足柄

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#image(No057.jpg) #contents ---- *CV ---- 種田梨沙 ---- *Illustrator ---- bob ---- *史実情報 ---- #image(Ashigara.jpg) 妙高型重巡洋艦の三番艦。名前は箱根にある、金太郎で有名な足柄山より。 神戸川崎造船所(ややこしいが神戸にある川崎造船(後の川崎重工)の造船所。余談だが、川崎は地名ではなく初代社長の名前に由来)にて、1929年8月20日竣工。 1937年5月20日、イギリスで行われたジョージ6世戴冠記念観艦式に、日本代表として参加した。本人が言う「飢えた狼」というニックネームが付けられたのはこの時。 何故こんな異名で呼ばれたかというと、そもそも英国における巡洋艦とは、世界各地に散らばる植民地に人員を派遣するための艦であり、乗組員は船上で長期間生活する必要があった。 加えて、時には現地の人達を招いてパーティを催したりもした為、居住性にも気を使った造りだった。 しかし、日本は地球の裏側にまで植民地を広げることは無く、そもそも軍人以外を乗せるつもりもないので、必要最低限の居住性しかない無骨な造りであった。 それ故にヨーロッパの人達からは、「まるで飢えた狼(のようにガリガリ)だ」と言われてしまったらしい。 設計上求められるものの違いのみならず、狼に「孤高」「精悍さ」というイメージを持つ日本からは、&strike(){中二病めいた}格好いいニックネームに思われるが(実際、当時の日本側は好評価と受け取った)、要は「戦いに飢えていて品がない」と評されたのである。 一方で、フランスの前衛芸術家ジャン・コクトーをはじめ、「[[足柄]]」の機能美を高く評価する声もある。 イギリスには「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった(実はこれも足柄の居住性を英国流に皮肉ってる)」と記した新聞記者もいたという。 なお重巡の居住性は続く[[高雄]]型で改善され、[[最上]]・[[利根]]型で大幅に向上することとなったのである。 太平洋戦争では、1941年の開戦後、主に東南アジア方面で活躍。 1942年3月1日のスラバヤ沖海戦では、姉妹艦の「[[妙高]]」、「[[那智]]」、「[[羽黒]]」と揃い踏みで臨み、英重巡洋艦「エクセター」、英駆逐艦「エンカウンター」、米駆逐艦「ホープ」を沈めている(「[[雷]]」や「[[電]]」が沈没した敵艦の将兵を救出したのはこの時である) その後、足柄は第一六戦隊旗艦となり、主にシンガポール方面で活動した後、1944年には第五艦隊に転属となり、激戦地を転々とした。 1944年12月26日、「[[霞]]」の指揮のもと「大淀」及び駆逐艦5隻とともに礼号作戦に参加。 往路に受けた空襲で「[[足柄]]」は撃墜されたB-25爆撃機1機が突っ込み炎上、死傷者70名を出し魚雷を投棄するはめになったものの、 そのまま予定通りミンドロ島泊地へと挺身殴り込みをかけ、砲雷撃で輸送船1隻を大破炎上させた。さらに海岸の上陸拠点へ20分に渡り砲撃をくわえ、上陸拠点を破壊し物資を焼き払った。 この作戦の成功は&bold(){日本海軍にとっての最後の勝利}となった。 そして帰路、往路の空襲で撃沈された「清霜」の乗員救助のため、旗艦「[[霞]]」は僚艦に退避を命じて、自身は敵前の危険も顧みず機関を停止して救助を敢行。 しかし「[[足柄]]」「大淀」は退避命令を無視して警戒にあたり、案の定襲撃してきた敵魚雷艇の前に盾となって立ちはだかって照射射撃を加え、これを撃退した。 そして、1945年6月8日。シンガポールに向けて兵員(陸軍兵)と物資を輸送していた足柄は、バンカ海峡(スマトラ島とバンカ島の間の海峡)にて単独航行中、 英潜水艦トレンチャントの魚雷攻撃を受け、最初に4発、とどめの1発の計5発を被雷。僅か20分で転覆、沈没した。 この頃の「[[足柄]]」は、艦隊決戦がもうないことから魚雷発射管も水上偵察機も取り払って輸送艦モードになっており、さらに左舷後部の主器も故障中(これがなければ魚雷は回避できたと考えられている)だった。 なお、転覆後の救助が比較的速やかに行われたこと、攻撃側の潜水艦も一隻だけで魚雷を撃って速やかに立ち去っていることから、乗組員や乗せていた陸軍兵共々、ほとんど死者は出ずに救助されたのは不幸中の幸いといえる。 この時足柄乗組員の救助に当たった駆逐艦「神風」は、奇しくもその1ヶ月前、姉妹艦「[[羽黒]]」が轟沈した際もその乗組員を救助している。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|足柄よ。