Bismarck

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島田フミカネ

史実情報

第二次大戦中にドイツ海軍が唯一保有した2隻の戦艦の1隻である。
艦名は『鉄血宰相』の異名を持つドイツ帝国初代宰相オットー=フォン=ビスマルク候爵にちなみ、ビスマルク候の名前を冠した艦としては四代目*1

ビスマルク級は通商破壊艦隊を敵国艦隊から援護、もしくは敵艦隊の抑止を目的として、当初から英仏艦隊との艦隊決戦を想定した作りで設計・建造された戦艦である。
ドイツ海軍の通商破壊専用艦『ポケット戦艦』に対抗し、フランスがダンケルク級戦艦を建造したため建造が急がれ、ビスマルク級は或る戦艦の設計を流用し、設計期間を短縮することとした。
ビスマルクの設計の下敷きとなった『或る戦艦』とは第一次大戦期にドイツ帝国海軍が保有した、38.1cm砲装備戦艦『バイエルン』級戦艦である。
ヴェルサイユ条約により戦艦の新造を長らく禁じられていたドイツ海軍としてはユトランド海戦以前に建造されたこのクラスを参考にせざるを得なかったのだ。
このためビスマルク級は『新しい旧式艦』という嬉しくないアダ名を頂戴することにもなった。

艦の特徴としては、防御区画が石炭焚きが主流だった時代の石炭庫を防御に活用した部分が残される、水中防御が他国の戦艦に比べてお粗末な物だったなど、バイエルン級由来の時代錯誤な設計が一部に残っていた。
だが想定された主要戦場である北海での近距離砲撃戦に特化した設計と、特殊鋼板『ヴォタン』を配した強固な装甲を持つビスマルク級は、最適な条件下では非常にタフな戦艦であったとされている。
主砲は英仏の新型戦艦に対抗した38.1cm砲を採用。射撃指揮装置や観測装置は精密機器や光学装置に強いドイツならではの新鋭機器がいくつも用いられていた。
機関には蒸気圧55気圧のヴァーグナー式高温高圧缶とブローム・ウント・フォス製タービン3基を使用。狭いキール運河での運用を考え小回りの利く三軸推進を用いた。
この高出力機関はビスマルク級の巨体を30ktの速力まで引っ張る力を有し、ビスマルク級が高速戦艦たる所以を築いたのである。
だがこの高温高圧缶が非常に難物で、より低出力の50気圧缶を採用した前級シャルンホルスト級でもさんざん扱いに苦労したシロモノであった。
信頼性はシャルンホルスト級より向上していたようだが、機関の信頼性は日本海軍の戦艦よりは低い*2
なおドイツ海軍はあくまでビスマルク級・シャルンホルスト級は戦艦建造の習作であり、本命は次のH級戦艦やO級巡洋戦艦を予定していた。
だが第二次大戦が予想していたよりも早く始まったため、ドイツ海軍は習作のビスマルク級やシャルンホルスト級を主力戦艦として戦わざるを得なかったのである。


ビスマルクは1936年7月1日にハンブルクのブローム・ウント・フォス社造船所で起工。
1939年2月14日にビスマルク候爵の孫娘の立ち会いのもと進水、第二次大戦勃発後の1940年8月24日に晴れて就役した。
だが就役後も各種工事は平行して続けられており、キール運河閉塞や厳冬による機関の不調なども相まって翌年の3月まではハンブルグにとどまらざるを得なくなった。
この間も訓練は続けられたものの、初陣の時点では本格的な洋上訓練は不十分であったとされている。

