・・・ -- 名無しさん (2013-08-28 20:10:07) - ↑大戦後半まで最前線に投入されてないからだろう -- 名無しさん (2013-08-30 16:23:39) - ↑↑↑反映済み -- 名無しさん (2013-09-01 22:30:33) - 天一号作戦でほぼ無傷ってどうなってるんだ -- 名無しさん (2013-09-02 21:31:03) - ↑艦長が若かったから狙われにくい所に配置されてたらしい、けどやっぱ凄いな -- 名無しさん (2013-09-10 00:55:55) - ↑途中からは大和の通信代行やってるから、大和の一番そばにいたんだぜ…? -- 名無しさん (2013-09-11 02:07:33) - 1-1高揚稼ぎの弾除け護衛艦として運用していたら沈めてしまった……ごめん、ほんとごめん…… -- 名無しさん (2013-09-12 00:47:33) - 悪いとは言わないがやっぱり声と絵が合ってない -- 名無しさん (2013-09-13 00:02:18) - ひいじいちゃんが乗ってた艦なので頑張って育ててますだ -- 名無しさん (2013-09-14 11:45:34) - 姉3人は個性的なネーミングなのにこの娘だけは(駆逐艦としては)平凡な艦名ですね -- 名無しさん (2013-09-18 03:08:32) - 新旧21駆逐隊編成したいなぁ…夕雲来たし朝霜はよ -- 名無しさん (2013-09-20 18:03:39) - ほんと好き、結構強いし -- 名無しさん (2013-09-22 15:51:27) - 二度触雷したのか、爆雷が誘爆したのか。本当はどっちなんだろう -- 名無しさん (2013-09-25 15:05:03) - 回数機雷は1回目の接触で爆発せず、2回目の接触で爆発する仕組みっぽい? -- 名無しさん (2013-09-28 13:20:27) - ↑2回目「以降 -- 名無しさん (2013-10-01 14:36:57) - ↑訂正です。B29の搭載した回数機雷は最大10回までカウントが可能なので、回数機雷としての爆発は2回目「以降」となります。通常の機雷のように、1回目に爆発させることも可能です。 -- 名無しさん (2013-10-01 14:48:55) - 小破の「信じられません」は史実での幸運っぷりからきてるのかな -- 名無しさん (2013-10-02 16:34:54) - お触り台詞は初霜が勘違いしてるのかそれともガチで提督が魚雷管調整してるのか気になって仕方ない -- 名無しさん (2013-10-06 11:51:11) - ↑そういう事にしてあげているというのもあり -- 名無しさん (2013-10-06 20:34:15) - 最初に買ったプラモが「世界の艦船」の初霜で、魚雷発射管をよくいじってたw -- 名無しさん (2013-10-07 21:27:24) - 史実をみるとかなりの豪運だと思うのだけど最期があまりに不運なので相殺しました的な意味での運の数値なのかな -- 名無しさん (2013-10-10 12:43:02) - 中破したときの目つきがなんかカッコイイ -- 名無しさん (2013-10-10 19:31:07) - 声好きだわ~かわいくて -- 名無しさん (2013-10-15 18:57:20) - 運の数値は戦後の根も葉もない噂(検証で否定されている)で心象を悪くしたというのもありそうだね。 -- 名無しさん (2013-10-18 15:51:01) - ↑そういやその件についても触れといたほうがいいな。後で書き足しとくわ。 -- 名無しさん (2013-10-19 00:17:09) - 初霜も歴戦の幸運艦なのに扱いの悪さが酷い。時雨が強化されたし、彼女も改二にしてほしいわ -- 名無しさん (2013-10-24 19:50:22) - ↑運の数値は改二フラグっぽいからなー。時雨だって改二前は10だったし。 -- 名無しさん (2013-10-25 01:07:01) - 私が(critical209!)