最上

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最上」(2014/12/12 (金) 14:50:56) の最新版変更点

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#image(No051.jpg) ---- CV ---- 洲崎綾 ---- 史実情報 ---- #image(mogami.jpg) 戦艦に次ぐ戦力として重巡の整備を進めていた日本海軍だが、ロンドン軍縮条約より巡洋艦の保有制限が施行。 日本海軍は高雄型までで重巡の枠を使い切った為、軽巡の整備を決意。重巡と同程度の能力を求めた。 とはいえ、重巡レベルの軽巡など簡単にできるものではない。 そこで日本海軍は「条約失効したら主砲換装すればいいんじゃね?」という考えに至った。 ここに、日本海軍は8500トンの軽巡四隻の建造を決定。 船体トン数が8500トンでも、主砲が15.5センチなら軽巡だろうという理屈である。 とはいえ、能力は重巡クラスが必須。主砲は15.5センチでも、搭載する魚雷は61㎝酸素魚雷で、防御も対20.3㎝砲クラスが求められた。 だが「重巡並の重武装の軽巡」と言うべき最上型は米英海軍を震撼させ、米英に対最上型用の重武装軽巡を建造させたのである。 なお、名目上最上型は[[天龍]]・[[球磨]]型の代替艦であった。 こうして、一番艦となる最上は1931年に呉工廠で起工した。 だが、進水直前の1934年に友鶴事件が発生。復元力向上を図る改善工事が行われた。 さらに1935年の完成前テストでは、当時発展途上だった電気溶接を多用した船体にひずみが発生。改正工事を行う。 同年7月28日に竣工するも、追い打ちをかけるように第四艦隊事件に遭遇。船体の強度不足から改正工事を行った。 翌年、日本は軍縮条約の脱退を宣言し、条約は失効。最上姉妹は「予定通り」1939年から主砲の換装を実施。 1940年には、全艦立派な重巡洋艦へと変身した。なお、米国がこの事実に気づくのは1942年6月である。 対米戦が始まると、最上は姉妹で第七戦隊を編成。南方瀬苦戦や蘭印作戦に従事した。 1942年3月1日、最上は三隈と共にバダビア沖海戦に参加。米重巡ヒューストン、豪軽巡パースを撃沈した。 同じ頃、陸軍第16軍を乗せた輸送船団は突如魚雷攻撃を受け、護衛の掃海艇と輸送船が轟沈、3隻の輸送船が大破着底した。 大破着底した輸送船には、第16軍司令・今村均陸軍中将の船も含まれており、中将は海面に投げ出され3時間後に救助された。 船団は直ちに敵影を探るが、あたりに敵影はなかった。海軍は海戦後すぐに調査を開始。 検証の結果、最上の発射した魚雷が流れ弾となった可能性が浮上。現場海域から酸素魚雷の破片が見つかったことで、決定的となった。 船団護衛を行っていた第三護衛隊司令部一同は、今村中将に謝罪。 中将は謝罪を快く受け入れるばかりか、先立っての海戦の快勝と海軍の面目を慮り、 「敵魚雷艇の攻撃だったということにしよう」と同士討ちの事実隠蔽を提案したという。 この後も、最上はインド洋での通商破壊、セイロン島沖海戦に参加した。 続くミッドウェー海戦では、機動部隊とは離れた別同部隊である第二艦隊として参加。 4空母を失った日本海軍は、夜戦による米機動部隊撃滅を目指し、第二艦隊にミッドウェー島への夜間攻撃を命令。 第二艦隊は第七戦隊を派遣。だが直後に作戦は中止され、最上たちは反転する。 合流地点へ急ぎ向かう最中、戦隊は右舷前方に潜水艦を発見。戦隊旗艦の熊野は、左45度一斉回頭を命じた。 ところが、直後に熊野は再び左45度一斉回頭を命令。 結果として左90度回頭を求めたのだが、後続の三隻は混乱。玉突き事故は回避されたものの、最上は三隈の左舷中部に突っ込んでしまう。 互いの乗員が「被雷したと思った」程の衝撃が走り、最上の艦首は完全に潰れてしまった。 戦隊を指揮していた栗田健男少将は「最上前進の見込み立たず。三隈支障なし」と報告。 最上と三隈はトラックへ退避するよう指示すると、無事な鈴谷を連れて離脱していった。 傷ついた最上は応急修理でどうにか航行可能となると、三隈と共に退避を開始。 6月6日、ミッドウェー島から発進した航空機から攻撃されるもどうにか回避し、翌7日には荒潮と朝潮と合流する。 だが米艦載機の攻撃を受け、最上は一番砲塔と四番砲塔、飛行甲板に被弾し炎上。魚雷誘爆の危機に瀕するも、全弾投棄して事なきを得る。 この攻撃で妹・三隈は沈没。最上は三隈の生存者を救助し、6月8日には旗艦愛宕以下の第二艦隊と合流した。 この時、後に最上と共にスリガオ海峡に突入する西村中将の第四水雷戦隊旗艦由良から、激励の信号が送られている。 