砲雷撃戦が得意なの。ふふ、よろしくね。| | |秘書クリック会話①|どうしました?何かありましたか?|| |秘書クリック会話②|何ですか?出撃ですか?|| |秘書クリック会話③|さ、触らないでください。装備品は自分で手入れしてますから。|| |戦績表示時|連絡が入ったわ。何かしら?|| |編成選択時|出撃よ!戦場が、勝利が、私を呼んでいるわ!|飢えた狼は戦いに飢えている| |装備時①|素晴らしいわ!みなぎってきたわ!ねえ、試し撃ちしてもいいかしら!?|戦いに飢えている| |装備時②|自分が強くなるこの瞬間が、私は一番好き!|| |装備時③|何かしら?|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|私の戦闘に不安があるとでもいうの?|| |ドック入り(重傷)|まぁ、勝利をつかむためには休息も必要よね。わっかりましたぁ、休むわよ!|| |建造時|新しい子が来たみたい。会ってみましょう。|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投。作戦が終わったみたい。|| |出撃時|足柄、出撃します!戦果と勝利の報告を期待しててね!|戦いに飢えている| |戦闘開始時|第一戦速、砲雷撃、用意!てーっ!|第一戦速は約18ノット| |攻撃時|弾幕を張りなさいな。撃て、撃てーっ!|| |夜戦開始時|さあ、第二幕よ。全艦突撃!|| |夜戦攻撃時|十門の主砲は伊達じゃないわよ!|妙高型重巡の主砲は20.3センチ連装主砲5基。5×2で10門| |MVP時|だって私、足柄がいるんだもの。当然の結果よね、大勝利ぃ!|| |被弾小破①|ぅにゃ!?痛いじゃない!!|| |被弾小破②|うにゃ!?うにゃー!?|可愛い| |被弾カットイン|…っちっくしょう…!この私が…ここまでやられるなんて…!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):勝利だけが…私の誇りだったのに……|| ---- *同型艦 [[妙高]]([[妙高改二]]) ― [[那智]] ― &bold(){足柄} ― [[羽黒]]([[羽黒改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=足柄/コメント)
#image(No057.jpg) #contents ---- *CV 種田梨沙 ---- *Illustrator bob ---- *史実情報 #image(Ashigara.jpg) 妙高型重巡洋艦の三番艦。名前は箱根にある、金太郎で有名な足柄山より。 神戸川崎造船所(ややこしいが神戸にある川崎造船(後の川崎重工)の造船所。余談だが、川崎は地名ではなく初代社長の名前に由来)にて、1929年8月20日竣工。 1937年5月20日、イギリスで行われたジョージ6世戴冠記念観艦式に、日本代表として参加した。本人が言う「飢えた狼」というニックネームが付けられたのはこの時。 何故こんな異名で呼ばれたかというと、そもそも英国における巡洋艦とは、世界各地に散らばる植民地に人員を派遣するための艦であり、乗組員は船上で長期間生活する必要があった。 加えて、時には現地の人達を招いてパーティを催したりもした為、居住性にも気を使った造りだった。 しかし、日本は地球の裏側にまで植民地を広げることは無く、そもそも軍人以外を乗せるつもりもないので、必要最低限の居住性しかない無骨な造りであった。 それ故にヨーロッパの人達からは、「まるで飢えた狼(のようにガリガリ)だ」と言われてしまったらしい。 設計上求められるものの違いのみならず、狼に「孤高」「精悍さ」というイメージを持つ日本からは、&strike(){中二病めいた}格好いいニックネームに思われるが(実際、当時の日本側は好評価と受け取った)、要は「戦いに飢えていて品がない」と評されたのである。 一方で、フランスの前衛芸術家ジャン・コクトーをはじめ、「[[足柄]]」の機能美を高く評価する声もある。 イギリスには「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった(実はこれも足柄の居住性を英国流に皮肉ってる)」と記した新聞記者もいたという。 なお重巡の居住性は続く[[高雄]]型で改善され、[[最上]]・[[利根]]型で大幅に向上することとなったのである。 太平洋戦争では、1941年の開戦後、主に東南アジア方面で活躍。 1942年3月1日のスラバヤ沖海戦では、姉妹艦の「[[妙高]]」、「[[那智]]」、「[[羽黒]]」と揃い踏みで臨み、英重巡洋艦「エクセター」、英駆逐艦「エンカウンター」、米駆逐艦「ホープ」を沈めている(「[[雷]]」や「[[電]]」が沈没した敵艦の将兵を救出したのはこの時である) その後、足柄は第一六戦隊旗艦となり、主にシンガポール方面で活動した後、1944年には第五艦隊に転属となり、激戦地を転々とした。 