守ります(critical208!)!そういって3-2の軽巡を粉微塵にしてくれた -- 名無しさん (2013-10-26 18:32:31) - 図鑑の残り枠は、丹陽(雪風改ニ)と初霜改二がいいなぁ…と -- 名無しさん (2013-12-08 00:12:39) - 最近可愛さに気づいた -- 名無しさん (2013-12-16 01:27:30) - うん!ちょうどいいわ!にやられた -- 名無しさん (2013-12-17 15:58:38) - > 開戦以来長らく活動し高練度を誇った「初霜」は老練な回避運動により全弾回避、至近弾で負傷者2名を出したのみであった。 これにより雪風より損害が軽微だったということは、練度が運に勝った瞬間ということか。胸が熱いな -- 名無しさん (2013-12-17 21:07:11) - バランスの悪い失敗作とのレッテルを貼られてしまった初春型の1隻が、水雷戦隊の中でも屈指の武勲艦になるだなんて誰も予想しなかったやろなぁ -- 名無しさん (2013-12-18 14:02:03) - 進水で水に入る直前の滑走台で止まっちゃった、っていうのがかわいすぎる -- 名無しさん (2013-12-23 23:01:59) - ↑3 いやいや、練度がべらぼうに高かったのは雪風も同じ。この時は初霜の方が、最期の時は雪風の方がお互いほんの少しツイてたんよ -- 名無しさん (2013-12-27 12:52:55) #comment
#image(No078.jpg) #contents ---- *CV ---- 小林元子 ---- *Illustrator ---- やどかり ---- *史実情報 ---- 「初霜」は初春型駆逐艦4番艦。 浦賀船渠で1933年(昭和8年)1月31日に起工したが、建造途中で同型艦「[[初春]]」「[[子日]]」の復元性能不良が判明し(詳細は両艦の項目参照)、 改善工事を施して1934年(昭和9年)9月27日竣工した。 「初霜」は進水式に一度失敗してやりなおしており関係者から前途を案じられたが、それは杞憂であった。 #image(Hatsushimo.jpg) 太平洋戦争開戦時には、第1水雷戦隊第21駆逐隊に所属し、他の姉妹とともに主力艦隊に随伴、瀬戸内海西部で対潜掃討に従事した。 1942年(昭和17年)、ケンダリー攻略作戦、マカッサル攻略作戦、バリ島攻略作戦、アリューシャン作戦などに参加。 1943年(昭和18年)3月、アッツ島沖海戦に参加後、第5艦隊第1水雷戦隊に編入され、内地と千島間の船団護衛に従事。 7月にキスカ島撤退作戦に加わったが、7月26日、濃霧により「[[若葉]]」と激突。 「[[若葉]]」は大破し引き返すはめになったが、「[[初霜]]」は行動に支障はなかった。幌筵で応急修理後、千島方面の船団護衛に従事した。 1944年(昭和19年)1月より空母「[[雲鷹]]」「[[千歳]]」「[[瑞鳳]]」「[[龍鳳]]」などの護衛に従事し、 6月のマリアナ沖海戦に参加後、船団護衛の任務を実施した。 10月のレイテ沖海戦時には第1水雷戦隊の志摩艦隊に属し、台湾からマニラへの輸送任務に分遣されこれに成功、 マニラから志摩艦隊本隊へ合流するためスルー海を南下中の10月24日、米空母「フランクリン」艦載機の攻撃を受け損傷した。 沈没した僚艦「[[若葉]]」の生存者を「[[初春]]」とともに救助してマニラに送り届け、本隊を追って26日にブスアンガ島コロン泊地に入港した。 マニラ湾のカビテ軍港で修理した後、第二次多号作戦に参加。 その後、シンガポールに回航し、北号作戦に参加して「[[伊勢]]」「[[日向]]」を護衛して内地に帰投した。 1945年(昭和20年)4月、戦艦「[[大和]]」とともに沖縄水上特攻作戦に参加(坊ノ岬沖海戦)。 開戦以来長らく活動し高練度を誇った「[[初霜]]」は老練な回避運動により全弾回避、至近弾で負傷者2名を出したのみであった。 また海戦中、通信設備を破壊された「[[大和]]」の要請により通信を代行している。 その後、生き残った「[[雪風]]」「[[冬月]]」とともに、沈没した「[[矢矧]]」「[[浜風]]」などの生存者を救助し帰投した。 