鳥海

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鳥海」(2015/08/25 (火) 13:02:30) の最新版変更点

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#image(No062.jpg) #contents ---- *CV 東山奈央 *Illustrator ??? ---- *史実情報 #image(chokai_1942.jpg) 鳥海は高雄型4番艦として、三菱造船長崎造船所で建造された。完成後は高雄姉妹で第4戦隊を編成している。 鳥海は摩耶と同様に、1941年から改装を受ける予定であったが、開戦により断念。その後機会のあった摩耶とは異なり、最後まで改装されることがなかった。 そのため、高角砲と魚雷発射管が旧式のまま戦わざるを得なくなっている(それでも、大戦後半には電探を装備していたらしい)。 鳥海は客船建造が得意な三菱が建造したため内装が良く、旗艦任務が多かったことが一因という説もある。 開戦時には第4戦隊として、マレー方面に進出。 1942年7月には第8艦隊旗艦として、ソロモン方面へ向かい、第一次ソロモン海海戦に参加した。 この戦いで、第8艦隊は米艦隊を撃滅するも、探照灯を使っていた鳥海は艦橋に被弾している。 同海戦時、鳥海には作家の丹羽文雄氏が報道班員として同乗しており、このときの経験を元に書かれた作品が小説「海戦」である。 その後ソロモン方面からの撤退を受け、第8艦隊の旗艦任務を終えた。 1944年10月23日にはレイテ沖海戦に参加。高雄姉妹が潜水艦の攻撃で次々やられていく中、唯一無事だった。 25日にはサマール沖で米艦隊と交戦。生き残った重巡各艦とともに米艦隊に突撃するも、駆逐艦と艦載機の攻撃を受け、右舷の魚雷が誘爆。機関と舵を破壊され落伍した。 その後さらに爆弾を受けて大破炎上。乗組員は駆逐艦藤波に退避し、鳥海は同艦の雷撃によって処分された。 尚、藤波は同日中に米艦載機の攻撃によって撃沈されてしまい、鳥海(と藤波)の生存者は1人も居なくなってしまった。 ---- *台詞一覧 &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|私が鳥海です。よろしくです。| | |秘書クリック会話①|あ、司令官さん。お疲れさまです。|| |秘書クリック会話②|まだ何か、ご用がおありですか?|| |秘書クリック会話③|…っ、こっ…これも、何かの任務なのですか!?|| |戦績選択時|司令官さん、お手紙が届きました。|| |編成選択時|抜錨!鳥海、出撃します!|| |装備時①|これは…気持ちの良いものですね。|| |装備時②|近代化改修ですか。嬉しいです。|| |装備時③|私も嬉しいです。|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|損傷の修理にかかります。|| |ドック入り(重傷)|さすがに、ちょっと無理をしすぎたようです。|| |建造時|新人ね。司令官さんも、気になりますか?|| |艦隊帰投時|作戦完了の報告が入っています。|| |出撃時|さあ、行きましょう!やるわよ!|| |戦闘開始時|左舷に敵艦発見!|| |攻撃時|左舷、砲雷撃戦、用意!|| |夜戦開始時|追撃します!逃がしません!|| |夜戦攻撃時|主砲、よーく狙って!てーっ!|| |MVP時|私の計算どおりだったわ。もちろん、司令官さんの戦略だからできたのよ。|| |被弾小破①|きゃぁーっ!|| |被弾小破②|くっ、被弾箇所はどこ!?|| |被弾カットイン|私の計算では、こんなことありえない!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):これは…私の計算ミス……ごめんなさい…|| ---- *同型艦 [[高雄]] ― [[愛宕]] ― &bold{鳥海}([[鳥海改二]]) ― [[摩耶]]([[摩耶改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=鳥海/コメント)
#image(No062.jpg) #contents ---- *CV 東山奈央 *Illustrator ??? ---- *史実情報 #image(chokai_1942.jpg) 鳥海は高雄型4番艦として、三菱造船長崎造船所で建造された。完成後は高雄姉妹で第4戦隊を編成している。 鳥海は摩耶と同様に、1941年から改装を受ける予定であったが、開戦により断念。その後機会のあった摩耶とは異なり、最後まで改装されることがなかった。 そのため、高角砲と魚雷発射管が旧式のまま戦わざるを得なくなっている(それでも、大戦後半には電探を装備していたらしい)。 鳥海は客船建造が得意な三菱が建造したため内装が良く、旗艦任務が多かったことが一因という説もある。 開戦時には第4戦隊として、マレー方面に進出。 1942年7月には第8艦隊旗艦として、ソロモン方面へ向かい、第一次ソロモン海海戦に参加した。 この戦いで、第8艦隊は米艦隊を撃滅するも、探照灯を使っていた鳥海は艦橋に被弾している。 同海戦時、鳥海には作家の丹羽文雄氏が報道班員として同乗しており、このときの経験を元に書かれた作品が小説「海戦」である。 その後ソロモン方面からの撤退を受け、第8艦隊の旗艦任務を終えた。 1944年10月23日にはレイテ沖海戦に参加。高雄姉妹が潜水艦の攻撃で次々やられていく中、唯一無事だった。 25日にはサマール沖で米艦隊と交戦。生き残った重巡各艦とともに米艦隊に突撃するも、駆逐艦と艦載機の攻撃を受け、右舷の魚雷が誘爆。機関と舵を破壊され落伍した。 その後さらに爆弾を受けて大破炎上。乗組員は駆逐艦藤波に退避し、鳥海は同艦の雷撃によって処分された。 尚、藤波は同日中に米艦載機の攻撃によって撃沈されてしまい、鳥海(と藤波)の生存者は1人も居なくなってしまった。 ---- *台詞一覧 &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|私が鳥海です。よろしくです。| | |秘書クリック会話①|あ、司令官さん。お疲れさまです。|| |秘書クリック会話②|まだ何か、ご用がおありですか?|| |秘書クリック会話③|…っ、こっ…これも、何かの任務なのですか!?|| |戦績選択時|司令官さん、お手紙が届きました。|| |編成選択時|抜錨!鳥海、出撃します!|| |装備時①|これは…気持ちの良いものですね。|| |装備時②|近代化改修ですか。嬉しいです。|| |装備時③|私も嬉しいです。|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|損傷の修理にかかります。|| |ドック入り(重傷)|さすがに、ちょっと無理をしすぎたようです。|| |建造時|新人ね。司令官さんも、気になりますか?|| |艦隊帰投時|作戦完了の報告が入っています。|| |出撃時|さあ、行きましょう!やるわよ!|| |戦闘開始時|左舷に敵艦発見!|| |攻撃時|左舷、砲雷撃戦、用意!|| |夜戦開始時|追撃します!逃がしません!|| |夜戦攻撃時|主砲、よーく狙って!てーっ!|| |MVP時|私の計算どおりだったわ。もちろん、司令官さんの戦略だからできたのよ。|| |被弾小破①|きゃぁーっ!|| |被弾小破②|くっ、被弾箇所はどこ!?|| |被弾カットイン|私の計算では、こんなことありえない!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):これは…私の計算ミス……ごめんなさい…|| ---- *同型艦 [[高雄]] ― [[愛宕]] ― &bold(){鳥海}([[鳥海改二]]) ― [[摩耶]]([[摩耶改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=鳥海/コメント)

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