1944年12月26日、「[[霞]]」の指揮のもと「大淀」及び駆逐艦5隻とともに礼号作戦に参加。 往路に受けた空襲で「[[足柄]]」は撃墜されたB-25爆撃機1機が突っ込み炎上、死傷者70名を出し魚雷を投棄するはめになったものの、 そのまま予定通りミンドロ島泊地へと挺身殴り込みをかけ、砲雷撃で輸送船1隻を大破炎上させた。さらに海岸の上陸拠点へ20分に渡り砲撃をくわえ、上陸拠点を破壊し物資を焼き払った。 この作戦の成功は&bold(){日本海軍にとっての最後の勝利}となった。 そして帰路、往路の空襲で撃沈された「清霜」の乗員救助のため、旗艦「[[霞]]」は僚艦に退避を命じて、自身は敵前の危険も顧みず機関を停止して救助を敢行。 しかし「[[足柄]]」「大淀」は退避命令を無視して警戒にあたり、案の定襲撃してきた敵魚雷艇の前に盾となって立ちはだかって照射射撃を加え、これを撃退した。 そして、1945年6月8日。シンガポールに向けて兵員(陸軍兵)と物資を輸送していた足柄は、バンカ海峡(スマトラ島とバンカ島の間の海峡)にて単独航行中、 英潜水艦トレンチャントの魚雷攻撃を受け、最初に4発、とどめの1発の計5発を被雷。僅か20分で転覆、沈没した。 この頃の「[[足柄]]」は、艦隊決戦がもうないことから魚雷発射管も水上偵察機も取り払って輸送艦モードになっており、さらに左舷後部の主器も故障中(これがなければ魚雷は回避できたと考えられている)だった。 なお、転覆後の救助が比較的速やかに行われたこと、攻撃側の潜水艦も一隻だけで魚雷を撃って速やかに立ち去っていることから、乗組員や乗せていた陸軍兵共々、ほとんど死者は出ずに救助されたのは不幸中の幸いといえる。 この時足柄乗組員の救助に当たった駆逐艦「神風」は、奇しくもその1ヶ月前、姉妹艦「[[羽黒]]」が轟沈した際もその乗組員を救助している。 ---- *台詞一覧 &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|足柄よ。砲雷撃戦が得意なの。ふふ、よろしくね。| | |秘書クリック会話①|どうしました?何かありましたか?|| |秘書クリック会話②|何ですか?出撃ですか?|| |秘書クリック会話③|さ、触らないでください。装備品は自分で手入れしてますから。|| |戦績表示時|連絡が入ったわ。何かしら?|| |編成選択時|出撃よ!戦場が、勝利が、私を呼んでいるわ!|飢えた狼は戦いに飢えている| |装備時①|素晴らしいわ!みなぎってきたわ!ねえ、試し撃ちしてもいいかしら!?|戦いに飢えている| |装備時②|自分が強くなるこの瞬間が、私は一番好き!|| |装備時③|何かしら?|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|私の戦闘に不安があるとでもいうの?|| |ドック入り(重傷)|まぁ、勝利をつかむためには休息も必要よね。わっかりましたぁ、休むわよ!|| |建造時|新しい子が来たみたい。会ってみましょう。|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投。作戦が終わったみたい。|| |出撃時|足柄、出撃します!戦果と勝利の報告を期待しててね!|戦いに飢えている| |戦闘開始時|第一戦速、砲雷撃、用意!てーっ!|第一戦速は約18ノット| |攻撃時|弾幕を張りなさいな。撃て、撃てーっ!|| |夜戦開始時|さあ、第二幕よ。全艦突撃!|| |夜戦攻撃時|十門の主砲は伊達じゃないわよ!|妙高型重巡の主砲は20.3センチ連装主砲5基。5×2で10門| |MVP時|だって私、足柄がいるんだもの。当然の結果よね、大勝利ぃ!|| |被弾小破①|ぅにゃ!?痛いじゃない!!|| |被弾小破②|うにゃ!?うにゃー!?|可愛い| |被弾カットイン|…っちっくしょう…!この私が…ここまでやられるなんて…!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):勝利だけが…私の誇りだったのに……|| ---- *同型艦 [[妙高]]([[妙高改二]]) ― [[那智]]([[那智改二]]) ― &bold(){足柄}([[足柄改二]]) ― [[羽黒]]([[羽黒改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=足柄/コメント)

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