古鷹

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#image(No052.jpg) ---- *CV ---- 大坪由佳 ---- *Illustrator ---- 絵師 ---- *史実情報 ---- 進水:1925年2月25日 戦没:1942年10月12日(1942年11月10日除籍) #image(Furutaka.jpg) 1926年3月、三菱造船長崎造船所にて竣工した大型巡洋艦。 艦名となった古鷹山は海軍兵学校のある広島県江田島市の山で、霊山の名前が冠せられる場合の多い一等巡洋艦では異端。 なお本人は重巡であることを誇ってるが、開発当時は重巡という概念がなく、コンセプト的には&bold(){『ちょっとデカくて強い軽巡』} という認識の方が正しい艦である。 設計当時、巡洋艦と言うのは艦隊の目として艦隊前縁を単艦にて航行し、索敵・哨戒を行うための艦種であった。 艦隊決戦における情報戦の要であり、最も会敵の可能性が高い軽巡洋艦は、そのために高い攻撃力を有する必要があった。 小型かつ貧弱な[[天龍]]型を置き換えた5500t型巡洋艦は優れた性能を持つ艦であったが、15.2cm砲12門を備えるアメリカ海軍の オマハ級巡洋艦や、19.1cm砲7門を備えるイギリス海軍のホーキンス級巡洋艦などの強力な巡洋艦が出現すると、その性能にも 遜色が目立つようになる。 そこでこれらの巡洋艦に対抗すべく、平賀譲造船官の手により設計された巡洋艦が古鷹型であり、同じ氏の成果物である[[夕張]]の発展拡張形である。 排水量10,000トン未満にも拘らず、6門の20cm砲と下手な装甲巡洋艦並の砲撃能力を備えながら、転覆もせず、良好な航行性能を 両立していたことは、列強各国に衝撃を走らせた。 一説には、古鷹型や続く青葉・妙高型の性能の高さが、後のロンドン軍縮会議における巡洋艦制限へつながったとさえ言われている。 (ちなみに帝国海軍の特徴とも言えるゆるいS字を描いた艦首・ダブルカーヴドバウの本格的な採用も古鷹型・睦月型からであった) #image(Furutaka2.jpg) 当初は前述のとおり20cm単装砲6門を備えた設計であったのだが、この単装砲は重量を抑えるために人力揚弾・人力装填を用いていた。 そのため砲撃時の効率が悪く、即応弾を撃ち切ると100kg近い弾薬を弾薬庫から兵員がリレーして運ぶ必要があり、即応弾を撃ち切った 際には砲撃速度が低下する欠点があった。 そのため1936年からの大改修で準同型の「[[青葉]]」型に搭載されているものと同様の20.3cm連装砲3基に変更された。 またこの時欠陥の多かった艦体内蔵型の水上魚雷発射管も撤去され、甲板上に最新の九三式酸素魚雷が発射可能な四連装魚雷発射管 が装備。水上偵察機とその発射機などの航空兵装も施され、全体的な艦影は準同型艦の「[[青葉]]」型に近いものとなった。 太平洋戦争においては、日本海軍第八艦隊に所属。重巡・青葉を旗艦とする第六戦隊の一隻となり、 第一次ソロモン海戦において敵重巡4隻を撃沈する大戦果を記録する。 1942年10月11日夜。 第六戦隊は、敵飛行場砲撃のためガダルカナル島沖へと進出したところ、未確認の艦影と遭遇する。 旗艦・[[青葉]]は、それを近海で輸送作業に従事している水上機母艦『日進』『[[千歳]]』であると思い込み、暗闇に向けて無防備に発光信号を放った。 それが、後の世に語られるサボ島沖海戦の始まりであった。 状況確認もままならないうちに集中砲火を浴びた青葉は、あっという間に艦橋に直撃弾を受け首脳全滅、続けて第二砲塔が被弾により使用不能になる。 それを間近で見ていた古鷹は、青葉を轟沈させまいと、猛烈な反撃をしつつ射線上へと船体を割り込ませる。 古鷹の判断は功を奏し、青葉は夥しい被害を出しながらも後退。