6月に宮津湾で砲術学校練習艦となるが、7月30日に米機の攻撃を受け「[[雪風]]」とともに対空戦闘を行った。 ところが戦闘中「[[雪風]]」が機雷と接触するが、なんと回数機雷であり、最初に触れた「[[雪風]]」の時は起爆せず、 直後続行した「初霜」が触れた途端に爆発。 「初霜」も不死身の強運を謳われた艦だったが、最後の最後で「[[雪風]]」の強運に負けた形となった。 大破した「初霜」は沈没を防ぐため海岸へとのし上げ擱座、そのまま終戦を迎えた。 #image(Hatsushimo_1947.jpg) 本人のコメントにもあるとおり、様々な激戦をくぐり抜けた。 キスカの「奇跡の作戦」、北号作戦という2つの無傷での撤退作戦にも参加しており、 坊ノ岬沖海戦では「[[雪風]]」より損害が少なかったなど、稀代の強運艦の一隻であった。 ただ、終戦後[[雪風]]を始め残存艦はほとんど賠償として戦勝国へ取り上げられたが、 この艦は1945年7月のアメリカ軍の磁気機雷に触雷して大破した損害があまり酷かったこともあり、取り上げられることはなく解体された。 因みに、解体後錨だけが記念として、本艦の軍医長であった山田正明元軍医少佐に引き取られ、墨田区の山田記念病院に飾られている なお、吉田満の『戦艦大和ノ最期』では、「初霜」の救助艇では舷側に群がりしがみつく救助者たちの手首を軍刀で斬り落とし、足蹴にかけて転覆を防いだとの話が載っている。 しかしこれは&bold(){全く事実無根}であり、作品発表当時から「初霜」「雪風」「大和」乗員を中心に海軍関係者から批判や抗議が行われた。 (そもそも「初霜」が救助したのは「矢矧」「浜風」乗員であり、「大和」乗員の救助は行っていない) ところが作品自体は高い評価を受けて映画化、更にのちにはドラマ化や英訳版の出版など、世間に広まっていってしまった。 しかも著者の吉田満は抗議に対し「検討する」と言ったものの訂正せず、そのまま世を去ってしまったのである。 平成17年には朝日新聞天声人語欄でも事実のように取り上げられるなどし、たまりかねた元乗員が産経新聞紙上で反論している。 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kaihei73-matui.htm http://ohmura-study.net/322.html その他さまざまな検証を通じ事実無根が確定した現在においても、有名作品故に世間には事実のように広まったままであり、 「初霜」の汚された名誉は、いまだ回復されているとは言いがたい。 幸運艦にもかかわらず運の数値が高くないのは、戦後有名作品によって身に覚えがない汚名を着せられ、撒き散らされるという不幸に遭ったからなのかもしれない。 &table_color(table1,#ddd){} |>|>|~艦歴| |発注|>|1931第1次補充計画甲型第62号(一等)駆逐艦| |起工|1931年01月31日|於浦賀船渠| ||1933年10月|進水滑走中に支柱等の折損事故により作業中止| |進水|1933年11月04日|再進水| |就役|1934年09月27日|佐世保鎮守府へ編入| ||1934年09月30日|姉妹艦の&bold(){[[初春]]}などと共に第21駆逐隊を編制| ||1935年08月13日|船体補強工事のため佐世保工廠へ入渠&br()(復元性に問題を抱えており設計変更レベルの改修が必要と判断された)| ||1936年05月09日|大幅な船体改造を経て出渠| ||1941年11月15日|第1艦隊第1水雷戦隊第21駆逐隊に編入。