羽黒

「羽黒」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

羽黒」(2014/12/12 (金) 15:21:19) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#image(No058.jpg) #contents ---- *CV ---- 種田梨沙 ---- *Illustrator ---- 絵師 ---- *史実情報 ---- 三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)にて建造され、1929年(昭和4年)4月25日に竣工した。 艦内の調度品や塗装、通風設備は同時期に長崎造船所で建造されていた客船浅間丸を参考にしたとされ、イギリス海軍の影響が強かった艦内艤装を日本式に改めたものとなった。 #ref(Haguro.jpg) 就役後は第二艦隊第四戦隊に所属。 その後1931年(昭和6年)に排煙の問題から煙突延長工事を行い、1934年(昭和9年)5月から翌年10月には第一次改装、1938年(昭和14年)1月から同年12月にかけては第二次改装を行う。 第二次改装では高角砲や機銃、魚雷発射管といった兵装の換装や増設、艦橋構造の改正、航空設備の拡充や船体へのバルジ装着などを行っている。 1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時には第二艦隊第五戦隊に所属し、フィリピン攻略に参加¥。 1942年(昭和17年)にはスラバヤ沖海戦でイギリス巡洋艦エクセターに直撃弾を与え、その後も珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦など数々の海戦に参加した。 1943年(昭和18年)11月、アメリカ軍が上陸したブーゲンビル島近海の輸送船団を攻撃すべく、羽黒と妙高は水雷戦隊を率いてラバウルを出撃。 しかし、ブーゲンビル島沖でアメリカ艦隊と交戦(ブーゲンビル島沖海戦)。妙高は中破し、羽黒も被弾した。 トラック島空襲直前の1944年(昭和19年)2月10日に第五戦隊の羽黒、妙高、第四戦隊と第十七駆逐隊はトラックを離れ、2月13日にパラオに到着。 羽黒は3月9日にバリックパパンに向けて出港し、3月12日に到着。次いでタラカンに向かい、それから3月22日にパラオに戻った。 パラオ大空襲直前の3月29日にはパラオを脱出し、ダバオを経由して4月9日にリンガ泊地へと到着している。 5月11未明、リンガ泊地の日本艦隊は出港しタウィタウィへ向かった。第五戦隊は一日遅れで出港し、15日にタウィタウィに着いた。 5月27日、アメリカ軍がビアクに来攻。それを受けて29日に渾作戦が発令され、羽黒は警戒隊として作戦に参加した。5月30日にタウィタウィを出発し、31日にダバオに入港。 6月2日にダバオを出撃し、陸軍部隊を乗せた輸送隊を護衛してビアクへ向かったが、3日に敵機に接触されたため作戦は一時中止となり、警戒隊はダバオに戻った。 9日、ハルマヘラ島バチャン泊地に進出。12日には渾作戦に投入されることになった戦艦大和、武蔵などもバチャン泊地に到着したが、アメリカ軍のサイパンへの襲来により作戦中止。 渾作戦部隊は13日にバチャン泊地を出港して16日に機動部隊と合流し、マリアナ沖海戦に参加した。 マリアナ沖海戦後は機動部隊と共に日本に帰還、その後妙高と共にシンガポール方面に移動し、リンガ泊地で訓練に勤しんだ。 10月にはレイテ沖海戦に参加。10月25日のサマール沖海戦では[[金剛]]とともに護衛空母「ガンビア・ベイ」を撃沈。 敵護衛空母艦載機の反撃によって2番砲塔に爆弾を受け損傷するも、[[利根]]とともに敵艦隊へと食い下がり、追撃中止命令まで敵空母に砲弾を撃ち込み続けた。 その後は南西方面艦隊の指揮下に入り、シンガポールに係留されていた妙高や高雄と共に同地で待機していた。 しかし、羽黒の損傷は妙高や高雄と比較して軽度だった為、同じく南西方面艦隊に編入されていた足柄らと共に、輸送作戦に従事することとなった。 1945年(昭和20年)5月12日、陸軍の要請により、アンダマン諸島への輸送任務に駆逐艦「神風」とともに出撃。 