戦線の離脱に成功する。 しかし、古鷹は前線に取り残される形となった。 青葉を護るためその身を躍らせていたことに加え、敵艦隊に向けて照射した探照灯の光が、敵の視線を釘付けにしてしまったのだ。 雨あられと降り注ぐ弾丸で、まず、サーチライトが吹き飛んだ。ついで艦の各所に火の手が上がり、小柄な古鷹の船体は、瞬く間に灼熱の炎に包まれてしまった。 それでも古鷹は止まらなかった。 全身が炎上し、最後の命を燃やし尽くすかのような壮絶な火の玉と化してもなお、砲撃をやめることなく敵艦隊へと突進。 古鷹の、命をかけた攻撃は、敵軽巡『ボイシ』へと殺到。大火災と浸水を巻き起こし、同艦を轟沈寸前にまで追い込んだ。 だが、22時40分。 計90発以上の直撃弾を受けた満身創痍の船体は、ついにその鼓動を止め、航行不能となってしまう。 戦闘終了後の翌未明。古鷹は、洋上に浮かんでこそいたものの、修理はもはや不可能で、手の施しようのない状態であった。 12日0時28分、沈没。 旗艦・青葉の無事を引き換えにしての最期であった。 余談であるが、小さな船体に無茶な武装を施しているせいで、姉妹艦の[[加古]]ともども居住性は後続の重巡に比べれば良くなかった。 だがそれでも従来の5500t型軽巡よりずっと居住性が良かったとも言われている。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|古鷹といいます。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。|古鷹の設計思想は日本重巡の基礎となった| |秘書クリック会話①|ここはとてもいい部隊ですね|人による| |秘書クリック会話②|次の作戦海域の資料を、見せてもらってもいいですか?|| |秘書クリック会話③|提督慌てないで。大丈夫です|| |戦績表示時|提督にお知らせがあるようですよ|| |編成選択時|重巡古鷹、出撃します!|| |装備時①|三川艦隊の仲間にも、自慢できちゃいます|第一次ソロモン海戦では三川軍一中将率いる第8艦隊に所属| |装備時②|これなら夜戦もバッチリです!|| |装備時③|やったね!|| |>|>|(修復剤使用は②と共通、資材発見時は③と共通)| |ドック入り|兵装の手入れをしてきますね|| |ドック入り(重傷)|先日の戦闘で、少し無茶しちゃいましたね|| |建造時|新しい艦が建造されました|| |艦隊帰投時|作戦完了です。お疲れ様!|| |出撃時|敵輸送艦を捕捉。撃破したいですね|第一次ソロモン海戦時の目的は敵輸送船撃破であった| |戦闘開始時|左弦、砲雷撃戦用意!|| |攻撃時|主砲狙って……そう、撃てぇー!|| |夜戦開始時|私、夜戦は得意なんだから!|第一次ソロモン海戦での活躍に因む| |夜戦攻撃時|加古は大丈夫?|第一次ソロモン海戦の帰途、加古が米潜水艦S-44の魚雷攻撃を受け沈没| |MVP時|私たちの役割がたまたま目立っただけなんです。これが、重巡洋艦なんですよ。|| |被弾小破①|予測の範囲内です!|| |被弾小破②|やだ…何…?潜水艦…!?|現状を把握できていないようなニュアンスから、おそらく加古沈没時との関連| |被弾カットイン|やっちゃった…まだ、沈まないよ|サボ島沖海戦で大破炎上したものの、戦闘終了まで沈まなかったため?/また、左目≒探照灯を閉じているのは、最後の戦いとなったサボ沖海戦において真っ先(青葉第三砲塔自爆の直前)にサーチライトを破壊されたため。| |撃沈時(反転)|COLOR(white):加古、ごめんね…先にいくね…|| ---- *同型艦 &bold(){古鷹}([[古鷹改二]]) ― [[加古]] ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=古鷹/コメント)