同艦隊には他に&bold(){[[初春]]、[[子日]]、[[若葉]]}が所属| ||1942年01月25日|&bold(){[[初春]]}と&bold(){[[長良]]}の衝突事故を受け、第1根拠地隊旗艦を長良から継承| ||1942年02月08日|マカッサル攻略に参加| ||1942年02月18日|バリ、ロンボック攻略に参加| ||1942年05月20日|第1水雷戦隊ごと北方部隊に編入| ||1942年05月28日|アリューシャン作戦に参加| ||1942年10月17日|キスカ沖で航行不能となっていた&bold(){[[初春]]}を&bold(){[[若葉]]}と共に救援| ||1943年03月26日|アッツ沖海戦に参加| ||1943年04月01日|第1水雷戦隊ごと第5艦隊に編入| ||1943年07月29日|&bold(){キスカ撤収作戦(いわゆる奇跡の作戦)}中、&bold(){[[若葉]]}と衝突し損傷| ||1944年06月19日|マリアナ沖海戦に参加| ||1944年10月24日|パネイ島西方にて空襲による直撃弾を受け損傷| ||1945年02月10日|シンガポールからの撤退作戦(北号作戦)に参加| ||1945年04月07日|坊ノ岬沖海戦に参加。&bold(){戦艦[[大和]]}を始めとして多くの艦船が沈む中、無傷(乗組員に2名の戦傷者が出たのみ)で帰還する。&br()ちなみに&bold(){あの[[雪風]]}ですらこの戦いでは乗組員に死者が出ており(戦死3名、戦傷15名)、最も被害が少なかった艦であった| ||1944年06月|宮津の砲術学校での訓練船、特攻機の訓練目標艦として配備| |沈没|1945年07月30日|宮津湾にてアメリカ軍の磁気機雷に二度触雷して、二度目に大破し海岸に擱座| |除籍|1945年09月30日|除籍後浮揚| |解体|1948年09月|| ---- *参考動画 ---- [[悲劇の武勲艦~駆逐艦初霜の物語~>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22506918]] #nicovideo2(sm22506918,420,280) ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table2,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|初春型四番艦、初霜です。皆さん、よろしくお願いします!| | |秘書クリック会話①|はい、いつでもご質問どうぞ|| |秘書クリック会話②|準備万端ですよ|| |秘書クリック会話③|て、提督…?ああ、魚雷管の角度を直してくれてるんですね?いつもすみません|| |戦績表示時|提督に、ご連絡があるみたい|| |編成選択時|初霜、出撃します!|| |装備時①|うん!ちょうどいいわ!|| |装備時②|これはすごいわ!ありがとう!|| |装備時③|やっちゃいます!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ちょっとだけ、休憩ね|| |ドック入り(重傷)|これでまたみんなを守れるわ|| |建造時|新しい仲間が誕生したようです|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投したみたい、お疲れ様|| |出撃時|戦艦の護衛なら任せてね|キスカ・北号のほか、様々な艦隊護衛任務をこなし終戦を迎えた| |戦闘開始時|敵艦発見です!|| |攻撃時|見てなさい!|| |夜戦開始時|ほんと詰めが甘いのね|| |夜戦攻撃時|私が、守ります!|| |MVP時|一隻でも一人でも、救えるなら私は、それで満足なの|キスカ・北号と二回も無傷の撤退作戦に参加した他、坊ノ岬沖海戦では多くの生存者を救助した| |被弾小破①|きゃっ!|| |被弾小破②|信じられません…|| |被弾カットイン|ま、まだ…沈んだり…しないわ…|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):提督...みんな...ご無事ですか...? なら...いいの...|| ---- *同型艦 初春型 初春([[初春改二]]) ― [[子日]] ― [[若葉]] ― &bold(){初霜} ― 有明 ― 夕暮 ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=初霜/コメント)

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