可能な限りの物資を積むため魚雷を下ろし、艦内と甲板上にも大量の物資を山積みにしたため、砲塔が旋回不能になるほどだった。 さらに2番砲塔は損傷したまま修理されておらず使用不可、またスクリューシャフトの損傷により振動を起こして照準困難という問題を抱えたままでの出撃であった。 5月16日、イギリス海軍機の攻撃を受け損傷する。翌17日マラッカ海峡にてイギリス駆逐艦「ソマーズ」「ヴィーナス」「ヴィラーゴ」「ヴェルラム」「ヴィジラアント」と交戦(ペナン沖海戦)。 直ちに甲板上の荷を投棄し、探照灯を照射して左砲戦に入り、イギリス駆逐艦に主砲の命中弾を与えて先制するが直後英駆逐艦の雷撃を受けた。 羽黒は損傷のために速度を制限せざる得ない状況であり、戦場からの離脱を断念。囮となって随伴する神風を離脱させた。 羽黒には最終的に3本の魚雷が命中し、1、3番砲塔下で誘爆が発生。左に傾斜し速力が低下した所に集中砲火を受け、積荷のガソリンに引火し爆発大炎上する。 更に艦橋への被弾で戦隊司令官と幕僚、艦長が即死。そしてついに、02:32に船首部分から沈没した。 総員退去命令が出てからも、最期の時まで主砲と高角砲は発砲を続けていたという。 同乗していた橋本信太郎中将、艦長杉浦嘉十大佐以下400名あまりが戦没し、320名が引き返してきた神風に救助された。 #ref(Haguro sank.jpg) その後60年近くを経て、2003年(平成15年)にダイバーが海面下66mで羽黒を発見。 船体は海底に甲板側を上にして着底しているが、船体上部の損傷は大きく、艦橋やマスト、煙突に破壊の跡が確認できたという。 2005年(平成17年)9月23日にはペナン島沖で日英合同慰霊祭が開催された。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|羽黒です。妙高型重巡洋艦姉妹の末っ娘です。あ、あの…ごめんなさいっ!| | |秘書クリック会話①|あの…司令官さん?|| |秘書クリック会話②|し…司令官さん?…ごめんなさい!|| |秘書クリック会話③|あの…すみません…それは何か新しいコミュニケーションなのでしょうか…|| |戦績表示時|あ…お知らせが届いたって…|| |編成選択時|こんな私ですが…精一杯頑張りますね!|サマール沖海戦では「利根」と共に敵機動部隊に最後まで砲撃を続けた| |装備時①|私なんて…強化していただかなくても…|| |装備時②|あの…他の人を改造してあげて?|| |装備時③|ごめんなさい!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|私よりあの艦(コ)を先に…|| |ドック入り(重傷)|はい。もう少しで轟沈するところでした|| |建造時|新しい仲間が進水されたみたいです|| |艦隊帰投時|作戦完了って…あの…報告が…|| |出撃時|あなた達の背中は私が守ります!|要所で気弱な態度の裏にある意志の強さが見える| |戦闘開始時|撃ち方、始めて下さーい!|| |攻撃時|砲雷撃戦って、これでいいのかしら…|| |攻撃時(改ニ)|五倍の相手だって・・・支えて見せます!|ペナン沖海戦では駆逐艦5隻に対し、1隻で奮戦した| |夜戦開始時|これ以上やらせません!|| |夜戦攻撃時|全砲門、開いて下さい!|| |MVP時|このまま、全ての戦いが終わってしまえばいいのに|羽黒が撃沈されたペナン沖海戦が第二次世界大戦中最後の水上戦闘(諸説ある)とされる| |被弾小破①|ああっ!?|| |被弾小破②|やめてぇ…!|| |被弾カットイン|だめ…見ないで…見ないでぇぇぇ!!|イヤホン必須| |撃沈時(反転)|COLOR(white):あの艦(コ)達、ちゃんと逃げ切れたかな…&br()ああ、もう何も、何も見えない…|COLOR(white):輸送任務中、航空攻撃を受け損傷。後に遭遇した英駆逐艦6隻との交戦時に離脱不能となり、&br()従事していた僚艦「神風」を逃がすため囮となって轟沈した| ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/羽黒)