#image(No052.jpg) ---- *CV 大坪由佳 ---- *Illustrator 絵師 ---- *史実情報 進水:1925年2月25日 戦没:1942年10月12日(1942年11月10日除籍) #image(Furutaka.jpg) 1926年3月、三菱造船長崎造船所にて竣工した大型巡洋艦。 艦名となった古鷹山は海軍兵学校のある広島県江田島市の山で、霊山の名前が冠せられる場合の多い一等巡洋艦では異端。 なお本人は重巡であることを誇ってるが、開発当時は重巡という概念がなく、コンセプト的には&bold(){『ちょっとデカくて強い軽巡』} という認識の方が正しい艦である。 設計当時、巡洋艦と言うのは艦隊の目として艦隊前縁を単艦にて航行し、索敵・哨戒を行うための艦種であった。 艦隊決戦における情報戦の要であり、最も会敵の可能性が高い軽巡洋艦は、そのために高い攻撃力を有する必要があった。 小型かつ貧弱な[[天龍]]型を置き換えた5500t型巡洋艦は優れた性能を持つ艦であったが、15.2cm砲12門を備えるアメリカ海軍の オマハ級巡洋艦や、19.1cm砲7門を備えるイギリス海軍のホーキンス級巡洋艦などの強力な巡洋艦が出現すると、その性能にも 遜色が目立つようになる。 そこでこれらの巡洋艦に対抗すべく、平賀譲造船官の手により設計された巡洋艦が古鷹型であり、同じ氏の成果物である[[夕張]]の発展拡張形である。 排水量10,000トン未満にも拘らず、6門の20cm砲と下手な装甲巡洋艦並の砲撃能力を備えながら、転覆もせず、良好な航行性能を 両立していたことは、列強各国に衝撃を走らせた。 一説には、古鷹型や続く青葉・妙高型の性能の高さが、後のロンドン軍縮会議における巡洋艦制限へつながったとさえ言われている。 (ちなみに帝国海軍の特徴とも言えるゆるいS字を描いた艦首・ダブルカーヴドバウの本格的な採用も古鷹型・睦月型からであった) #image(Furutaka2.jpg) 当初は前述のとおり20cm単装砲6門を備えた設計であったのだが、この単装砲は重量を抑えるために人力揚弾・人力装填を用いていた。 そのため砲撃時の効率が悪く、即応弾を撃ち切ると100kg近い弾薬を弾薬庫から兵員がリレーして運ぶ必要があり、即応弾を撃ち切った 際には砲撃速度が低下する欠点があった。 そのため1936年からの大改修で準同型の「[[青葉]]」型に搭載されているものと同様の20.3cm連装砲3基に変更された。 またこの時欠陥の多かった艦体内蔵型の水上魚雷発射管も撤去され、甲板上に最新の九三式酸素魚雷が発射可能な四連装魚雷発射管 が装備。水上偵察機とその発射機などの航空兵装も施され、全体的な艦影は準同型艦の「[[青葉]]」型に近いものとなった。 太平洋戦争においては、日本海軍第八艦隊に所属。重巡・青葉を旗艦とする第六戦隊の一隻となり、 第一次ソロモン海戦において敵重巡4隻を撃沈する大戦果を記録する。 1942年10月11日夜。 第六戦隊は、敵飛行場砲撃のためガダルカナル島沖へと進出したところ、未確認の艦影と遭遇する。 旗艦・[[青葉]]は、それを近海で輸送作業に従事している水上機母艦『日進』『[[千歳]]』であると思い込み、暗闇に向けて無防備に発光信号を放った。 それが、後の世に語られるサボ島沖海戦の始まりであった。 状況確認もままならないうちに集中砲火を浴びた青葉は、あっという間に艦橋に直撃弾を受け首脳全滅、続けて第二砲塔が被弾により使用不能になる。 それを間近で見ていた古鷹は、青葉を轟沈させまいと、猛烈な反撃をしつつ射線上へと船体を割り込ませる。 古鷹の判断は功を奏し、青葉は夥しい被害を出しながらも後退。戦線の離脱に成功する。 しかし、古鷹は前線に取り残される形となった。 青葉を護るためその身を躍らせていたことに加え、敵艦隊に向けて照射した探照灯の光が、敵の視線を釘付けにしてしまったのだ。 雨あられと降り注ぐ弾丸で、まず、サーチライトが吹き飛んだ。ついで艦の各所に火の手が上がり、小柄な古鷹の船体は、瞬く間に灼熱の炎に包まれてしまった。 それでも古鷹は止まらなかった。 全身が炎上し、最後の命を燃やし尽くすかのような壮絶な火の玉と化してもなお、砲撃をやめることなく敵艦隊へと突進。 古鷹の、命をかけた攻撃は、敵軽巡『ボイシ』へと殺到。大火災と浸水を巻き起こし、同艦を轟沈寸前にまで追い込んだ。 だが、22時40分。 計90発以上の直撃弾を受けた満身創痍の船体は、ついにその鼓動を止め、航行不能となってしまう。 戦闘終了後の翌未明。古鷹は、洋上に浮かんでこそいたものの、修理はもはや不可能で、手の施しようのない状態であった。 12日0時28分、沈没。 旗艦・青葉の無事を引き換えにしての最期であった。 余談であるが、小さな船体に無茶な武装を施しているせいで、姉妹艦の[[加古]]ともども居住性は後続の重巡に比べれば良くなかった。 だがそれでも従来の5500t型軽巡よりずっと居住性が良かったとも言われている。 ---- *台詞一覧 &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|古鷹といいます。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。|古鷹の設計思想は日本重巡の基礎となった| |秘書クリック会話①|ここはとてもいい部隊ですね|人による| |秘書クリック会話②|次の作戦海域の資料を、見せてもらってもいいですか?|| |秘書クリック会話③|提督慌てないで。大丈夫です|| |戦績表示時|提督にお知らせがあるようですよ|| |編成選択時|重巡古鷹、出撃します!|| |装備時①|三川艦隊の仲間にも、自慢できちゃいます|第一次ソロモン海戦では三川軍一中将率いる第8艦隊に所属| |装備時②|これなら夜戦もバッチリです!|| |装備時③|やったね!|| |>|>|(修復剤使用は②と共通、資材発見時は③と共通)| |ドック入り|兵装の手入れをしてきますね|| |ドック入り(重傷)|先日の戦闘で、少し無茶しちゃいましたね|| |建造時|新しい艦が建造されました|| |艦隊帰投時|作戦完了です。お疲れ様!|| |出撃時|敵輸送艦を捕捉。撃破したいですね|第一次ソロモン海戦時の目的は敵輸送船撃破であった| |戦闘開始時|左弦、砲雷撃戦用意!|| |攻撃時|主砲狙って……そう、撃てぇー!|| |夜戦開始時|私、夜戦は得意なんだから!|第一次ソロモン海戦での活躍に因む| |夜戦攻撃時|加古は大丈夫?|第一次ソロモン海戦の帰途、加古が米潜水艦S-44の魚雷攻撃を受け沈没| |MVP時|私たちの役割がたまたま目立っただけなんです。これが、重巡洋艦なんですよ。|| |被弾小破①|予測の範囲内です!|| |被弾小破②|やだ…何…?潜水艦…!?|現状を把握できていないようなニュアンスから、おそらく加古沈没時との関連| |被弾カットイン|やっちゃった…まだ、沈まないよ|サボ島沖海戦で大破炎上したものの、戦闘終了まで沈まなかったため?/また、左目≒探照灯を閉じているのは、最後の戦いとなったサボ沖海戦において真っ先(青葉第三砲塔自爆の直前)にサーチライトを破壊されたため。| |撃沈時(反転)|COLOR(white):加古、ごめんね…先にいくね…|| ---- *同型艦 &bold(){古鷹}([[古鷹改二]]) ― [[加古]]([[加古改二]]) ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=古鷹/コメント)

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