初陣にして最後の出撃となったのは1941年5月18日からのライン演習作戦である。
この作戦ではドイツ海軍の所有する艦隊決戦戦力を結集し、通商破壊作戦を仕掛けて英国本土の補給ラインを寸断することを主目的とされた。
だが作戦開始前に巡洋戦艦シャルンホルストが機関不調を起こし不参加を決定、巡洋戦艦グナイゼナウもまたフランスのブレスト港内で英軍の爆撃にあい長期修理を余儀なくされ不参加。
ビスマルクの姉妹艦である戦艦ティルピッツはまだ未完成かつ訓練が不十分だと不参加を表明し、結局当作戦はビスマルクと重巡プリンツ・オイゲンのみが参加することとなったのである。
この少ない戦力での出撃にヒトラーは難色を示したというが、この機を逃せばこれ以降状況が悪化するとのエーリヒ=レーダー海軍元帥の強い主張に押され、やむなく2隻の出撃を決定。
シャルンホルスト級2隻により行われた先の通商破壊作戦『ベルリン作戦』同様この作戦も成功するものと思われたが、5月23日、2隻はデンマーク海峡で英国巡洋艦ノーフォークとサフォークに捕捉される。
この2隻の通報を受けた英国海軍はすぐさま巡洋戦艦フッドと戦艦プリンス=オブ=ウェールズ、駆逐艦4隻からなる艦隊をスカパ・フロー泊地から出動させた。
翌24日早朝に英艦隊はグリーンランド沖にてビスマルクとオイゲンを捕捉し、これと交戦。
2隻の英戦艦に対して主砲で応戦したビスマルクは追い詰められながらも次々正確な射撃を繰り出し、交戦から8分後、ついにフッドに対して命中弾を与えた。
フッドを貫いた命中弾はそのままフッドの薄い水平装甲を貫き、後部弾薬庫に直撃*3
英国海軍の象徴『マイティ・フッド』は砲弾命中からものの数分で大爆発を起こしながら沈んでいった。
残ったウェールズも無事ではなく、ビスマルク主砲弾が艦橋に命中し、艦首脳部が艦長を残し全滅の憂き目にあい、撤退せざるを得なくなってしまった。
これが5月24日に発生したデンマーク海峡海戦の顛末である。

戦艦2隻を相手取って辛くも生き残り、『マイティ・フッド』撃沈の大戦果を上げたビスマルクであったが、彼女もまたまったくもって無事というわけではなかった。
英戦艦の攻撃でビスマルクも燃料タンクを損傷しており、とても通商破壊作戦に望むには燃料が足りなかったのである。
そのためライン演習作戦はここで中断。ビスマルクは損傷箇所の修復のためにフランスの港湾に向かうこととした。

だがビスマルクの脅威を英国海軍が放置するわけもなく、フッドの復讐の意趣も込めて英海軍は大西洋に配備中の全大型艦艇*4を動員し、ビスマルクの追撃を行った。
24日の夜間には航空母艦ヴィクトリアスから発艦した夜間攻撃隊の襲撃を受けるものの、ほぼ無傷でこれを退けることに成功した。
翌日25日にはウェールズのレーダー探知圏を持ち前の高速力と大回頭で振り切ったのだが、ビスマルクの幸運もここで終わることとなる。

続く5月26日、ビスマルクは地中海艦隊から応援のために呼び寄せられた空母アーク・ロイヤルの第二次攻撃隊*5が放った雷撃でスクリューと舵機室を破壊される。
この瞬間ビスマルクは速度が低下、更には操舵が不能という最悪の状況に陥る。つまり二度とビスマルクは港に帰ることが出来なくなったのだ。
その日の深夜にも果敢に接触を試みたトライバル級駆逐艦からなる駆逐隊を正確な砲撃で追い払いつづけたが、ビスマルクの命運は翌日遂に尽きることとなった。

5月27日早朝、英国海軍本国艦隊の部隊が遂にビスマルクを捕捉。
長門陸奥とともにビッグ7に数えられた40cm砲搭載艦ロドネイと新鋭戦艦キングジョージⅤ世、さらに巡洋艦ノーフォークおよびドーセットシャーがビスマルクに対し戦端を開いた。
荒れ狂う戦艦と重巡の主砲弾の嵐の中でビスマルクは果敢に反撃を試みるものの、あまりにも多勢に無勢。測距儀や観測装置を英海軍の砲撃で次々破壊され、会戦から1時間もせずしてビスマルクの上部構造物は廃墟と化した。
だが死の船と化し、完全に戦闘能力を失った後でもしぶとくビスマルクは浮き続けた。ビスマルク副長はこの時自沈を命令したが、キングストン弁の開放作業は行われる事は無かったという。
英国海軍は浮き続けるビスマルクに対してドーセットシャーに雷撃処分を命令。
ドーセットシャーのはなった雷撃はそのままビスマルクに命中し、5月27日10時40分、4日に及ぶ追撃戦の末にビスマルクはフランスのブレスト港西方650kmの水底に姿を消したのであった。