#image(No058.jpg) #contents ---- *CV ---- 種田梨沙 ---- *Illustrator ---- bob ---- *史実情報 ---- 三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)にて建造され、1929年(昭和4年)4月25日に竣工した。 艦内の調度品や塗装、通風設備は同時期に長崎造船所で建造されていた客船浅間丸を参考にしたとされ、イギリス海軍の影響が強かった艦内艤装を日本式に改めたものとなった。 #ref(Haguro.jpg) 就役後は第二艦隊第四戦隊に所属。 その後1931年(昭和6年)に排煙の問題から煙突延長工事を行い、1934年(昭和9年)5月から翌年10月には第一次改装、1938年(昭和14年)1月から同年12月にかけては第二次改装を行う。 第二次改装では高角砲や機銃、魚雷発射管といった兵装の換装や増設、艦橋構造の改正、航空設備の拡充や船体へのバルジ装着などを行っている。 1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時には第二艦隊第五戦隊に所属し、フィリピン攻略に参加¥。 1942年(昭和17年)にはスラバヤ沖海戦でイギリス巡洋艦エクセターに直撃弾を与え、その後も珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦など数々の海戦に参加した。 1943年(昭和18年)11月、アメリカ軍が上陸したブーゲンビル島近海の輸送船団を攻撃すべく、羽黒と妙高は水雷戦隊を率いてラバウルを出撃。 しかし、ブーゲンビル島沖でアメリカ艦隊と交戦(ブーゲンビル島沖海戦)。妙高は中破し、羽黒も被弾した。 トラック島空襲直前の1944年(昭和19年)2月10日に第五戦隊の羽黒、妙高、第四戦隊と第十七駆逐隊はトラックを離れ、2月13日にパラオに到着。 羽黒は3月9日にバリックパパンに向けて出港し、3月12日に到着。次いでタラカンに向かい、それから3月22日にパラオに戻った。 パラオ大空襲直前の3月29日にはパラオを脱出し、ダバオを経由して4月9日にリンガ泊地へと到着している。 5月11未明、リンガ泊地の日本艦隊は出港しタウィタウィへ向かった。第五戦隊は一日遅れで出港し、15日にタウィタウィに着いた。 5月27日、アメリカ軍がビアクに来攻。それを受けて29日に渾作戦が発令され、羽黒は警戒隊として作戦に参加した。5月30日にタウィタウィを出発し、31日にダバオに入港。 6月2日にダバオを出撃し、陸軍部隊を乗せた輸送隊を護衛してビアクへ向かったが、3日に敵機に接触されたため作戦は一時中止となり、警戒隊はダバオに戻った。 9日、ハルマヘラ島バチャン泊地に進出。12日には渾作戦に投入されることになった戦艦大和、武蔵などもバチャン泊地に到着したが、アメリカ軍のサイパンへの襲来により作戦中止。 渾作戦部隊は13日にバチャン泊地を出港して16日に機動部隊と合流し、マリアナ沖海戦に参加した。 マリアナ沖海戦後は機動部隊と共に日本に帰還、その後妙高と共にシンガポール方面に移動し、リンガ泊地で訓練に勤しんだ。 10月にはレイテ沖海戦に参加。10月25日のサマール沖海戦では[[金剛]]とともに護衛空母「ガンビア・ベイ」を撃沈。 敵護衛空母艦載機の反撃によって2番砲塔に爆弾を受け損傷するも、[[利根]]とともに敵艦隊へと食い下がり、追撃中止命令まで敵空母に砲弾を撃ち込み続けた。 その後は南西方面艦隊の指揮下に入り、シンガポールに係留されていた妙高や高雄と共に同地で待機していた。 しかし、羽黒の損傷は妙高や高雄と比較して軽度だった為、同じく南西方面艦隊に編入されていた足柄らと共に、輸送作戦に従事することとなった。 1945年(昭和20年)5月12日、陸軍の要請により、アンダマン諸島への輸送任務に駆逐艦「神風」とともに出撃。 可能な限りの物資を積むため魚雷を下ろし、艦内と甲板上にも大量の物資を山積みにしたため、砲塔が旋回不能になるほどだった。 さらに2番砲塔は損傷したまま修理されておらず使用不可、またスクリューシャフトの損傷により振動を起こして照準困難という問題を抱えたままでの出撃であった。 5月16日、イギリス海軍機の攻撃を受け損傷する。翌17日マラッカ海峡にてイギリス駆逐艦「ソマーズ」「ヴィーナス」「ヴィラーゴ」「ヴェルラム」「ヴィジラアント」と交戦(ペナン沖海戦)。 