8月、最上は修理の為に佐世保工廠に入渠。修理を兼ねて、航空巡洋艦へと改造されることとなる。 ちなみに最上型はそれまでの帝国海軍艦艇で最も問題となっていた居住性を本格的に改善した軍艦でもあり、それまで 兵員の寝床といえばハンモック、個人ロッカーも無しが主流だった帝国海軍の艦艇とは打って変わって、兵員にも鉄製 の三段ベッドと個人ロッカーが充てがわれた。さらに冷暖房完備、シャワー室あり、居住区には多数の飲料水缶も装備 と至れり尽くせりな居住設備で、これを超えるのは更に大型の大和型と、最上型から主砲1基を撤去した[[利根]]型のみである。 ([[最上改]]の項目へ続く) ---- 台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|ボクが最上さ。大丈夫、今度は衝突しないって。ホントだよ。|最上はミッドウェー海戦において重巡三隈と、スリガオ海峡海戦において重巡那智と、合計2度の衝突事故を起こしている| |秘書クリック会話①|ん?提督、何?|| |秘書クリック会話②|提督は寂しがり屋だなぁ|| |秘書クリック会話③|あんまりしつこいと、僕、ちょっと怒っちゃうぞ|| |戦績表示時|提督に電文が入っているよ|| |編成選択時|最上、出撃するよ|| |装備時①|うぇ?僕?|| |装備時②|どう?僕に似合っているかな|| |装備時③|僕を強くしてくれるのかい?|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|いえ、衝突の傷じゃ…ないから|| |ドック入り(重傷)|ちょっと、後ろの主砲が壊れてしまったね|| |建造時|新しい仲間が来たね|| |艦隊帰投時|艦隊が帰ってきたね|| |出撃時|僕についてきてよ|| |戦闘開始時|さあ始めるよ、いーい?|| |攻撃時|敵艦発見、撃てェ!|| |夜戦開始時|衝突しないようにしないと|| |夜戦攻撃時|来るなら来い|| |MVP時|僕が一番なの?ふーん、そう…ま、素直に嬉しいよ、ありがとう!|| |被弾小破①|痛ったたた…|| |被弾小破②|痛ったた…!僕を怒らせたね…!|| |被弾カットイン|くぅ!これじゃあ戦闘続行は難しいよ…|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):ボクも沈むんだね…仕方ないか…|| ---- コメント ---- - ドック入り中破時「ちょっと、後ろの主砲が壊れてしまったね」 -- 名無しさん (2013-06-06 01:22:20) - 改造時セリフ「これをこうして使うのかァへぇ~」 -- 名無しさん (2013-07-01 14:12:26) - 秘書クリック会話(改)「航空甲板が気になるのかい?」 -- 名無しさん (2013-07-13 18:26:40) - 「提督、僕に何か用?」 -- 名無しさん (2013-07-13 18:27:45) - 轟沈時「僕でも沈むことがあるんだね・・・」 -- 名無しさん (2013-07-25 14:56:40) - 建造270/30/330/130での出現を確認、提督lv17 -- 名無しさん (2013-07-26 14:41:41) - 250/30/200/30で確認、提督レベル12 -- 名無しさん (2013-07-30 18:25:08) - 口調のせいでアンパンマンとしか思えない -- 名無しさん (2013-08-01 01:32:54) - 改装せずにまんまで運用するのが正解なんですかね -- 名無しさん (2013-08-03 05:32:14) - ボクっ娘かわいいなあ -- 名無しさん (2013-08-09 14:08:20) - う~ん、この戦犯 -- 名無しさん (2013-08-21 23:52:33) - ↑3組んでる艦隊による。空母を主力としてるなら航巡にしたほうがいいよ -- 名無しさん (2013-08-22 00:12:33) - 戦艦建造でやたら出てくる印象。うーん、この -- 名無しさん (2013-08-23 07:52:06) - 五月雨を 集めてはやし…これ芭蕉だっけ? -- 名無しさん (2013-08-27 00:36:41) - 米軍からオーパーツと好評だった酸素魚雷の恐怖の射程距離の逸話で必ず最上が出るよね。外した魚雷が遠方で友軍船5隻に命中ってw -- 名無しさん (2013-08-30 03:42:59) - 最上は伊達じゃない! -- 名無しさん (2013-08-30 20:05:18) - アンパンマンワラタ -- 名無しさん (2013-08-31 00:48:14) - 「衝突禁止!」 -- 名無しさん (2013-09-01 09:22:35) - 見た目ボーイッシュだけど、性格は艦これで五指に入るほど善い女の子だと思う。 -- 名無しさん (2013-09-01 21:29:05) - (250/30/200/30)de -- 名無しさん (2013-09-06 09:34:01) - ↑最上んマジ天使だから -- 名無しさん (2013-09-06 09:39:40) - 建造270/30/330/130での出現を確認、提督lv4 -- 名無しさん (2013-10-03 23:44:39) - 2-2ボスでの出現を確認、提督lv21 -- 名無しさん (2013-10-21 21:16:47) - ALL30でもドロップできるぞ -- 名無し (2013-11-11 23:19:14) - 台詞一覧に「僕」と「ボク」が混在しておる… -- 名無しさん (2013-11-23 22:14:19) - 僕、ちょっと怒っちゃうぞで轟沈不可避 -- 名無しさん (2014-01-03 17:25:53) - 女は愛嬌って彼女のことだよな。僕っ子だけど。 -- 名無しさん (2014-01-10 08:10:25) - ひだまりスケッチにいるな・・・ -- 名無しさん (2014-01-27 02:27:39) - アンパンマンより、マギのアラジンに似てる -- 名無しさん (2014-05-25 01:25:26) - ああ・・・ああ・・・すまない最上・・・慢心した・・・ -- 名無しさん (2014-06-18 04:23:40) - なお、軽巡から重巡への強化は「一回に撃てる砲弾の数が減って派手さが低下した」と不評だった模様。これは最上四姉妹共通だが -- 名無しさん (2014-08-20 22:25:42) - アンパンマンの性格はもっと落ち着いてるし、こんなに子供っぽくないんだよなぁ…映画見たらわかるけど、もはや仙人レベル -- 名無しさん (2014-10-14 00:15:45) #comment
#image(No051.jpg) #contents ---- *CV ---- 洲崎綾 ---- *Illustrator ---- しばふ *史実情報 ---- #image(mogami.jpg) 戦艦に次ぐ戦力として重巡の整備を進めていた日本海軍だが、ロンドン軍縮条約より巡洋艦の保有制限が施行。 日本海軍は高雄型までで重巡の枠を使い切った為、軽巡の整備を決意。重巡と同程度の能力を求めた。 とはいえ、重巡レベルの軽巡など簡単にできるものではない。 そこで日本海軍は「条約失効したら主砲換装すればいいんじゃね?」という考えに至った。 ここに、日本海軍は8500トンの軽巡四隻の建造を決定。 船体トン数が8500トンでも、主砲が15.5センチなら軽巡だろうという理屈である。 とはいえ、能力は重巡クラスが必須。主砲は15.5センチでも、搭載する魚雷は61㎝酸素魚雷で、防御も対20.3㎝砲クラスが求められた。 だが「重巡並の重武装の軽巡」と言うべき最上型は米英海軍を震撼させ、米英に対最上型用の重武装軽巡を建造させたのである。 なお、名目上最上型は[[天龍]]・[[球磨]]型の代替艦であった。 こうして、一番艦となる最上は1931年に呉工廠で起工した。 だが、進水直前の1934年に友鶴事件が発生。復元力向上を図る改善工事が行われた。 さらに1935年の完成前テストでは、当時発展途上だった電気溶接を多用した船体にひずみが発生。改正工事を行う。 同年7月28日に竣工するも、追い打ちをかけるように第四艦隊事件に遭遇。船体の強度不足から改正工事を行った。 翌年、日本は軍縮条約の脱退を宣言し、条約は失効。最上姉妹は「予定通り」1939年から主砲の換装を実施。 1940年には、全艦立派な重巡洋艦へと変身した。なお、米国がこの事実に気づくのは1942年6月である。 対米戦が始まると、最上は姉妹で第七戦隊を編成。南方瀬苦戦や蘭印作戦に従事した。 1942年3月1日、最上は三隈と共にバダビア沖海戦に参加。米重巡ヒューストン、豪軽巡パースを撃沈した。 同じ頃、陸軍第16軍を乗せた輸送船団は突如魚雷攻撃を受け、護衛の掃海艇と輸送船が轟沈、3隻の輸送船が大破着底した。 大破着底した輸送船には、第16軍司令・今村均陸軍中将の船も含まれており、中将は海面に投げ出され3時間後に救助された。 船団は直ちに敵影を探るが、あたりに敵影はなかった。海軍は海戦後すぐに調査を開始。 検証の結果、最上の発射した魚雷が流れ弾となった可能性が浮上。現場海域から酸素魚雷の破片が見つかったことで、決定的となった。 船団護衛を行っていた第三護衛隊司令部一同は、今村中将に謝罪。 