ビスマルクそのものは撃沈されたものの、彼女が英国海軍に与えたショックは非常に大きいものであった。
ビスマルク追撃戦での大盤振る舞いは英東洋艦隊へ配備する予備兵力を喪失させ、ウェールズはビスマルク追撃戦における不調を癒やせないままに対日戦に参戦することとなる。
さらに『北海の孤独な女王』こと2番艦ティルピッツは6t爆弾の直撃で沈むまで、英国の援ソ船団の最大の脅威して英国海軍とチャーチル首相の頭痛の種であった。

台詞一覧


状況 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
自己紹介 Guten Tag.私はビスマルク型戦艦のネームシップ、ビスマルク。よおく覚えておくのよ。 Guten Tag(グーテンターク)=こんにちは
秘書クリック会話① Gut. 私、ビスマルクの出番ね。
秘書クリック会話② 気安いわね。どうしたの。
秘書クリック会話③ 提督、貴方の艦隊は少し規律が緩んでいるようね。私が一から教えてあげるわ。
戦績表示時 どうなの?状況は好転してる?
編成選択時 戦艦ビスマルク、抜錨!出撃するわ!
装備時① 良いわね。Danke. Danke(ダンケ)=ありがとう。
装備時② Danke schön! Danke schön(ダンケシェーン)=ありがとう。Dankeより丁寧
装備時③ Danke.
(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)
補給時 ありがとう。これでまた戦えるわ。
ドック入り 少し艤装の修理が必要ね。
ドック入り(重傷) ごめんなさい、少し休むわ。後は頼むわね。
建造時 新しい艦が就役したようね。
艦隊帰投時 作戦終了、艦隊が母港に帰還したわ。
出撃時① 戦艦ビスマルク、抜錨!出撃するわ!
出撃時② ビスマルクの戦い、見せてあげるわ!
戦闘開始時 艦隊戦か・・・腕が鳴るわね!
攻撃時 艦隊戦か・・・腕が鳴るわね!
夜戦開始時 逃がさないわよ・・・甘く見ないで!
夜戦攻撃時 Feuer! Feuer!=発射!
MVP時 私が一番ですって?何言ってるの、あたりまえじゃない。良いのよ?もっと褒めても。 褒めてあげたいです。
被弾小破① ぐぅっ!
被弾小破② やるわね・・・!
被弾カットイン やられた・・・!舵は!?舵は大丈夫!?・・・なら、まだやれるわね・・・これからよ! 空母アーク・ロイヤルの第二次攻撃隊によって操舵室を破壊されたことによるものか。
轟沈時(反転) ---

