那智

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那智」(2014/12/12 (金) 15:04:42) の最新版変更点

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#image(No056.jpg) #contents() ---- *CV ---- 種田梨沙 ---- *Illustrator ---- 絵師 ---- *史実情報 ---- #image(Nachi.jpg) 那智は妙高型2番艦として、1924年11月26日に呉工廠で起工、きっかり4年後の1928年11月26日に竣工した。 姉妹の中で最も早い完成となったが、これは昭和4年の天皇即位大礼特別観艦式に間に合わせる為、工事を繰り上げた為である。 この為、那智は前部煙突横の兵員室を未成のまま竣工している。こうした事情から、妙高型を那智型とする資料もある。 完成後は姉妹で第5戦隊を編成。本艦が旗艦を務めていた。 日米開戦の際には、姉妹と共にフィリピン方面に進出。 1942年3月のスラバヤ沖海戦では僚艦の[[羽黒]]らと協力し、オランダ巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」、 および英蘭駆逐艦1隻ずつを撃沈する戦果を挙げた。 その後、日本に帰還すると第5艦隊旗艦となり、北方方面に進出。途中足柄も加わり、アリューシャン作戦など北方作戦に従事。 この間にはアッツ島への輸送任務にも出撃しており、1943年3月27日はアッツ島沖海戦で重巡ソルトレイクシティを大破させるも、那智も小破。 9月には敵潜水艦の雷撃を受けるも不発弾で、損害を免れている。 1944年秋には、北方艦隊のまま南方作戦へと転戦。いわゆる志摩艦隊旗艦としてレイテ沖海戦に参加する。 那智の指揮下には[[足柄]]、[[阿武隈]]、[[潮]]、[[曙]]、[[霞]]、[[不知火]]がいた。 志摩艦隊は西村艦隊に遅れること2時間後、スリガオ海峡へと到達。軽巡[[阿武隈]]が魚雷艇の攻撃で被雷するも、 那智は25mm機銃と高角砲で魚雷艇を打ち払ったのち、突入を開始。 だが、直後に那智は炎上し8ノットで退避中の[[最上]]を停止中と誤認。前方を横切ろうとして、最上の左舷に衝突してしまう。 那智はこれにより艦首を大破し高速を発揮できなくなり、突入困難となった。 さらに、前方に炎の塊と化して息絶えた[[扶桑]]、火だるまでなおも突撃していく[[山城]]の姿が望見されるに及んで、 志摩艦隊は敵情が不明である事、[[最上]]、[[山城]]、[[扶桑]]の惨状から西村艦隊が全滅していることを悟り、反転。 那智はフィリピンのマニラへと入港した。 僅か1週間半後の11月5日、マニラは米空母レキシントン(エセックス級)の艦載機による空爆を受ける。 那智は擬装によって第一波攻撃はしのいだものの、第二波は免れ得ないと悟り、28ノットの全速で回避運動に移った。 この時[[曙]]は突然飛び出していった那智の行動に驚きつつも、直衛のために後を追った。 那智の艦長は「ここで我々が敵機を引きつけていれば、必ず神風特攻隊が仇を討ってくれるぞ!」と咆哮し部下を激励。 那智と[[曙]]は激しく対空砲火を撃ちつつ回避に回避を重ねたものの、敵機の大群の前には多勢に無勢であった。 多数の爆弾と魚雷を受け那智の速力は7ノットまで低下、電源は断絶し、上部兵装は滅茶苦茶に破壊しつくされた。 また、敵機の何割かを引き受けた[[曙]]も相前後して爆弾2発を浴び大破炎上、航行不能となり、[[潮]]の救援まで漂流する羽目となった。 そしてついに、第4砲塔付近に受けたロケット弾が元となって弾薬庫が大爆発。那智は大爆炎を噴き上げ、三つに折れ砕けながら沈むという凄絶な最期を迎えた。 損傷修理の為、日本に向かう前日のことであったという。 妙高型最初の戦没艦であり、また妙高型で唯一マラッカ海峡に沈んでいない艦である。 なお、本艦の名称は和歌山県南部の那智山に由来する。同地は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にも含まれる霊山であり、平安の世から続く聖地である。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|貴様が司令官か。私は那智。よろしくお願いする。|貴様…元々は目上の者に使われていた。那智も当然敬称として使っていると思うが、逆の意味でも別に(ry| |秘書クリック会話①|なんだ?何か策でもあるのか?|| |秘書クリック会話②|一体何用か?|| |秘書クリック会話③|ん?その行為は何だ?何かの戦術行動なのか?|| |戦績表示時|貴様に伝言だ|| |編成選択時|那智戦隊!出撃するぞ!!|| |装備時①|楽しみだな|| |装備時②|ふ~ん…この改造、仕様書は何処だ?|| |装備時③|ん、悪くないな|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|今は私が前線に出るほどではないか|| |ドック入り(重傷)|悪いが休ませてもらうぞ。休養も戦いだ|| |建造時|新しい艦が進水したようだ。楽しみだな。|| |艦隊帰投時|作戦結果の報告が入っている。聞くか?|| |出撃時|出るぞ!怖気付く者は残っておれ!|| |戦闘開始時|砲雷撃戦、用意!|| |攻撃時|敵は右舷だ!しっかり狙え!!|| |夜戦開始時|仲間達の仇だ!追撃する!!|那智はスリガオ海峡突入時、全滅した西村艦隊の仲間たちの惨状を目撃している| |夜戦攻撃時|挟叉か…次は直撃させる!|| |MVP時|勝利に喜んでばかりもいられないな…勝って兜のなんとやらだ。ただ、今夜ばかりは呑ませてもらおう!|勝って兜の~は慣用句だが、海軍的には日露戦争集結後の『聯合艦隊解散の辞』の文末として名高い| |被弾小破①|ちぃっ…!|| |被弾小破②|まだ、まだ沈まない!|| |被弾カットイン|このくらいの傷・・・なんてことは無い・・・|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):私が散るのか…それもいいだろう。さらば…だ…|| ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/那智)
#image(No056.jpg) #contents() ---- *CV ---- 種田梨沙 ---- *Illustrator ---- bob ---- *史実情報 ---- #image(Nachi.jpg) 那智は妙高型2番艦として、1924年11月26日に呉工廠で起工、きっかり4年後の1928年11月26日に竣工した。 姉妹の中で最も早い完成となったが、これは昭和4年の天皇即位大礼特別観艦式に間に合わせる為、工事を繰り上げた為である。 この為、那智は前部煙突横の兵員室を未成のまま竣工している。こうした事情から、妙高型を那智型とする資料もある。 完成後は姉妹で第5戦隊を編成。本艦が旗艦を務めていた。 日米開戦の際には、姉妹と共にフィリピン方面に進出。 1942年3月のスラバヤ沖海戦では僚艦の[[羽黒]]らと協力し、オランダ巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」、 および英蘭駆逐艦1隻ずつを撃沈する戦果を挙げた。 その後、日本に帰還すると第5艦隊旗艦となり、北方方面に進出。途中足柄も加わり、アリューシャン作戦など北方作戦に従事。 この間にはアッツ島への輸送任務にも出撃しており、1943年3月27日はアッツ島沖海戦で重巡ソルトレイクシティを大破させるも、那智も小破。 9月には敵潜水艦の雷撃を受けるも不発弾で、損害を免れている。 1944年秋には、北方艦隊のまま南方作戦へと転戦。いわゆる志摩艦隊旗艦としてレイテ沖海戦に参加する。 那智の指揮下には[[足柄]]、[[阿武隈]]、[[潮]]、[[曙]]、[[霞]]、[[不知火]]がいた。 志摩艦隊は西村艦隊に遅れること2時間後、スリガオ海峡へと到達。軽巡[[阿武隈]]が魚雷艇の攻撃で被雷するも、 那智は25mm機銃と高角砲で魚雷艇を打ち払ったのち、突入を開始。 だが、直後に那智は炎上し8ノットで退避中の[[最上]]を停止中と誤認。前方を横切ろうとして、最上の左舷に衝突してしまう。 那智はこれにより艦首を大破し高速を発揮できなくなり、突入困難となった。 