中将は謝罪を快く受け入れるばかりか、先立っての海戦の快勝と海軍の面目を慮り、 「敵魚雷艇の攻撃だったということにしよう」と同士討ちの事実隠蔽を提案したという。 この後も、最上はインド洋での通商破壊、セイロン島沖海戦に参加した。 続くミッドウェー海戦では、機動部隊とは離れた別同部隊である第二艦隊として参加。 4空母を失った日本海軍は、夜戦による米機動部隊撃滅を目指し、第二艦隊にミッドウェー島への夜間攻撃を命令。 第二艦隊は第七戦隊を派遣。だが直後に作戦は中止され、最上たちは反転する。 合流地点へ急ぎ向かう最中、戦隊は右舷前方に潜水艦を発見。戦隊旗艦の熊野は、左45度一斉回頭を命じた。 ところが、直後に熊野は再び左45度一斉回頭を命令。 結果として左90度回頭を求めたのだが、後続の三隻は混乱。玉突き事故は回避されたものの、最上は三隈の左舷中部に突っ込んでしまう。 互いの乗員が「被雷したと思った」程の衝撃が走り、最上の艦首は完全に潰れてしまった。 戦隊を指揮していた栗田健男少将は「最上前進の見込み立たず。三隈支障なし」と報告。 最上と三隈はトラックへ退避するよう指示すると、無事な鈴谷を連れて離脱していった。 傷ついた最上は応急修理でどうにか航行可能となると、三隈と共に退避を開始。 6月6日、ミッドウェー島から発進した航空機から攻撃されるもどうにか回避し、翌7日には荒潮と朝潮と合流する。 だが米艦載機の攻撃を受け、最上は一番砲塔と四番砲塔、飛行甲板に被弾し炎上。魚雷誘爆の危機に瀕するも、全弾投棄して事なきを得る。 この攻撃で妹・三隈は沈没。最上は三隈の生存者を救助し、6月8日には旗艦愛宕以下の第二艦隊と合流した。 この時、後に最上と共にスリガオ海峡に突入する西村中将の第四水雷戦隊旗艦由良から、激励の信号が送られている。 8月、最上は修理の為に佐世保工廠に入渠。修理を兼ねて、航空巡洋艦へと改造されることとなる。 ちなみに最上型はそれまでの帝国海軍艦艇で最も問題となっていた居住性を本格的に改善した軍艦でもあり、それまで 兵員の寝床といえばハンモック、個人ロッカーも無しが主流だった帝国海軍の艦艇とは打って変わって、兵員にも鉄製 の三段ベッドと個人ロッカーが充てがわれた。さらに冷暖房完備、シャワー室あり、居住区には多数の飲料水缶も装備 と至れり尽くせりな居住設備で、これを超えるのは更に大型の大和型と、最上型から主砲1基を撤去した[[利根]]型のみである。 ([[最上改]]の項目へ続く) ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|ボクが最上さ。大丈夫、今度は衝突しないって。ホントだよ。|最上はミッドウェー海戦において重巡三隈と、スリガオ海峡海戦において重巡那智と、合計2度の衝突事故を起こしている| |秘書クリック会話①|ん?提督、何?|| |秘書クリック会話②|提督は寂しがり屋だなぁ|| |秘書クリック会話③|あんまりしつこいと、僕、ちょっと怒っちゃうぞ|| |戦績表示時|提督に電文が入っているよ|| |編成選択時|最上、出撃するよ|| |装備時①|うぇ?僕?|| |装備時②|どう?僕に似合っているかな|| |装備時③|僕を強くしてくれるのかい?|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|いえ、衝突の傷じゃ…ないから|| |ドック入り(重傷)|ちょっと、後ろの主砲が壊れてしまったね|| |建造時|新しい仲間が来たね|| |艦隊帰投時|艦隊が帰ってきたね|| |出撃時|僕についてきてよ|| |戦闘開始時|さあ始めるよ、いーい?|| |攻撃時|敵艦発見、撃てェ!|| |夜戦開始時|衝突しないようにしないと|| |夜戦攻撃時|来るなら来い|| |MVP時|僕が一番なの?ふーん、そう…ま、素直に嬉しいよ、ありがとう!|| |被弾小破①|痛ったたた…|| |被弾小破②|痛ったた…!僕を怒らせたね…!|| |被弾カットイン|くぅ!これじゃあ戦闘続行は難しいよ…|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):ボクも沈むんだね…仕方ないか…|| ---- *同型艦 ---- &bold(){最上}([[最上改]]) ― [[三隈]]([[三隈改]]) ― [[鈴谷]]([[鈴谷改]]) ― [[熊野]]([[熊野改]]) ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=最上/コメント)

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