時間 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
00:00 深夜零時。少し眠いわね。 彼女はドイツ出身なので、日本式の時刻発音はしないようだ。
01:00 午前一時。提督、そろそろ寝ないの?
02:00 午前二時。ふわぁ~・・・っ、私もさすがに眠いわ・・・
03:00 午前三時。明日ちゃんと起きられるの?朝は時間厳守でお願いね?
04:00 午前四時。私はちょっと仮眠するわ。完徹はお肌に良くないし。
05:00 朝五時よ。さあ、ピシッと起きて!Guten Morgen! Good Morning(グーテンモーゲン)=おはよう。
06:00 朝六時。提督、さあ、いろいろ朝のうちに片付けてしまいましょう!
07:00 午前七時。提督、朝食の時間よ。私には何をご用意して頂けるの?
08:00 午前八時。提督の作ってくれた朝食もなかなか良いわ。日本式も悪くないわね。 それは何よりで。
09:00 午前九時。さあ、今日も通商破壊戦に繰り出しましょう!・・・え、違うの? ドイツ海軍では通商破壊作戦を重視していた。
が、旧日本帝國海軍は艦隊同士での殴り合いを想定した「艦隊決戦」を重視していた。
10:00 午前十時。金剛?長門?いえ、知らないわ。誰?強いの? 金剛はともかく、長門は世界のBIG7の一人です。強いです。
11:00 十一時よ。・・・大和クラス?・・・なんか手強い感じはするわね。会ってみたいわ。 大和に関しては比にならないと思われる。
12:00 十二時を私がお知らせするわね。さあ、お昼を用意してきても良いのよ?
13:00 午後一時。あら、見慣れた艦型の駆逐艦もいるのね。あの子たち知ってるわ。 Z1かZ3かと思われる。
14:00 午後二時。シャルンもどこかに来ているのかしら。また、会ってみたいわね。 シャルンは同じくドイツ海軍の戦艦「シャルンホスト」の事。
神出鬼没な活躍から、「幽霊戦艦」と言われた((不思議な逸話が多いが、その多くは戦後に出された出典の怪しいテクストによる))。実装をお待ちしています。
15:00 午後三時よ。甘いものを少し食べたいわね。ねえ提督、聞いてる? 聞いてます。
16:00 午後四時。そろそろ夕方ね。今日の所はこのくらいにしておくの?
17:00 午後五時。はぁ~、今日も疲れたぁ。さあ、一段落したら今日もおしまいにしましょう?
18:00 午後六時。そろそろ夕食ね。提督、どんなメニューをお持ち頂けるの?
19:00 午後七時です。提督のザワークラウト、変な味ね。・・・え、これお漬け物っていうの? ザワークラウトはドイツの御漬け物。
キャベツを発酵させて作る。
20:00 午後八時。すっかり夜ね・・・。私、お肌に良くないから、夜戦とかしないわよ? 余談ながら第一次大戦後、小沢治三郎提督は英独両国の海軍軍人に対して「なんでユトランド海戦ではお互い夜戦避けたんですか?夜戦したらもっと戦果上げられたのに」と質問したとされている。
日本海軍の夜戦バカっぷりを象徴するエピソードである。
21:00 夜九時。ふぅ~ん、日本の戦艦ってブリッジが高いのね。あの姉妹、凄いわ。 日本の戦艦でブリッジ(艦橋)が高いのは言うまでもなく、扶桑山城姉妹。
ただの違法建ちk(ry
22:00 夜十時よ。私、そろそろ休ませてもらうわね。
23:00 午後十一時。提督、まだやってるの?Gute Nacht. Gute Nacht.(グーテナハト)=お休みなさい
放置時 もう~!この私を放置するなんて、貴方も相当偉くなったものね!出撃とか演習とか付き合ってあげたっていいのよ!?


コメント

最新の30コメントを表示しています。
  • とりあえず、ビスマルクの記事が全くなかったので、基本事項だけでもいいから作成しました。このwikiはもうちょっと活発力が欲しい所ですね。 -- 新人史実編纂家 (2014-04-12 11:51:39)
  • ↑情報漏洩以降、記事更新がめっきり少なくなりましたもんね… -- 名無しさん (2014-04-14 19:59:47)
  • 2 -- 名無しさん (2014-04-23 14:16:21)
  • 一応簡単にですが史実編纂いたしました。 -- 名無しさん (2014-04-24 21:30:33)
  • 日本の戦艦を見慣れてると違和感半端ない外見だなぁ。ヨーロッパは現代のミサイル艦でも日米と外見大分違うけど -- 名無しさん (2014-04-24 23:05:16)
  • 日本は見晴らしの良い太平洋で敵艦を早期発見するために艦橋が高くなった。逆に独戦艦は霧が年中かかって視界の悪い北海でなるべく敵に見つからないように艦橋を低くして「身を伏せて」いた。 -- 名無しさん (2014-09-29 13:41:26)
  • ↑ 加えて、世界第一位相手とはいえ世界第三位かつ西太平洋からインド洋にかけて王者だった日本海軍と違い、独海軍はまともにぶつかれば敗北しかない規模の英海軍が相手だったので、運用思想が分かれるのも当然。 -- 名無しさん (2014-10-02 18:43:02)
  • dreiの記事はないんですか? -- 名無しさん (2014-11-19 07:46:21)
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最終更新:2015年01月30日 05:47

*1 初代はビスマルク級コルベット『ビスマルク』。二代目はフュルスト・ビスマルク級装甲巡洋艦『フュルスト・ビスマルク』。三代目はマッケンゼン級巡洋戦艦の『フュルスト・ビスマルク』(未完成)。いずれもドイツ帝国海軍の艦

*2 日本海軍の大和型は機関の信頼性や冗長性を高めるために、逆にわざと低圧缶を使用していた

*3 積み上げられた即応弾薬に引火したと言う説もある

*4 戦艦7隻空母2隻含む47隻。戦艦1隻を相手にする数でないのは確か

*5 雷撃を敢行したのは『英国面の体現』として有名な傑作複葉雷撃機、フェアリー・ソードフィッシュ