直ちに甲板上の荷を投棄し、探照灯を照射して左砲戦に入り、イギリス駆逐艦に主砲の命中弾を与えて先制するが直後英駆逐艦の雷撃を受けた。 羽黒は損傷のために速度を制限せざる得ない状況であり、戦場からの離脱を断念。囮となって随伴する神風を離脱させた。 羽黒には最終的に3本の魚雷が命中し、1、3番砲塔下で誘爆が発生。左に傾斜し速力が低下した所に集中砲火を受け、積荷のガソリンに引火し爆発大炎上する。 更に艦橋への被弾で戦隊司令官と幕僚、艦長が即死。そしてついに、02:32に船首部分から沈没した。 総員退去命令が出てからも、最期の時まで主砲と高角砲は発砲を続けていたという。 同乗していた橋本信太郎中将、艦長杉浦嘉十大佐以下400名あまりが戦没し、320名が引き返してきた神風に救助された。 #ref(Haguro sank.jpg) その後60年近くを経て、2003年(平成15年)にダイバーが海面下66mで羽黒を発見。 船体は海底に甲板側を上にして着底しているが、船体上部の損傷は大きく、艦橋やマスト、煙突に破壊の跡が確認できたという。 2005年(平成17年)9月23日にはペナン島沖で日英合同慰霊祭が開催された。 2014年5月に地元(マレーシア)の、違法スクラップ業者に密かに引き上げられて解体、売却されていたことが判明しスレを沸かせる。 なお、羽黒同様に勝手に引き上げられ解体された艦のうち3隻は日本海軍のモノという事も判明している。 内訳は、1943年に沈んだ2500トンの 長沙丸(特設砲艦), 1944年に沈んだ5100トンの[[球磨]]、1945年に沈んだ13500トンの&bold(){羽黒} 。他は台湾船2席と国籍不明1隻。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|羽黒です。妙高型重巡洋艦姉妹の末っ娘です。あ、あの…ごめんなさいっ!| | |秘書クリック会話①|あの…司令官さん?|| |秘書クリック会話②|し…司令官さん?…ごめんなさい!|| |秘書クリック会話③|あの…すみません…それは何か新しいコミュニケーションなのでしょうか…|| |戦績表示時|あ…お知らせが届いたって…|| |編成選択時|こんな私ですが…精一杯頑張りますね!|サマール沖海戦では「利根」と共に敵機動部隊に最後まで砲撃を続けた| |装備時①|私なんて…強化していただかなくても…|| |装備時②|あの…他の人を改造してあげて?|| |装備時③|ごめんなさい!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|私よりあの艦(コ)を先に…|| |ドック入り(重傷)|はい。もう少しで轟沈するところでした|| |建造時|新しい仲間が進水されたみたいです|| |艦隊帰投時|作戦完了って…あの…報告が…|| |出撃時|あなた達の背中は私が守ります!|要所で気弱な態度の裏にある意志の強さが見える| |戦闘開始時|撃ち方、始めて下さーい!|| |攻撃時|砲雷撃戦って、これでいいのかしら…|| |攻撃時(改ニ)|五倍の相手だって・・・支えて見せます!|ペナン沖海戦では駆逐艦5隻に対し、1隻で奮戦した| |夜戦開始時|これ以上やらせません!|| |夜戦攻撃時|全砲門、開いて下さい!|| |MVP時|このまま、全ての戦いが終わってしまえばいいのに|羽黒が撃沈されたペナン沖海戦が第二次世界大戦中最後の水上戦闘(諸説ある)とされる| |被弾小破①|ああっ!?|| |被弾小破②|やめてぇ…!|| |被弾カットイン|だめ…見ないで…見ないでぇぇぇ!!|イヤホン必須| |撃沈時(反転)|COLOR(white):あの艦(コ)達、ちゃんと逃げ切れたかな…&br()ああ、もう何も、何も見えない…|COLOR(white):輸送任務中、航空攻撃を受け損傷。後に遭遇した英駆逐艦6隻との交戦時に離脱不能となり、&br()従事していた僚艦「神風」を逃がすため囮となって轟沈した| ---- *同型艦 [[妙高]]([[妙高改二]]) ― [[那智]] ― [[足柄]] ― &bold(){羽黒}([[羽黒改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=羽黒/コメント)

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: