神通

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#image(No047.jpg) #contents ---- *CV ---- 佐倉綾音 ---- *Illustrator ---- bob ---- *史実情報 ---- ゲーム中では楚々とした大人しい雰囲気だが、実際には世界最強とも呼ばれた第二水雷戦隊(二水戦)を率いた武勲艦。 #image(Jintsu_1925.jpg) 川内型軽巡洋艦の一隻として神戸川崎造船所にて1922年7月に起工される。 当初は川内型3番艦として就役する予定であったが、本来2番艦であった[[那珂]]が1923年の関東大震災で大破し、解体・再起工と大幅に建造 スケジュールが狂ったため、本艦が繰り上げで2番艦として1925年7月に就役した。 艦名は、富山県・岐阜県を流れる「神通川」に由来する。ただし、川の名前は「じんづうがわ」と「通」が濁るが、艦名は「じんつう」と読む。 就役後は第1艦隊第3戦隊に所属。1925年12月に姉妹艦にして艦隊のアイドル[[那珂]]ちゃんと第2艦隊第5戦隊を組成した。 1927年8月、島根県美保関沖での夜間無灯火訓練中、神通は視界不良の中で第1水雷戦隊第27駆逐隊所属のニ等駆逐艦蕨の右舷艦橋付近に衝突。 蕨は衝突箇所から艦体が二つに折れ沈没し、五十嵐艦長以下119名が死亡。神通も艦首部分の衝突箇所が抉られる大損傷を負った。 さらに運の悪いことに、この2隻を避けようとした[[那珂]]が同じく2隻を避けようとした第27駆逐隊の駆逐艦葦と衝突。双方大破する被害を出す。 この事件は後に&bold(){美保関事件}と呼称され、現在では軍縮条約下の猛訓練の産んだ犠牲として見られている。 事件当時の神通艦長であった水城圭次大佐は当事件の容疑者として軍法会議にかけられたが、判決前日に事件の全ての責任を取って自決している。 #image(Jintsu_1927.jpg) 同事件で破損した神通の艦首部 美保関事件で損傷した神通は舞鶴へと曳航され、舞鶴工作部にて応急修理を行った後に呉へと回航。翌1928年には艦首を凌波性の優れたダブル カーヴド艦首に変更された形で艦首部分の修理を終え、第1艦隊第3戦隊に編入された。 1931年には日本海軍水雷戦隊のエリート部隊である第2艦隊第2水雷戦隊の旗艦を継承。翌年には揚子江への警備出動を行っている。 なお1931年10月に[[鬼怒]]での試験を終えた呉式2号2型射出機が航空機滑走台の位置に装備され、水上機運用能力を得ている。 その後第1艦隊第8戦隊の旗艦を一時期務めるが、比較的すぐに第2水雷戦隊へと戻っている。 1939年には第2水雷戦隊の旗艦として神通は朝潮型・陽炎型の新鋭駆逐艦を率いることとなり、1941年の大改装では正式な航空兵装の 搭載と、全部ウェルデッキの廃止、後部の魚雷発射管を従来の連装発射管から酸素魚雷を発射可能な四連装発射管に交換している。 これによって神通は酸素魚雷の発射能力を得たのであった。 #image(Jintsu.jpg) 開戦直前の神通 開戦当時、既に神通は艦齢16年の旧型艦であったが、後継の阿賀野型の就役が遅れたことから、軽巡の中ではまだ最新型である川内型は 水雷戦隊旗艦に積極的に振り向けられていた。 緒戦では神通艦長も努めた事がある第2水雷戦隊司令・田中頼三少将の指揮下で、ダバオ上陸作戦、メナド攻略戦を皮切りに蘭印方面で活躍。 1942年2月のスラバヤ沖海戦では神通が最初に敵影を発見し、第二水雷戦隊はアウトレンジからの遠距離雷撃戦を試みたが、結局これは 魚雷の空撃ちにしかならず、命中弾も無く田中少将は「敢闘精神が足りない」と批判されるに至った。 エリート部隊の旗艦として神通が経験した初の水雷戦は、英海軍の駆逐艦「エレクトラ」1隻撃沈と言う惨憺たる戦果に終わった。と言われているが これは戦後になって二水戦関係者が自らの戦果を誇張した虚偽の証言であった。「エレクトラ」沈めたのは四水戦の朝雲・峯雲であり 神通はこの海戦において1発の命中弾もなく何の戦果もなかった。それどころか、実際に戦果を挙げた朝雲らが何の活躍もしなかったと証言をして手柄を横取りすると言う 精鋭部隊が聞いて呆れる醜態を晒す結果となった。また、この誇張された証言は戦後の米戦史家によって広められ神通に対する誤った評価に繋がっている 3月には米潜水艦SS-183シールの襲撃を受けるが、神通はこれを回避した。 6月のミッドウェー海戦では攻略部隊に所属したが、特に戦闘もなく帰還した。 ミッドウェー海戦の後に戦端を開いた地獄のソロモン戦線。多くの艦艇がガダルカナル島を巡る戦いですり潰されゆく中、神通指揮下の 第二水雷戦隊もまたこの地獄へと身を投じた。 1942年8月、神通はガダルカナル島への一木支隊輸送任務を隷下の駆逐艦とともに担当し、同月の第二次ソロモン海戦では米海兵隊機の 急降下爆撃を前甲板に受ける被害を受け、第ニ水雷戦隊は司令部を[[陽炎]]に移譲させ、神通はその後トラック泊地での応急修理の後 呉に回航され、修理を受ける事となった。(その間の第2水雷戦隊の旗艦は[[五十鈴]]が担当した) 12月に修理を終えた神通は翌年1月に再び第2水雷戦隊旗艦にカムバックし、同月のガダルカナル島撤退作戦に参加。 しばらくはまだ南洋方面での運用が続いたが、そんな神通および二水戦がついに夜戦を挑む機会を得たのが1943年7月の夜、コロンバンガラ島沖。 輸送部隊護衛の任務に就いていた神通および駆逐艦5隻の二水戦部隊は、軽巡洋艦3隻・駆逐艦10隻から成るアメリカ艦隊と遭遇する。 日本海軍における夜戦の手法は、軽巡洋艦が探照灯(サーチライト)を照射し、敵艦の捜索と攻撃誘引をしている間に麾下の駆逐艦が敵艦隊を叩くものである。 軽巡である神通は夜戦の定石の通り、直ちに探照灯を敵艦隊に向け照射、その位置を照らし出すと麾下の駆逐艦とともに突撃を開始。 だが夜戦において自らの位置をさらけ出すことは、自殺に等しい。 探照灯照射を行った神通にはアメリカ艦隊からの砲雷撃が殺到、神通は瞬く間に火の海となった。 集中砲火を浴びつつも魚雷7本を発射するが、缶室への被弾多数と魚雷命中により機関が停止。 艦橋に命中した砲弾により艦長や第2水雷戦隊司令官以下幕僚全員が粉々となった。 さらに艦中央部に再度魚雷が命中した神通は大爆発を起こし、真っ二つになった。 駆逐艦部隊は最大戦速で肉薄、魚雷の一斉射で打撃を与えると、そのまま反転離脱に移ることに成功した。 さらに、雷撃により打撃を受けたアメリカ艦隊がすぐに体勢を立て直し追撃にかかったところで、次発装填装置により魚雷の再装填を完了した日本駆逐艦部隊は反転。 もはや日本軍からの雷撃は無いと油断し突撃してきたアメリカ艦隊に対し再度の魚雷斉射を行い、軽巡3隻大破、駆逐艦1隻撃沈、同3隻大破の大打撃を与えた しかし駆逐艦部隊も夜間に敵中で炎上・沈没した旗艦・神通の救助を行うことは出来ず、伊崎少将以下の第2水雷戦隊司令部を含む神通の乗員500名近くは大半が戦死。 伊号180潜水艦に21名が救助されたほか、米潜水艦によって若干名が救助された。 彼女に向かい撃たれた砲弾は合計2630発とも言われ、彼女がその攻撃を引き受けたために、麾下の駆逐艦に損害を出すことは無かった。 &table_color(table2,#ddd){} |>|>|~艦歴| |発注|>|1920計画中型(二等)巡洋艦| |起工|1922年08月04日|於神戸川崎造船所| |進水|1923年12月8日|| |就役|1925年7月31日|呉鎮守府へ編入| ||1925年08月15日|第1艦隊第3戦隊に編入| ||1925年12月01日|第2艦隊第5戦隊に編入| ||1927年08月24日|島根県美保ヶ関沖で夜間演習中、&bold(){駆逐艦“蕨”}と衝突事故を起こし、蕨は沈没、神通も艦首を喪失する大破(美保関事件)&br()ちなみにこの時、神通を避けようとした&bold(){巡洋艦“[[那珂]]”}も&bold(){駆逐艦“葦”}と衝突、那珂、葦双方が大破するという多重事故となっている。| ||1928年03月|呉にて修理完了。この時大破した艦首がS字型のダブルカーブドバウに変更されており、これが神通の外見上特徴となる。| ||1928年03月01日|第1艦隊第3戦隊に編入| ||1931年12月01日|第2艦隊第2水雷戦隊に編入され旗艦を継承| ||1933年11月15日|予備艦となり司令部設備の拡充、射出機・揚収デリックの装備などの第1次近代化改装に着手| ||1934年11月15日|第2艦隊第2水雷戦隊に編入され旗艦を継承| ||1935年11月15日|第1艦隊第8戦隊に編入され旗艦を継承| ||1936年12月01日|第2艦隊第2水雷戦隊| ||1939年11月15日|第18駆逐隊と第2艦隊第2水雷戦隊を編制| ||1941年|後部魚雷発射管を四連装2基に換装する第2次近代化改装に着手。これにより九三式酸素魚雷の発射能力を得た| ||1941年11月26日|2艦隊第2水雷戦隊旗艦として寺島水道出港| ||1942年02月27日|スラバヤ沖海戦に参加| ||1942年06月05日|ミッドウェー海戦に参加| ||1942年08月25日|第二次ソロモン海戦にて急降下爆撃により爆弾一発が命中し中破| ||1942年08月28日|トラック港に入港、爆撃による損傷を応急修理| ||1942年11月29日|呉工廠に入渠し修理| ||1942年12月28日|出渠| |戦没|1943年07月13日|コロンバンガラ島沖海戦において後続の駆逐艦の雷撃照準を助けるべく先頭に立ち、サーチライトによる照射射撃を敢行。&br()その結果、敵の巡洋艦三隻から多数の砲撃、雷撃を浴びせられ大爆発を起こし轟沈した。&br()ちなみに神通を沈めるために打ち込まれた砲弾は合計2630発にも及び、このまさに蜂の巣の集中砲火が囮となり、この戦闘での他の艦船の被害はほぼなかったという| |除籍|1943年09月01日|| ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|あの……軽巡洋艦、神通です。どうか、よろしくお願い致します……| | |秘書クリック会話①|あの…提督…そんなに触られると、わたし、混乱しちゃいます…|美保関事件?| |秘書クリック会話②|あっ……びっ、びっくりしました|| |秘書クリック会話③|な、なんでしょうか…|| |戦績表示時|提督に、お手紙を持って参りました|| |編成選択時|神通、行きます|| |装備時①|だ、大丈夫|| |装備時②|こんな素敵な近代化改修、わたしうれしいです…|史実でも二度近代化改修されている| |装備時③|どういうことでしょう…身体が、火照ってきてしまいました…|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|あの、少し休ませていただきますね|| |ドック入り(重傷)|やられちゃいました。しばらく修理に専念します。すみません|| |建造時|新しい艦がまいりました|| |艦隊帰投時|出撃していた艦隊が帰投しました|| |出撃時|神通、行きます|| |戦闘開始時|あたってください|| |攻撃時|撃ちます|| |夜戦開始時|油断しましたね、次発装填済みです|コロンバンガラ島沖海戦にて神通が率いた二水戦の駆逐艦は、離脱すると見せかけて次発装填装置を使い魚雷を再装填、油断し突撃してきたアメリカ艦を返り討ちにした| |夜戦攻撃時|来ないでって言ったのにぃ!|コロンバンガラ島沖海戦にてサーチライトによる照射射撃を敢行、結果敵に集中砲火を浴びた| |MVP時|こんな私でも、提督のお役にたてて…本当に嬉しいです|| |被弾小破①|あぁっ!|| |被弾小破②|…痛いです…!!|| |被弾カットイン|うっ…狙い撃ちされました…これじゃ、戦いにくいです…|コロンバンガラ島沖海戦における最期から&br()戦いにくい状況に陥っても、探照灯照射と砲雷撃を最後までやめなかった| |撃沈時(反転)|COLOR(white):提督…私…ご一緒できて…光栄でした……|| ---- *同型艦 [[川内]]([[川内改二]]) ― &bold(){神通}([[神通改二]]) ― [[那珂]]([[那珂改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=神通/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No047.jpg) #contents ---- *CV ---- 佐倉綾音 ---- *Illustrator ---- bob ---- *史実情報 ---- ゲーム中では楚々とした大人しい雰囲気。 #image(Jintsu_1925.jpg) 川内型軽巡洋艦の一隻として神戸川崎造船所にて1922年7月に起工される。 当初は川内型3番艦として就役する予定であったが、本来2番艦であった[[那珂]]が1923年の関東大震災で大破し、解体・再起工と大幅に建造 スケジュールが狂ったため、本艦が繰り上げで2番艦として1925年7月に就役した。 艦名は、富山県・岐阜県を流れる「神通川」に由来する。ただし、川の名前は「じんづうがわ」と「通」が濁るが、艦名は「じんつう」と読む。 就役後は第1艦隊第3戦隊に所属。1925年12月に姉妹艦にして艦隊のアイドル[[那珂]]ちゃんと第2艦隊第5戦隊を組成した。 1927年8月、島根県美保関沖での夜間無灯火訓練中、神通は視界不良の中で第1水雷戦隊第27駆逐隊所属のニ等駆逐艦蕨の右舷艦橋付近に衝突。 蕨は衝突箇所から艦体が二つに折れ沈没し、五十嵐艦長以下119名が死亡。神通も艦首部分の衝突箇所が抉られる大損傷を負った。 さらに運の悪いことに、この2隻を避けようとした[[那珂]]が同じく2隻を避けようとした第27駆逐隊の駆逐艦葦と衝突。双方大破する被害を出す。 この事件は後に&bold(){美保関事件}と呼称され、現在では軍縮条約下の猛訓練の産んだ犠牲として見られている。 事件当時の神通艦長であった水城圭次大佐は当事件の容疑者として軍法会議にかけられたが、判決前日に事件の全ての責任を取って自決している。 #image(Jintsu_1927.jpg) 同事件で破損した神通の艦首部 美保関事件で損傷した神通は舞鶴へと曳航され、舞鶴工作部にて応急修理を行った後に呉へと回航。翌1928年には艦首を凌波性の優れたダブル カーヴド艦首に変更された形で艦首部分の修理を終え、第1艦隊第3戦隊に編入された。 1931年には日本海軍水雷戦隊のエリート部隊である第2艦隊第2水雷戦隊の旗艦を継承。翌年には揚子江への警備出動を行っている。 なお1931年10月に[[鬼怒]]での試験を終えた呉式2号2型射出機が航空機滑走台の位置に装備され、水上機運用能力を得ている。 その後第1艦隊第8戦隊の旗艦を一時期務めるが、比較的すぐに第2水雷戦隊へと戻っている。 1939年には第2水雷戦隊の旗艦として神通は朝潮型・陽炎型の新鋭駆逐艦を率いることとなり、1941年の大改装では正式な航空兵装の 搭載と、全部ウェルデッキの廃止、後部の魚雷発射管を従来の連装発射管から酸素魚雷を発射可能な四連装発射管に交換している。 これによって神通は酸素魚雷の発射能力を得たのであった。 #image(Jintsu.jpg) 開戦直前の神通 開戦当時、既に神通は艦齢16年の旧型艦であったが、後継の阿賀野型の就役が遅れたことから、軽巡の中ではまだ最新型である川内型は 水雷戦隊旗艦に積極的に振り向けられていた。 緒戦では神通艦長も努めた事がある第2水雷戦隊司令・田中頼三少将の指揮下で、ダバオ上陸作戦、メナド攻略戦を皮切りに蘭印方面で活躍。 1942年2月のスラバヤ沖海戦では神通が最初に敵影を発見し、第二水雷戦隊はアウトレンジからの遠距離雷撃戦を試みたが、結局これは 魚雷の空撃ちにしかならず、命中弾も無く田中少将は「敢闘精神が足りない」と批判されるに至った。 エリート部隊の旗艦として神通が経験した初の水雷戦は、英海軍の駆逐艦「エレクトラ」1隻撃沈と言う惨憺たる戦果に終わった。と言われているが これは戦後になって二水戦関係者が自らの戦果を誇張した虚偽の証言であった。「エレクトラ」沈めたのは四水戦の朝雲・峯雲であり 神通はこの海戦において1発の命中弾もなく何の戦果もなかった。それどころか、実際に戦果を挙げた朝雲らが何の活躍もしなかったと証言をして手柄を横取りすると言う 精鋭部隊が聞いて呆れる醜態を晒す結果となった。また、この誇張された証言は戦後の米戦史家によって広められ神通に対する誤った評価に繋がっている 3月には米潜水艦SS-183シールの襲撃を受けるが、神通はこれを回避した。 6月のミッドウェー海戦では攻略部隊に所属したが、特に戦闘もなく帰還した。 ミッドウェー海戦の後に戦端を開いた地獄のソロモン戦線。多くの艦艇がガダルカナル島を巡る戦いですり潰されゆく中、神通指揮下の 第二水雷戦隊もまたこの地獄へと身を投じた。 1942年8月、神通はガダルカナル島への一木支隊輸送任務を隷下の駆逐艦とともに担当し、同月の第二次ソロモン海戦では米海兵隊機の 急降下爆撃を前甲板に受ける被害を受け、第ニ水雷戦隊は司令部を[[陽炎]]に移譲させ、神通はその後トラック泊地での応急修理の後 呉に回航され、修理を受ける事となった。 このため精鋭と言われた二水戦旗艦にも関わらずガダルカナル島を巡るソロモン海域での戦闘でまったく活躍することが出来なかった(その間の第2水雷戦隊の旗艦は[[五十鈴]]が担当した) この後、神通が参加する海戦は最期となる「コロンバンガラ沖海戦」のみとなった 12月に修理を終えた神通は翌年1月に再び第2水雷戦隊旗艦にカムバックし、同月のガダルカナル島撤退作戦に参加。 しばらくはまだ南洋方面での運用が続いたが、そんな神通および二水戦がついに夜戦を挑む機会を得たのが1943年7月の夜、コロンバンガラ島沖。 輸送部隊護衛の任務に就いていた神通および駆逐艦5隻の二水戦部隊は、軽巡洋艦3隻・駆逐艦10隻から成るアメリカ艦隊と遭遇する。 日本海軍における夜戦の手法は、軽巡洋艦が探照灯(サーチライト)を照射し、敵艦の捜索と攻撃誘引をしている間に麾下の駆逐艦が敵艦隊を叩くものである。 軽巡である神通は夜戦の定石の通り、直ちに探照灯を敵艦隊に向け照射、その位置を照らし出すと麾下の駆逐艦とともに突撃を開始。 だが夜戦において自らの位置をさらけ出すことは、自殺に等しい。 探照灯照射を行った神通にはアメリカ艦隊からの砲雷撃が殺到、神通は瞬く間に火の海となった。 集中砲火を浴びつつも魚雷7本を発射するが、缶室への被弾多数と魚雷命中により機関が停止。 艦橋に命中した砲弾により艦長や第2水雷戦隊司令官以下幕僚全員が粉々となった。 さらに艦中央部に再度魚雷が命中した神通は大爆発を起こし、真っ二つになった。 駆逐艦部隊は最大戦速で肉薄、魚雷の一斉射で打撃を与えると、そのまま反転離脱に移ることに成功した。 さらに、雷撃により打撃を受けたアメリカ艦隊がすぐに体勢を立て直し追撃にかかったところで、次発装填装置により魚雷の再装填を完了した日本駆逐艦部隊は反転。 もはや日本軍からの雷撃は無いと油断し突撃してきたアメリカ艦隊に対し再度の魚雷斉射を行い、軽巡3隻大破、駆逐艦1隻撃沈、同3隻大破の大打撃を与えた しかし駆逐艦部隊も夜間に敵中で炎上・沈没した旗艦・神通の救助を行うことは出来ず、伊崎少将以下の第2水雷戦隊司令部を含む神通の乗員500名近くは大半が戦死。 伊号180潜水艦に21名が救助されたほか、米潜水艦によって若干名が救助された。 彼女に向かい撃たれた砲弾は合計2630発とも言われ、彼女がその攻撃を引き受けたために、麾下の駆逐艦に損害を出すことは無かった。 &table_color(table2,#ddd){} |>|>|~艦歴| |発注|>|1920計画中型(二等)巡洋艦| |起工|1922年08月04日|於神戸川崎造船所| |進水|1923年12月8日|| |就役|1925年7月31日|呉鎮守府へ編入| ||1925年08月15日|第1艦隊第3戦隊に編入| ||1925年12月01日|第2艦隊第5戦隊に編入| ||1927年08月24日|島根県美保ヶ関沖で夜間演習中、&bold(){駆逐艦“蕨”}と衝突事故を起こし、蕨は沈没、神通も艦首を喪失する大破(美保関事件)&br()ちなみにこの時、神通を避けようとした&bold(){巡洋艦“[[那珂]]”}も&bold(){駆逐艦“葦”}と衝突、那珂、葦双方が大破するという多重事故となっている。| ||1928年03月|呉にて修理完了。この時大破した艦首がS字型のダブルカーブドバウに変更されており、これが神通の外見上特徴となる。| ||1928年03月01日|第1艦隊第3戦隊に編入| ||1931年12月01日|第2艦隊第2水雷戦隊に編入され旗艦を継承| ||1933年11月15日|予備艦となり司令部設備の拡充、射出機・揚収デリックの装備などの第1次近代化改装に着手| ||1934年11月15日|第2艦隊第2水雷戦隊に編入され旗艦を継承| ||1935年11月15日|第1艦隊第8戦隊に編入され旗艦を継承| ||1936年12月01日|第2艦隊第2水雷戦隊| ||1939年11月15日|第18駆逐隊と第2艦隊第2水雷戦隊を編制| ||1941年|後部魚雷発射管を四連装2基に換装する第2次近代化改装に着手。これにより九三式酸素魚雷の発射能力を得た| ||1941年11月26日|2艦隊第2水雷戦隊旗艦として寺島水道出港| ||1942年02月27日|スラバヤ沖海戦に参加| ||1942年06月05日|ミッドウェー海戦に参加| ||1942年08月25日|第二次ソロモン海戦にて急降下爆撃により爆弾一発が命中し中破| ||1942年08月28日|トラック港に入港、爆撃による損傷を応急修理| ||1942年11月29日|呉工廠に入渠し修理| ||1942年12月28日|出渠| |戦没|1943年07月13日|コロンバンガラ島沖海戦において後続の駆逐艦の雷撃照準を助けるべく先頭に立ち、サーチライトによる照射射撃を敢行。&br()その結果、敵の巡洋艦三隻から多数の砲撃、雷撃を浴びせられ大爆発を起こし轟沈した。&br()ちなみに神通を沈めるために打ち込まれた砲弾は合計2630発にも及び、このまさに蜂の巣の集中砲火が囮となり、この戦闘での他の艦船の被害はほぼなかったという| |除籍|1943年09月01日|| ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|あの……軽巡洋艦、神通です。どうか、よろしくお願い致します……| | |秘書クリック会話①|あの…提督…そんなに触られると、わたし、混乱しちゃいます…|美保関事件?| |秘書クリック会話②|あっ……びっ、びっくりしました|| |秘書クリック会話③|な、なんでしょうか…|| |戦績表示時|提督に、お手紙を持って参りました|| |編成選択時|神通、行きます|| |装備時①|だ、大丈夫|| |装備時②|こんな素敵な近代化改修、わたしうれしいです…|史実でも二度近代化改修されている| |装備時③|どういうことでしょう…身体が、火照ってきてしまいました…|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|あの、少し休ませていただきますね|| |ドック入り(重傷)|やられちゃいました。しばらく修理に専念します。すみません|| |建造時|新しい艦がまいりました|| |艦隊帰投時|出撃していた艦隊が帰投しました|| |出撃時|神通、行きます|| |戦闘開始時|あたってください|| |攻撃時|撃ちます|| |夜戦開始時|油断しましたね、次発装填済みです|コロンバンガラ島沖海戦にて神通が率いた二水戦の駆逐艦は、離脱すると見せかけて次発装填装置を使い魚雷を再装填、油断し突撃してきたアメリカ艦を返り討ちにした| |夜戦攻撃時|来ないでって言ったのにぃ!|コロンバンガラ島沖海戦にてサーチライトによる照射射撃を敢行、結果敵に集中砲火を浴びた| |MVP時|こんな私でも、提督のお役にたてて…本当に嬉しいです|| |被弾小破①|あぁっ!|| |被弾小破②|…痛いです…!!|| |被弾カットイン|うっ…狙い撃ちされました…これじゃ、戦いにくいです…|コロンバンガラ島沖海戦における最期から&br()戦いにくい状況に陥っても、探照灯照射と砲雷撃を最後までやめなかった| |撃沈時(反転)|COLOR(white):提督…私…ご一緒できて…光栄でした……|| ---- *同型艦 [[川内]]([[川内改二]]) ― &bold(){神通}([[神通改二]]) ― [[那珂]]([[那珂改二]]) ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=神通/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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