さらに、前方に炎の塊と化して息絶えた[[扶桑]]、火だるまでなおも突撃していく[[山城]]の姿が望見されるに及んで、 志摩艦隊は敵情が不明である事、[[最上]]、[[山城]]、[[扶桑]]の惨状から西村艦隊が全滅していることを悟り、反転。 那智はフィリピンのマニラへと入港した。 僅か1週間半後の11月5日、マニラは米空母レキシントン(エセックス級)の艦載機による空爆を受ける。 那智は擬装によって第一波攻撃はしのいだものの、第二波は免れ得ないと悟り、28ノットの全速で回避運動に移った。 この時[[曙]]は突然飛び出していった那智の行動に驚きつつも、直衛のために後を追った。 那智の艦長は「ここで我々が敵機を引きつけていれば、必ず神風特攻隊が仇を討ってくれるぞ!」と咆哮し部下を激励。 那智と[[曙]]は激しく対空砲火を撃ちつつ回避に回避を重ねたものの、敵機の大群の前には多勢に無勢であった。 多数の爆弾と魚雷を受け那智の速力は7ノットまで低下、電源は断絶し、上部兵装は滅茶苦茶に破壊しつくされた。 また、敵機の何割かを引き受けた[[曙]]も相前後して爆弾2発を浴び大破炎上、航行不能となり、[[潮]]の救援まで漂流する羽目となった。 そしてついに、第4砲塔付近に受けたロケット弾が元となって弾薬庫が大爆発。那智は大爆炎を噴き上げ、三つに折れ砕けながら沈むという凄絶な最期を迎えた。 損傷修理の為、日本に向かう前日のことであったという。 妙高型最初の戦没艦であり、また妙高型で唯一マラッカ海峡に沈んでいない艦である。 なお、本艦の名称は和歌山県南部の那智山に由来する。同地は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にも含まれる霊山であり、平安の世から続く聖地である。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|貴様が司令官か。私は那智。よろしくお願いする。|貴様…元々は目上の者に使われていた。那智も当然敬称として使っていると思うが、逆の意味でも別に(ry| |秘書クリック会話①|なんだ?何か策でもあるのか?|| |秘書クリック会話②|一体何用か?|| |秘書クリック会話③|ん?その行為は何だ?何かの戦術行動なのか?|| |戦績表示時|貴様に伝言だ|| |編成選択時|那智戦隊!出撃するぞ!!|| |装備時①|楽しみだな|| |装備時②|ふ~ん…この改造、仕様書は何処だ?|| |装備時③|ん、悪くないな|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|今は私が前線に出るほどではないか|| |ドック入り(重傷)|悪いが休ませてもらうぞ。休養も戦いだ|| |建造時|新しい艦が進水したようだ。楽しみだな。|| |艦隊帰投時|作戦結果の報告が入っている。聞くか?|| |出撃時|出るぞ!怖気付く者は残っておれ!|| |戦闘開始時|砲雷撃戦、用意!|| |攻撃時|敵は右舷だ!しっかり狙え!!|| |夜戦開始時|仲間達の仇だ!追撃する!!|那智はスリガオ海峡突入時、全滅した西村艦隊の仲間たちの惨状を目撃している| |夜戦攻撃時|挟叉か…次は直撃させる!|| |MVP時|勝利に喜んでばかりもいられないな…勝って兜のなんとやらだ。ただ、今夜ばかりは呑ませてもらおう!|勝って兜の~は慣用句だが、海軍的には日露戦争集結後の『聯合艦隊解散の辞』の文末として名高い| |被弾小破①|ちぃっ…!|| |被弾小破②|まだ、まだ沈まない!|| |被弾カットイン|このくらいの傷・・・なんてことは無い・・・|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):私が散るのか…それもいいだろう。さらば…だ…|| ---- *同型艦 [[妙高]] ― &bold(){那智} ― [[足柄]] ― [[羽黒]]([[羽黒改二]]) ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=那智/コメント)

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